2016/10/05 - 21:15~01:09 のログ
ご案内:「大時計塔」にヨキさんが現れました。<補足:【リミット1時】27歳/191cm/黒髪、金砂の散る深い碧眼、黒スクエアフレームの伊達眼鏡、目尻に紅、手足に黒ネイル/拘束衣めいた細身の白ローブ、黒ショートブーツ、右手人差し指に魔力触媒の金属製リング>
ヨキ > 夜の見回りに、懐中電灯片手に階段を上ってくる。
見晴らしのよい時計塔に秋の夜風が強く吹いて、揺れる髪を掻き上げた。
ひととき手元のライトを消して見下ろした風景は、無数の灯りによって街の輪郭を浮かび上がらせている。
きれいだな、と思った。単純だからこそ強かった。
薄く開いた唇から息を零す。
「………………、」
獅南蒼二が、異能者相手に授業の公開を始めたという。
かつては考えられなかったことだ。
当人は多くを語らぬ性質であるから、憶測に憶測を呼んでもさぞ平然としているんだろう。
もう一度、今度は少し長めに溜め息をついた。
ヨキ > レコンキスタ。
無能力者の人間を純血と呼ぶ過激派組織。
獅南がその構成員だという正体を明かしてからというもの、ヨキはありとあるデータベースを紐解いた。
レコンキスタが関わったもの、関わっていたとされるものの、そのすべて。
「………………………………、」
獅南蒼二という男を、友人として信頼する気持ちは変わらない。
自分と共に理想的な世界を築き上げることについて、ヨキはその決意を疑うべくもない。
だが、彼がレコンキスタという身分を偽って常世学園に籍を置き、教師として教えていたこと。
凡人教室。無能力者に開かれていた授業。誰にでも魔力を授けるためのカリキュラム。
記録的な落第者を叩き出すことで知られる演習……。
今さら嫌えるはずはなかった。
すべては過ぎたことだ。
それでも。
人びとの賛否を物ともせず、学園の理念と真っ向から対立しながらも、静かに染み渡ってゆく思想。
学園の在りように従ってきたヨキからすれば、これ以上の獲物は居ない。
獅南は、そうと知れた瞬間には殺すべき男だったのだ。
「……うえっぷ、」
眉を顰める。
込み上げる吐き気を、ぐびりと喉を鳴らして呑み込んだ。
ご案内:「大時計塔」に化野千尋さんが現れました。<補足:黒いセーラー服に赤い瞳。キャスケット帽を深く被っている。>
ヨキ > 繰り返し繰り返し、深呼吸。
新聞記事のデータベースを遡っていくだけで、もう何度ひどい目に遭ったとも知れない。
(決めたのだ、ヨキはもう)
下した判断を、過去によって覆すことはしない。
あとはもはや、進んでゆくことの他に手段はないのだから。
胸の奥が漸う落ち着いてきたところで、再び外界を見下ろす。
犬の視覚には無機質な光とばかり見えていた夜景が、見分けられるようになっていた。
人びとの暮らし。歓楽街のネオン。遅くまで仕事に励む委員会。
それらがくっきりと、街の区画を形づくっている。
立入禁止の屋上まで上ってくる学生らの気持ちが、少し理解出来たような気がしてしまった。
化野千尋 > かつ、かつ、と短い音を鳴らして、大時計塔の階段を上る。
深くキャスケット帽を被って、片手にはペンライトを持って。
夜の時計塔は、考え事をするにも、何をするにも最適だった。
故に、化野はそこそこの頻度でこの階段をひとり、何度かは風紀委員に叱られながらも繰り返し上っている。
ぎいい、と響く金属の軋む音。
この音に関しては、気を使うことはなかった。
なんせ、この場所には普段、誰もいないのだから。
ペンライトで足元と時計塔を照らす。浮かび上がった影に、思わず声を上げた。
「っ、わわわ、ええと、その、こんばんは!
