2021/12/22 のログ
ご案内:「禁書庫【イベント:「禁書庫蔵書整理」】」に藤白 真夜さんが現れました。<補足:【ソロ】 仄かに血の匂い。光の無い赤い瞳、黒いロングヘア、飾り気の無いセーラー服、茶のローファー>
藤白 真夜 >   
 禁書庫蔵書整理。
 毎年、年の瀬に博物館地下収蔵庫整理と並び行われるそれ。
 一応、木っ端程度ではありますけど、いち祭祀局員として私もお手伝いに参加しているのでした。
 こっちもなんだか大掃除のような響きですが、実態はこっちのほうが危険なモノだと感じます。
 博物館のソレは、まだかろうじて“展覧”することに意義が在った。
 禁書庫は、もはや見られることに意義が無かった。
 それは封じ込め、ただ閉じ込め、蒐集するための機構。
 死蔵される本に埃が降り積もる、禁断の蔵。
 それは、私にはとても悲しくて……恐ろしいモノに思えました。 

(……いやでも、あんなもの置いてある博物館地下も大差無いのかな……。
 それでも、あの場所にはまだ“飾る”意識がある気がする。
 “見つけてもらう”ことを求めているような――、)

 先日も、危険な遺物の暴走を東山先生に助けてもらったばかりで言うことでも無い気がするのですが。
 ……でもすごい異能でした……!公安のひとはみんなああなのかな……。

 なんて益体もないことを考えていたら、私を呼ぶ声。
 禁書庫の整理は、危険です。
 魔術書に魅入ってしまったら。
 湧き出た怪異と遭遇してしまったら。
 そういう危険を想定するため、最低でもツーマンセルで行われるそれは、私も二人組での参加を余儀なくされました。……二人組を作るの、苦手なんです……。
 
 同行してくださるのは、祭祀局の祓魔師の方。
 図書委員の方のお手伝いをすることも多いらしく、経験豊富な先輩。
 人見知りの私と組める時点で、明るく隔てるものが無い方なのは間違いないのですが……。

藤白 真夜 >  
 書庫とはいえ、そこは魔術の最奥や禁断の法が眠る場所。
 いかな怪異やソレと区別のつかない高度な魔術、あるいは禁じられた術により、何が起きるかは想定出来ない。

 私達のやることといえば、ぶっちゃけ雑用でした。
 危険を切り開く先行部隊の後片付け――文字通りに、粗雑に道に置かれた本の山を持っていくだけ。
 なぜなら、私という不安要素を抱えているから。
 私は物理的損傷には無駄に強いのですが、魔術書の類に魅入られやすいと一部で評判。悪評かな……。

「……な、なんだかすみません……」

 狭い本棚同士の通路を、前を本を抱えて歩く真っ白な――神職のような――仕事衣を纏った先輩に頭を下げて。こてん、と抱えた本の山に頭がぶつかる。
 先輩はといえば、それを見てくすくすと笑うくらいで、気にもとめない様子。
 ツーマンセルのうち一人は封印術をこなせないといけないので、彼女も確かな腕を持つ祓魔師のはずなのですが、その活躍を私が奪ってしまっているような――、

 ほの暗い禁書庫を行く中でも、先輩は私を気遣ってなのかそういう質なのか、世間話を途絶えることなく話し続けてくださいました。
 私はといえば曖昧に頷いたり、曖昧に笑ってみたり、曖昧に同意してみたりするだけの――、

「――先輩!」

 私を振り返り喋り続ける先輩の向こう側。
 本棚と本棚の間に、何かが光った。
 それを何かと認識する前に、私は先輩を押しのけるようにして庇って――、

 本棚の間から飛び出す腕に、引きずり込まれていた。
 
 ほんの一瞬。
 引き伸ばされる時間の中で、垣間見える。
 それは、鏡だ。
 本棚の間に潜むように佇む鏡の中に、私は引きずりこまれ――

藤白 真夜 >  
「……く、……」

 一瞬の、平衡感覚の喪失。
 乗り物酔いをするような……階段を一つ踏み外したような悪寒。 
 一瞬のそれはすぐに消え、私は薄暗いどこかへ“落ちて”いた。
 
(……やられた……!……先輩、大丈夫かな……)

 見回して、すぐに気付く。異空間に引きずりこまれていた。
 そこは、驚くほど暗い。
 禁書庫も確かに暗かったけれど、これはその比じゃない。探るように突き出した手がかろうじて見える程度の明かり。
 ――なのに、ぺたりと触れた本棚に並ぶ背表紙の名前は、ハッキリと見てとれた。

(ひーっ……!これ目を当てちゃいけないタイプのだぁ……!)

