月もない海を、一艘の船が行く。  改造されたボロボロの漁船である。  その船内、本来は獲った魚を貯める魚槽に、すし詰めになって人々が乗り込 んでいた。  僅かな灯りもなく、蒸し暑い暗闇の中で、押し殺した苦しそうな呼吸音だ けがある。  昼でも、めったに船の通らない海の上、ましてや今は夜である。  薄い板一枚向こう側は、海底遺跡群のある危険な海で、彼らは、そんな場 所を通らざるを得ない、密航者達であった 暗闇の中に、固いブーツの足音が響いた。  誰にもぶつからず、足音の主は出入口まで歩いて、躊躇なく甲板へ続く板 を押し上げる 「……おねえちゃん、どうしたの?」 僅かな星明かりが、船倉の暗がりの中に、少女の顔を浮かび上がらせた。  まだ、10にも満たないと思われるその顔は、汗ばんで汚れた茶色で 「……。」  薄汚れた迷彩服を着たチタが、振り返った。  彼女は、汗の一つもかいておらず、青みがかった銀髪が、星明かりの中で 風になびく 「顔を出さない方がいい。……危ない。」  チタがそう言った時 「おいっ出てくるんじゃない。到着するまで隠れてろ。」  操縦席にいた、垢じみたランニングシャツを着た男が、怒りの交じる押し 殺した声を出す 「左に転針した方がいい。見つかった」 男が、怪訝な顔をしたのが、チタには見えたから。 「人と船の臭いがする、私達以外の。エンジンの音も」 その時、真っ暗だった海上に、サーチライトの灯りが現れた 「くそっ!沿岸警備だ!」  甲板にいた男達が、銃を手にして、慌ただしく足音を響かせる。  エンジン音が高く鳴り、密航船は急な舵を切って速度を増した。だが、迫 る光は増え、ぐんぐんと大きさを増していく  チタは、船べりに足を掛けた。  一瞬だけ振り返ったとき、甲板上の男たちに踏みつけにされるような足音 の下で、暗がりに身を潜めて怯える幼い少女と目があう。  飛沫を上げて、チタは暗い海に飛び込んだ。  暗い海中を進む間、背後に唸るスクリューの推進音と、銃声と、そして人が 海へ飛び込む音を聞いた。いくつも、いくつも。  やがて水平線が、黒からわずかに濃紫色に変わり始め。遠くに島影が見え てきた。  距離は500m位。チタは、大きく息を吸い込むと、息継ぎをせずに波の 下を泳ぐ。 「ぷはぁっ!」  3分ほど経って、チタは海面から顔をだす。  目が、合ってしまった。  浅黒い肌の少年が、驚いて固まったまま、粗末な桟橋の上から見ている (しまった……) しかし、そう思ったチタに、少年は手を差し伸べる 「早く」 なかなか手をつかもうとしないチタに、少年は促した。  チタは、恐る恐る、細い腕を掴んだ。  海からあがると、少年は、無言のままついてこいという風に、薄暗い夜明け 前の暗闇に灯る人家の灯りの方へ歩き出す 「来いって、密航者なんだろ。 ……公安にも、風紀にも言わないよ」  着いてこようとしないチタに、少年は言った。  彼も、不法入島者なのであろう。しかしチタは、首を横に振る 「私は、大丈夫だから」  そう言って、少年の横を通り過ぎた。  そして、振り返り 「他に、来る人が居るかもしれない。助けてあげて」  そう言った。  言ってから、思う。  これで、あの幼い少女を助けたつもりなのだろうか。なんて都合が良く、 自分勝手な事であろうか、と  チタは、明るさを増す空から逃げるように、スラム沿岸部の暗闇の中へ消 えていった