2021/06/18 のログ
ご案内:「落第街 路地裏」に黛 薫さんが現れました。
黛 薫 >  
恵まれている、とはどういうことだろう。
自分は恵まれているのか、いないのか。
落第街に来てからときどきそんなことを考えた。

もっと正確にいうとその前、学園で大きな挫折を
味わった頃から無意識下で自問していた気がする。
自覚し、意識的に考え出したのが落第後という話。

一応の結論としては『自分は恵まれている』。
しかしそれを台無しにしているのもまた自分だ。

胸を張って幸せな家庭で育ったとは言えないが、
不自由なく育ち、進学先の希望も聞き入れられた。
そして、自業自得で身を持ち崩すまではこの世の
裏側、後ろ暗い世界に触れずに過ごせた。

今だってそう。いつのたれ死んでもおかしくない
環境にあって、本来あり得ない厚遇を受けている。
ここ数日は寝床にも食べ物にも困っていないから。

居心地の良い寝床を抜け出し、久し振りに晴れた
夜空を見上げながら紫煙を燻らせる。膝の上には
小さな粘性の怪異、所謂スライムの中でも小柄な
個体を1匹抱えている。

黛 薫 >  
あらゆる悩み、苦しみは心から生じるもの。
境遇、現状、何より心情が恵まれていないように
思えるのは、つまるところ自分の心持ちが原因。

今はそれを見つめ直すのにちょうど良いと思った。
身体が痛くならない寝床、節約しなくて良い食事。
満たされたはずの環境にあって、どうして幸せを
感じられないのか。

(分不相応、だからか……)

本来『幸せ』は努力の果てにあるものだと思う。
だから自分が持って良いものではないと感じる。
自分がしているのは努力ではなく徒労だから。

誰だって不相応な幸せは恐ろしいものだ。
ごく一般的な学生だって、己の努力に見合わない
金銭が突然転がり込んできたら、喜ぶよりも先に
警戒と恐怖が来るはず……だと思う。

自分はそれがちょっと人より極端なだけ。
他人に出来る程度の頑張りが出来なかったから
分相応を受け取って良いラインに届いていない。

黛 薫 >  
つまるところ、実際に恵まれていようといまいと
心で『幸せ』を受け取る準備が出来ていなければ
充足は感じられない、と推測している。

幸せを感じるのが下手、というのは変な表現だが
今の自分を表す適切な表現でもあるのではないか。

学園の魔術科で落ちこぼれたときは周囲の優しい
言葉が怖かった。自分はそんな言葉をかけられる
存在ではないと思って、心地良いはずのそれらを
拒絶した。異能のお陰で本心から言っている人の
見分けはついたはずなのに。

今だって人に優しくされるのは怖い。
現状与えられている厚遇とて打算あってのもので
無かったら引け目に耐えかねて逃げ出していた。

自分の幸せを自分が邪魔している。

それはあまりにありがちで陳腐な矛盾だけれど、
根深く感じてしまうのは自惚れているからか、
それとも自分が弱いからだろうか?

煙草は湿気っていたけど、久々に雨を気にせず
煙で肺を満たせる感覚は久し振りで嬉しかった。
好きでもないのに嬉しいなんて、またおかしな
気持ちを抱いているな、とは思ったが。

黛 薫 >  
いつもより慎重に煙草を口から離し、路上に灰を
落とす。膝の上にスライムを1匹抱えているので
汚さないための配慮。気にする義理など何処にも
ないのだが、気分の問題。

(幸せを感じられたら、薬なんか買わずに済むのに)

薬物が与えてくれる快楽は自分の感情を差し挟む
余地がないから良い。買う前の葛藤や使った後の
罪悪感は重いが、少なくとも服用中は間違いなく
幸せだ。それにさえ慣れてしまうのは恐ろしいが。

膝の上のスライムの中には小さな白い結晶が1つ。
目に見える形の幸せ。自分を壊せる手軽な快楽。
手慰みにつついてみると、ぐにぐにとした感触。
好んで触れたいものではないな、と思った。

