2020/07/16 のログ
ご案内:「学生通り」に簸川旭さんが現れました。<補足:黒のジャケットに黒いタートルネックの顔色の悪い青年>
簸川旭 >  
「シャボン玉」という童謡がある。
自分が生きた時代でも、作られて80年ほどが経っていた古い歌だ。
歌詞の内容はどうにも悲しいもの。ジャボン玉が屋根まで飛んで壊れて消えてしまう。また、飛ばずに消えてしまう――
たしか、生まれてすぐに死んだ子供のことを歌ったのだという話もなんとなく聞いたことがあった。
本当にそうだったのかは今となっては誰にもわからないだろうが。

駄菓子屋の前でストローでシャボン玉を噴く幼い生徒――日本本土で言えば小学生ほどの年齢だろう――の姿を見て、とにかく、そんな歌の存在を思い出した。

簸川旭 >  
学生街の片隅、日本駄菓子文化研究会という部活によって作られた「レトロ」な駄菓子屋があった。自分の時代でもやや古めかしいと思えるような店だ。
かつて日本に存在した――今も存在するのかもしれないが、自分は目覚めてから本土に赴いたことがないのでわからない――駄菓子屋をこれでもかと再現しており、それを見ただけで懐かしさで胸がいっぱいになってしまった。
店員はもちろんこの「時代」の学生で、自分と同じ「時代」を生きた人間ではない。この駄菓子屋も、かつての日本の文化を再現した模造に過ぎないが、それでも胸には懐かしさがこみ上げてきた。
そして目に入ったのが、シャボン玉を噴く幼い子どもの姿である。あのぐらいの年齢のときならば、たしかにシャボン玉を飛ばしたこともあったろう。
そんな光景に釣られ、脚は自然と店内に向かっていた。

簸川旭 >  
扉の開け放たれた入り口をくぐれば、まさしく駄菓子屋といった光景が眼前に広がる。
並べられている駄菓子やくじ引きの類はどれもこれもよく再現されていた。
酢イカ風の駄菓子、極彩色のゼリー、必ず当たりがついているチョコレート棒、ラムネ、アイスクリーム、ラーメン風のスナック、安価なおもちゃの類、昔のアイドルのブロマイド……などなど。
自分の時代でさえどこか懐かしさを覚えるようなそれが溢れていた。
大人になってから駄菓子屋の中を歩き回るのは初めてのことだった。思いの外狭い。
時折、せり出した歌詞の袋などに服をひっかけそうになりつつ、幾つかの駄菓子を手に取る。
が、すぐにそれらはもとに戻していく。菓子を食べるという気分でもなかった。

簸川旭 >  
そんなときに目に入ったのが、シャボン液をストローにつけて、シャボン玉を吹き出す玩具であった。
そう、先程店の前で幼い生徒が遊んでいたそれだ。
玩具が並ぶコーナーに置かれたそれを手に取ると、店の奥の店員の部員の前まで向かう。

「すみません、これ、ひとつください。後……ラムネも」

シャボン玉を吹き出す玩具とラムネを購入し、店の外へと出る。
大の大人がシャボン玉の玩具を買うなど、自分の生きだ時代では奇妙に思われたかもしれない。
だがここは常世学園――そして、《大変容》後の世界だ。
容姿と実際の年齢の違いなど些末なことだろう。

店先に出ると、早速シャボン玉の玩具を取り出し、ストローをシャボン液につけて、いくつかのシャボン玉を吹き出す。
七色の輝きが空へと昇ろうとする。
しかし、それらはすぐに風に吹かれ、壊れて、消えた。
思い浮かぶのはあの歌。

簸川旭 >  
――先の、「シャボン玉」の実際の作詞者がとういった意味をもたせていたのかはわからない。
だが、自分にとってはそのシャボン玉が――泡沫が、《大変容》前の、自分の世界だった。
《大変容》が起こった時、自分は17歳だった。弱冠17歳、ただの高校生だったのだ。

世界の裏側には魔術があり、異能を持つごくわずかの人間がおり、多くは隠れたか別の世界に移っていたといわれるが、神や悪魔のようなものだって実在していた。
そんなことは知らなかった。知るはずもない。
知らないのならば、存在していないのと同じだ。自分の「世界」には魔術も異能も異世界も存在していなかったのだ。

シャボン玉は消えた。
生まれて17年、日本に生まれてごく普通に生き、ある程度希望だって持っていた。
紛争や事件に巻き込まれたわけでもない。家族のことも友人たちのことも好きだった。
幸せな境遇のもとに生まれたといってもいいだろう。

だが、そんな自分のシャボン玉は――世界は、《大変容》という風に吹かれてあっさりと消し飛んだ。
生まれてすぐに、壊れて消えたのだ。
これから広い世界に飛びたとうとしていたというのに、あっさりと壊れて、消えた。
それほど儚く、脆く、不安定な世界。それが自分の生きた現実だったのだ。
故に、自分に残されたものはなにもない。

簸川旭 >  
恥も外聞も自分にはもうない。
大の男がシャボン玉を吹いて歩くなど、自分の生きた時代の日本ならば奇異に思われただろうがここは常世島だ。
海の果て、弱水の海を超えた彼方にある「常世の国」――自分にとってはまさに「異世界」にも等しい場所。
ならば、大の男がシャボン玉を吹いてみたとて何のこともないだろう。
ぽぽぽ、とシャボン玉を吹き出しながら空を眺めていく。

「何をやってるんだか」

と、思わずひとりごちる。
この世界を理解する。自分が嫌いにならないでいい「誰か」を探すと決めたのに、結局はこうして郷愁めいた感情に揺さぶられている。
シャボン玉などに自分の境遇を重ね合わせ、嘆こうとしている。
普段、あまり市街地を歩き回ることはない。にもかかわらず、今日は出てきている。
それは、今更ながらではあるが――この島を、世界を知るためなのだ。

店先のベンチに座り、シャボン玉を噴きながら、学生街を歩く人々を眺める男が、ひとり。

簸川旭 > 空に浮かんでは消えていくシャボン玉と、道行く人々を眺めてからしばらくの時が経っていた。
シャボン液の入っていた容器はすでに空だ。

「……行くか。ここでこうしていても何にもならないからな」

咥えていたストローを口から話し、シャボン液の容器諸共店先のゴミ箱へと捨てる。
この世界のことは嫌いだ。まだ好きになれるような、そんな経験を自分はしていない。
それでも、青垣山で出会った彼と約束したことが有る。
ならば、動かねばならないだろう。

たとえ、吐き気を催しても。嫌悪感を隠すことはできなくとも。
未知を、少しでも既知に近づけていくとしよう。
まだ足を踏み入れたことのない、この学園/島のどこかに向かって。

ベンチから立ち上がると、痩身で顔色の悪い男がふらふらと歩き始めた。
その足取りが向かう先は、何処か。

ご案内:「学生通り」から簸川旭さんが去りました。<補足:黒のジャケットに黒いタートルネックの顔色の悪い青年。後入り歓迎。>