その街は、遠望する摩天楼の使い古しで出来ていた。  灰色の材木、錆びたトタン、擦り切れたビニールシート、コンクリートブ ロック、あるいはその破片、印刷の剥げた看板……。 何一つ新品なものはない。そして住人も、何処からかあふれたゴミなのだ。  常世島東の突端にあるスラム街の、さらに外周にあるバラック街。  この島は、異能者、異邦人、魔術使い……等々。社会から厄介モノとされ た者共を押し込めた場所だとも言われる。  厄介者達の島に、さらに世の中からあぶれてしまった人々までが押し寄せる のだ。  自分のような人間に、似合いの場所。そう、チタは、思う。  思ってから、いつも不機嫌な彼女は、ますます不機嫌になり。ブーツで穴 だらけの舗装路に落ちていたゴミを踏み砕いた。 「……」 「……」  道路脇のバラック。その暗がりから、疑りぶかそうな眼差しを向ける老人と 目があった。  彼は、元は白かっただろう前掛けをしていて。バラックの前には、カウン ターのように、長机が置かれていた。  長机に並んで、飯を食らう人達がある。  男も居る、女も居る、老婆や、赤子を背に紐で括った女も居る。  そこらのゴミ貯めから拾い出したような、まるでバラバラな器の中身を、 皆、一様に啜り、掻き込み、器を両手で持ち上げて飲み干していた。  濡れたまま、使い古された箸の束が、突っ立つ容器もあって。  練った小麦で包んで揚げた、三角形の揚餃子のような食い物の上には、 まだ朝も早いから、ハエは集っていない。  チタの腹は、小さく鳴った。料理を食ったのは2週間程前であったろうか。 彼女は、再び、ひどい舗装路を歩き出す。  目があった老人は、もうチタを見ては居なかった。  薄暗がりに湯気を立たせる鍋と、足元に置かれたタライへ、水道から伸びた ホースが入れられただけの流しがあるバラックのキッチンで、仕事に戻って いた。  彼の眼差しが、当たり前の警戒だということは、チタにも分かっていた。  そして彼女の事を『見かけない顔だが、まぁご同類だろう』そう思ってい た事も、だいたい察しがついていた。  チタは歩いた、朝の大通りは人でごった返していた。この地区には最寄りの 鉄道が無いので。大多数の人間が歩いて、通りの脇を錆びた自転車が、列を 成して走る。  薄汚れた迷彩服を着た彼女の姿は、周囲の人の群れによく溶け込んでいた。  人の濁流の中に、おそらく通勤するであろう人達の他に、首に立売り箱を かけて行商する者の姿がある。  箱も持たずに、タバコを売り歩く子供もいた。箱ではなく、1本づつバラで 売っているのだ。 「お姉さん、買いませんか」 「お金持ってない」  側に寄ってきた少女に、チタはそう答えた。少女は、流れるように、自転 車を止めた人の元へ行った。  大通りの両脇は、さっきのバラック屋台のような店舗の列で。やはり、多く の人間が、一心不乱に食物を貪り。そのお零れに与ろうと、乞食が足元に座 り込んで、せめて汁だけでも恵んでくれと言っている。  哀れを誘うというより図々しくすらあるねだり声を、チタは、数十m離れた 所から聞き取っていた。  聞いたからといってどうということはない。  さらに、歩いた。  バラック街を離れると、ある通りを境に、急に立派な建物が増えだす。  コンクリート建ての、あるいはレンガ作りで。平屋な小屋ばかりだったバ ラック街と比べて、こちらは皆3階建て以上の高いビルだらけだ。  しかしまぁ、通りに満ちる人々の顔ぶれも、数十m手前側と大差ないよう である。  カラースプレーで落書きの大書された塀を過ぎると、歩道からゴミバケツの 中身をぶちまけるている太ったおばさんが居た。  横を通り過ぎついでに見てみる。  歩道の下は、2mほど地面の低くなった、ビルとビルの間の空き地で、 その下で豚が数匹、降ってきた残飯を漁っていた。  空き地と歩道の間に、柵も何もない。  ゴミバケツの底を叩いて、汁の一滴まで落とすおばさんは、横を通り過ぎた チタの事を、一瞥すらしなかった。  雑に塞がれた、あるいは割れたままの窓の多い通りを、チタは、歩いた。  途中で、野良犬が群れてゴミ袋の山に鼻を突っ込んでいるのに遭遇する。  方向を変えて、チタは、犬共の方へ向かう。接近に気づいたポインター種の 野良犬が唸った。  構わずに近づく。他の犬達も、自分たちの餌場に近づく侵入者に吠えた。  だが、チタは、そんな威嚇など聞こえてすらいないように歩みより。  