主観的な『受け取って良い幸せ』というラインが
下がりすぎた結果が今の自分なのだろうか。
幸せを感じた瞬間、一緒に罪悪感が湧いてきて
叱られたように気分に水を差されてしまう。

「楽しいコト、してみたいよなぁ」

膝の上のスライムに向けてぼやく。
当然返事は期待していない。独り言のお供。

黛 薫 >  
楽しいことって何だろう。

昔は魔術の勉強が楽しくて、それさえあれば他に
何も要らないと思っていた。今は魔術が使えない
苦しみ、羞恥に似た懊悩ばかりでちっとも楽しく
感じられなくなってしまった。

酒に煙草……は、論外。そもそも美味しいと思って
口にしたことは一度もない。苦しみを忘れるための
楽しみとして勧められたは良いけれど、今の今まで
効果を感じられたことはない。ただ、暗示のように
楽になっているはずだと自分に言い聞かせるための
儀式めいて依存しているだけ。

(みんな、楽しそうにしてたっけ……?)

落第前のクラスメイトの顔と名前も今や曖昧。
休み時間、付き合いを無視していた自分を置いて
集まっていたのは知っていたが……あの子たちは
何に夢中になっていたんだろう。

黛 薫 >  
不意に題名も知らない歌の一節を思い出した。
魔導書の解読に躍起になっていた頃、クラス内で
よく耳にした歌。皆が好きだったのは歌ではなく
歌手の方……多分アイドルのグループだったか。

(誰の歌だったんだろ……)

スマートフォンの検索画面を開いて……やめた。
思い出した歌詞の一節をそのまま検索するのは
妙に恥ずかしいというか、痛い気がした。

代わりに、メッセージアプリを開いてみる。
成り行きで交換したまま、一度も発言していない
グループメッセージがあったのを思い出したから。

「……こーゆーの、残ってるもんなんだな」

最終発言は昨年の入学式直前だった。
進級をきっかけに集まりも自然消滅したか。

遡れば何の曲だったかは思い出せたかもしれない。
けれど、膨大な量の文章を遡るのも億劫だったし
そこまでして思い出したいかと聞かれれば否だ。

落第街に来てからは残せないメッセージが多くて
あまり使っていないつもりだったが、見られても
構わない程度のメッセージは案外来ているもので、
むしろ学園にいた頃よりメッセージ件数は多い。

何となく懐かしくて画面をスワイプしていたら
見たくないものを見つけてしまい、手が止まる。

メッセージアプリの最初に作られたグループ。
『家族』というシンプルなグループ名。

黛 薫 >  
家族仲は決して良好とは言えなかったと思う。
さりとて恵まれていなかったとは思わない。

専業主婦の母は神経質で、いつも忙しそうだった。
サラリーマンの父は遅くまで仕事をしていたから
朝食以外で顔を合わせた記憶は殆どない。

小さい頃はよくお伽話の魔法について話したが、
父も母も困ったように言葉を濁し、薫は本当に
魔法が好きなんだな、と同じ反応をするばかり。

子供ながらに『会話を望まれていない』と察して
食事の席でだけ顔を合わせる程度の仲に収まった。

進学先については『薫の行きたい場所を優先して』
『でもお金はそんなにないからごめんね』とだけ、
今にして思えば両親は自分の進学先にも興味など
無かったのではないかと思う。

(通わせて貰えたんなら、恵まれてるだろ……)

常世学園に入学してからは、毎日のように連絡を
入れたけれど……両親側からの連絡はなかった。
おざなりな返事が一言あるだけ、いつしかそれも
既読通知だけになっていた。

