2020/07/22 のログ
ご案内:「カフェテラス「橘」」に簸川旭さんが現れました。<補足:黒髪痩躯の青年。制服姿>
簸川旭 > 今日は特に何かをするわけでもなかった。
いつも特別何かをしているわけではないのだが。
試験期間も終わったものの、もとより卒業する気もない。修業年限もすでに一年過ぎている。
学外での経済基盤が存在しないため、卒業しても行く場所などがない。
そのように申告しているため、しばらくはこの学園に居ることもできるだろう。
どうせ、どこにも帰る場所はないのだ。
カフェテラスで一人カフェオレを飲みながら、そんな事を考えていた。
出会った異邦人、異能者――多少なりとも、彼らに触れて、彼らもまたこの世界に生きる存在なのだと今更ながら認識はし始めている。
しかし、それでも自分の時代とは違うのだなどと素直に受け入れることも出来てはいない。
まだ、この世界で生きていたいと思うには難しい。
だが、この人の多い時間帯でも外に出てこれるようにはなったのである。
少しはこの世界への嫌悪感も減ったのであろうか――自分では、わからないが。
簸川旭 > 先日出会った異能者の女子学生――忍者といっていた――には、悪いことをしたのかも知れない。
自分にとっては異常極まりないこの世界だが、彼女たちにとっては異能もまたこの世界の一部なのだ。
異能者が島外で完全に受け入れられているわけではないということは、こういう学園が存在していることが何よりも証明してはいる。
だが、自分は島の外を見ていない。ニュースなどで知ってはいるが、今この島の有様がこの世界の縮図だと考えている。
どうせこの学園から出てもどこにも行く宛もない身である。外に出たとしても野垂れ死ぬだけだろう。
だからこの島の外も、世界の全ても知ろうとはしていなかったが――
「目を向けるべきなのだろう。
この世界で生きていくためには」
一人、つぶやく。
からり、とグラスに入った氷が音を立てる。
だが、外を知ることで、より自分がこの世界にとっての異邦人であることを自覚することになるかもしれない。
どこにも行き場もなく、自分が信じていた常識や真実が墓場に眠っているものなのだと改めて認識するだけなのかも知れない。
――それに、まだはっきりと知ろうとしていないことがある。
家族や友人の死についてだ。
簸川旭 > 家族が友人が死んだということに疑いを持っているわけではない。
自分の住んでいた日本の街は、《大変容》に伴う災異で滅んだと聞いている。
生存者は、いないらしい。
家族の死に目に会えなかった。
もちろん、《大変容》が怒らず普通に生きていたとしても、死に目に会えるとは限らないだろう。
だが、世界のすべてが変容してしまうような形での別れなど、勿論想像してもいなかった。
このような異常な世界なのだから、どこかで生きているのかも知れないという淡い期待も抱いていた時期もなくはなかったが、そういった儚い希望はすでに捨てた。
そのような儚い希望を追い求められるほど、自分の中に熱など残っていないということなのだろう。
あるいは、何も信じられなくなってしまったか。
「門」が開き、異界の存在が現れ、自分の住んでいた地域は滅んだという。今は復興しているらしいが、すでに自分が知っている街とは変わってしまっているだろう。
自分は「異能」の力が生き残ったらしいが、その詳細を知っているわけではない。ただ、目覚めたらこの島にいたのだ。
家族の死も、異能も魔術も異世界も現実のものとなったこの世界――どこまでも現実感がない。
だから、それが現実だと思うためには、向き合うしかない。
家族が、友人が。
自分の世界が。
どのように死を迎えたのかを。
グラスに口をつけて甘苦いカフェオレを飲んでいく。
自分が向き合おうとしているもののことを考えると、とても平静ではいられない。
ご案内:「カフェテラス「橘」」に日下部 理沙さんが現れました。<補足:ラフな格好。眼鏡。背中から大きな翼が生えている。>
日下部 理沙 >
丁度、それは……カフェオレのグラスの氷が軽く音を立てた時だった。
