2020/07/21 のログ
ご案内:「特殊領域第二円」に神樹椎苗さんが現れました。<補足:黒基調の衣服、スカート。怪我だらけの自殺癖。>
神樹椎苗 >  
 光に囲まれたモノクロの世界。
 落第街の中をコソコソとくぐり抜けて、椎名は再び、この場所へとやってきていた。
 第二の領域を踏み越えるために。

『────────』

「今更ってやつですよ。
 目的は同じじゃねえですか」

 声無き声に返しながら、椎名はそそり立つ光の前でゆっくりと息を吐く。
 間違いは起こらないだろうが、それでも無感動でいられるほど麻痺はしていない。
 想定通りに行かなければ、領域の中で彷徨い続ける事になるのだ。

「──問題は時間制限ですね。
 しいの体が保つのは、せいぜいが数分ってところです」

『──────────』

「信じてはいるのです。
 けどこればかりは、計算しきれないところですからね。
 頼りにはしてますが」

 領域内での時間経過が、現実と異なっているのは把握している。
 けれど、その違いはその時々によって変化してしまうのだ。
 場合によっては──時間切れも十分にありえる。

神樹椎苗 >  
「分の悪い賭けですね。
 負けたら、しいは終わりでしょう。
 死ねないまま、壊されるでしょうね」

『─────』

「わかってますよ。
 それでもやる理由はあるのです。
 結末に何一つ、関われなかったとしても」

 『彼女』のために何もしなかったのなら、きっと後悔するだろうから。
 椎苗は手の届く相手はけして見捨てない。
 相手が望んでいないとしても──自分の為に身勝手に助けるのだ。

「あいつを終わらせるのなら──しいでありたいですからね。
 そうでなくともせめて、見届けるくらいはすべきです」

『────』

「どうなんですかね。
 こんな感情は初めてですから、わからねーですよ」

 瞳をとじて、胸の前で手を組む。
 祈りを捧げるように、悼むように。

「──生は死と共に在り。
 ──祝福は安寧をその身に宿す。
 ──死を想え。
 ──死に眠れ。
 ──吾は黒き神」

 渦を巻く黒い霧。
 右目に灯る、黒い炎。
 死神を宿した小さな身体は、その瞳で光を見上げた。

「──往くか」

 椎苗の意識を奥底へと沈めて。
 黒き神と呼ばれる死神は、光の中へと踏み入れた。

神樹椎苗 >  
 ──そこは神殿だった。
 清らかな河の中に浮かぶ、イグサの茂る小島。
 なだらかな丘の上に建つ、小さくとも厳かな神殿。

 神殿の中には美しく磨かれた祭壇があり、その前には神官らしい装束の少女がいた。
 跪き祈りを捧げる姿は美しく、そして儚くもあった。

(──そうか。
 これはあの日の再現なのだな)

 少女の名はトト。
 名すら奪われた神の最後の信徒であり、最も敬虔なる神官だった。
 そしてこの時は、世界から排除される直前の光景だ。

『ああ、我が神よ。
 なぜあなたがこのような仕打ちを受けなければならないのですか。
 誰よりも人々を想っていたあなたが、なぜ』

 トトは行き場のない感情を湛え、悲しげな顔を上げた。
 その先には黒き装束の影が一つ。
 その力の殆どを、存在する意味を、名を、奪い尽くされた神格の残滓。

『人間が吾を必要としなくなったのだ。
 死の恐怖を与える悪神など、誰も望まぬのだろう』

『そんなはずはありません!』

 少女が声を上げる。
 その声は痛みと悲しみが滲んでいた。

神樹椎苗 >  
『私達人間が人間らしく生きられるのは、死後の楽園が約束されているからなのです。
 楽園へ至るために、人間は懸命に生きる事ができるのです。
 あなたが世界を去り、死を失えば、人間はきっと堕落してしまう。
 死を想う事を忘れ、生きる事を軽んじる様になるでしょう』

 トトの言葉は、真実だろう。
 この世界は、生を司る神と、死を司る神、その二柱によって成り立っていた。
 常に傍らにある死を想い、畏れるからこそ、人々はその日を大切に生きていた。
 死の神によって楽園へ導かれる事が約束されていたからこそ、人々は未来を恐れず懸命に歩んでいた。

 生と死。
 それはどちらか片方では成立しない概念だ。
 ゆえに、死を排除すれば、残るのは形だけの生。

『それでも、人間は死の恐怖を捨て去る事を選んだ。
 ならば、吾はこの世界にはすでに必要のない存在だ。
 トト、お前も吾でなく、生の神へ仕えるがよい』

 そう神が告げると、トトは立ち上がり、泣きだしそうな顔で訴える。

『それはあり得ません!
 私が仕える神はあなただけです。
 私はあなたの司る『死』にこそ救いを得たのです。
 私が今も、こうして日々を生きていられるのは、死を想うあなたの教えがあったからに他なりません!』

 トトの懸命な言葉は、神を震わせる。
 最後に残った信徒は、本当に、どこまでも純粋に神の教えを信じていた。
 その信心に、しかし神は、もはや応える術を持たない。

神樹椎苗 >  
『吾はもはや、神としての力も持たぬ。
 お前の信仰心に、報いてやることも出来ぬ身なのだ。
 やつであれば、お前の事も迎え入れるだろう。
 お前もまた、やつへの信仰心も持っているはずだ』

『あの方もまた、私の敬愛すべき素晴らしき神です。
 ですが、私がお仕えするのは、あなた以外にはありえません。
 私のこの身、この魂、全てをもってあなたにお仕えする。
 それこそが私の『生』であり、道なのです』