そして、自分からの連絡もだんだん疎らになって
……落第をきっかけに連絡出来なくなった。

それでも、両親からのメッセージは来なかった。

ご案内:「落第街 路地裏」にフィーナさんが現れました。
黛 薫 >  
「……でも、あーしは恵まれてる方なんだ」

煙草を咥えたまま、ぽつりと呟く。

虐待を受けていたわけでもない。進路も希望通り。
身を持ち崩したのは周りの自業自得。落第しても
死なずにこうして生き延びて……打算ではあるが
快適な環境を用意してくれる相手に拾われた。

周りは何も悪くない。自分が不器用なだけ。
幸せを掴んだり、受け取るのが下手なだけ。
恵まれている。だって生きているから。

煙草の灰が、ぽろりと落ちた。

「──っ、やばっ」

赤熱する燃え滓を咄嗟にキャッチする。
掌の皮が微かに焼けた感触がした。

「危な……って、何で気ぃ使ってんだあーし……」

間一髪、燃え滓を当てずに済んだスライムを膝から
下ろして大きく溜息を零す。どこまでも己の行動は
非合理で……けれど感情に従っているから逆らうと
嫌な気持ちになってしまう。それが厄介だ。

「はぁ……付き合わせて悪かったっすね。
いぁ、言っても無駄なんだよな、当たり前か」

物陰に消えていくスライムを見送って背伸びする。
寝床が快適でも眠れるかは別問題。目を閉じて休む
習慣は身に付いているが、ぐっすり眠れた日なんて
もうずいぶん前のことになる。

「大丈夫、大丈夫。そのうち寝れるだろ……」

言い訳のように呟く。眠れなかったからこうして
夜風を浴びに来たのは、自覚しているのに──

フィーナ > 「あぁ、いたいた」
つかつかと、歩いて薫に近づく。

杖の代わりに鞄を持っている。色々な書物がはみ出ているのが見える。

「なに、話し相手がほしかったの?」
スライムに向けて話しかけているのをみて、呟く。
求めればそれが出来るようにはしてくれるだろう。

黛 薫 >  
「えー?いぁ、寝付けなかっただけで……」

はっとする。そういえばスライムも彼女の分け身。
余計なことを漏らすべきでは……と思ったけれど、
ごちゃごちゃしているのは頭の中ばかり、大した
内容も口にしてはいないと気を取り直す。

「相変わらず研究熱心すね、あーしにとっちゃ
ありがたぃ限りですよ、っと。でも杖くらぃは
持ち歩ぃた方がイィんじゃないすか。それとも
杖は飾りで、なくても使えるクチっすかね」

ポイ捨てが横行する落第街の路地裏で律儀に吸殻を
携帯灰皿にしまい、貴方の隣に立って部屋へ向かう。
一緒に帰るのは『荷物を押し付けても良い』という
意思表示だろう。

ふわりと、魔を誘う薫りが貴方をくすぐる。
それは彼女の素質を知るが故の錯覚に過ぎない。
錯覚なのに、蕩けるような甘さを感じさせるのは
彼女の素質の大きさを裏付けるかのよう。

フィーナ > 「……まぁ、杖は補助装置ですから。大きな術式を使う以外では必要ないですよ。自分ひとりを逃がすぐらいならスクロールで十分。」
あれから、頭を冷やして、よく考えた。

この子の魔を誘う香りは、危険だ。

本能が何が何でも手に入れたいと訴える傍ら、理性が深く入り込むべきではないと、甘い香りを嗅ぐ度に警鐘を鳴らす。

「少なくとも、貴方よりはマシな護身手段は持ってますよ。『フォーティーファイブ』程度では対応できて力の使い方を知らないチンピラ程度でしょう」

この子を暴く前に、この子を守る手段が必要だ。でなければ…嗅ぎつけたバケモノ共が奪いに来る。

それだけは、避けなければならない。

「えーと、消耗品ではあるけれど…使えそうなのをいくつか渡すね」

ごそごそと、鞄の中を漁る。そうして取り出したのは…

「グレネード。フラグにスタン、スモークと揃えてある。もしもの時は使うと良い。」

そう言って、危険物を薫に手渡そうとする。

黛 薫 >  
「んな危なぃモン使いたくねーんですけど……」

憎まれ口を叩きながら、押し付けられた護身用具を
持った手を迷わせる。危険物を持つのは落ち着かず、
さりとてわざわざ用意して貰った物を突き返すのは
気が咎める……不良らしからぬ葛藤が見て取れた。

