2020/07/28 のログ
ご案内:「第三教室棟 職員室」にヨキさんが現れました。<補足:29歳+α/191cm/黒髪、金砂の散る深い碧眼、黒スクエアフレームの伊達眼鏡、目尻に紅、手足に黒ネイル/拘束衣めいた細身の白ローブに黒革ハイヒールサンダル、右手人差し指に魔力触媒の金属製リング>
ヨキ > ヨキが知った『トゥルーバイツ』の顛末。

『真理』への接続に成功した者は居ないこと。
日ノ岡あかねが公安委員と共に出頭したこと。
彼女が今、再び地下教室に幽閉されていること。

「……そうか、彼女は生きたか」

夕方の職員室。
多くの者が退勤し、人気が少なくなった時刻。

端末のディスプレイを見ながら、ヨキは独り笑っていた。

「そうか。あの彼女に、断念させるほどの出来事があったか」

ご案内:「第三教室棟 職員室」に神樹椎苗さんが現れました。<補足:黒基調の衣服、スカート。怪我だらけの自殺癖。包帯を巻いた右腕を首から吊り下げている。時間やシチュはお任せ>
ヨキ > ヨキは彼女が島を訪れた頃から知っている。

筆談を交わし、会話の習得を喜び、異能の暴走に巻き込まれ、幾度も見舞いに通い、手術を応援し、笑い合い、ときどき喧嘩をし、慰めてやり、成長を見守った。
彼女がどんな外法や違反に手を染めようとも、ヨキは教師でありながらそれを絶えず支援した。

ヨキは彼女のことをほとんど知っている。
だから。

自分の与り知らない出来事によって、彼女が『真理』への接続を放棄したというのなら。

「……………………、」

ヨキは深く深く、笑った。

その顔はまるで、父親のように。

神樹椎苗 >  
 一日考えて、考え続けて。
 結局、答えは出なかった。

 ふらふらと、揺らぐように学生の減った廊下を歩く。
 明らかに疲労がたまった、血色の悪い顔で、目の下にも薄く隈を作って。
 身体を重そうに引きずるように、ゆっくりと階段を上がる。

 そして、美術室近くの踊り場。
 そこで足を止めて――いつか、そこにあったはずの絵を探した。

(――まあ、展示だって変わるでしょうね)

 『友達』がそれを見たのは、何年前だろう。
 期待はしていなかったが、それでも肩を落として。

 階段を降り、別の教室へと向かう。
 そこに誰が居るか、誰を探してここに来たか。
 わかっていたけれど、それからどうしようというのか、何も考えられなかった。

(こんなの、初めてですね)

 ふらつきながら、扉の前までたどり着く。
 見上げれば、職員室と書かれた札。
 消えてしまいそうなほど小さなノックをして、重い扉をなんとか滑らせる。

 ――いた。

 職員室を見渡して、その姿を見つける。
 椎苗の様子を見て声を掛けてくる教員もいたが、首を振るだけで拒否し、職員室へ踏み入れる。
 無気力な青い瞳は、まっすぐに、一人の美術教師を見ていた。

ヨキ > 扉が開く音に振り返る。

桃色の髪、怪我だらけの様相。
ヨキは彼女に見覚えがなかったが、彼女が自分を真っ直ぐに見つめていることはすぐに判った。

椅子を立ち、少女に歩み寄って。
僅かに膝を曲げた長身から見下ろす。
こういうとき、ヨキはむやみに目線を下げることはしなかった。

今にも倒れそうな少女へ向けて、低く、落ち着いた声を掛ける。

「――こんにちは。職員室へ、何か御用かね?」

神樹椎苗 >  
 歩み寄ってきた長身の男は、目の前にすると想像よりも大きかった。
 重たそうに首を倒して、美術教師を見上げる。
 椎苗の瞳は、惑うように泳いだ。

「用、は――あります、お前に」

 少し掠れた声で、どこか自信もなさそうに答えた。
 そう、この男に椎苗は会いに来た。
 けれど、会ってどうするのか、何をするのか――目の前にしても、思考はまとまらない。

