2020/07/07 のログ
ご案内:「青垣山 廃神社」にシュルヴェステルさんが現れました。<補足:人間初心者の異邦人。人型。黒いキャップにパーカーのフードを被っている。学生服。後入り歓迎してます。>
シュルヴェステル >
結局、行き場所はあるわけもなく。
当て所なくふらふらと未開拓地区を亡霊のように彷徨っていた。
荒野を抜けて、しばらく歩いた先の森が山だったと気づいたのは、
ようやく人の手によって造られたものの残滓が見え隠れし始めてからだった。
「……家、か?」
青垣山中腹付近。鳥居は崩壊し、境内や社殿は荒れ果てて久しい。
かつては神もそこにいたのやもしれないが、今や見る影もない。
《大変容》を迎え、一種の異界と化してしまった青垣山においての人の名残。
ひび割れた石畳を、薄汚れたスニーカーが踏みつける。
「……」
惹かれるように。
それが魔術的意味合いを持っていたのかも、異界に招かれているのかも。
そのどちらであるか、どちらでもないのかはもはや定かではないが――
《門》に喚ばれるように、歩みを進めた。
シュルヴェステル >
空を見上げる。
右手側に広がる灯りのない寂れた荒野、未開拓地区。
左手側に広がるのは人工の灯りがちらつく学生居住区。
この山を境目にするように、右と左で様々なものが違う。
常識も、ルールも、住んでいる人物も、見える景色だって違っている。
「……誰のための、家なんだ」
社という概念をシュルヴェステルは知らない。
神社というものがあるというのを、シュルヴェステルは知りようがない。
けれど、そのどちらか――未開拓地区にも、学生居住区にも――にも居られなかった、
中途半端な自分にとっては少しばかり親しみのある場所ではあった。
誰もやってこずに、手入れも行き届いていない。
忘れられたように時間の穴の中にぽっかりと取り残されたような廃神社。
常世島の中で、唯一……すこしだけ、好きになれそうな気がした。
シュルヴェステル >
7月7日を、人間はなぜか特別扱いしているらしいと聞いた。
酒場にもよくわからない細長い植物が置かれて、更にそこに紙を吊るしていた。
願いを書けば叶うと言われたが、そんなわけがないと一蹴した。
異世界になど、帰れるはずもない。
それだけで叶うのであれば、私の一ヶ月は一体何だったんだ。
そう叫ぶ以外に、できることはない。だから、願いなど掛けやしない。
「……結局、なぜ叶うか、聞きそびれてしまったな」
朽ちた境内。社の傍の石階段に腰を下ろした。
空を見上げる。星々が瞬いている。何千年も前のきらめきが降り注ぐ。
いまこの瞬間には、光を放っていた星はないかもしれないのに。
この地球には、光が届いている。
ご案内:「青垣山 廃神社」に簸川旭さんが現れました。<補足:黒髪痩躯の青年。制服姿>
簸川旭 > ある種のいたたまれなさがあって、逃げるように学園地区から飛び出してきた。
7月7日、七夕。この21世紀よりも前から、自身の生きた20世紀よりも前から続く風習。
「地球」の文化が連綿と生き続けている証だ。
それは、《大変容》の後の世界が、20世紀の自身の世界と連続している証拠で。
懐かしくもあり、同時につらくもあることだった。
だから逃げ出してきた。
七夕前日ならばまだマシだったが、当日ともなれば楽しそうに言葉を交わし、星に願いを託す人々を見てはいられなかったのだ。
学園地区より離れた開拓区。
青垣山は一種の異界と化していると聞いた。異能も何も使えない生徒が夜に行くべき場所ではないはずだ。
しかし、自分は逃げてきた。学園地区にはどこもかしこも人が溢れているから。
比較的安全な登拝ルートを通り、名も知らぬ廃神社へと足を踏み入れた。
この境内ならば誰もいないはずだと思ったのだが――
「あ……」
先客がいた。
朽ち果てた社の石階段に腰を下ろす者がいた。
明かりといえば星と学園地区の明かりぐらいなもので、あまり明確に風貌を認識することはできない。
座ってはいるものの、背の高い人物だというのはわかる。
「……邪魔だったかな」
すぐに踵を返してしまうのもバツが悪く、思わず口から言葉が出た。
シュルヴェステル >
「…………、」