自分の護身用具は錆びついたナイフが1本と、
命と秤にかけても抜かないであろう拳銃だけ。
持っておくべきなのは、分かっている。

(いけ好かない風紀に施されるよりは……マシか)

魔を誘う薫りは絶え間なく貴方を誘惑し続ける。
これが実在する作用でない、想像に起因し本能に
語りかける『錯覚』であることを忘れそうなほど
深く、重く、強烈に。

彼女の素質を知らない限りは想像できない甘美。
逆に言えば、彼女の素質に気付いてしまった者は
本能に負けて食い散らかしかねないということ。

貴方の懸念、警戒は疑いなく正しい。

フィーナ > 「出来る対策はできる限りやっておくものですよ。でなければ、酷い目に遭うのは自分なんですよ」
自由にであることを許している以上、自衛の手段は持っていてもらわないといけない。
この『香り』に嗅ぎつけられた場合、通常の手段では逃げ切ることも難しいと考えられる。

これだけの知能がある理性を持ってしても、抗いがたい甘露なのだ。その場で喰われても可笑しくはないのだ。

彼女の護衛につけるスライムの戦力も高いわけではない。どちらかといえば壁としてしか使えない。

「そういえば、体力の方は戻りましたか?戻ったのであれば、検査の続きを行いたいのですが。」

黛 薫 >  
「あーしは多少の武装じゃ何ともならないレベルの
雑魚なんで?対策つっても費用対効果が見合わなぃ
コトの方が多ぃんすよね。ま、あーしと事を構える
程度のヤツなんざ、どんぐりの背比べの雑魚っすよ。
尊厳捨てて命乞いでもすりゃ、嫌な目に遭うだけで
済みますし。……多分な」

経験則『だけ』に従うなら、彼女の言葉は決して
間違いではない。落第街の最底辺には殺す度胸も
ない、或いは損益と秤にかけて殺人という選択を
犯せない雑魚の層がある。

強くもない彼女が今日まで生き延びているのは
その辺りの危機管理の賜物。そして魔法に縁が
ないために素質を嗅ぎつけられなかったから。

つまり、気付かれれば破綻する薄氷の安全。
何より彼女自身その素質を信じていないのが問題。

「まあ、あんだけ上等な部屋で休ませてもらえば
回復はするでしょーよ。好きにしてくださぃな」

フィーナ > 「…まったく。私がここまで執心することを考えれば考えられるでしょうに…。じゃあ、いきますよ」

ぐに、と。指先を極限まで柔らかく、液状にする。浸透圧も可能な限り涙に近くし、不快感を与えないよう心がける。

そうして、薫の左目に、触れる。

目を閉じて、集中して検査しているその姿は、如何にも隙だらけだ。
警戒する必要がないのか、それとも。

そうしてでも知りたい、解き明かしたい、暴きたいと思うが故なのか。

黛 薫 >  
異能『視線過敏』。視線を触覚として受け取る力。
好意的な視線は抱きしめるように、悪意の視線は
突き刺すように。読心と呼べるほど万能ではなく、
しかし相手の内心を探る程度には使える能力。

粘つくように熱っぽい『視線』は相手の執着を
如実に伝えてくれる。怪異が口にした『素質』は
少なくとも相手の中では嘘ではないと知っている。

(でも……そんなワケ無い。無いんだ)

不自然なほどの才の無さ。封印の可能性は真っ先に
縋った。けれど自力での解決は見込めなかったし、
本当は素質があるなどと嘯いた者は皆失敗した。

閑話休題。

前回の調査により、黛薫の左眼は彼女の持つ力の
核になっていることが判明した。更に精査すると
彼女の左眼は『穴』或いは『虚』に近しい性質を
持っていることが判明する。