「少し、話は、できますか」

 生気の抜け落ちたような様子で、椎苗は見上げる。
 きっと全てを忘れてしまっただろう――『友達』が恋した男を。

ヨキ > 「ヨキに?」

ぱちくりと瞬く。
けれどその答えを聞くや、ヨキは訝しむこともなく、快く頷いた。

「判った。いいよ、話をしよう」

椎苗を手招きし、自席まで案内する。
空いている隣の席からオフィスチェアを拝借して、椎苗をそこへ座るように促す。

「君、名前は何というのだね。どうしてヨキを訪ねに?」

相手の深刻さを感じ取ったかのよう、そう手短に尋ねる。

神樹椎苗 >  
 招かれるまま、幽鬼か何かのように、席へと座る。
 座り、向き合って、しかし。
 いうべき言葉はなにも、浮かんでこない。

「――しいは、かみき、しいな。
 一年、十歳、初等教育を受けています」

 そんな、名札を読み上げるような自己紹介で答えて、けれど視線は落ちていく。
 未だ何を話すべきか、たずねるべきか、まるで整理が付かない。

「ここに、来たのは――」

 言葉に出来なくとも、目の前の教師は待っていてくれるだろう。
 そうでなければ、真剣に話を聞こうと、言葉を引き出してくれるだろう。
 けれど、それに甘えるわけはいかない。

「――お前は、先日、黄泉の穴の近く、コキュトスと呼ばれた領域の跡にいたと聞きました。
 お前はそこで、何をしていたのですか」

 途切れ途切れに、言葉を探しながら口にする。
 視線はまだ、教師を見上げない。
 自分の膝の上へ、落ちたままだった。

ヨキ > 「カミキ君、か。……」

椎苗の問いに、押し黙る。

黄泉の穴付近。コキュトス。
病院関係者から“情報”として聞き知った名前。

その名称が相手の口から出ると、ヨキは包み隠さず話した。

「……判らない。
大変な事態になったと、話を聞いて。
出向いたことまでは覚えている。

だが、恥ずかしい話だが、その先の記憶がないんだ。
気が付くと、ヨキは血まみれで立っていて――

病院へ運ばれた。錯乱していた、と言われたよ」

少しの間を置いて。

「君は、あの場所のことを知っているのだね。
無事だったか?」

自分の腕の中で死んだ少女のことなど、露知らず。
そう尋ね返す。

神樹椎苗 >  
 教師からの返答は、考えていた通りのものだった。
 そして、それに思っていた以上に落胆している自分に、驚いた。
 無意識に――期待してしまっていたのだろう。

「――しいは、なんともないです」

 左手で、右腕を握る。
 皮と骨だけの硬い感触に、少しだけ現実に引き戻された。

「あの場所には、しいの『友達』がいたのです」

 そう、少しずつ言葉を探していく。

「その『友達』は、何年か前に、一枚の風景画を見て、美術を受講しました。
 絵の事はわからないけれど、真似をするのは出来る、観察と分析は得意だと言って。
 綺麗なものが好きだからと言って――」

 何を話しているのだろう。
 見たわけでも、聞いたわけでもない。
 ただ――そう記録されている、『友達』の事を無感情に並べていく。

 受講するにも躊躇いがあったこと、一人の教師にあこがれていた事。
 一人の事を想いながら花を選んだこと――。

「――そいつは、あの場所で、あのコキュトスの中心にいました。
 終われない自分を、終わらせるために。
 自分がいた記憶と記録を、この世界からすべて消し去って、いなくなるために」

 口にする言葉が、要領を得ない羅列になっている。
 いつもならすぐに浮かんでくる言葉が、適切な表現が、計算できない。
 硬い右腕を、強く握った。

「――そいつは、最後まで一人で消えるはずでした。
 けれど最後の最後に、一人の男が来たのです。
 あこがれて――想い焦がれた相手が。
 一番、会いたくて、一番、会いたくなかったはずの相手が」

 あの時の『友達』の表情を、声を、まだ覚えている。
 その現れた『人物』がどれだけ必死に、『友達』を連れ戻そうとしたのかも、覚えている。

「そいつは最後に――その男に抱かれて、終わりました。
 そいつの願った通りに、この世界から全ての痕跡を消し去って。
 しいは、それを、その最後の瞬間までを全部、見届けていました」

 『友達』が消えるのを、撃たれるのを、ただただ、見続けていた。
 モノ言わぬ、木になって。

ヨキ > 椎苗が語る顛末を、黙って最後まで聞く。
薄く開かれたままの唇から吐息が漏れて、少なくない困惑が椎苗にも伝わるだろう。

「…………。それが」

視線を床に落とす。

血塗れの身体。
理由も知らず嗄れた喉。
あなたは混乱していた様子だった、と語った医師。

これだけの手掛かりを並べられてなお、ヨキは椎苗の『友達』に心当たりはないようだった。

「それが……その相手が、ヨキだというのか。
ヨキは君の『友達』を連れ戻すために、その、コキュトスなる場所に居たというのか……」

視線を上げる。
相手の顔を見る。
手のひらで口元を拭う。
小さく息を吐く――

「何故、君はそのことを記憶していられる? 異能や魔術のためか?
君だけがずっと、その『友達』のことを覚えているのか?」

ヨキが椎苗の話を疑っていないことは、その問いの数々から明らかだった。

努めて平静を保とうとする声。
低く抑制された音が、椎苗にだけ届く。

神樹椎苗 >  
 椎苗は顔を上げない。
 目の前の教師に、どんな目を、どんな表情を向けて良いのか。
 そして、向き合っていいのか、解らなかった。

「――しいは、そういう『道具』ですから。
 情報を収拾して蓄積して、解析する。
 学園のデータベースに、しいの事はすべて載っています。
 産まれから、この学園に来るまでのすべてが、誰でも閲覧できるように公開されています」