 暗がりの中にあって確かに“知りもしない魔術書のタイトル”だけ読み取れる。明らかにこちらを読ませようとする禁書の類……見るだけでも取り込まれかねない。 

 闇に目が慣れたのか、少しずつその場所の全容が浮かび上がってくる。
 そこは、通路だ。
 人一人通れるか程度の広さしかない。
 左右には圧し潰さんとばかりに本棚が並び、なぜ落ちてこないのか頭上にも本棚が連なっていた。
 狭い通路を、本棚だけで作り上げたような場所。床だけは、古い旧校舎のような木造りだったけど。……本は踏みたくないですしね。
 押し込まれた場所があるはずの背後には、行き止まりだというように本棚が立っているだけだった。
 ――一本道。

(……。
 魔力の気配は、……私は雑にしかわからないし、魔力が溢れすぎて感知するだけ無駄そう。
 ……怪異の気配が、無い……。
 こんなトコに連れてこられた、だけ……?)

 現状は、良くなかった。
 先輩が同じ目に遭っていなければ、それで良かったけれど――。
 私独りなら、どうにでもなる。
 私は、誘われるようにその一本道を進み始めた。 

藤白 真夜 >  
 本棚で作られた一本道の通路は、暗く、けれど確かにどこかへ続いていた。
 まっすぐに歩くだけで両脇の本棚に肩が触れそうな狭さだけが、不安を煽る。
 今にもまた本棚から怪異でも飛び出してきそうな雰囲気はしかし、不気味な静けさに否定されていた。

 何故か予感があった。
 ……これは、接続路だ。

 禁書庫内の歪んだ空間を辻褄合わせするための、都合の良い――日の当たらない場所。
 場所を作るために本来の目的を忘れ、道を作るついで程度に使われた本棚たち。
 そこに並ぶ書は、確かに危険な禁書であったかもしれないが、求められるモノでもなかった。
 つまり、適度に危険だが役に立たず、捨て置かれるうちに狭間に追いやられたモノたち。
 現に、私はそこを歩いてもどうということはなかったのだから。

 暗く、通路のついでに蓄えられた魔書たち。
 しかし、それらを憐れむように見つめる余裕は私には無い。
 はっきりとその背表紙を見つめれば、今にも見えぬ魔力の腕に心臓を掴まれかねない。

 足をすすめる度微かに軋み埃を舞い上げる木の床を踏み、進む。
 本棚の列は一つごとに少しずつ歪み曲がっていて、先が見えないようになっていた。
 しかし、段々と明るさが増してくる。
 元からほんのわずかに明かりがあったのだ、どこかにつながっているのは解っていた。
 どうしても、そこに並ぶ本の数々に目を通したい好奇心と知識欲と憐れみのような何かが混ざった感覚を切り捨て進むうちに、それは見えてきた。
 
 狭い通路に、上り階段がつながっていた。
 舞い踊る埃をあらわにするように強い光が差し込んでいる。闇に慣れた目が少し痛かった。
 ……ここにはもう居られない。ここにいては、私まで狭間の闇に飲み込まれそうだったから。
 階段を登る。
 軋む音が聞こえた。
 それが泣き声に聞こえたのは、私の錯覚だろうか。魔の魅せる幻聴だったのか……。