仮に平面上に張った布地の一点を指で押し込めば
布の上に転がした球はその一点に転がっていく。
穴が空くほどに深く押し込めば尚更簡単に。

黛薫の場合、左眼という『虚』を持っているために
概念的な『中身』がその中に落ち込み、結果として
彼女の『本質』が集約されたと見るべきか。

(……真剣、なんだろな)

『魔術を使えないのに使いたがる少女』への視線は
いつだって厳しかった。学園にいた頃は同情と憐憫、
見下しの視線に耐えかねて逃げ出した。落第街では
被験体を見るような無機質な視線と、残酷で下卑た
道具か玩具を見るような視線ばかり向けられた。

何となく、手を伸ばして触れ返してみる。

フィーナ > 「……………」
触れ返されているが、それを気にする余裕はない。
甘露に触れている以上、集中が切れればこのまま左目から抉ってしまいかねないのだ。
顔を顰め、垂れないはずの汗を幻覚する。
そして、それが行き着く先を見つける。

穴だ。

空虚だ。

成程、瓶に栓をされていたわけではなく、穴が空いていたから、空になっていたというわけだ。

では、その中身はどこへ?

彼女を傷つけぬよう、細心の注意を払いながら。

『穴の底』へと、手を伸ばそうとする。

黛 薫 >  
穴の奥へ、虚の中へと調査の指が伸びていく。

『黛薫』のパーソナリティ、アイデンティティは
穴の底に到達することなく、半端な位置で虚空に
浮かんでいる。それも当然。仮に深くまで落ちて
いたら彼女は既に『個』ですら無くなっている。

では、その底には何がある?

何もない。何もない。何もない。
──『底に辿り着けない』。

たかが1人の人間には到底抱えられない茫漠たる
『虚空』『虚無』が広がっているのみ。
黛薫の左眼は最早『彼女の一部』ですらない。
遠く、深く、果てしない何処かに繋がっている。

黛薫は『魔法』『魔術』との縁を絶たれていた。
それだけなら目的はいくらでも推測できたろう。
しかし──これを知ってしまえば前提が覆る。

魔術との縁を切るにしてもこれは『やりすぎ』だ。
街を繋ぐトンネルを塞ぐために星を爆破するような
1人の人間に施すには大掛かりすぎる干渉。

フィーナ > 「…………真逆。」
あまりにも、深すぎる虚無。深淵。

人が作るには、あまりにも。

人では有り得ない。『我らが存在する次元』では有り得ない。

私達の次元では『無限』は有り得ないのだ。

左目一つに収められるような代物ではない。

「……………っ」

恐怖を、覚えた。彼女の後ろには何が居る?

『彼女を守る存在』は、一体なんなのだ?