未だにゴミを漁る意地汚い一匹を除き、野良犬の群れが一斉に吠え立てる。 その吠え声は、チタが近づく度に大きくなるが。群れの目の前に彼女が立ち はだかった時、犬達は、耳を垂れてしっぽを股に巻いた。  ゴミ山の袋の中は、なるほど食えそうなものが多くあった。  大体は野菜のくずや元がなんだか分からない料理の混ぜ物、骨の類だが。 食いかけのバーガーや、デリバリーのパックに入ったままの食い残しなんて、 豪華な代物まであった。 (さっきのバラックの人達なら、拾ってでも食べそうなのにな)  腐りかけた残飯を、躊躇なく掴んで食いながら、チタは思った。  ガウッと声がして、チタの手を、黒いテリアが噛む。  さっきの野良犬との攻防で、最後まで餌漁りに執心していた犬だった。  チタは、無視して食い続けた。何度も噛まれたが、犬の方が根負けして、 横から入ってきたチタを邪魔そうにしながら、一緒に残飯をあさった。  チタは、歩き続けた。そろそろ昼も近くなっている。  島の中心部へと近づくに連れて、町並みは取り繕うように小奇麗になって いく。  崩れた塀や、割れた窓の数も減り。路上で倒れて寝ているのか、死んでい るのか定かならぬ人も減る。  今居るのは、チタが上陸したスラムの沿岸部より、大分内陸寄りの場所で ある。歓楽区と呼ばれる、スラムとの境界付近である。  在る一線を超えた瞬間、チタは、自分を見る周囲の視線に決定的な違いを 感じて立ち止まった。  制服を着た二人組の少女が、チタを見ている。  年の頃は、チタと同じくらいに見えるが、少女達と、チタとの間には確実な 違いがある。  チタは、即座に踵を返して、スラムの方面へと向かった。 (あれが、学園生徒ってやつなのかな)  彼女達の視線は、チタの事を異質なモノを見る目で見ていたから。  この島における、正当な住人。その住まう領域のおそらく外側に、今踏み 込んだのだ。 (これ以上、中央部には近づかない方がいい)  縄張りの境界は確かめた、だからチタは戻ることにした。 「こんにちわ、ちょっといいですか?」  チタの前に、二人組の男が立って、行く手を遮った。  見上げると、独りはあごひげで短髪を逆立てた若い男で、もう一人は坊主 で小太りな奴である。  何も言わず、男たちの横を通りすぎようとしたら、また阻まれた。 「お時間取らせませんから、ちょっとだけ、ね?」  お断りである。  さっきの少女たちの視線には、警戒を越した嫌悪すら感じたが。この男共か らは、香水に混じって血と情欲の臭いがする。  野良犬の群れには喧嘩を売ったチタだが、こういう人間とは関わりたくない のであるから。無視して立ち去ろうとした、が。 「君、学生証持ってんの?無いでしょ?  ね?別に悪いようにはしないって、お話だけでも聞いてくれないかな」  チタの腕を、あごひげが掴んだ。その横で、小太りは、腕に何やら黒いオー ラをだした。  チタは、いつだって不機嫌である。  戦いが好きなわけじゃない。むしろ避けていようと思っているのだ。  だけど、彼女の心の中は満杯の火薬を詰めたようなものなのだから。例え 些細な火花でも、散ってしまえば……。 「うっ!……おっ?ほぅッおお!!ああッ〜〜ッ!!」  腕を掴んだあごひげは、悲鳴を上げた。掴んでいた筈の腕が振るわれた動 きで、手首を捻り折られて。小太りの方は、地面に転がってヒュゥ、ヒュウッ ……と息をしている。  一瞬の間であった。チタは、掴まれた腕を大きく振り上げて、同時に蹴りを 繰り出したのだ。  その動きを、彼らは見ることすら出来なかった。  何も言わず、チタは、地面に這う二人組に背を向けた。  戻ってきた。  小太りの方の懐を探って、小物入れを取り出す。 「や、やめ……おぅっほ!?」  制止しようとしたあごひげを、ビンタ一発で気絶させると。膨れた小物入れ を開いた。  中身は札束である。 (すごいお金持ちだ。少し貰っていこう)  いくらかの金を抜き出してチタは、小物入れを放って返してやった。 「あっ……おっ、やめ…ひっ、ふぅ……おまっそっ…ひゅぅッ……!」  大して取ってもいないのだが、小太りが、息も絶え絶えに足にすがるので。 軽く腹を蹴って、黙らせてやる。  小太りは、ゲロを枕に突っ伏した。 (これでまずは服でも買うか)  スラムの方へと戻りながら、チタはそう考えた。  そして、もう一回戻ると。ついでにタバコも貰っていった。