2016/10/08 - 21:52~01:27 のログ
ご案内:「保健室」にヨキさんが現れました。<補足:27歳/191cm/黒髪、金砂の散る深い碧眼、黒スクエアフレームの伊達眼鏡、目尻に紅、手足に黒ネイル/拘束衣めいた白コート、細身の白ボトム、黒ショートブーツ、右手人差し指に魔力触媒の金属製リング>
ヨキ > 昼下がり、無人の保健室。
養護教諭の机の前で、体温計を手にしたヨキが立ち尽くしている。

どうしてか頭がふわふわとする、というよく判らない理由で保健室を訪れた彼の頭に、雷が落ちた。

「…………。さんじゅう……ななど、にぶ……」

演習で防塵マスクを着けた姿はもはやお馴染みのヨキであったが――不織布の、ありふれたマスク姿は十数年の教師生活で初めてのことだ。
どこかとろんとした眼差しで、マスクの下からくぐもった声を発する。

人間の姿になってからというもの、体温が三十度を超えたことがないヨキにとっては一大事であった。
……のだが、傍らの保健委員の女子は、体温計を覗き込んで一言、ああ、微熱ですね、と答えた。

先生、しばらく休んでましょうか、と背中を叩かれる。
もう何枚目か判らないティッシュで鼻を噛むと、鼻の下は赤くなっていた。

小さく鼻を啜る音。

つまるところ、ヨキは生まれて初めての風邪を引いた。

ヨキ > 神通力を呪術にまで変質させてしまっていたヨキほど、「病は気から」という言葉が覿面に効く男は居ない。
三十七度二分という数字を目にした瞬間から、彼はすっかり病人になっていた。

今にも死にそうな顔をしているヨキを前にたじろいだ保健委員が、先生、これ飲んでください、と白い錠剤を二粒差し出す。
甘くて飲みやすいお薬ですから、と。

「くすり……」

飲まなくてはいかんか、という顔で相手を一瞥する。はい、と明るい顔で返ってくる。

元より薬が得意でないヨキではあるが、見るからにぼーっとした顔でこくりと頷き、水と共に錠剤を呑み込む。
これでばっちり、きっとラクになりますよ、と言われて、熱に浮かされた顔は少しだけ和らいだ。

じゃあ先生、ちゃんと寝ていてくださいね、と挨拶をして、保健委員が部屋を後にする。

寝台の端に腰を下ろす。
衝立のカーテンは引かれておらず、その姿は廊下からでも見かけることが出来るだろう。

「(何だか……ラムネみたいな薬だったな……)」

案の定、ただのラムネだった。

ヨキ > 盛大なくしゃみ。

聞くだに喉を痛めていそうな、下手くそな音だ。
咳込み、コップに残っていた水を飲む。

眼鏡を外し、腰掛けた格好のままどさりと横になる。

「……………………、」

休んでいる時間が勿体なかった。

今の自分に体調を崩している暇はないという、ある種の強迫じみた焦り。

ヨキ > 一刻も早く復調したい気持ちに駆られてはいたが、治癒魔術にも、異能にも頼るつもりはなかった。
人間の体調を、人間として治してみたかった。

外したマスクを緩く握ったまま、ぐしゅん、と鼻を啜る。
“こんなことをしている場合ではないのに”。

いったい、あの男が自分を殺すと言い切ってから、どれほどの月日が過ぎたろう。
自分の前で披露した洞察のみですら、途方もない精確さに満ちていた。

あれらの技術と知識の裏側には、どれほどの与り知らぬ研鑽があったことだろう。

それを思ったとき、果たして自分の歩いてきた道にいかなる足跡が残っているものか、ヨキには判然としなかった。
己はあの男に対して、何を見せつけ、何を体現し、何を築き上げて、何を返し、何を示すことが出来るだろう?

これからの在りようを冷静に考えるためには、しかし“出来るようになったこと”があまりにも多すぎた。

いっぺんに数多く開けすぎた道の前で、ヨキは立ち竦んでいた。

熱を孕んだ視界は狭く、頭の中は狭苦しい。
焦りと熱はじっとりとした汗に変わって、肌を居心地悪く湿らせた。

ヨキ > 力なくしては資材を軽々と持ち運べなくなり、生きた子種を宿したとなれば女をむやみに抱くことも出来ず、
街を一晩駆け回る無茶な体力も失って、殺した標的の肉は鼻先を近付けただけで吐き気がした。

転移荒野で見た夜明け。
あんなにも晴れやかな日はないと思っていた。

昇りきった太陽の下の現実。
こんなにも鬱屈とした日々を送るとは夢にも思っていなかった。

湿っぽく熱を含んだ息を吐き出す。
寝台に上がろうと、気怠げに手を伸ばしてブーツをもそもそと脱いでゆく。

硬い床に転げた靴が、ヨキにしては無造作な音を立てた。

ヨキ > 寝台に仰向けになり、小さく喘ぐ。
咳込んで痛めた喉から、掠れた息が零れた。
手の甲を目元に乗せて、じっと目を閉じる。

脳裏に奔る血の脈動に、じっと意識を集中する。

どうして先生は何もしてくれないの、と責められたことを思い出す。
腕を回したきりで、ひどく感謝されたことを覚えている。

「(……ああ、そうか)」

それは本当の人間になって、次々と得心がいった事実のひとつだった。

「(自分は今、寂しいと感じているのか)」

何だか、ひどく可笑しかった。
熱に浮かされるほど冷静で、他人事のようだった。

ヨキ > 今はただ眠るべきだ。
この波濤が鳴りを潜めるまで。
島を囲む海が決して制止することのないように、この波も今はまだ凪ぐことを知らぬだけなのだ。

金工の手わざに計算され尽くした技巧を用いるのとは裏腹に、自分自身の心に対することの何と無策だろう?

せめて見ていてくれ、という言葉を願いに表すその寸前、消え入るように静かな眠りに落ちてゆく。
呼吸に上下する胸が、彼のうちに確かな生があることを示していた。

ご案内:「保健室」からヨキさんが去りました。<補足:27歳/191cm/黒髪、金砂の散る深い碧眼、黒スクエアフレームの伊達眼鏡、目尻に紅、手足に黒ネイル/拘束衣めいた白コート、細身の白ボトム、黒ショートブーツ、右手人差し指に魔力触媒の金属製リング>