「…面白い。」

恐らく、これ以上深く探っても得られるものは、無いだろう。
むしろ、自分の意識が持っていかれかねない。

だが。

しかし。

『興味』が湧いた。

深く潜る事はやめ、『構造』の解析に掛かる。

『神』が施したと言っても過言ではない、この『ブラックホール』を。

この手で。この頭脳で。『暴いてみたくなった』。

黛 薫 >  
『虚空』を見れば見るほど、分かることがある。
それは当初の予想──捕食者から守るためという
可能性をいとも容易く潰す。

『守るためならこんな恐ろしい手段は使えない』。

守るのために盾を持つのは自然。武器を持つのも
ひとつの選択。けれど、諸共消し去れる危険性を
孕んだ爆弾を投げ込むのは違う、違うのだ。

黛薫が『虚空に落ちて消えていない』のが奇跡。
間違っても守るために取られた手段ではない。

この場での調査でこれ以上の知見は得られない。
何せ『虚無』だ。考えを次のステップに進める
取っ掛かりになり得るものが何処にもない。

──ひとつだけ得るものがあるとするならば。
それはあまりに使い古された有名な文句。

『深淵を覗くとき、深淵もまたお前を覗いている』。

「……フィーナ?」

深淵の外から、名前を呼ぶ声が聞こえた。
深みに視線が注がれ、己へ向いた視線が消えて。
戸惑った黛薫の呟きは幼い迷い子のようだった。

フィーナ > 「…………っ!」
はっ、と。意識を、戻す。

『持っていかれかけた』。

「………助かった。」

一言、告げる。

もし、名を呼ぶ声がなければ。

そのまま、消えていたかもしれない。

「…とんでもないもの、抱えてるのね」

正直な、感想だ。甘美な魔力など、軽んじてしまえるほどに。

深いところで漁るのは危険だ。なら…意識を保てる場所を探る。

そう、それは。

『飲まれていない』『黛薫』のパーソナリティ、アイデンティティだ。

この原理を、解明しよう。もしかしたら、なにかヒントがあるかもしれない。

「まだ、いける?」

気遣うように、聞く。

黛 薫 >  
「言ったっしょ、あーしは魔術が使えるように
なるなら何でもします。気遣いとか、いいんで」

それは覚悟と言うには痛々しく、願望と呼ぶには
昏すぎる。そして、執念と名付けるには儚すぎる。
それは──渇望と呼ぶのが近しい感情。

彼女は、魔法も魔術も好きなわけではないのだ。
持っていたはずのそれが茫漠たる虚無に飲まれて、
注いでも消え去る『虚空』だけが残っているから
……その埋め難い『欠落』に苛まれている。

飢えれば食物を欲するし、渇けば水を希う。
あるべきモノがないから求めざるを得ない。

皮肉なことに、その渇望が黛薫を黛薫足らしめる
碇として機能している。もっと『己』が薄ければ
虚に落ちて『最初からいないことになっていた』。

黛薫の『自己』を導にすれば辛うじて虚空の中でも
方向だけは見失わずに済む。だからといって何かが
分かったりはしないが、あり得ざるモノを調べるに
当たって、取り返しのつかないことになるリスクを
低減できるだけでも上々と思うべきか。

「むしろ、そっちが無茶しねーでくださぃよ。
あーたがいなくなったら、またひとつ可能性が
絶たれることになるんすからね、全くもう」

黛薫の手が、貴方に触れている。
表面上憎まれ口を叩いている彼女の瞳は、明らかに
反応の変わった貴方の身を案じるように視線を注ぐ。

この感触がある限りは『落ちる』ことは無いはずだ。

フィーナ > 「…じゃあ、お言葉に甘えて。」
ひとつ、わかったことがある。

この『虚空』は、薫を飲み込もうとしているものだ。

薫は外に求めるものがあるが故に、ここに留まれているだけだ。

それを失えば、恐らくは真っ逆さまに、消えゆくのだろう。

薫からこぼれ落ちた甘露の魔力は、この底無しに奥に消えている。間違いなく。でなければ、ここまで空っぽになるはずが、無いのだ。

しかし、それに手を伸ばせば、消えるのは自分だ。

だから、まず。この『虚空』から、薫を切り離す必要がある。
掬い上げねば、この子はいつか消える。

それだけは、あってはならない。

「…すこしでも、変調があったら、言って。」

ものは試しだ。『黛薫』が漂う『虚空』の中で、魔力を練り上げる。
そして、『虚空』の入り口の縁に、魔力を伸ばし、引っかけようとする。

そして、そのまま引き上げを試みる。出来るかどうかは、わからないが。

黛 薫 >  
『虚空』はその中にいる限り無辺の空間だ。
底すらないのだから、本来なら入り口も出口もない。
しかし(本来あり得ないながら)左眼と繋がっている
現状なら、眼を入り口と見立てることでアンカーを
成立させることができる。

しかし虚空の中で編まれた魔力は『黛薫の中』で
生成されたと見做されるらしい。『魔』との縁が
切れているお陰で外に繋げようとした魔力の糸は
矛盾により否定され、消失する。