藤白 真夜 >  
「ひゃ」

 ちょっと間抜けな声が漏れた。
 
 階段を登りきったかと思えば、私は腰ほどの高さからまた“落ちて”いた。気づけば尻もちをついていて、慌てて顔を上げる。

 ――眩しい。

 先程までの通路が暗かったせいかもしれない。
 白む視界に目を細め、……ようやく瞳孔が目前の景色を網膜に捉える。

 ――それでも、頭の理解は追いついていなかった。

 広大な空間が広がっている。
 巨大な吹き抜けの広間だった。
 “対岸”に映る景色は遠く、空間の広さがよくわからない程度に広いことを表していた。
 目に映るのは、すべて――本棚。
 本棚だけで作られた、“口”の漢字のカタチの構造物の縁に私はたどり着いていた。
 “口”の漢字の中には、いくつも塔めいたモノが立ち上がっている。
 それらもやはり、本棚だった。
 螺旋階段の巻き付いた、本の塔。
 室内であるはずなのに、本の塔が貫く天には白けた光のようなものが溢れていて、茫洋としてハッキリしない。あの白い靄がこの光を生んでいるようだった。
 ならばと手すりを掴んで底を覗き込めば、真っ黒な底から塔が生えてきていた。
 ……高すぎて距離がよくわからない。
 十階建てのビルくらいかなと思ったけど、怪異や魔術絡みの異空間にそういう物差しが通ずるのかすら怪しい。 
 
 本棚だけを重ねて出来た城に、本棚で出来た塔を投げ込んだような、異様な空間にさまよい出ていた。
 背後を振り返ると、やっぱり来た路はもう無い。
 ただ、物言わぬ本棚が並んでいるだけだった。
 

藤白 真夜 >  
(すごい数……!何冊あるんでしょう……?)

 私はといえば、本棚からオマケ程度に突き出た“ヘリ”を歩きながら、その異様に圧倒されていた。
 緊張感は、ちょっと薄れています。はい。
 何故かというと、明らかに蔵書の傾向が変わっていたから。
 先程までの、目で見るのも躊躇われるような魔窟から、この空間の本棚はというと一般的な本も多く含まれていたから。
 それでもやはり私ですら感じ取れる零れ出る濃密な魔力を前に、しっかりと目を通そうとはとても思えませんでしたけれど。

 本棚に張り付くようにぐるっと廻る通路は、狭かった。
 飛行船の甲板を歩いているような気分で、カンカンと小さく床が音を立てる。
 時折頭上から吹き下ろす風が、やはりこの空間の異質さと広大さを物語っていた。
 本棚に沿って延々と続くかと思われた通路を行く旅は、通路の真ん中から上下に貫通する梯子に当たって終わった。
 
(……横に移動したから今度は縦というわけですね。
 こういうことならもうちょっと方向感覚の勉強というか訓練とかしておけばよかった……)

 上か下かどっちに行くべきだろう、と考えて結局下を選んだ。
 遥か天まで届くこの本棚の塔に、上は終わりがあるのかすら怪しいと思ったから。

 かん、かん、かん。
 音を立てて梯子を降りる。
 驚くほどに音が響く静かな空間に、それは本達の眠りを妨げるようで少し申し訳なかったけれど。
 ――およそ10階ほど降りたところでそんなことを考える余裕はなくなっていた。

(何処まで続くんですかーっ!?)

 私は、体力には自信がある。
 異能がカバーしてくれるからだ。異能でなく単純な肉体の負荷で私が疲労を感じることはほぼ無い。
 けれど、いつまで立っても続く梯子には、精神的な疲労は隠せなかった。
 いつ帰れるかわからない不測事態に、異常な空間に迷い込んだ恐怖。
 危機意識というものがいささか麻痺した私でも、少し考え出す頃に……底にたどり着いた。

藤白 真夜 >  
 底は、中央以外は他の階と何ら変わりなかった。
 周りはただただ変わらず本棚が取り巻く長大な壁が佇むだけ。
 
 その中央から、何ひとつ振動も立てず螺旋階段が“伸びて”いた。
 よく見れば、螺旋階段付きの本棚の塔は、微かながらいくつかが伸びたり沈んでいたりしている。
 その根本はと言えば、真っ黒な黒曜石めいた艷やかな硬質の素材で出来た床だった。
 どういう仕組なのか、塔はその床に音も無く沈み込み、あるいは伸び上がっている。
 