 トトの想いは本物だった。
 だからこそ神は、突き放すことも出来ず、そして連れていくことも選べなかったのだ。

『――ならばこそ、お前はこの世界で生きるべきだ。
 正しく死を想う事の出来るお前だけが、何時か訪れる生の堕落を、循環の停滞を、正しく導く事ができるだろう』

 トトへと振り返り、神は一振りの鎌を差し出す。
 それは神が魂を安寧へ導くために振るっていた、神器の一つ。
 あれも、これも、と奪われつくした神に残った、数少ない力の一片。

『お前が語り、遺し、伝えていけば。
 この世界は、人の手で紡いで往けるだろう。
 そのために、お前にこれを託す』

 トトは、その鎌を恐れながらも恭しく受け取った。
 そして愛しきものを想うように、その腕に抱きしめる。

『私はけして忘れません。
 あなたの教えも、あなたと言う神がいた事も――』

 トトの泣き出しそうな顔は、急速に遠のいていく。
 そう、これが神と少女が交わした最後の言葉。
 満足な別れも告げられず、神は世界を去り、寄る辺を失ったのだ。

神樹椎苗 >  
(――ああそうだ、だからお前は)

 目の前に少女がいる。
 かつて神に仕えていた敬虔な信徒は、一振りの鎌を持って、その刃を『椎苗』の首へと押し当てていた。
 その瞳に映るのは、絶望か、憎悪か。

 神に見捨てられ、信ずるものを失った少女がどうなったのか。
 幾度、幾日、幾年、考えたところで知る術はない。

(吾を憎むか。
 吾を恨むか。
 ――ああ、それも当然だろう)

 神は、最後の信徒を見捨てたのだ。
 共に世界を去る事も出来ただろう。
 従者として傍に置くことも出来ただろう。

 けれど神は、それをしなかった。
 少女の信仰心に報いることができず、逃げ出したのだ。
 愛する民を、先の見えない旅路に連れ去る、覚悟も出来ず。

(そうだ、吾はお前に報いることができなかった。
 ただ、吾のすべき役割を押し付け、一人取り残し、重責を負わせた。
 人には過ぎた重荷と知りながら)

 その神も、今はすでに残骸となり果てた。
 神としての格は地に落ち、肉体も朽ちている。

(吾はすでに、神ですらない。
 だが――しかし、それでも。

 吾を神と呼ぶ娘がいる。
 吾を必要とし、信仰するものがいるのだ。
 そう、かつてのトト――お前のように)

 鎌を持つ少女へ、ゆっくりと指先を向ける。
 地に落ちた神格に、それでも残った、始まりの権能。

(なれば、その望みを叶えてやらねばならぬ。
 信ずるものを救えず、導けず、何が神と云えるのか。
 吾は今度こそ、報いてみせると決めたのだ)

 そして指先へ炎が灯る。
 かつて死を司る神として、魂を送った葬送の黒き灯。
 それを、かつての信徒へと向けた。

(――恨むなとは言わぬ。
 そして吾は、いつかその罪を贖わなければならない。
 だが、それは今ではないのだ――今再び、さらばだ、トトよ)

 世界が砕ける。
 すべてが泡沫へと消えていく刹那。
 少女の幻影はわずかに、微笑んだように見えた。

神樹椎苗 >  
 目が覚めれば、そこはまたモノクロの世界だった。
 そこには誰もおらず、新たな光が立ち昇るだけでしかない。

「――時間切れ、ギリギリでしたね」

 足元に倒れている自分の死体を見下ろして、大きくため息を吐いた。
 どうやら賭けには勝てたようだった。
 椎苗の意識は、光に踏み入る以前と変わらない。

『――――――』

「疑うわけがねーのです。
 ただ、物事はそう上手く運ばないのが常ってもんですからね」

 椎苗はそのまま、新たな光へと歩み寄る。
 これが後どれだけ続くのか。
 蓄積された情報によれば、観測されているパターンはあと二つのはずだが。

「――後悔、してるのですか」

 静かに問いかける。
 答える者はいない。

「しいには、神様の気持ちなんてわかりはしねーです。
 しいは、そのように祀られてただけですからね」

 愛し育んだ世界を去らなければならない悲しさも。
 愛おしい民から排斥される苦しみも。
 椎苗には一つだって、理解することは叶わない。

「ですが、信じた人間の気持ちなら、解らなくもねーです」

 その少女はきっと、共に往く事を望んでいただろう。
 その少女はきっと、神の手で送られたかっただろう。
 その少女はきっと、信ずる事をやめなかっただろう。

「――恨んでなんか、いねーですよ。
 今でもきっと、信じ続けています。
 それだけは、間違いないと断言してやります」

 信じた神に、役割を託されて。
 それを頼りに、いつまでも信じ続けていたのだろう。
 信仰が失われれば、神は存在しえない。
 かろうじて、その残滓であっても未だ存在しているのが良い証拠だ。

「そいつには、感謝しないといけないですね。
 そうでなければしいは――ずっとあのままだったでしょうから」

 空虚な操り人形。
 教団の次は神木の、中身のないただの木偶として、利用され続けるだけだっただろう。

『――――――――――――』

「知らねーですよ。
 そんなの、いつか自分で確かめやがればいーのです」

 そして椎苗は踵を返す。
 次は次で、備えをしなければならない。
 このまま向かうのは、無謀だと判断して。

『――――――』

「何回言えばいーんですか。
 しいは、敬虔じゃないかもしれないですが。
 過去の女に負ける気はねーのですよ」

 そして、振り返らずに戻っていく。
 また一度、光に呑まれて。

ご案内:「特殊領域第二円」から神樹椎苗さんが去りました。<補足:黒基調の衣服、スカート。怪我だらけの自殺癖。>