思索する男の顔に、大きな影が落ちた。
「あー、すいません……その、相席良いでしょうか?」
影の正体は……手にサンドイッチセットが乗ったトレイを持った人物。
茶髪を軽く後ろで縛り、眼鏡を掛けた青い瞳の青年。
常世島では珍しくもない風貌の青年。
だが、一つだけ特異な特徴があるとすれば……その背には、一対の白く大きな翼が生えていた。
大きな影を落としていたのは、『それ』だった。
「他の席……空いてないみたいで」
青年は申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべて、そう軽く頭を下げる。
見れば、確かに店内の他の座席は埋まっていた。
簸川旭 >
「ん……?」
考えているところに、ふいに顔が影で覆われた。
そちらの方を見てみれば、手にトレイを持った青年がいた。
容貌事態は特に不思議に思うところはない。自分が生きていた時代の人間と変わるところがない。
だが、一つだけ異なる点があった。
その背中に、翼――鳥か天使か、そういったものをイメージさせる翼が生えていた。
「……あ、ああ」
相席してもいいか、という言葉に思わず動揺する。
亜人種――こういった言葉は差別的だと言われるかもしれない――的な特徴を持つ存在はこの島でも少なくない。
だが、大きな翼を持つ、それ以外は普通の人間だという青年には少なからず動揺を得ることとなった。
なるべく平静を装いたかったものの、難しかった。
「構わないよ」
周囲を見回し、たしかに他に席はなさそうなことを確認する。
グラスを自分の方に引き寄せ、机の上に翼の生えた青年のためのスペースを作る。
日下部 理沙 >
「すいません……ありがとうございます」
改めて少し深く頭を下げて、青年は対面に座った。
そして、徐にテーブルの上を見渡して……少し、溜息を吐く。
視線を彷徨わせた先は、テーブルの隅だった。
「あー、ここも喫煙席なくしちゃったのか……」
小さな声でそう独り言を呟いて、青年はセットのアイスコーヒーを一口だけ飲んでから、眼鏡を掛けなおした。
どこか、申し訳なさそうに。
「すいません、羽根とかは多分落ちないと思うんで……御勘弁頂けると」
相席した男の一瞬の動揺に勘付いたのか、青年はまた申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
ある程度、『そういった対応』をされることは……慣れているのかもしれなかった。
「異邦人席とかがある店を選ぶべきなんでしょうけどね……ははは」
昨今、そういう風に店内で『棲み分け』を実施している店は少なくない。
喫煙者と他が分けられるのと、同じように。
簸川旭 >
「いや……大丈夫だ。」
動揺を見せてしまったことに気づかれただろうか。
何やら気を遣わせてしまったらしい。
自分にとっては『異形』としか捉えられない――あるいは、天使や異邦人、そんなところに見える――が、人となりは普通に見える。
同じ人間の姿をしているだけに、その翼の異様さはより際立つように見えた。
恐ろしい。彼のような存在は、自分の「時代」にはいなかった。
思わず、顔を反らす。おそらく自分を害することなどはないだろうが。
「……気にしなくてもいいだろう。単に横幅がデカいだけだ。
それぐらいのことなら受け入れてくれるんじゃあないのかね、この島は」
申し訳無さそうに言う彼の様子に若干の気まずさを覚え、そのように答えた。
「異邦人なのか? 翻訳機の類は……なさそうだが」
このまま黙ってカフェオレを飲んで去る事もできたが、自分はこの世界を知ろうとしている。
ならば、ここで逃げては何も変わらない。だから、言葉を掛けた。
言葉をかけたあとに、もしかしたらデリケートな話題だったのかもしれないとも思ったが、今更どうしようもない。
日下部 理沙 >
「あ、いや、まぁ、異邦人じゃあ……ないんですけどね、ははは」
歯切れ悪く頭を下げて、青年は苦笑いを漏らした。
間を稼ぐように、控え目にサンドイッチを齧る。
パンはもう乾き始めていた。
「異能で、こうなってるだけでして……!