目を丸くした。人の声が聞こえるとは、思いもしなかった。
常世島の中でも、どこか浮いたような雰囲気の場所に。
当然自分以外がやってこないと思っていたわけではないが、どうしてだか。
自分の居場所のように思っていたが、そんなわけがないと首を横に振った。
「ああ、いや、……邪魔では、ない」
引き止めるように思わず立ち上がってしまった。
190センチメートルを超える痩躯。立ち上がった勢いで、フードが落ちる。
黒いキャップだけを目深に被った、白髪の青年が少しだけ手を伸ばした。
なぜそうしたのかは、青年にもわからなかった。
「私以外、先客はない。……好きにして、構わない」
踵を返すも、廃神社への何用かを済ますも、と。
互いに互いの姿は十全に見えていない。人型と人型が、二人。
「……もし貴殿にとって私が邪魔であらば、私が改めよう」
簸川旭 > 立ち上がった人影は、長身痩躯の男――風貌や声からしておそらくそうだろう――のであった。
やや小柄な自分からしてみれば見上げるほどに高い。とはいえ、身長が高い程度ならばあまりこの島で驚くにことでもない。
フードが落ち、帽子をかぶった青年が星明かりなどに照らされてぼんやりと見えた。
白髪というのは珍しいものの、これもさほど驚くには値しない。
欧米の人間なのかもしれないし、染めているだけかもしれない。
見た目としては、ただ背の高い青年だ。
故に、旭はまだ平然と対応が出来た。
「……いや、別にそんなことは思っちゃいないが。貴殿って、随分と古めかしい言い方だな」
邪魔であれば改めようなどと言われれば、いやいや、と首を横にふる。
実際のところは一人に来たので邪魔といえば邪魔なのだが、そんなことを率直にわざわざ言うほどの豪胆さも持ち合わせてはいなかった。
「なら、好きにさせてもらう。……逃げてきたクチなんでね。今日は七夕だから、こうして星が綺麗に見える場所にいるのもまあ、いいだろう」
そう呟いて、石段を一段二段上がり、倒壊した鳥居のそばに立つと天を見上げた。
天の川が輝いている。
シュルヴェステル >
「……どうにも、『そうらしい』。
どうすらばそうならないのか、私には知り得ないが……どうか、寛恕願いたい」
シュルヴェステルは静かに頭を下げた。
ぱさりと白髪が、赤い血色の瞳を隠してから。
この島にやってきたときに掛けられた呪い――地球の言葉として、他者に異世界の言葉を認識させる魔術。
常世学園の誇る異邦人へのアプローチのいち手段は、淡々と古めかしい言葉を選び続けている。
じっと視線を向ける。人間か。
であらば、害さぬように、と再び目深にキャップを被りフードを被る。
これさえあらば、自分が異邦人とはわかるまい。
この世界では、悪しき怪物として扱われている種族だとは思うまい。
「逃げて。……学生街のほうから、だろうか。
諸事情あるとお見受けした。……ああ、あちらは、」
ちらりと目下に広がる学生街を眺める。
天の星々も輝いているが、地も人を輝かせる技術を持ち合わせている。
地の光は、きっと天の光を掻き消すほどに眩い。そういうものだろう、と頷き。
「あちらは、ひどく眩しい」
曖昧に、口元だけ笑ってみせる。
人の世に「いられなかった」同族であるのならば、少しだけ言葉も柔らかく。
簸川旭 > 「『そうらしい?』」
古めかしい言葉だと不思議がった自分への反応。
何のことかと少し考えたが、可能性も思い至る。
「翻訳魔術か……なら、仕方ないな。意味はわかるんだからそれでいい」
彼の意志で古めかしい言葉を選んでいるわけではないということであれば翻訳魔術なのだろうと推測した。事実はどうであるのかわからないが。
そうなれば異邦人なのだろうとすぐに理解する。
翻訳魔術によって口調には奇妙さが残るものの、見た目は普通の人間だ。
言葉のせいもあるだろうが、かなり丁寧で真摯な態度にも思えた。
だから、異邦人とわかっても、さほどの恐怖は得ることはなかった。
わずかに、身の震えは見せたが。
「ああ……眩しい。耐えられないほどに」
彼とともに学生街の方を見る。
天の星よりも遥かに明るく輝く世界がそこにある。
静寂はなく、光に満ちている。
