2020/07/24 のログ
ご案内:「『こんなにも輝く空の下で』」にレイチェルさんが現れました。
レイチェル >  
落第街の路地裏、薄暗がりの中で疾走する影が一つ。
制服に身を包んだ、風紀委員の元荒事屋が、駆けて、抜けていく。
吐かれる息は荒く、肩の上下は激しく。

もう随分と走り続けたのであろう。
疲労はとっくにピークを迎えて越しているのは、
誰にとっても火を見るより明らかだ。

それでもレイチェルは抗うように、
一分の暇もなく前へ前へと足を運び続けている。

大きく蹴りだされる足。もうひと踏ん張りを幾たび重ねて
今この地を蹴り抜き、己を運んでいるのだろうか。
元より、数など知ったことではない。
レイチェルは走り続ける。友を求めて、ひたすらに。


「……っ!」

止まらぬ運びへ歯止めがかかったのは、彼女の視界の端、
路地の角に投げ出されるように転がる腕が見えた時だった。

震えの止まらぬ小さな肩を落とし、
がくりと伸ばした膝にすっかり白くなった握り拳を、
めり込ませるようにして、立ち止まる。
輝く金の髪が白い頬の上、沿うように曲線を描いて落とす雫は、
所々罅割れてめくれ上がった路地の底を、点々と濡らし始める。


だが、それも一瞬のこと。
一歩一歩確かな足取りで、レイチェルはその路地裏の角へと近づいていく。

角から見える手に握られているのは、端末。
胸に伸し掛かる、吐きそうなほどの憂懼は、彼女の鼓動を早鐘へと変える。
その響きは彼女の頭の中に重く響きわたる。
その腕は――まさか。
脳裏に浮かぶ三文字を頭から振り払わんと踵で地を踏みしめるように一歩を踏み出す。

それは一瞬のことではあったが、一歩を進める度、
胸を切り裂かれるような気持ちに襲われながらも、
気持ちを奮い起こす。真実を確かめに行く為に。

レイチェル >  
結局《しんじつ》は。
そこに倒れていたのは、名も『知らぬ少女』であった。

口から血を流し、左右の眼球をまばらに散らして横たわる
その少女の表情は安寧には程遠い。
小さく十字を切るレイチェル。
死と向き合う度、昔からずっと、こうしてきた。

そんな中で、胸に湧き起こる穏やかな安堵感。
そこへ突き刺さる罪悪感に心を抉られつつも、
それでも内心、ほっと一息をついてしまう。
そんな己の醜さに嫌気がさしたが、
しかし今のレイチェルはその思考を受け止め、受け入れる。

『知らぬ少女』。
そう、たまたまレイチェルが『知らない』だけ。
この少女には彼女の知らぬ人生があり、
苦悩を抱え、そして真理を掴もうとするに至った。
そのことを思うだけで、胸が重く、沈み込みそうになる。

だからどうした、オレがそんなこと考えたところで、と。
歯を食い縛って耐え、受け入れる。
人の死など、飽きるほど見てきているのだ。
擦り切れてしまうほどに。
なのに、何故一つの死を受け入れるのに、
こんなに胸が張り裂けそうなのか。


レイチェルは、一人刹那の思案を走らせ――


――そんなことは、分かりきっている。
胸に響いたのは、
無意識の内に彼女自身が紡いだ、そんな言葉だった。

ここへ訪れて、平和な世界を知ってしまったからだ。
化け物と、それに取り憑かれた人間を、
狩るだけならば、楽だった。
自分は殺しと最低限の料理のやり方しか知らなかったし、
同じ年頃の『友達』と仲良くなるなどということは、
人生の内に一度だって無かった。

知ってしまったからこその、胸の痛み。
知ってしまったからこその、恐れ。
しかし、それでも歩み続けてきた。
そして、これからも歩み続けねばならぬ道だ。

レイチェル >  
『ひっ……』

その思案を切り裂いたのは、怯えた少女の悲鳴だった。
その少女は、端末を持っており、
倒れた少女の隣にへたり込んでいた。

『違う、違うのっ……一緒に、
一緒に行くつもりだったの! 
真理を掴むって約束したの!
失敗した時だって、一緒……!
そう……約束、したのに……』

全身をがくがくと震わせながら、
自らの顔の近くへ、
右手で大事そうに抱えた端末を近づけて……
そこで、少女は止まっていた。
左手は既に、モノとなった女の一部分と繋がれていた。
モノについている艷やかな黒の長い毛が、不気味に揺れている。

「……寄越しな。そいつは、お前に幸せを与えちゃくれねぇよ」

右手を少女の方へ向けて、差し出す。
その表情は暗かったが、しかし穏やかな笑みを浮かべている。
同時にレイチェルの右腕につけられた腕章が、少女の目の前に差し出された。