引っ込めたりもできないから、まぁ、なんか、『異邦人』と間違われるんですよく。
お店でも、異邦人席に当たり前に案内されるから……もう、それでいいかなって」
顔を逸らす男と同じように、青年は目を逸らした。
互いに、視線を顔も合わせず、話を続ける。
冷房の音が、嫌に大きく聞こえた。
「俺の方が『変』なんだから、そのへんは……なんというか。
受け入れてもらうためには、仕方ないんです」
青年もまた、気まずそうにそう語る。
横幅を狭める為か、背の翼は縮こまっていた。
「なんか、すいません!
初対面の方になんか愚痴っぽいこといっちゃって! はははは……!」
取り繕うように、青年は明るい声で笑う。
ヘタクソな作り笑いだった。
簸川旭 >
青年の言葉をきいて、ちらと巨大な翼を見る。
なるほど、たしかに異邦人としての特徴のように見える。
異能といえば特殊な能力なイメージを持っていたが、こういった肉体の変異もあるということを知ることができた。
「……なるほど。そういうことか。
いや、僕もそういうことを知らずに……悪かった。
だが、受け入れてもらうために仕方ないというのは……気に入らないな」
異邦人と間違われるということ。それはこの世界にとっての外なる者であるということだ。
自分も、何かそういった特徴を持っていれば、この時代の人間とは異なるのだとすぐに判別できただろうか。
――無理だ。魔術も異能の存在を知らなかった者を示す外的な特徴などあるはずもない。
そんな事を考えていると、思わず率直な言葉が出てしまった。相手の苦労も苦しみも、自分は知りもしないというのに。
冷房の音が大きく聞こえる。なんとも気まずい空気が流れている。
「無理に笑わなくてもいい。僕も今は、心の底から笑えることはあまりなくてね。
……そうか、アンタも。この世界に生きづらさを感じているとか、そういうことか。
僕もなんだ。アンタとは逆だが……僕はこの世界を受け入れようとしている」
相手の方からそういった踏み込んだ話をしてくれるならやりやすい。
こちらの話も十分んできるというものだ。
日下部 理沙 >
「お気遣いありがとうございます……まぁ、はい、生き辛いですね」
そう、青年は笑おうとして……やめた。
相変わらず目は合わせず、控えめにアイスコーヒーを啜る。
水嵩は、まるで減らなかった。
「俺も気に入らないんで、色々頑張ってはいるんですけども……まぁ、なんというか、気の持ちようですね多分。
なんだか、責められてるような気がしちゃうんですよ。
見た目が見た目なんで」
ただの被害妄想の場合が実際は大半である。
だが、事実として……『見た目通りの活躍』を期待される事も当然ある。
そう言った期待に応えないでいることは、青年には苦しかった。
「俺、この翼じゃ飛べないんで……魔術で無理矢理飛べるようにはしましたけど。
『なんだ、飛べないんだ』とか言われるのも嫌なんで」
冷房の音が、大きかった。
今度は青年のグラスのアイスコーヒーが崩れて、音を鳴らした。
「すいません、自分語りばかりしちゃって……!