自分には明るすぎる世界であった。
彼に合わせて笑みを作ろうとしたもののうまく出来ず、少し奇妙な表情になったかもしれない。
暗がりゆえに、ぼんやりとしか表情が覗けないのが救いではあった。
「どうやらお仲間らしいな、アンタも。まあ、こんな日にこんなところにいるんじゃ当たり前だな」
白髪の彼の方を見ながらそうつぶやく。
「まあ別に追われてるとかじゃないんだ。ただ、なんだろうな……皆が楽しそうにしているのに、一向に楽しめないままの自分が腹立たしくてね。楽しそうな笑顔を見るだけで腹が立つ。だから、逃げてきたんだ」
こんな日にこんなところにいるという彼に、ある種のシンパシーを覚えたのだろう。
相手が異邦人であれ――いや、むしろ異邦人だからこそ自分の立場に近い。
だから、聞いてほしくて。心の内を吐露していく。
シュルヴェステル >
それを一度で言い当てられたのは初めてのことだった。
そういうものがあると知っていることからして、何ぞの委員か、と推測こそするが。
それを確実とするものがない故に、深くは問わない。
これが借り物であると、先に知れているほうが幾分か気が楽だった。
「……仲間ができたのは、この島にやってきて初めてだな」
しんとした廃神社で、ぽつりと呟く。
異邦人。行く宛てを喪ったストレンジャー。無理矢理に片道切符を渡されたもの。
その中でも、大多数はこの世界に馴染む努力を――努力すら必要ないものもいるが――する。
自分の生活を人間の尺度に合わせて、自分のルールを人間の尺度に合わせる。
それを受け入れられない異邦人に出会うことは、今日までなかった。
対面する彼がそうであるにせよ、ないにせよ。
耐えられずに、世界の隅に逃げてくるような人物には出会ったことがなかった。
困ったようにキャップの下で眉を下げる。
「……腹立たしい? それは、何故。
それは、正しく貴殿の感じたものであるのなら、嘘をつく理由はないだろう。
……私は、この世界も、この島も。一度も、楽しいことなぞなかったとも」
静かに、それでいて柔らかく言葉を選んでいく。
言葉が交わせる相手。きっと近いものを見ているだろう相手に。
慣れない冗談すらも口にしてしまうのだ。
「では、笑顔は浮かべないようにしておこう」
簸川旭 > 「ハハ……悪かったよ、そういう意味じゃない。「この世界も、この島も。一度も楽しくなかった」なんて言うお仲間に笑うななんていわないさ。俺が見たくないのは、この世界で生きてる普通の奴らの笑顔だ」
ハハ、と口調してみせる。人の冗談で笑ったのは随分久しぶりのように思える。
「僕も同じだよ。この世界も、この島も。一度も楽しいなんて思ったことがない……ああ、だからアンタと僕は同じだな」
異邦人の多くはこの世界に馴染もうとするものだ。
郷愁に駆られないのかと思うこともあるが、前向きなのか、考えないようにするのか――とにかく、多くの異邦人はこの世界に馴染もうと努力するものだ、と理解している。
ここまで率直に、この世界で一度も楽しいことなどなかったという男に出会ったのは初めてだった。
自分と同じだ。
「……もしアンタが異邦人なら、俺の腹立たしさとか嘆きとか、そんなもの贅沢だと思われてしまうかもしれないが。
この世界に馴染んで、楽しそうに生きている人間が妬ましいというのかな……この世界をすんなりと受け入れてる奴らが嫌なんだ。俺が、いつまで経ってもこの世界を受け入れられないのを自覚してしまうから」
再び街の方を向く。随分と遠い世界のように思える学生街を。
「俺は「地球」人なんだ。この世界で生まれて育った。だから、異世界の人間じゃないし、言葉も通じるし、常識もそれなりに理解はできるつもりだ。でもね、生まれたのが《大変容》より前なんだ」
《大変容》は今から数十年も前のことだ。だから、自分の年齢が見た目通りではないのがわかるだろう。
「アンタが知ってるかわからないが、《大変容》より前は異能も魔術も異邦人も、存在しなかった……少なくとも、表側ではね。俺は色々あって、そんな時代から現代にいきなり放り出されたんだ。架空のものだと思っていた存在が実在する世界にね……だから、俺も異邦人みたいなもんなんだよ」