 真っ黒な床は、よく見ると奥に小さな輝きが見えた。
 それは、ちかちかと瞬き、けれど見つけようとしないとすぐに消え失せる。
 真っ黒な夜の海のようだと思ったけれど、それは夜空のようだった。
 黒い空に、幽かに瞬く小さな星。
 それはよく見ると、文字を伴った情報を私の中にもたらしてくる。
 それは表題であって、それは物語であって、それは……文章だった。
 あの光の正体は、本だ。
 本がいくつも沈み込んだ、黒い巌。
 その光景は神秘的で、魅入られるように凝視しまった私の脳裏に――すぐに鈍痛が走った。

(……よくよく見ちゃなダメなやつですね……)

 慌てて意識をそらすと、痛みはそれだけで消えた。

 少しだけ、予想は出来た。
 これはやはり、図書館だ。
 巨大な情報を本として集積し積み上げている、文庫――ふみくら。

藤白 真夜 >  
 しかし、この場所の意味にたどり着いたからといって、何かが変わるわけでもない。
 私はただ、この本だけが取り巻き本だけがうごめく場所に、すっかり取り残されていた。
 ……誰も読むものが訪れなくともせっせと本を整理するこの場所に、やはりどこか物悲しさを覚えなくはなかったけれど――。

「……つ、疲れました……」

 思わず、弱音が漏れる。
 ずーっと、歩き通し。ずーっと、梯子を降りっぱなし。ずーっと、禁書を警戒しっぱなし。
 流石に、精神的疲労が重なるというもの。
 ……先輩、大丈夫かなぁ……。

 私に肉体的な疲労や飢えはあんまり無いけれど、思わず何かを探す瞳。
 相変わらず本と真っ黒な床しか見えない中で、ふと。
 目の端に、小さなテーブルを見出していた。
 本棚と本棚の合間、狭いヘリの間に、追いやられるようにテーブルが一つ。
 やはり、何処までも本が主体の空間なのか、その場所は小さい。
 文机というよりかは、カフェにでもありそうな、体重をかけてはいけない系のテーブルだった。
 そしてやっぱり、そこで憩う人間のことなんて想定してなさそうな細くて頼りない椅子がふたつ。

 しかし、私にとっては望外の出会いなのでした。

「――はぁ……」

 椅子に腰をかける。
 疲れてはいなくても、それだけで何かを考える余力が浮かび上がるような気がして。
 つい。

「……おなかすいたなぁ」

 そんな、“願望”を口にしてしまったのです。

藤白 真夜 >  
「……え」

 気づけば、テーブルの上に湯気を立てる紅茶と。
 焼き立てのパンの香りが漂うホットサンドと。
 焼ける油の香りが漂うベーコンと目玉焼きが並んでいた。

 その空間で迂闊なことを口にした私が甘かった、といえばそうかもしれません。
 でも、そんな細かいことまで汲み上げるとは流石に思いませんよね!?
 呆気に取られる私に、……しかし答えを与えるように、目前の小さなテーブルに所狭しと並んだ湯気を立てる食事に、
 ど真ん中にぽつん。と、小さな文庫本が姿を現していたのでした。

(……願望をカタチにして、手を出したらアウト……ってパターンかな。
 にしては……)

 冒してはならないミスを冒したようで、しかし。私は大分落ち着いていました。
 一つわかるのは、これは悪魔の類でないこと。純粋な怪異の類でないのは、すぐに解りました。

「“読み込み”が、……甘いのではありませんか」

 言葉が通じるとは思わなかったけれど、ソレは私の言葉に反応していた。
 ……本来、知性ある怪異と会話をすることは悪手でしかない。
 口先や話術で人間を騙す怪異などいくらでもいる。
 けれど、確信があった。
 ――コレは、人を誘惑するのが下手だ。