えと、アナタはそうなると……何かしら異能や境遇などで御苦労を?」
男が呟いた『アンタも』という言葉に、青年は反応した。
その言葉は、目前の男も何かしら抱えている事の示唆だった。
単純な興味から、青年は男に問いかける。
簸川旭 >
「そうか……そういうこともあるのか。確かにそうだな、翼があれば飛べると思うというのは。
実際僕もそういう能力を持っているのかと思ったよ。気を悪くさせてしまうかも知れないが。
この世界だと、そういうのがどうしても普通に存在しているのかと、思ってしまう」
飛べる人間など自分の「時代」――自分が認識していた、魔術や異能などもない世界――には存在しなかった。
だから彼の翼を見て、飛べる存在なのかと思ってしまったがそうではないらしい。
ただ、翼があるだけ。飛べはしない。期待される能力を魔術で無理やり再現したという。
……自分にはわからない苦しみだ。異能は一応もってはいるにせよ、一度発動しただけの自分には。
「……それは、辛いな。気持ちはわかる……いや、真に理解することはできないんだが。
責められているというような気持ちは、わからないでもない」
異能も魔術も異世界も異邦人も理解できない。ただ異常だ、おかしい、ありえないと思う自分は。
きっと、この世界からは責められる存在だろう。彼の悩みとは、また違うものだが。
青年は今度はこちらのことを尋ねてきた。
カフェオレを一口飲み、唇を湿らせる。
「ああ、僕もそういった苦労は抱えている。アンタみたいな目に見えるような悩みではないが……。
僕は……異能も魔術も、異邦人も。なにもないところから来た。
正確にいえば、《大変容》が起こる前の日本に生まれて、《大変容》が発生した直後に眠りについて……目覚めた。
その後は全部終わっていたというところだ。
……だから、正直アンタの翼は怖い。アンタが嫌いというわけじゃない。ただ、僕の時代にはあり得なかったものだから」
ごく簡単に、なんでもないことであるかのように振る舞って、告げる。
「異能も魔術も異邦人も、正直受け入れられたとはいい難い。だから、この世界のことが嫌いでね。責められてる気分になる。
僕もそう……異邦人というわけだ」
日下部 理沙 >
男の話を黙って聞く。
その内容は……青年にとっても、多少なりショッキングな話だった。
《大変容》以前の世界。青年も知らないわけではない。
その世界の頃の常識も……知っている。
だからこそ、青年にとって、男の話は……他人の身の上かつ、境遇は全く違うとはいえ……他人事とは思えなかった。
怖い。
その感情は……青年もわかっているつもりだ。
つもりの域を出ているとは言い難い。
だが……想像くらいはできる。
自分にとっての『当たり前』が、寝て起きたら『当たり前』ではなくなっていたという恐怖。
……悪夢としか言いようがない。
「……そう、ですか」
何とか、絞り出すように青年は声を出す。
もう、サンドイッチに手を付ける気にはなれなかった。
ただただ、目前の男の言葉が臓腑を締め付けた。
……異邦人。
そう、彼は……確かに異邦人だった。
ただ間違えられるだけの青年とは違う意味で……異邦の者に違いなかった。
「でも、そう言って頂けるのは……気楽です。
言外に下手に慮られたり、腫物扱いされるくらいなら……言葉に出してもらった方が気楽だ。
ありがとうございます、怖がってくれて」
変な言葉だとは思う。
だが、それは事実だった。
事実として……青年はそう思った。
不思議なもので、どんな言葉で慰められるよりも……何だか、気が楽だった。
「えと、そういった境遇ですと……受け入れられないのは仕方ないと俺は思います。
いや、当然だと思う。俺だって……受け入れられたわけじゃない。
半分くらいは、開き直っただけで。
……アナタは、嫌いな世界をそれでも……受け入れようとしているんですよね?」
眠りについた、と彼は言っていた。
それがどんな意味かまではわからない。
だが、恐らくは……また似たような形で『眠る』ことは、今の常世島の技術なら出来るはずだ。
コールドスリープ。それは技術として存在している。
……まぁ、異能や魔術を伴う以上、目前の彼がそれを忌み嫌うのも分かる。
だが、一時の苦痛であるはずだ。
その苦痛よりも、無限に続くであろう今の苦痛を克服しようとするその言葉。
それに……青年は興味を示した。
「何か……転機でもあったんですか?」
青年も、とある転機がかつてあった。
その転機以降……前よりも開き直った。
彼にも……そういう『何か』があったのだろうか?