「……この世界を現実だと受け入れることが出来ないんだ。皆が当たり前だと思っていることが、理解できない。納得できない。全部、イカれてるように思っちまう。
アンタも……そうなのか?」
シュルヴェステル >
「……贅沢だなどと。
私の絶望も、貴殿の絶望も、それは同尺では計れまい。
故に、比較自体が無為だ。私も、貴殿も似てこそはいても、別だ」
静かに首を振ってから、旭の言葉を聞いていた。
時折「ああ」、「そうか」と相槌を邪魔にならない程度に挟みながら、
常世博物館の展示にあったものを少しずつ脳裏に思い浮かべていく。
《大変容》によって、地球は元来あった姿を喪った。
超常も、異世界も関係のない――きっと凪いだ水面のような世界だったのだろう。
それが、《大変容》でぐるりとひっくり返された。
あったはずの善悪の価値観も、人間の定めたルールもそこで大きく変容した。
そして、人々は順応していった。この世界にやってくる、大多数の異邦人のように。
「……ああ、すこしは。
博物館にも、幾度か足を運んだことがある。
元あった世界はなく、あったはずのものも書き換わり、地図も変わった」
青年にとって、知識としては理解できる。
《大変容》の前に生きていた人物が《大変容》を終えた世界に突如放り出される。
それは彼の言う通りに異邦人のようなものであるのだろう。
だが、知識としてわかるだけだ。
その悲痛さも、痛烈さも、苦しみも理解することはできない。
自分が経験したことがないから。彼の痛みをそのまま経験することはできやしない。
それでも。
「ああ」
短い肯定の言葉を告げてから、フードも、キャップも脱ぐ。
鮮やかな赤の瞳と、人間離れした白髪。そして、その白髪の間から覗く肌角。
「私は、悪夢を見ている。悪夢の中で、こうして、この夢を醒ます方法を探している。
……きっと、私は長い眠りの中にいるのだ。そうでも思わなければ、私は正気でいられまい。
正気のまま、誤魔化さずにこの世界と向き合っているのは、」
オーク種。本来、地球でなど見るはずのなかった種族。
武威に優れ、創造の情熱と活力を司る異世界に居を持つ種族の青年は。
「称賛に値する。……『聡き檻』は、貴殿に敬意を表する」
長身をかがめて、片膝をついてから顔を上げる。
地球にない、オークという種族が『同族』へと敬意を向けるときの所作。
一対の肌角の間に拳を寄せてから、まっすぐに《異邦人》へと視線を向けて。
「正気でいるのは、ひどく、苦しい」
ぽつりと、弱音のように漏らした。
簸川旭 > 青年は静かに相槌を打ちながら話を聞いてくれた。
初めてあった男の身の上話など普通ならば真面目に聞いてなどくれないであろうに。
彼は真摯に聞いてくれていた。
《大変容》によってすべてが変わった世界に放り出された自分。
常識も価値観も何もかもが異なる世界に投げ出された白髪の彼。
きっと似ている。彼には彼なりの悲痛が在ったに違いない。
この世界で楽しいことなど何一つなかったなどというくらいなのだから。
自分も、それを理解することはできない。似ていても、彼の悲しみすべてを理解してやることなどは、とても。
あくまで自分は「地球」に生き続けている。どれほど変わっていても、自分の故郷に生きているのだ。
今この世界が異世界であればどれほど良いか――そう思うこともある。
彼我の境遇は似ているようで異なる。きっと、彼の本当の苦しみを自分は理解できないだろう。
ああ、それでも。
帰ってきた答えは、心を同じくするものだった。
まさに自分がそう思ってきたことだった。
青年がフードを脱ぐ。帽子も取る。赤い瞳と白い紙、角さえも生えている。
彼がこの世界の普通の人間じゃないことがよく分かる姿だ。
自分が恐れる異界――《大変容》後のすべて――の存在そのものだ。
特徴からすればいわゆるオーク。強大な力を持つもの。時として、この世界から拒絶さえされてしまうかもしれない存在。
そんな彼が自分に敬意を表している。
今この世界に生き続けている自分を称賛してくれている。
片膝をつく仕草。正確な意味はわからないが、言葉からすれば敬意を示す行いなのだろう。