あ、あのですね。あだしのは、忘れ物を探しに来ただけで――」
その背格好に、心当たりがあったらしい。途中で言葉を切って、伺うように声をかけた。
彼ほどの長身に、特徴的な服装はきっと忘れたりはしないだろう。
「――ヨキ先生、でしょーか。」
ヨキ > 階段を上ってくる音に振り返る。
その軽い音からして、小柄な人物だろうと踏んだ。
確かに、驚くのも無理はないだろう。
千尋の悲鳴に目を丸くしながら、やがてくすくすと笑い出した。
「そうだよ、こんばんは。ヨキだよ。
個展のとき以来だね、化野君」
懐中電灯を点け、おどけて自分を照らしてみせる。
声も顔も、以前に会ったときのままだが――あの猟犬の耳がない。
笑う口から覗く牙も、死人と紛うほどの血色も……。
それから、どこか薄らとした香のように纏っていた死の気配も。
「ふふ。何を忘れたのかな」
化野千尋 > 「わ」
懐中電灯に照らされたヨキの姿は、個展のときとは僅かに違っていた。
犬のように垂れた耳はどこにもなく、より人間のような見目であった。
その変化に動揺しながらも、聞いていいのか、よくないのかと胸中で葛藤する。
もしプライベートな理由だったり、ただの気分だったら申し訳ないな、なんて思いながら。
「あだしのはですね、ええと。
……そうですね。未来を置き忘れてきたのかもしれません!」
冗談めかして、困ったように眉を下げながら笑ってみせる。
そして、意を決したのか不思議そうに、数歩ヨキの傍へと歩んで問う。
「ヨキせんせは、お耳をお忘れに?」
自分の耳の少し下を揉むように、ジェスチャーを示した。
忘れず、「差し支えなければ、で、よろしーので!」としっかり付け足して。
ヨキ > 「未来?」
聞き違いと思ったか、一瞬の怪訝そうな顔。
すぐにふっと笑う。
「……はは!それは大変だな。
そうしたら、ヨキが一緒に探してやらねばな。
君には、きちんと未来へ進んで行ってもらわなくてはならないから」
歩み寄る千尋を前に、灯りを消す。
暗がりに慣れた夜目に、街の灯が互いの顔を淡く照らす。
「ヨキはただの見回りさ。
君みたいなうっかり者が、夜の時計塔に忍び込まないようにな。
耳はね……」
千尋と同じジェスチャ、
「なくなってしまったよ。犬から脱皮して、人間になった」
笑いながら、小首を傾ぐ。
「何と言ったらいいのかな……、生まれ変わったんだ。
いろいろあってね」
化野千尋 > 「大事なものなので、探しにきていたことは内緒にしてくださいね。」
ふふ、と穏やかな笑い声が漏れる。
教師が立ち入り禁止かどうかは知らなかったが、そう咎められることはなかろうと勝手に安心する。
ヨキのヤンチャな雰囲気と落ち着いた雰囲気の同居に、安心感を覚えていた。
ペンライトの光量を下げ、橙に設定する。幾らか目にも優しくなる。
「犬から、脱皮……?
