2020/11/21 のログ
ご案内:「商店街」に月夜見 真琴さんが現れました。
ご案内:「商店街」にレイチェルさんが現れました。
月夜見 真琴 >  
夕刻。
遠く東に落ち行く陽は赤く灼けて、学生街の路地に二つの影を長く伸ばす。

「瀛洲も久々だった。紙とインクの匂いは、絵の具とはまた違った風情がある」

隣り合う買い物連れが抱える袋に視線を向けてから、その顔を見上げた。
さても此度は自分の買い物。目当ては同居人が退屈しそうな物品。
個人用、常世祭用と、画材が入り用になったという運びである。
ひとりで行ってもいいのだが――さて。

「成果はいかがだったろう、詩人殿?
 繰り返しに読みたくなる懐の朋には出会えたかな?」

学生街は『芸術』を扱う一角をそぞろ歩いて、
いましがた本の海たる『瀛洲』を泳ぎぬいての帰り道だ。
ただ会いたい、と告げるのは今になってもただ気恥ずかしくて、
それっぽい口実を盾にしての機会にはなってしまったけれど。
内心の弾みと緊張はおくびにも出さないまま、白くなった吐息を夕闇に吐き出す。

レイチェル >  
商店街。
淡い朱色に照らされて。
温かみのある色を帯びた、金と純白が商店街の風に揺れている。

「あぁ、オレも寄ったのは久々だったよ。
 やっぱりあの独特の臭い――いや、香りと言った方がいいか。
 落ち着くんだよな。
 魔術の知識を手に入れるために、虫になってた時もあった。
 そんな昔を思い出すぜ」

隣を歩く後輩をちらりと見やれば、レイチェルはそう口にしてふっと
笑った。赤く染まった空のように暖かな笑みだった。

「だーれが詩人殿だって? 登山家殿。
 懐の朋になるかは知らねーけど、まぁ……悪くねぇ詩は見つけたよ。
 あれこれと目まぐるしく考えを巡らせちまう時は、素朴な詩を読むに限る。
 ストレートな言葉の世界は広大で、偉大だぜ」

夕闇に吐き出される白い息を見て、レイチェルもふっと、
小さく息を吐き出した。

「もう随分と寒くなってきたもんだなぁ」

そんなことを言って、レイチェルは空を見上げる。
冬の足音は、すぐそこまで近づいてきていた。

月夜見 真琴 >  
「むかし、か。 遡れば遡るほど歴史もあるのだろうけれど」

横目で見つめた。
まばたき。
その笑みと、夢で出会った少女が重なる。
ずいぶんと小さい手で、分厚い書物を必死に持ち上げて、
知識を得ようと熱心だったのだろうか。

「ふふ。レイチェル・ラムレイにも歴史ありだな。
 魔術師の道を歩んでいたら、一体どうなっていたのやら」

可愛らしい様を思い描いて、表情が我知らず素の色に綻んだ。
その彼女と出会っても、自分は――なんていうのは、益体もない考え。

「山登りはもう懲り懲りだな。庵に住まって筆を握るに限るよ。
 ラ・ポンピエールの紫は特に艶がいい。
 やつがれが画家の号を授かる入魂の一作にも、これはだいぶ役に立った。
 さいきんは? じぶんで吟じてないの?
 いろいろ巡ってるならこそ、いいものが出てくるんじゃないか?」

あの時、刑事課を降ろされて――降りて、その時に"魂"をカンバスに描きとめた。
自分でもびっくりするほどの出来になったものだ。
概ね、追い込まれた時に筆は冴える。さて、美しき金砂の詩人はどうなのだろう。
そう思っていると、ふと街並みに視線を巡らせて。

「すこしまえまで、夏だった気がするのにな。
 そう、冬といえば、このあたり。
 稀覯本の盗難事件でいっしょに聞き込みに来たことが、あっただろう?
 おぼえているかな、いろいろ見て回りたいのをぐっと我慢して、そう。
 帰り、どこか――寄らなかったかな、カフェに」

まだあるかな、と、白い髪を揺らし、落ち着いた店先の影をさぐった。
思い出をなぞりながら。
今は風紀委員としてではなく、プライベートで来ている。
来れるようになった。