「……やめてくれ、俺は、そんなのじゃない。そんな立派なものじゃないんだ」
称賛に値するという言葉に静かに首を横に振る。
「俺はアンタが怖い。異世界の存在が怖い。それが溢れかえっている世界が嫌いでならない。アンタが言うように、これが夢であったらと思うことだって何度もある。
今だって気が狂いそうなんだ。どうしてこうなったのかって、思わずにいられないんだよ。
俺だって苦しい。このまま狂ってしまえば……あるいは、死ねばどれほど楽かとも思うさ。《大変容》で死んだ家族も友達のところに行けるのかもとさえ思う」
だが。
「……だけど、やはり死ぬのは怖い。俺がどれだけこの世界のことが嫌いでも、死ぬのは怖いんだ。俺の世界の何もかもがぶち壊されても……過去の遺物の俺が今の世界で生き続けていく。
これは、そうだな、強がりなんだよ。俺はこんな世界は嫌いだと言い続けてやるんだ。馴染めなくたっていい、それでも生きていけるなら……きっと俺は、狂っていないんだと思えるんだ」
弱音のように言葉を漏らす彼にそう告げる。
世界を受け入れられずとも、ただ生き続ける。それだけでいい。
ただ世界に負けたくないというような、そんな感情だけが自分を支えているのだと。
同じ《異邦人》の彼に、告げる。シュルヴェステル >
「未知がおそろしいと思うことを嘲笑うのは、人類種(ヒューマン)のお家芸か」
首を横に振る青年を見てから、ほんの少しだけ嘲笑の色を織り交ぜてから、言った。
わざとらしく、相手を『人類種』と、目の前の個人ではなくひどく大きな主語でもって呼び。
霊長類。万物の霊長と自分たちを類した人類の名でもって、名も知らぬ旭を呼び立てる。
「私は、人類種が嫌いだ。この世界が嫌いだ。
……人類種が王のように振る舞い、この世界で敵などないと思っている人類種が。
自分たちが圧倒的大多数で、少数に憐れみを向けながらも生存を盾にした妥協を強要する種が」
苛立ちを隠さない。旭の言動は、シュルヴェステルにとっては不快なものであったから。
シュルヴェステルという個人にとって、簸川旭の言動には文句がいくつもあったから。
とはいえ、そこに妥協をしない。絶対に、それでいいとは言わない。言わなければ伝わらないから。
言っても伝わらないかもしれなくとも、諦めたくはなかったから。……仲間だと、旭は言ったから。
オークは、認めた相手には妥協をしない。
互いの道がぶつかりあうのならば、武威でその道を開けるのみ。
ただ、今は暴力という手段ではなく、言葉という手段に置き換えているだけ。
「未知が恐ろしいと思わぬ種など、滅びを迎えるだけだろう。
未知を歓迎し、当然のように隣人とし、自らをそこに置けるような恐れ知らずは、
どれほど死にたくないと願っていようが死に失せるだろう。無知を知らぬ種など、衰退していくのみ」
気に食わなかった。
堂々と、この世界を嫌いだと、自分のことを怖いと語った相手が自らを認めぬことが。
嫌いでなにかを語ることのできる者が、この世界にどれだけいようか。
自分が、少しだけこの人類という種を好きになれそうだったというのに。
「私は、死ぬ手段を探している。そして、記憶を消す手段を。
オークは強靭。死すためにも選べる手段はそう多くはない。私が死ぬ方法は多くない。
……故に、記憶を消して、生まれ直すことも、いまは考えている。全てを捨てることを」
一拍。
「……それを、それを選ばぬ貴殿を嘲笑う者は、よくできた『人間』だろうな」
感情のままに、八つ当たりじみた言だった。
眉をひそめてから、重く沈むような溜息をつく。
きっと、『人間』たちは、いまもこの晩を楽しんでいるのか、と思うと。
どうして目の前の彼が報われないのか、同じ種であるというのに、と僅かに哀の色が滲んだ。
簸川旭 > 「……それがこの世界の「人間」だからな。自分が万物の上に立っていて、全てに優越していて。そう思っていなければ立っていられない。「未知」はきっと明らかになる、恐れずに進むべきなのだと。
俺たちは、自分たちが世界の支配者だと思わないと生きていけないんだ。この《大変容》の後デさえ、神や悪魔が実在した世界でさえ、そう思っている」
目の前のオークの言葉は苛立ったものだった。