あだしのの知っている犬は、脱皮も人間にもならなかったように思うのですが。」
また、少しばかり困ったような表情を浮かべるも、続いた言葉に深く聞くのを止した。
色々あった。きっと、化野にはそれを理解するほどの学もなければ、
それに立ち入るべきことでもないのだろう、と薄ぼんやりと察した。
「にんげんは、いかがですかあ。」
どうとも取れる、雑な質問だったかもしれない。
それでも、きっと彼に聞くならこれが一番いいのだろう、と化野なりに考えた末の問いであった。
ヨキ > 「もちろん。女の子の大事な探し物は、みだりに明かしたりしないさ」
しい、と、人差し指を口元に宛がう仕草。
「次からは、ここでない場所で君と会えるようになるといいけれど」
注意の言は、全く以て遠回しだ。
千尋が見せるごく当然の反応を見ながら、小さく頷く。
「きっと、誰が知っている犬からも遠かったのではないかな。
犬という名前の、別の生き物。
……冗談は置いといて。
今までヨキはずっと、犬と人間の混ざりものだった。
それがようやく、完全な人間まで辿り着けた」
説明のはずが、何がどうなったのか、内容はひどく漠然としている。
まるで見た夢を話すような口ぶりは、ヨキも自覚しているらしい。
「楽しいよ、人間。
視界はとてもはっきりと見えるようになったし、食事も美味しい。
荷物を丸ごと持ち上げるような無茶は出来なくなってしまったが……。
いちばん楽しいのは、何か人や物に触ること。
今まで、手袋を嵌めて触っているようなものだったのだと気付いた」
化野千尋 > 「内緒です」
口元を緩めながら、今度は化野がヨキの仕草を真似た。
ヨキの口から落とされる言葉は、やはり化野が理解できるようなものでもなく。
それでも、"ようやく"という言葉で、彼の悲願――かはわからないが、
彼が願っていたものに到達できたのだろうか、と考えるには容易であった。
「それはとっても、よかったですねえ。
せんせが頑張ったのか、それとも誰かとがんばったのかはわかりませんが、
目的が達成できたのは、とってもとってもえらかったと思いますよう。
おつかれさまです、せんせ。
食事が美味しい、というのは意外でした。
おいしくごはんが食べられるのは、とってもとっても幸せですものねえ。
……むしろ、それは困ることかと思っておりましたよう。
前と感覚が違って、作品を作るのに支障がある、とか。
そういうのって、意外となかったりするのでしょーか。」
ヨキ > 結局のところ、ヨキ自身にもうまく説明することは出来ないのだ。
言葉で多くを伝えるほどのものではない。
ただ、晴れやかな喜びが伝わりさえすればよかった。
「うん、有難う。
念願叶って、というところだ。
今まででさえ、食事はとびきり美味しいもの……と、思っていたんだがね。
靄が晴れたみたいに、いろんな物事がクリアに楽しめるようになった。
視界が違うと、はじめは乗り物酔いみたいにぐらぐらしてね……。
今はやっと慣れてきたところだ。
実は人間になったと同時、異能もなくなってしまってな」
指先で頬を掻く。
「金属を操る能力が、なくなったんだ。
ほとんど手で作品を作るようにしていたから、変わらずに制作を続けられることは幸いだった。
むしろ目が冴えて、金属に焼きを入れる作業がしやすくなったくらいさ」
化野千尋 > 「異能も」
目をまん丸にして、わかりやすく驚いた。人間になると同時に、異能の消失が起きた。
確か、ヨキの作品には異能を用いたという作品が多かったはずだ。
先日の個展もそう。あの個展のタイトルは――『視差』。
「あのあの、失礼なことを承知でお聞きするのですけれど。
……異能がなくなってしまったの、悲しくないんですか?」
まるでデリカシーのないマスメディアのような質問に、小さく「すみません」と溢す。
どうしても知りたかったのだ。この島には、異能がアイデンティティと直結する人が多い。
外に出ればマイノリティと区分分けされる人も、この島にいれば立派なマジョリティの構成員である。