レイチェル >  
「『誰にだって歴史はある』なんてのは、自明の理だよな。
 でも当然、普段は意識の内にねぇし、ちょっと気を緩めると
 忘れちまうような話だ」

『月夜見 真琴』という少女に目をやる。
彼女の歴史については、少しばかり聞いているところがある。
それでもまだ、知らぬ所も沢山ある。そういった穴は、一緒に過ごしていく
内にゆっくりと、埋まっていくのだろうか。

――そう、だよな。

何となく、ここに居ない誰かの顔を思い出して。
真琴とこうして日常を過ごすことができている嬉しさに重ねて、
胸の内が暖かくなった。そうして同時に、きゅっと締め付けられる苦しさ
にも襲われた。軽く、唇を噛んだ。

それから何となく視線を真琴から外し、反対側に顔を向ける。
様々な表情をして今を生きる人々が、学生の街を通り抜けていくのが見えた。

「魔術師ね、どうだろうな。その道を深めることはできても……
 今みたいに、広い世界を知らずに居たかもしれねーな。
 こっちの世界にだって来てなかったかもしれねーし、
 そうなると真琴に会えてなかったかもな」

思い返す。魔剣を取ったあの日。
魔術の才能だけでなく、見えない可能性を沢山取りこぼしたのだろう。

人生は選択の連続だ、などとよく言ったものだが、
選択するたびに、自分達は目に見えない無数の何かを取りこぼしている。
しかし、そんなものに目をくれるほど虚しいものはない。

選択しなかった、選ばなかった道は存在しない幻想だ。
大切なのは。

「……この道。この道に感謝、だ」

思考の先に導き出された考えが、自然と口に出ていた。
視線を落とせば二人の影が、
商店街の床でゆらゆらと穏やかに動いている。

「ま、浮かばねぇと言えば嘘になる……
 心に浮かぶのは、ほんの切れ端――出来損ないの片言だけだが。
 そいつを捏ね繰り回して、心と向き合いながら詩を作ることは、ある。
 特に最近はな。けどまぁ……良い詩はできねぇな」

落とした視線はそのままに、返した声は少し弱々しい音となって喉から出た。
きっと。
胸に浮かぶ様々な思いを、言葉という型にはめる。
そうすることで、自らの思いや考えと向き合うこともできる。
しかし、胸に浮かぶ言葉はどれもこれもが、自分の気持ちの本質を表して
いないように思えた。
だからこそ、出来損ないの想いが手帳を埋めている。

真琴にも見せてはいないが、買ったのは恋の詩集だ。
それは、自らの気持ちを言葉に落とし込み、
きちんと自分自身に、自分の想いに向き合う為に買ったものだった。

紙に綴られた想いを介して、
俯瞰的に見た自分の感情に形を与え、少しでも心に平穏を取り戻せればと、
そう思った。その上で、あいつと穏やかに日常を過ごせたら、それが一番だ。
今、あいつと話をしてもぎくしゃくした感情と、その心に相応しい言葉しか
出てこないのは目に見えていたからだ、と。

――ああ、また。あいつのことばっかり考えてる。

頭を数度振って、レイチェルは続く言葉に語を返す。
そうして、真琴の方をしっかりと見やった。
今は、真琴と過ごす時間だ。

「あ~、あったな! 盗難事件! 
 あの時もまぁ、聞き込みから張り込みから大変だったぜ。
 ……懐かしいな。
 あの時はちょっとしか寄れなかったけど……今日は時間もあるし、
 寄っていくか。ありゃ確か、すぐ近くだったぜ」

そう口にして、元気いっぱいに笑った。
間違いなくこの時間はレイチェルにとって幸せな時間だった。

月夜見 真琴 >  
「そういうおまえと出会って、どうからかってやったかとか。
 どう悪いことを教えてやろうかとばかり考えてしまって。
 そうか、会えないかもしれなかったのか。
 ――想像がつかない、なんていうのは少々、芸術家として不覚だ」

彼女と会う前の歴史のほうが、ずっと長い筈なのに。
出会えなかった未来。
レイチェルという女性に貰った、余りにも強烈な痛苦の数々。
いっそ出会わなければと思ったことさえあるその道を思えばこそ。