「“こんなモノ”。
 私は欲しいと思ったことがありませんよ」

 手を出してほしそうな食事から立ち上がる湯気が、ぴたりと止まった。
 どこか気まずい沈黙、自らの過ちに気づいた時のように。

藤白 真夜 >  
 テーブルに並んだ食事が、掻き消えた。
 一つ残った紅茶のカップ。
 その中身だけを残して。

 紅茶のカップに注がれたそれは、……紅茶よりも紅く、濁り、不透明な、……匂い立つ。
 血だ。

「はい。正解です。
 ……要りませんけどね」

 やはり、確信出来た。
 これは、悪魔ではない。
 その血の香りですら――いやその血の香りこそ、私は正しく理解出来る。
 それは、継ぎ接ぎの何かだ。
 悪魔でも、人でも、動物の血ですらない。
 血という情報だけで作られた何かだ。
 それは、ひどく“不味そう”な感覚だけを私に与えた。
 
 その言葉に、応えるものだったのだろうか。
 ぱたぱたと文庫本が独りでに開いて、頁を送り出す。
 ぱたり、と開いた頁は、何も書かれていなかった。
 其処に――

『申し訳ない』

 真っ白な本の頁に、文字が浮かび上がっていた。……前も似たようなのに絡まれたような……。
  
 ……でも案外、話が解るのかもしれない。
 思えば、本に対して読み込みが甘いは悪いことを言ってしまったかも、なんて考えていたら。

『キミに、興味がある』

 ……前言撤回。……も、もしかしてナンパというあの……?
 どうしよう……多分、あんまり危なくないタイプの魔術書だと、勘が告げていた。
 危険な魔術書なら、きっともっと巧く人を誘う。
 ……どうせ、ここに迷い込んだまま出られない。
 情報を得られるなら、少し付き合ってもいいかと、思ってしまったのだ。

藤白 真夜 >  
「あの……。
 ここから出る方法が知りたいんですけど……」

 恐る恐る、声をかけてみる。
 これで代償に魂を要求するー、とか来たらしめたもの。
 私はそういう取引を完全に踏み倒せる能力がある。
 でも――

『キミはもうその方法を知っている。
 コチラだけが得をする。
 価値の釣り合わない取引は出来ない。』

 想像よりもなんか、ずっと真摯でした。
 いやでも、知らないんですけど出る方法……。

『……不本意だがキミがその方法を選ばないのであれば、その怠惰を対価にしても構わない』

 ……いやわからないだけなんですけど……!
 ……あるいは、私の最終手段のことを言っているのかもしれなかった。私のどこか危機感の無さは、そこに起因する。……怠惰というのは確かだった。アレはなるべくやりたくない。

 とはいえ、私がわからないということを伝えても無視してくる本に対して、私はどこかムキになってその取引に乗っていた。
 どこか冷たいその語調に感じるものがあったのかもしれないけれど、

『キミの中には、忘却が在る』

 本が告げた言葉に、……私はどこか納得していた。
 確かに、私は最近記憶が飛んで――

『違う』

『それは、キミではないところに記憶が在るだけ』

『キミの裏側に残っているだけ。
 私が探しているのは、穴だ。忘却だ。白い空白だ』

 私の思考にも横入りした食い気味で否定されたかと思えば、どこか興奮した様子で言葉が連なる。
 ……よく、わからない。でも、その言葉に――

 私の奥底が、白く翳った気がする。

藤白 真夜 >  
『キミに認識出来ないのは当たり前だ。
 それは失われているのだから』

 戸惑う私に、やはり文庫本は饒舌に文字を並べる。

『私達は、蒐集する』

『集める』『記憶する』『保存する』『留める』『残す』『永続する』『記録する』

 その言葉は、この場所すべての代弁のように聞こえてきた。
 数人で書き込むような勢いで湧き上がる文字に、秘めた熱意と欲求が在った。

『しかし』

『故にこそ、我々には空白が無い。
 だから、キミが持つそれは、我々に必要だ』

 いまや、この本を軽んじることは私には出来なかった。
 それは、カタチだけ見れば悪魔の誘惑のようであったけれど。
 ……私には、耐え難い欲求から生じる、切なる訴えにしか見えなかったのです。
 読まれるものという自分達の意味を果たせぬ誰が訪うことも無い場所で、延々と自らの役割を果たす道具達の……願い。