簸川旭 >
「……変な話だな。怖がられることを喜ぶとは。まさか礼を言われるとは思わなかった。
まあ、正直取り繕えるほどの余裕もないんでね」
と、わずかに苦笑めいた笑みをこぼす。
そして、背けていた顔を、青年の方に向ける。
「転機か、そうだな。あったよ。アンタの言う通り、この世界を受け入れようと……。
……少なくとも、知ろうとはしている。生きて、この世界の事を少しでも好きになろうと思っている。
死のうとも思ったことは何度もある。だが、神や悪魔も実在しているようなこの世界じゃ、死すらも安寧には思えなくてね。
また眠りにつくのも……まあ、この世界ならできるかも知れないが。それもお断りだ。僕が永遠に眠っていられる保障なんてどこにもない。
そんな中でも……この世界を受け入れようとしているのは、生きようとしているのは」
空を見上げる。あの、七夕の夜の出会いを思い出す。
「俺のために泣いてくれるようなお人好しの「地球」人がいてね。そいつが俺をなんとかして笑わせてくれるといってるから、それがどんなものか見てやろうというのが一つ。
もう一つは――『仲間』ができたんだ、《異邦人》のね。ああ、なんていうのかな……オーク種とでもいうのか。僕には詳しいことはわからないが。
そいつは《異邦人》だった。まあ、この世界に馴染むことの出来ない、常識が理解できない男らしくてな。
似ているだろ? 《異邦人》も僕は怖くて仕方ないが……だけど、そいつに頼まれてしまってね。
そいつもこの世界のことを嫌っていたが……この世界のことを好きになれるような出会いがあれば教えてくれと言われたんだ。
だから、今はそれを探している。僕も正直、死にたくはない。眠りにもつきたくない。
その『仲間』との約束があるからこの世界を受け入れてみようと思ったわけだ。希望も何もあるわけじゃないけどな。
僕は完全にはこの世界のことは受け入れられることはないかもしれない。だが、少しでも好きになれることがあれば、生きていける。
何もかもかわってしまったが、それでも、僕が生きていけるような変わらないものがあるのならば……それを見たい。
今は、そう思っている」
転機とは出会いだった。そう告げる。
自分を笑わせようとするような存在がいて、そして《異邦人》の『仲間』ができたこと。
それを目の前の彼に告げる。
「アンタも、そう思っているわけか? 単に自分の置かれた状況に絶望し続けているってのだけじゃ、なくて」
日下部 理沙 >
「ははは……まぁ、はい、そうです。絶望とかはしないです。
でも、俺の場合は……」
どこか、面映ゆそうに頭を掻いて……青年は笑った。
今度は作り笑いではない。
本当に、どこか……気恥ずかしそうな笑み。
「『カッコつけたい』から、ですかね。そう言う出会いが……俺にもあったんで」
恩師の事を想う。
異邦人の恩師。何度も自分を導き、今でも支えてくれている彼。
無論、それだけではない。
何事にも真っすぐな一人の男。
下半身が異能で蛇に変じてしまった女生徒。
いつも自分をからかう後輩。
気難しいが、いつも話を聞いてくれる竜学者。
……自分が当時『飛べなかった』ばかりに、ベランダからの落下を救えなかった少女。
そして。
「……その『オーク種』の方は、俺も一応知っています。
良かったと言っていいかどうかはわからないけれど、アナタのような『異邦人』に彼が出会えたのは、個人的には幸いと思います」
かつて、名も素性も知らず……一度だけ見知ったオークの男。
彼と目前の男が出会えたことは……恐らく、幸いなのだ。
青年が、そう思いたいだけかもしれないが。
「アナタは、聡明な方ですね」
死すら覆る島。常世の名を持つ島。
眠りもいつ妨げられるか、知れたものではない。
世界を嫌悪すると彼は口にしている。
だが、青年からすれば……男のその在り方は、真摯に思えた。
真摯に世界と向き合っていると思えた。
「好きが一つでもあれば、変わる事は確かにあると思います。
それを探そうと努力することは……難しい事です。
でも、それに……『仲間』の為に挑めるアナタを、俺は好ましく思う」
初対面で言う事じゃないなと、青年は内心で笑った。
だが、素直にそう思えたのだ。