ただ、そんな大多数と違ったものになってしまうのは。
少数派になるということは、ヨキにとっては嫌なことではないのか、と。
「みんなが異能を持っているのに、それをなくしちゃうっていうのは。
……それは、……すみません。なんと申しましょうか。
じつのところ、怖かったりとかは、しないのでしょーか。」
ヨキ > 「構わんよ。ヨキにとっても、じっくりと考えてゆかなくてはならないことだから」
千尋の問いに、気を害した様子はなかった。
「『なくなってしまう異能』だなんて、厳密に言えば、今の地球で問題になっている異能とは違う力なのやも知れん。
よくない顔をする者だって、少なからず居るだろう。理解者だと思っていたのに、とな」
落ち着いた声で、ゆったりと言葉を続ける。
「そりゃあ、怖くないと言い切ってしまえば嘘になる。
現にヨキが『違うもの』になってしまったことで、冷めた顔をした知り合いも……少しだけ。
だが――それ以上に、ヨキには味方がたくさん居る。
どうなろうとヨキから離れることがない、と信頼できる相手が。
付き合ってゆける相手や、作品づくりの腕や。
今まで培ってきたもののことを思えば、切り開いてゆくことが出来る。
ヨキはそう思っているよ」
冗談めかして眉を下げ、笑ってみせる。
「ひとつだけ寂しいのは、シリーズの続きが作れなくなったことかな。――『対比』のね」
“対比”。金工作家ヨキのライフワークとされる、異能と手作業で作り上げた裸婦像のシリーズ。
個展を見てくれた千尋だからこその、ささやかな吐露だった。
化野千尋 > 「でも……」
僅かに声を上ずらせた。
異能とは何か。先日会った青年は、異能を封じるための本を探しに、禁書庫にまで足を運んでいた。
『たちばな学級』のことも、異能のせいで困っている人がいる、ということも。
一瞬の内に、二ヶ月で出会った人々や見たもののことを思い出す。
異能を有利に使う者。異能に苦しめられる者。それに――異能が消失する者だって。
「味方がたくさんいるというのは、よろしーことです、けれど。
……お強くないとできない選択だな、とも、羨ましいな、とも。
あだしのは、どうにも出来た人間ではないので、ちょっとだけ、嫉妬してしまいますねえ。
個人的にも、シリーズの続きが見られなくなるのはとってもざんねんです。
たくさんいるのではないでしょーか。残念がるひとも、悲しむひとも。」
「"今"しか出来ないことって、存外に多いのですね」、と化野は言う。
文字にすればそれこそ安っぽいものだが、この一瞬一秒のうちに、この島の中で、
例えるならば陸上部の生徒が異能を活かしながら走っているものが明日にはできなくなっているのかもしれない。
様々な意味を乗せて、ぽつりと溢す。
「あのですね、ヨキせんせ」
ささやかな吐露に対するは、特大の秘め事明かしであった。
異能を失った、と言ったヨキだからこそ言えたことなのかもしれない。
胸の中で芽生えた僅かな疑念は、日を重ねるにつれてどんどん大きくなっていった。
「あだしのは、異能がこの世界からなくなれば、みんな幸せになれるのかな、って思うんです。
せんせの前で言うのもどうかな、とは思うのですけれど。
異邦人は、もとから人間とは『違うもの』でした。
でも、人間が得てしまった異能は、『同じもの』を『違うもの』にしてしまうものだと。
だから、異能がなくなれば、きっとみんな、仲良くなれるのかな、って。
すこしだけ、おもうんです。」
穏やかに口元を緩めて、化野は笑った。
ヨキ > 声のトーンが上がる千尋の様子に、優しく笑う。
「何しろヨキは、この学園に十年以上居るからね。
強くしてもらった、というのが、正しいところではないかな。
ここに辿り着いて間もないうちから、誰しもが強く居られる訳ではない」
千尋の告白に、真摯な表情で耳を傾ける。
相手の声の他には、ヨキの静かな相槌だけが響いた。
夜景を眺めながら、穏やかに口を開く。
「……そうだな。
元から異能がなければ、みんなみんな幸せやも知れなかった。
異能のために得られる幸福も、不幸も、みんな知らずに居られるはずだった。