『来ないでッ!』

光り出す端末。少女は糸の切れた人形の如く――

「させるかよッ!」

それは、刹那の出来事であった。
次元外套から抜き撃たれた銃弾が端末を穿ち、飛ばして散らす。
砕けた端末の破片が四方八方で、カラカラと音を立てて路地裏に舞った。
レイチェルの手にした拳銃。
その銃口から、小さな硝煙が立ち上っていた。
その銃を次元外套に仕舞えば、レイチェルは
少女へと一歩、近づいた。

『どうして……こんな……私は……ッ!
 私はァッ!!』

砕け散った希望をかき集めながら、少女は狂ったように
泣き叫ぶ。叫んで、喚く彼女に、レイチェルは呟く。

「目の前に居るお前を、無駄に死なせたくねぇからだ」

落ち着いた声で、目の前の少女を、脅さぬように。
穏やかに、優しく。

レイチェル >  
レイチェルが口にした、その瞬間。
少女の奥底で、
支えとなっていた細い糸がぷつりと切れた。

『ふざ……けるなッ!!』

少女は激昂した。先程までの弱々しい色が、嘘のようだ。
否。溜め込んでいたのだ。
あらん限りの力を振り絞り、
生まれたての子鹿のように震えながら、
それでもレイチェルを睨みつけて甲高い怒号をあげ、
抱えていたものを撒き散らそうと、奮い立つ。
起動しようとしてもできない端末を、
震えた手で持ち続けながら。ずっと、持ち続けながら。
涙を、いっぱいに流して。


『ふざけるなッ!!

ずっと見て見ぬふりしてきたのに!

私たちが居たことを 私たちが生きていたことを!

ずっと無視して来たくせにッ!

居ないものとして、扱ってきたくせにッ!

今更しゃしゃり出てきて、

救世主《ヒーロー》気取り!?

正義の味方気取り!?

ふざけるのも、いい加減にしてよ! 

自己満足《エゴ》で、『他人』に手を差し伸べないでッ!』

激しい吐露だった。感情の洪水の如き吐露だった。

長い間、溜め続けてきたもの。
それを、目の前の風紀に吐いてぶつける。
はぁはぁと荒い息を吐き出しながら、
少女はレイチェルにそう吐き捨てた後。

その右手に持ったナイフを、彼女めがけて凄まじい速度で振るう。

そうして振るわれたナイフは、
動かぬまま立つレイチェルの肩に深く突き刺さった。
血が飛沫となり、ナイフを、少女の腕を赤く染めていく。

レイチェルの表情が苦痛に歪む。
しかしそれでもレイチェルは、
目の前の少女を真正面から見据えていた。
見据え続けていた。

レイチェル >  
「神様だって。
 英雄だって。
 正義の味方だって。
 全部は、救えねぇ。救えやしねぇ。
ましてや、オレはその内のどれでもねぇ。
ただの一人のレイチェル・ラムレイだ。悪ぃな。
……けどな。
オレは、この島の手の届く所にあるものは、
守りたいと感じたものは、守り抜くつもりで走る。
走り続けてみせる」

レイチェルの瞳には、確かな意志が宿っていた。
それは。
多くの者達と言葉を交わして生まれた情熱が。
刃を交えて刻まれた傷跡が。
瞳の中で燃え上がっているかのようだった。

『うるさい……煩い五月蝿いッ!
 黙れ黙れ黙れッ! 口を開くなッ!
 私達の痛みも何もかも、知らないくせにッ!』

肩から引き抜かれたナイフは、喉元へ。
しかし二度目の必殺のナイフは、レイチェルの右手によって容易く受け止められる。
彼女の腕を握るその握力に、少女はそれでも手を突き出そうとするのをやめはしなかった。
そんな彼女に対して、レイチェルは語を継いでいく。ゆっくりと、そして彼女の目をしっかりと見据えながら。

「ああ、何もかもは知らねぇ。
 だが、一つだけ知ってる。
 この程度の痛みじゃ、
 お前の痛みは分かんねぇことくらいは」

傷口から、血がどくどくと溢れてきている。それでも、レイチェルはそのままの距離を保って、彼女の刃を受け続ける。寧ろ、彼女がナイフを離すことのないように、押し留める。
ナイフに手を添える少女の声はやがて、か細い怒号から、嗚咽混じりの言葉へと変わっていく。

『風紀《おまえ》なんかにッ! お前なんかにッ!
 救えるもんか……」

空いた左手で、少女はレイチェルの肩を叩く。
思い切り、何度も叩く。叩いて、叩いて、それでもレイチェルは
微動だにしない。

「見えるもんは救う。救うつもりで足掻いてやるさ。
 そいつばかりは、やってみなきゃ分からねぇからな」

見える範囲で、救えなかったものも沢山あった。
取りこぼしてきたものが、沢山あった。
炎の巨人事件――西園寺偲。
フェニーチェ――癲狂聖者《ユーロジヴィ》。
そして、浜辺の園刃華霧。
それでも、立ち止まっていられるか。いられるものか、と。
レイチェルは固く拳を握りしめる。