人類種が嫌いだと、人類種が万物の霊長として振る舞うこの世界が嫌いだと。
旭にはそんな彼の言は理解し難い。人類とはそういうものだったから。
自分が無知だと認めることは、自分たちが取るに足りない存在かもしれないと思うことは、あまりに恐ろしい。
「未知は解き明かせる。たとえどんな理不尽があっても、それを解明して、自らの枠内に収めて生きようとする。それがまさに……この世界の「人間」だよ。
僕は無理だった。もう数年この世界にいるというのに、未知だった者たちが恐ろしい。この世界がおぞましい。アンタのいっていることだって、どこまで理解できているかわからない」
静かに目を閉じる。
「……そうか、アンタは死にたいのか。
すべてを捨てて、記憶を消して生まれ直す。
そうだな、この「未知」の溢れた世界で正気を保つならそうするしかないのかもしれない。
それが一つの選択肢だと認めることができない僕を愉快に思わないのは当然だ。
だけど、俺は保っていたいんだよ。自分の過去を捨てたくないんだ。死んだ俺の家族や友達と共にもう生きることはできない。
だが、俺はそれがあるからこそ生きていられる。自分の過去があるから生きていられる。
この世界で自分のまま生きていられる。それが僕なりの戦いなんだよ」
言葉を綴る。
彼の憤りに対しての返答になったかはわからない。
自分は、彼の憤りが正しく理解できていないのだから。
「……なあ、アンタのことはなんて呼べばいいんだ。《聡き檻》か?
俺は簸川旭。《大変容》の直後に眠りについて、全てが終わった後にこの時代で目覚めた浦島太郎さ」
浦島太郎。彼にそんな言葉を伝えても意味は理解できないだろうが。
「俺は別に報われなくてもいい。どうせ元の世界に戻るなんてありえないんだからな。
こんな理不尽な世界でも生き続けられたのなら、俺は俺の境遇にも負けはしなかった。
そう誇れる。そう自己満足できる。……何も楽しみがない世界なんだ。そういう楽しみを見つけたっていいだろ」
白髪の彼の憤りに自分は答えられない。
彼の価値観を理解することは難しい。だが、彼もまたこの世界を嫌いだといってのける男だ。
言葉は違えど、価値観は異なれど、同じ者がいたのだと嬉しく思えた。
そう行って、旭は石段を立ち上がった。
シュルヴェステル > 「であらば、貴殿は」
シュルヴェステルはオークという種であるし、異世界には同じような者もいる。
だが、この地球という世界で未知を恐れ、世界を恐れて生きると言っている男は。
「本当に、たった一人ではないか」
周りに理解してもらうことも、この場にいる時点で恐らくできなかったのだろう。
人間の世から逃げ、狭間の境界のような草臥れた廃神社に足を運ぶほどの孤独で。
それを、この同種族が山程いる世界で、たった一人で立ち続けるというのは。
それは強さではなく、諦めだ、とシュルヴェステルは勝手に――知りもしないのにそう思う。
怒りと悲しみが入り交じる。その違いも、シュルヴェステル本人はほとんどわかっていないだろう。
「襟を正すことは、できるのではないだろうか。
私は人間のことはわからない。人間とはわかりあえない。
だが、貴殿は人間で、人間同士でなら、『夢』を見たって……」
言葉にならない。オーク種が用いるコミュニケーションの手段は暴力だ。
だからこそ、本当に伝えたいことが出てきたときに、こうして不慣れに苦しむことになる。
苦しみながら、たった一つだけ。無理矢理にひねり出した言葉は。
「一つだけ、私の願いを聞き入れて欲しい。叶えて欲しい。
……貴殿が、貴殿のように、未知をおそれられる人間に出会ったら、私に教えてほしい」
七夕の夜に。風習など一つも知り得ない異世界出身のストレンジャーが、漏らす。
全てを抱えて生きていくという、自分よりもずっとおろかで、ずっと『善い』答えを抱いている彼が。
少しでも、この世界を嫌いにならないかもしれない相手に出会うことができたら。
自分に教えてほしい、と、青年は静かに口にした。
天の川の下で。あなたが出会えるかもしれない対岸の誰かを見つけて欲しいと。
「私が人間に、それを問うことはできない。