これにより黛薫という『個』が穴の中に集約されて
いる限り、魔力を生成できても発露には至らないと
いう結論が得られる。これだけでも大きな障害だ。

また、外部から虚空に侵入している貴方とは異なり
黛薫の『個』は虚空の中で漂っている。無辺である
都合上、黛薫は内的な力を外に届けられない状態に
あると言える。恐らく魔術だけでなく妖術や法術、
その他諸々の術も行使できないだろう。

彼女が彼女である限り働く『異能』や『体質』は
ともかく、それ以外への適性が絶望的すぎる。

フィーナ > 「……むむ」
これは、かなり難しい状態だ。魔力がダメ、となると術式はほぼ意味をなさない。

魔術を得意とするが故に、絶望的な障壁だ。

魔の存在を許さない『虚空』。体の構成維持をほぼ魔力に頼っている自分はかなり危うい存在なのだと自覚させられる。

むしろ入れている『先』が瓦解してないのが不思議なぐらいだ。

今度は、もっと直接的な方法。

『自らの構成物質』を使って、掬い上げるという方法。

『概念』を拾い上げることが出来るかは謎だが、やってみる価値はあるだろう。

黛 薫 >  
貴方の感じた危機感は正しい。

切られているのが黛薫と『魔』の縁だったから
良かったが、問答無用で『魔』を拒絶されたら
最初の潜行が致命傷になった可能性もある。

虚空が黛薫の中にあり、黛薫も虚空の中にいる
現状では『虚空/黛薫』の中で編み上げた魔力を
発露させられない事実は変わらないけれど……
貴方のリスクを考えれば最悪ではなかった。

次の試み。虚空の中にある『黛薫』を掬い上げる。
成功するならこれが1番手っ取り早い手段と言える。

しかし──黛薫の『個』に干渉を試みた瞬間。
ずっと触れていた彼女の手が強く貴方を掴んだ。
人の肌であれば爪が突き立てられるほどに強く。

触れるか触れないか、そもそも触れられるかさえ
分からない、ごく僅かな干渉。たったそれだけで
黛薫の顔面は蒼白になり、過呼吸を繰り返す。

彼女は己の内にある虚を自覚していない。
けれど虚の中で浮かぶ自己の揺らぎを感じ取り、
自分が虚空に飲まれて消える様を幻視した。

きっと、その感覚は『死』より恐ろしい。

フィーナ > 「………ダメか」
これ以上の干渉は危険だ。お互いにとって。

ゆっくりと、薫の左目から手を引き抜く。

「大丈夫?」

薫の顔を覗き込み、心配する。打算もなにもない、心からの、心配。

黛 薫 >  
「大丈夫」

食い気味の返答が返ってきた。真っ青になった顔も、
熱病のように震える身体も、血を吐きそうな呼吸も、
流れ落ちる大粒の涙すらも収まっていないのに。

「大丈夫、あーしは大丈夫」

突き立てるほどに強く握りしめた手もそのまま。
支えを失えば倒れてしまいそうなのに。

「やれること、全部やらなきゃ」
「才能のないあーしには、出来ないんだ」

ただ、渇望に突き動かされるままに吐き出す。

彼女の意思も、衝動も、何もかも無視して。
場違いなほどに強烈な甘露が貴方を誘っている。
彼女の全てを奪い去り、食い尽くしてしまえば
あの虚無さえもが無くなるとでも言いたげに。

フィーナ > 「っ」
その甘露は。

消耗した理性の壁を、容易く超えていった。

手が、伸びる。

欲が。本能が、そうしろと、命じる。

彼女を捕らえ、貪り尽くせ、と。

獲物を捕まえんと。

魔術もなにもない、本能に突き動かされた手が、薫を捕らえようとする。

黛 薫 >  
貴方の袖を掴む手は申し訳程度の抵抗。
幼子の駄々にも満たない、弱々しい力だった。
鳥籠の如く誂えられた上質な客室のベッドに
押し倒され、捕食者の瞳を見つめ返す。