叩く拳は止めない。止めぬまま、
レイチェルはそう少女に語りかける。
それは少女に対してのみの言葉であったか。
否、それは彼女自身へ向けた戒めでもあったことだろか。

レイチェル >  
「オレのこの手は――」

西園寺 偲や、癲狂聖者《ユーロジヴィ》達の顔が再び浮かぶ。
他にも、大勢。
取りこぼした者達が浮かんで、脳内で滲む。
そして、今はっきりと、園刃華霧の顔が浮かんでいる。

「――その子には、届かなかったかもしれねぇ。
 だが、お前には届いてる。
この島に居て、オレの目の前に居る以上は、死なせたくねぇ。
たとえ傷ついても、傷つけられても、
絶対に離さねぇ。そう決めたんだ。

オレは見たかねぇだけだ。
誰かが目の前で苦しんでるのは。

オレは後悔もしたくねぇだけだ。
救えた筈のものを、救えないなんてことで。

初対面のお前に、バカみたいなこと言ってるのは分かってる。

でも、これがオレなんだ」

それはレイチェル・ラムレイという一個人が、
夥しい赤色の上に築いた言葉だった。

多くの人間と同じく、
苦痛と共に歩んできた中で、
それでも口にしていた言葉だった。

在りし日の彼女の愚直な、
しかし血の通った信条《わがまま》だった。

それが今、再び彼女の口から語られる。

その信条を、隣で見守ってくれた友が居た。

その信条を、エゴだと諭してくれた先輩が居た。

霞みゆくその信条に、再び火を灯してくれた後輩が居た。

そして今、彼女にはどうしても救いたい友が居た。

だからそこにレイチェル・ラムレイは立つ。

立ち続け、そして歩み続ける。

レイチェル > 肩口から流れた血が、床に血溜まりを作っていく。
レイチェルは静かに、問いかける。
今の自分が知るべきと思ったことを、知るために。

「……お前、なんて名前だ? そこの奴の名前は?」

既に、ナイフを持つ少女の手に力は込められていなかった。
だから、レイチェルが力を抜けばカランと簡単に、
そのナイフは地に落ちる。

乾いた音が、両者の間に響き渡った。
静かに、ただ静かに。

名を問われたその瞳は。
ただ目の前の金髪の少女を見つめ、
虚ろな、そして不思議そうな表情をしていた。

そうして彼女は諦めたようにレイチェルから
目を逸せば、ぽつりと漏らすように言葉を紡ぐ。

『灯。……山城 灯。この子は……浅沼 橋花』

その返答を聞いたレイチェルは眼帯に手を翳すと、
幾度か、口を動かした。
それは、風紀への連絡だった。彼女たちが困らぬよう、
手配を済ませておく為の連絡だ。

「そうか。山城 灯……か。
 困ったことがあったら、風紀のレイチェルまで繋ぎな。
 それから、浅沼のことは風紀に任せな。
 悪いようにはしねぇし、させねぇ」

レイチェルはそう口にすれば、次元外套を翻して歩み始める。

少女の胸には、様々な思いがあった。
今、この眼の前の風紀委員に、
伝えなければならないことが沢山あると。
心の底から感じていた。だからこそ、呼び止めようと――

――その時、レイチェルは歩みを止めた。
背を向けたまま、灯に対して、もう一度、言葉を投げかけた。
その言葉は、必要ないと言わんばかりに。

「――悪ぃ、行くわ。オレ、どうしても会わなきゃならねぇ奴が居るんだ。
そいつはお前みたいにどうしようもねぇ――」

一瞬、俯くレイチェルの肩が小さく、ほんの小さく竦められる。

「――救いがたい仲間《バカ》なんだ」

静かに、重い足取りで歩き出すレイチェル。
その背中を見送る少女はふと、空を見上げた。

薄汚れた路地裏から見る星は、いつになく輝いて見えていた。
輝いて、滲んで、揺れて、霞んで、溢れて――。
声にならない声が、彼女の口から解き放たれる。

それは、今もなお真理を追い求める声であったろうか。
それは、今は亡き友の名を呼ぶ声だったろうか。
その答えは、分からない。


その答えは知らぬまま、
レイチェルは星空の下、再び歩き始める。

こんなにも輝いている空の下。
同じ空の下に居る友との再会を、胸に求めて。

レイチェル >  
 
 
 
「……待ってろよ、華霧」
 
 
 
 

ご案内:「『こんなにも輝く空の下で』」からレイチェルさんが去りました。