私は人間でなければ、この地球とやらのこともなにもしらない。
……それでも、人間の中に、私が嫌わないで済むような相手がいたらば、教えてほしい」
腰を上げてから、真っ直ぐに旭を見る。
『聡き檻』のシュルヴェステルが、人類である簸川旭へと、まっすぐに相対して。
「そうすれば、私も。……貴殿のように。
……私も、『人類』をおそれずに済む。隣人として、言葉を交わそうと思えるかもしれない。
だから……だから、どうか、貴殿が、(私の代わりに、)……。
よき出会いがあったと、希望を少しだけ、指の先ほどでいいから、分けてもらえないか」
小さく、力なく笑って。
「私も、死ぬのが怖いんだ。だから、そうしなくてよくなる未来を、探している。
……楽しみを見つけるついでに、私の未来も、……見つけては、くれないか」
黒髪の彼の姿は、どこからどう見たって人類のそれだ。
白髪の己の姿は、隠さなければ怖がられてしまう。
人間の世界で探しものをするのならば、彼のほうが役者に相応しい。
「私は――シュルヴェステルという。『聡き檻』の、シュルヴェステル」
簸川旭 > 「……」
今度は、彼の言葉に静かに耳を傾ける。
そう、たった一人だ。
自分が生きた世界のはずなのに。言葉も通じる、文化も理解できる。
だけれども、どうしてもこの世界を認めることが出来ない。
恐れることしかできない。自分の信じてきた何もかもが奪い去られたこの世界を。
だから、一人で生き続けると言う。理解されなくてもいいと、全てに希望を抱いていない。
自分はただの抜け殻のような男だ。そんな人間が強くあろうはずもない。
同じ種族で理解し合うことすら遠の昔に諦めてしまった。
そんな旭の姿は、まさにこの世界の絶望そのものだと、白髪の彼は思うのだろうか。
何をどうしても、わかりあえなどしない。希望など存在しない。
同種の存在であれそうなのだとしたら、異種は永遠に――
「……未知を恐れられる人間、か」
白髪の青年、オークが必死に言葉を伝えている。
もし、旭のように未知を恐れることができる人間がいれば教えてほしい、と。
星空の下、全てに絶望しきった男に青年が願う。
無限とも思える天の川の対岸で、わかり合うことのできる誰かの存在を。
白髪の彼は異邦の人だ。
旭は「地球」の人間であれど、この世界にただ一人だ。
それでも、自分にはできることがある。言葉も常識も弁えている。
それならば、できることがある。
「ああ……わかったよ、『聡き檻』シュルヴェステル。
もし俺が、この世界を嫌いにならないでもいいような……未知を恐れることので生きる人間に出会ったら、教えるよ」
長身痩躯の男と相対する。
異種でありながら、異なる世界に生きながら、『仲間』と自認した者。
少なくとも、旭はそう思っている。
「もしそんな良い出会いが……もしそんなことがあったのなら。
この世界でも、一人じゃなく生きていけるとわかったのなら。
……その希望を、アンタにも分けよう」
相手が力なく笑えば、こちらも皮肉げな笑いを返す。
まだ、心の底から笑うことはできないけれど。
「『俺達』が、死なんかを選んだほうがマシだというような未来じゃなく……。
……そうじゃないと思える未来を見つけよう。
やっと仲間に出会えたんだ。なら、それぐらいのことはやっていかないとな。
……なあ、シュルヴェステル。いつか俺たちも、「ヒト」になれる日が来るといいよな。
だって本当は……俺も、アンタも……希望を持って、生きていたいんだからさ。
『仲間』ならそれぞれ、できることをやるとしよう」
七夕の日に、『仲間』と思えるような存在と出会った。
出来すぎだな、と旭は自嘲気味に笑う。
神も悪魔も実在する世界だからこそ、本当の奇跡などこれまで信じることは出来なかった。
だが、今日ぐらいは――そういう物があっていいのだと、思った。
自分がこの世界に希望を見出すことが出来たのなら、同じ《異邦人》のシュルヴェステルも、少しぐらいは希望が持てるようになるはずだ。
彼の、ただ一つだけの願い。旭はそれを受け入れた。
彼のためではない。そう願われたことによって、自分の少しだけ前へ進もうと決めることができたのだ。