ざあざあと降り頻る雨が窓を叩いていた。

「契約は、守れよ」

掠れた声で、それだけを囁いた。

物理的に食われようが、比喩的に食われようが
最後に契約さえ果たされれば、魔術さえ使えれば
構わない……けれどそれだけは譲らない、と。

魔術を使いたいなら前提として生きねばならない。
捕食者を前にして『食っても良いが殺すな』など、
図々しくはあるが──滑稽なことに一貫はしている。 

抵抗の余力を失った手が、滑り落ちた。

フィーナ > 「…………ぁ」
どのようにして甘露を頂くか、と考えた時に、我に還る。

違う。その甘露を頂く為に今まで手を尽くして………

違う。なにが?

その、甘露の薫りは、どこから来たのだ?

馬乗りになりながら、甘露の薫りの先を、辿ろうとする。

本物か、幻覚か、わからないまま。

黛 薫 >  
香りを辿る、辿る。何処にも行き着かない。
『元凶』ははっきりしている。目の前の彼女。

彼女の素質、彼女が本来持つべきモノ。
その甘露、美酒は未だ『此処にはない』。
飢餓に瀕した際に浮かぶ幻覚と同じ。
存在を知るが故に、想起せざるを得ない。

誘惑の香りは、此処に在って此処に無い。
可能性を匂わせるだけで魔を狂わせるほどの悦。

黛薫は、朦朧とした目付きで貴方を見ている。

フィーナ > 「………ごめんなさい」
一言、謝る。
私が求めるものは、薫ではない。
薫の可能性だ。

その才能を開花させたが故に溢れ出るであろう甘露たる魔力なのだ。

今ここで、薫を喰ったとしても、虚無しか残らない。

……とはいえ。ここまでしてしまった理由は、説明して然るべきだろう。

「……その、ですね。欲に負けそうになりました。別に貴方自身を食べたいとかそういうのではなくてですね。貴方が魔術を使えるようになった時に溢れるであろう魔力を想起してしまうと、ですね…どうも貴方の魔力は『甘露』たる性質があるようで…」

明らかに、自分が不利になる言動だ。
逃げ出されても、可笑しくはない。

しかし、だ。
『可能性』を潰えさせるぐらいなら、求めている物を自覚してもらったほうが良い。

自分の身を守る自覚にもつながるはずだ。

「…その。寄せ付けてしまうようです。私みたいなモノを。」

黛 薫 >  
シーツの上に落ちた手をゆっくりと持ち上げる。
切り離されたように力が入らないけど、それでも。

「いいよ」

繕う余裕を失った黛薫の声は優しかった。

「謝んなくて、いい」

調査に加えて、自己の根幹に干渉された彼女は
疲弊しきって声も掠れきっていた。それなのに
律儀に言葉を返す。

「要は……契約が済んだら、あーたはあーしを
食うってコト、だろ。そんくらい、予想してる。
んで……同じよーな、目的の……ヤツ?とか……
増やさねーように、バレねーように、って……
あーしに、言っときたいん、だよな?」

息絶え絶えながら、話の要点だけは押さえている。

「うん、だから……善処は、するし……あぁ、あと」

「あーし、逃げねーって言った。それ、変わらねーから」

言うだけ言って限界が来たらしく意識が落ちる。
穏やかな寝息というにはあまりにも苦しそうで、
痛々しいほどに真っ直ぐ、ブレなかった。

ご案内:「落第街 路地裏」から黛 薫さんが去りました。
フィーナ > 「………………」
布団を、被せる。
少しでも、安らかに眠れるように。

そして自分は、欲に負けぬよう。

この『虚空』から薫を引きずり出せるよう。

研究に、勤しむのであった。

ご案内:「落第街 路地裏」からフィーナさんが去りました。