「……どう、すれば……いいのですか?」

 私は、それを断れなかった。

藤白 真夜 >  
 文庫本がその問いに応える代わりに、より強く私に訴えかけるものがあった。
  
 目前に置かれた血の臭いが、変わっている。

 その香りは、……どこか懐かしいものだった。
 文字通りに、いつか失われた思い出のように。
 
 それは先程までの出来の悪い誘惑と違って、おなかをすかせた私に正しく作用した。
 これは、人の血だ。
 私の知っている、誰かの血。
 誰だか覚えていない。全く。
 ――なのに、それは耐えようがなく私を誘った。
 それは鮮烈に私の中に残っているはずの、……初めての――
 カップを見つめる瞳が、紅く瞬いた。
 濡れたように艶めくのに、光はどこにも感じない。
 ただ、その艶のない液体に魅入られたまま。

『それを口にして欲しい。
 そうすれば、取引は完了する』

 ……嫌だなぁ……。本当に、悪魔みたい。
 どっちが、と言われると困ったけれど。 
 
 私は、どうなるかなんて気にも留めずに、その血を飲み干した。

藤白 真夜 >  
『……ありがとう』

『これで、キミの忘却の穴が癒えたりはしない』

『しかし』

『ただ一時……浮かび上がることはあるかもしれない。
 例えばそう』

『虚ろに表と裏が入り交じる、夢の中であれば』

 文庫本を見つめる瞳が、揺らいでいた。
 眠るように、瞳を閉じる。
 私の中で、何かの記憶が再生されるような感覚。
 しかし、私がそれに触れることは無い。
 それは、ただの“兆し”だ。

 私は、ぱたりとテーブルに倒れ込んで――意識を失った。

藤白 真夜 >  
「……ふあっ!?」

 先輩の声で、目が醒めた。
 がばりと禁書庫の入り口に据えられた長テーブルの上で、居眠りしていたそう。
 私を起こしてくれた祭祀局の先輩は、ふっと安心するような笑顔を浮かべていた。

 こういうことは、禁書庫の探索では割と多い。
 魅入られたり、どこかに迷い込んだものが、ただ声をかけられただけで命が救われることは多い。
 気づけば安全な場所で眠っていただけであり。
 声をかけられなければ、永遠の眠りに落ちることもあるのだから。

 結局、その後なにかが起きることはなかった。
 一応、大事を取って走査魔術を走らせてみたものの、いつもの反応以外に何も異常なし。 
 先輩を心配するように声をかけた私はむしろ、逆に心配されていた。
 先輩の側から見ると、むしろ私が鏡に魅入られ一人で入っていっていたらしい。助けるところから幻覚だったんですね……。
 私は遅れを取り戻すこともなく、先輩と一緒にゆっくりと本を運んで雑用を終えた。
 ……気持ち、びくびくと引け腰になりながら。

藤白 真夜 >  
 そういえば、そろそろ聖夜だという。
 私には、関係の無い話だった。
 パーティがあるそうだけれど、私にはそぐわないし……裏方で荷運びくらい出来たらいいんですけど。
 家族がいたら、僅かな団欒くらい、出来たのでしょうか。
 ……そんな有り得ない妄想は、うず高く積まれた祭祀局の仕事量の前に掻き消えた。

 汲み上げられた忘却が、私の中に残したモノは無い。
 あの本たちは確かに自分の求めるものを手にしたのだろう。
 しかし。
 その幽かな痕跡が。
 夜の中でのみ翳る白い夢に揺らぎ出ることは……、有り得るのかもしれなかった。

 聖なる夜にだけ……近しい仲を想うことくらい。許されるはずだったから。
 ……それが、もう失われたモノだとしても。

ご案内:「禁書庫【イベント:「禁書庫蔵書整理」】」から藤白 真夜さんが去りました。<補足:【ソロ】 仄かに血の匂い。光の無い赤い瞳、黒いロングヘア、飾り気の無いセーラー服、茶のローファー>