青年も、もしかしたら……彼のような人と出会いたかったのかもしれない。
『苦しい』と思いながらも、前に進める誰かと。
この島で窒息しそうになりながらも、息継ぎする努力をする誰かと。
……境遇は違う、立場も違う、来歴も違う。
それでも、青年からすれば……目前の彼は、『苦しみ』を知る『隣人』だった。
「……俺、行きますね。そろそろ、帰らないとなんで。
これでも研究生なので」
一度、時計を見てから……そう呟いて立ち上がる。
サンドイッチを口に放り込み、アイスコーヒーで流し込む。
今度は、すんなり飲み込めた。
「あの、俺……日下部理沙って言います。
一応、魔術とか異邦とかの研究をしてる立場ですので……何かもしあれば、力にならせてください」
そういって、名刺を置いておく。
相手の名前はまだ聞かない。
次の機会でいい、何より……今は青年……理沙が一方的に好意を抱いただけだ。
身勝手は此処までにしておく。
「機会あれば、また御話してください。
アナタの話は……俺には『気楽』で『好ましい』です」
その言葉だけを置いて、理沙は店を出ていく。
少しだけ、最初に現れた時よりは気楽そうな足取りで……軽快に。
ご案内:「カフェテラス「橘」」から日下部 理沙さんが去りました。<補足:ラフな格好。眼鏡。背中から大きな翼が生えている。>
簸川旭 >
「――ああ、俺も『仲間』をこの世界で持てるとは思わなかった。
きっと、いい出会いだったんだろう。まだ、道は半ばだが。
聡明なんて言われるのは、こう、褒めすぎな気もするが……。
『カッコつけたい』か。なるほどね。そうだな、そういうなにか一つでも目的があるのなら……先に進むこともできるだろう」
シュルヴェステルは共通の知り合いであったらしい。
彼のことを知る人間から、その出会いが幸いだったと言われたのはなんだか不思議な気持ちではあるが。
悪い気はしなかった。あのシュルヴェステルも、自分との出会いで何かしら切欠を得たのならば、と思うことができる。
照れ隠しのように肩をすくめていると、青年から一枚の名刺をもらった。
「日下部理沙――」
机に置かれた名刺を眺めながら名前をつぶやく。
「……『好ましい』、か。
そんなことを言われるとは思わなかったが、俺もこの世界で『気楽』な話を人とできるとは思わなかったよ。
またな、日下部。そういうことがあったら訪ねるよ。僕はこの世界のことをまだ何も、知ってはいないのだから」
青年は研究生だといった。ならば、あまり遊んでいる時間もないのだろう。
名刺を置いて、彼は去っていった。
好ましく思う、などとやや気恥ずかしくなるような言葉を残して。
自分も、彼を好ましく思った。
自らに発現した異能を誇るわけではない。
自分に降り掛かった災厄のようなものと理解して、歩もうとする男。
同じだ。
その境遇は何もかもが違う。主義主張も、どこか違ってくるところはあるのかもしれない。
なにせ、彼のことはほぼ知らないに等しいのだ。
だが、『苦しみ』を知る『隣人』であることは同じだった。
彼もまた、『隣人』であるのだ。
シュルヴェステルと出会ったときのように、そう思った。
きっとこの理沙も、『仲間』になれるのかも知れない。
今日、彼のような、この島で、この世界で、苦しみつつも進もうとする者を見つけることが出来た。
またいつか、会うことがあるだろう。
この世界の魔術も、異能も、異世界も好きにはなれないのかもしれない。
その非現実を真に受け入れることはあまりにも難しいことかも知れない。
だが、しかし。
『人』は好きになれるのかも知れない。
人間、異邦人、なんでもいい。たとえその姿形が違っていたとしても、思想信条が異なっていたとしても。
ただ、『人』は好きになれるのかも知れない。
――そう、思った。
「シュルヴェステル、まだまだアンタに報告できるような状態じゃないかもしれないが。
少しぐらいは希望も、あるのかもしれないな。
アンタも、そうであったならいいが」
カフェオレを飲み干し、自分も席を立ち上がり、雑踏に消える。
唯一でも、この世界のことを「好き」になれるように。
ご案内:「カフェテラス「橘」」から簸川旭さんが去りました。<補足:黒髪痩躯の青年。制服姿。後入り歓迎。>