それは、ヨキもそう思うよ。決して否定出来ないことだ。
だが、君の知る通り、世界は『そう』なってしまった。
異能というものから目を逸らすことも、忘れることも出来なくなった。
――だからヨキは、それこそ『異能』と『無能力』の差がなくなればいい、と思っている。
異能を抑制することでも、異能を持たない者たちの能力を伸ばすことでもいい。
『違っていて当たり前』、それでも『違うものたちがみな同じように暮らすことが出来る』。
そういう世界を、ヨキは作ってゆきたいんだ」
衣服の裾を風に揺らして、千尋へ振り返る。
「残念ながら……『対比』シリーズは、これにて打ち止め。
あの個展で、君に観てもらった六作と――」
常世島に横たわる千々の光を背に、両手を緩やかに広げる。
「――《対比》、ナンバーセブン。
これからは、ヨキ自身の生き方でそれを示してゆく。
……どう?」
首を傾いで、笑う。
夜の闇の中に明確な道筋が見えていることを、示すかのように。
化野千尋 > 「ずるいですよう。
女の子は、かっこいい先生にそういうことをされると勘違いしちゃいますからね。」
そう言って、化野は困ったように笑う。
先日の個展では、ヨキの作品群に感銘を受けた。そうして今日は、ヨキそのものに感銘を受けて。
自分が否定したものを、ヨキ自らが対比として示すと。
その教師のあり方に、目に涙を溜めて笑う。
「あだしのが、きっと弱いからそう思ってしまうのでしょうねえ。
それに、焦りすぎているのだとも、自分でもわかります。
それでも――……」
最後は、ほとんど独り言つようだった。
それでも、『時間は無限ではないんです』、と。泣き虫な少女は笑った。
「例え話をしたいのですけれど。
たとえば、あだしのが、異能者だけに害を為す異能者であったら。
ヨキせんせはどうなさいますか。
ヨキせんせの考える世界を壊す人間だったとしたら。」
涙で、島を明るく照らす光がじんわりと滲んでいく。
半ば、縋るかのように。相も変わらず眉を下げたまま、笑顔を浮かべた。
ヨキ > 「ははは。卑怯で結構。ヨキほど悪い先生は、他に居らんよ。
そうやってみんなみんな、この島から巣立たせてきたのだから」
惑いのない、明るい声。
「焦ってしまうことは当然だよ。
朝起きたと思ったら、もう夜だ。明日までに、来週までに、来月までにこうしたいと思いながら、時間はひたすら過ぎてゆく。
何年後までにああしたい、こうしたい、と考えていた気持ちが、少しずつ擦り減ってしまう」
塔の内部に張り巡らされた柵のひとつへ、ゆったりと凭れ掛かる。
隣を叩いて、おいで、と。
「だからみんなこの学園で学生として、教師と一緒に過ごすんだよ。
焦ったときに心を落ち着ける方法を学んで、擦り減ってしまう初志を埋め直すために。
敷かれた道は決してひとつではないし、自分で切り開いてゆくことさえ出来るのだと、学ぶために。
限られた人生の、さらに限られた時間の中でね」
千尋の“例え話”に、懐中電灯を持った手の十指を組み合わせる。
「――受け入れるよ。
君が世界を壊そうとすることを受け入れるけれど、ヨキが跡形もなく直させてもらう。
教師というのは、その方法を、心構えを身に着けた者のことを言う」
牙のない、人間の歯並びで笑む。
「異能者が異能者だけに害を成すことは、きっと“例えば”の化野君が求める世界とは、程遠い場所に辿り着いてしまう。
攻撃されて、異能者が減る。異能者が居なくなる。最後にきっと、異能者の君がひとりだけ残る。
独りぼっちの異能者の世界から、異能が消えることはない。永遠に。
だからそのときは――ヨキが君の傍に居るよ。
どうしてそんなことをするのか、本当にそうすべきなのかを、君と一緒に言葉を重ねてゆきたい」
化野千尋 > ちいさく一歩一歩と、またヨキの傍へと歩いていく。
柵に並んで寄りかかって、セーラー服の袖で目元をごしごしと拭う。
この島に来る前よりも、こうして泣く回数は増えたかもしれない。
「……いやですねえ。
早く大人になりたくても、あだしのはまだまだ、ずーっと子供です。