「きっと、ここが正解。
 まっすぐ歩くのも難しい、この道が」

うなずいた。
こんな愛しい痛みと苦しみを否定するなんて。
自分をかたちづくったからこそいま抱くむず痒い喜びにも、
至れなかったというなら、そう笑った。
そう思うことが肝要だと、いつか誰かに教わったからだ。

「――――――」

じっと。
その横顔、思い悩む気配を眺めていた。
苦悩し、憂う顔に、胸をかきむしられると同時に。
"ちがうもの"も、もぞりと胸のなかで蠢いてしまうのは、
月夜見真琴という人間の、生まれついての魂のかたち。
こく、とマフラーの奥で喉を上下させた。飲み込めただろうか。

(まあ、きもちはわかる)

自分に気を遣ってくれていることも判れば、
気がつくとその人のことばかり考えてしまう、ということも、痛いほどわかる。

(わたしもそうだしな)

気づけば相手を探す。なにもしないと想ってしまう。
想うことは苦しみだ。けれど、彼女は自分とちがって、
まだ"殺せていない"のだろう。けれど、急かすことはなかった。
はやくしないととられてしまう、というのは想う側の事情であって、
想われる側も、なにかと大変なのもよくわかるし、
間にはさまれるほうも、それはもう大変だ。顔には出さない。

「張り込んだのはあのビルの上のほうだったか?
 寝る時間も削って地道に捜査をして、
 あわや島外へ持ち去られるところで――御用!
 まあ悪党としては小粒だったが、事件そのものは印象に残っている。
 その時、ちょうど落ち着くひまもなくて――でも、心残りだったのかな」

拗ねたりはしない。いまは。
そういうのは、彼女と、もうひとり、自分の同居人が落ち着いたら。
自分の欲求は、彼女を自分のものにしたい、とは違う場所にある。
いまは、支えてあげないと。

「……あ、あれ! あれだ。 開いてる!」

片手で服を引っ張り、画材の手提げを持つ手を掲げた。
うっかり見落としてしまうような、建物と建物の合間、
ひっそりと建つは"ホロロギウム"。レトロな店構えのカフェだ。
狭くて小さい、古臭いふうにつくってある趣味人の店。

「いこう」

引っ張って、先を歩く。いまはそういう立ち位置だ。
寒風のなかにあって暖かで、ああ、そう。
カウベルを鳴らして入った落ち着いた鼈甲色の照明が照らす店内に入れば、
時計の音が、――心地よい。 そういう趣味の店主だった。

レイチェル >  
「簡単で歩きやすい道なんか、つまんねぇさ。
 せめて、そう思ってやらぁ」
 
苦しい、悩ましい。
そんな感情が荒波の如く押し寄せてきて、心に傷をつけてくる。

分かっている。
その思いが、自分だけのものではないということくらいは。

このままの激しい感情で向き合ったら、
更にあいつを傷つけてしまうかもしれない。
真琴だって。
それだけは、何としても避けたかった。

この牙は彼女を傷つけてしまうかもしれないが、
それでもせめて気持ちだけは、心の平穏だけは。
送りたいと思った。与えたいと思った。
傷つけるのはもう、嫌だ。嫌なんだ。嫌なのに。


そんな中。
胸をぎゅ、と締め付けてくる真綿を振り払ってくれたのは、
真琴の手だった。

見れば古めかしい雰囲気の店がそこにあった。
懐かしいな、と自然に頬が緩んでいた。

店の中に入れば、そこは小さな異世界だった。
学生街からふらりと入っただけで、全く異質な空間がそこには広がっている。
チクタクと鳴り響く時計の音は耳障りではなく、寧ろ優しく耳に届けられて
いた。

「……あの時は寝る間も惜しんで捜査や張り込みなんざしてたもんだから、
 この時計の音が心地よくって机の上で寝そうになってたっけな。
 ああ、お前の話と、この店の音を聞いて……色々と改めて
 思い出してきたよ」

かつての記憶。そして今この瞬間。
どちらもまた、かけがえのないものだ。