人間同士なら『夢』を見たっていい。シュルヴェステルが言いかけた言葉だ。
シュルヴェステルと『人類』がきっとわかりあえる、などと無責任に言い放つことは出来ない。
自分自身、今の世界と、人類と、わかりあえていないのだ。
だが――そう、希望は示すことはできるはず。
もしそれを、シュルヴェステルに示すことができたのなら……自分も、ほんとうの意味で生きていけるはずだ。
「『仲間』が楽しめない世界じゃあ、俺も楽しくないからな」
同情や憐憫ではなく。
最後にそう言葉にして、旭は寂れた神社の石段を降りていく。
シュルヴェステルに背を向けて去っていく。
自分は『街』へと帰る。『人類』が住まう領域に。
たとえどれほど世界から阻害されているように思えても、自分は「人類」の形をしている。
ならば、『仲間』たのめに……否、自分自身の楽しみと、未来のために。
できることを、するだけだ。
シュルヴェステル > 「――……、(つたわっ、た)」
シュルヴェステルは。
何度も何度も何度も繰り返し、伝わらない言葉に何度も絶望し。
歩み寄れない価値観に苦しみながら、それでもいまこのときだけは、初めて。
この島でたった一人、『言葉』を交わせる相手がいて、慣れぬ手段でも想いを伝えられた。
立ち尽くす。拳を強く握りしめて、膝を僅かに震わせる。
隠せているだろうか。恰好がつかなくは、なっていないだろうか。醜くは、ないだろうか。
愚かであるのだろう。だが、その愚かしさを自分がいま、自覚できていることが。
(ああ、何よりも――救いであることだ)
コミュニケーションや会話に長けた人類と話をしてきたつもりだった。
異邦人とも、言葉を交わしてきたつもりだった。そのどれもで、伝わらなかった。
わかってもらえなかった。……それでも、諦めずに必死で足掻いて、苦しんだからこそ。
想いが伝わったことが、心の底から――嬉しかった。
同じ悩みを抱える者が、自分ひとりではないことが。
たった一人で抱えていたと思っていた苦しみが、自分以外も背負っていたことが。
……そして、言葉を交わすことを諦めない、と言ってくれたことが。
「感謝する。……はらから、簸川旭」
声は震えていた。そして、言葉はとうにシュルヴェステルの中では意味をなさない。
けれど、顔をくしゃくしゃにしながら、泣き笑いのような表情を浮かべ。
「……ああ、『筆舌に尽くしがたい』とは。
このようなときに用いられるのだろう。ああ、実に、実に。……素晴らしい、言葉だ」
この想いの丈を、他人に伝えることができるのだから。
言葉にならない、という言葉があるおかげで、このこみ上げる熱を目の前の彼に伝えられる。
「私は」
鼻を少しだけ鳴らしてから。黒いキャップを深く被って、目元を隠す。
フードをまた被り直してから、少しだけ、笑ってみせる。彼に隠したいのは目元だけだ。
幸い自分は、『人間』である彼よりもずっと頑丈にできている。一度や二度で、オークは死にやしない。
地獄の王の名前を戴く種族にできることは、きっと人間にはできぬこともいくらかあるはずで。
「貴殿が、恐れながらも――『仲間』と呼べるかもしれない者を。
……私は、探そう。……私も、言葉を、交わそう。
この世界のルールが、少しだけ変わるように。この世界が少しだけ変わることを願って、
『既知』であれば、恐ろしくも畏れることが、できるはずだから」
スニーカーが、境内の砂利を踏んだ。石と石が擦れる音がしてから、踵を返す。
『荒野』へ帰る。『人外』の住まう領域に。
獣道を辿って、人ならざるものたちの歩んだ道を再び追いかけ直すように。
同一になれないことは、もうわかりきっているのだから。自分のかたちが、『こう』であるのだから。
彼の『未知』が『既知』になることを願って。『既知』を増やして、ただしく畏れられるように。
――言葉は、意味を産み落とした。
「では、『また』。……よき隣人、旭よ」
ご案内:「青垣山 廃神社」から簸川旭さんが去りました。<補足:黒髪痩躯の青年。制服姿>
ご案内:「青垣山 廃神社」からシュルヴェステルさんが去りました。<補足:人間初心者の異邦人。人型。黒いキャップにパーカーのフードを被っている。学生服。後入り歓迎してます。>