いやなことから逃げて、……ここに来たのも、子供だったからなのかもしれません。
いろんな先生がいるんですねえ、ここは。」
人間らしい、黒いネイルで彩られた10本の指を見た。
困ったように笑いながら、また「ずるいなあ」、と。
ぎい、と僅かな金属音。受け入れるという言葉は、何よりも優しく、何よりも乱暴だった。
また目元を拭う。涙が落ちる。
「独りぼっちの異能者っていうのも、中々に。
最初の異能者は、どんな気持ちだったんですかねえ。
……ありがとうございます。こんな仮定の話に付き合わせてしまってすみません。
勉強に、なりました。」
ヨキ > 「大人でも成長出来る余地はいくらでもあるけれど、子どもの方が伸びしろはずっと多い。
成長には、痛みを伴うものだ。
大人は心を捻じ曲げる痛みだけで済むが、子どもは身も心も大きくなってゆかなくちゃならない。
痛くて、つらくて、イヤになるのも当然なのさ」
隣り合った千尋の背を、大きな手のひらがぽんと叩く。
「誰にも知られず、理解されず――それでも現実に表出している、というのは、計り知れない苦痛であったと思うよ。
現代の異能者たちが抱える苦悩とは、似ているようで全く違う。
我々は想像こそすれど、同じ心境を味わうことは不可能だ」
千尋の礼に、ゆったりと首を振る。
「どう致しまして。
自分の話が君の勉強になるなら、ヨキはいくらだって付き合うよ。
いくつもの仮定がなくては、よりよい結論には辿り着けないものさ」
化野千尋 > 「痛みを伴わずに成長できたら、あだしのは大満足だったのですけれど。
……いやですねえ。痛くて、つらくて、くるしくて、かなしくて。
それに、絶対に逃げられない。いつでもそれはあだしのを見てるんです。
だから、あだしのから寄っていかないといけないことはわかってるんです。」
叩かれた背がぴんと伸びる。
寄りかかっていた柵から離れて、大きく両手を上にあげた。
「絶対に知ることのできないことは、どうしようもなくひとを惹きますね。
気になってしまって、たくさん考えてしまって。
……どんな苦痛だったのか、すこしだけ、興味があります。」
鞄から携帯端末を取り出して、時間を確認する。
兄の決めた夕食の時間はとうに過ぎ去っていた。
「それじゃあ、ありがとうございました。
また、お話してくださいね。とっても、見えない視点の話が聞けるので。
それこそ対比も、あだしのにたくさん魅せてください、ね。」
深くキャスケットを被り直し、ヨキへ背を向ける。
誰にも見つからないように、来るときよりも幾らか控えめな足音が響いた。
ご案内:「大時計塔」から化野千尋さんが去りました。<補足:黒いセーラー服に赤い瞳。キャスケット帽を深く被っている。>
ヨキ > 「君がもがいてることを、ヨキは少しずつ心得てる。
たとえ君のすべてを承知しきれずとも――辿り着いた君を、辿ってきた道ごと祝福してやりたいんだ。
よく頑張ったな、って」
“絶対に知ることのできないこと”に想像を巡らせるよう、目を伏せる。
「ああ。ヨキも、きっとそういう気持ちで制作を続けて来られたのだと思うよ。
一度それに惹かれてしまった者は、二度と戻れなくなる。
ヨキも化野君も、どうやら似た者同士らしい」
挨拶する千尋へ向けて、頷く。
「こちらこそ、話が出来て良かった。
――覚えていて。
君との視差こそが、他ならぬヨキとの“対比”になることを」
鏡写しの《対比》。
その最後のひとつとなることを宣言してみせたヨキの傍らには、今や誰しもが立ちうるのだと。
秘密めいたひとときから、千尋がそっと去ってゆく。
微かに木霊する足音が完全に聞こえなくなってから、ヨキは元から誰も居なかったかのように見回りを再開した。
ご案内:「大時計塔」からヨキさんが去りました。<補足:【リミット1時】27歳/191cm/黒髪、金砂の散る深い碧眼、黒スクエアフレームの伊達眼鏡、目尻に紅、手足に黒ネイル/拘束衣めいた細身の白ローブ、黒ショートブーツ、右手人差し指に魔力触媒の金属製リング>