 疑われていないことはわかっていたが、念を押すように自分がどのような存在かを話す。
 椎苗自身の言葉だけでなく、データとしても存在することも伝えて。

「――三日と言われました」

 あの日、最後の別れを済ませた時を思い出す。

「しいの性質があっても、この記憶はもって三日だそうです。
 あの空間にいたから、現実での時間と多少ズレがあるかもしれませんが。
 しいの観測では、今日を含めてあと二日です」

 ようやく、言葉が出るようになってきた。
 質問にたいして答えるだけなら、まだちゃんと思考が働いていた。

「時間に多少の誤差はあるかもしれませんが、それを過ぎれば、しいも、『友達』の事をすべて忘れるでしょう。
 顔も声も、交わした言葉も、全て。
 こうして、見届けた終わりの事も、何一つ残さず」

 言葉にしながら、左手に力が籠る。
 少しだけ、不安に揺れるように肩が震えた。

ヨキ > 椎苗の身の上に、そうか、と短く答える。

「あと三日。
……そうか。すぐに忘れてしまったらしいヨキに比べれば、大したものだ」

まだ三日ある。
そう言いたげに、声に小さな笑みがふっと交じった。

「…………。実は、ヨキの教え子に。
『人の記憶に残らない異能』の持ち主が居るんだ。

どんなに仲良く語らっても、翌日には必ず彼女のことを忘れてしまう。

……だから、ヨキは。
その少女を写真に撮り、その日にあったことを日記に書き残し、幾度となく読み返している。

自分が覚えていなくとも、彼女から親しく声を掛けられれば、ああ、彼女だ、と安心することが出来るから」

だから、と、大きな手のひらが椎苗の肩を柔く掴む。
小さく震える身体を、包み込もうとするように。

「君もその『友達』のことを、ありったけ書き残して欲しい。
そしてその内容を、このヨキと分かち合ってくれないか。
忘れてしまっても、そんな子が居たのだと覚えておけるように。

……ヨキは薄情者だ。
きっと強くその子のことを想っていたはずなのに、まんまと忘れてしまった。

今やもう、君だけが頼りだ。
どうか、君の中に残っているありったけの思い出を、ヨキにも分けてほしい。
君だけの思い出に、土足で踏み込むような真似はせぬから。

ヨキとその『友達』の間で何があったのか――すべて、知りたい」

神樹椎苗 >  
 肩に触れた手は、大きく、温かい。
 言葉からも、どれだけ真剣に生徒を――『友達』を想ってくれているかがわかる。
 この教師は肩書だけでなく、本気で教師をやっているのだろう。

「――忘れて、良いのですよ」

 椎苗は、教師の言葉に、力なく首を振った。

「あいつは、自分が忘れ去られて、この世界から消えることを望みました。
 だから、お前も――本当ならしいも、今すぐ全て忘れてやるべきなのです。
 それがあいつが望んで、選んだ『終わり方』なのですから」

 そう、そのはずなのだ。
 だというのに、自分はどうしてこの教師に、こんな話をしているのだろう。
 忘れてやる事が正しくて、それこそがただ一人の『友達』への手向けとなるのに。

ヨキ > 「だったら、君は。
ヨキに『友達』の話をするべきではなかった」

椎苗の肩を掴んだまま、その顔を覗き込む。
群青色の瞳が、真っ直ぐに相手を見つめる。

「ヨキがどんな男か、コキュトスで見て思い知っただろう。

……それだったら。
ヨキがどんな反応をするか、君は予想も付いたはずだ。

君は誰あろうヨキに『友達』のことを話した。
教え子のことはどんな手段を使ってでも残しておきたい、このヨキにだ。

君は『友達』が望んだ『終わり方』を知っているのだろう?
消えることを、忘れられることを、その『友達』は望んだのだろう?

ならば何故――何故君は、それをヨキに話したのだ?

君は、ヨキに話すことで、『友達』の望みを裏切ったのだぞ」

肩を掴んだ手に、少しだけ力が入る。

「『友達』を裏切るなよ。
それは誰かの命を奪うくらい、絶対にしてはならないことだ。

ヨキには出来ない。このまま大人しく、その『友達』を忘れてやるなどということは。

…………、君はどうなんだ。
忘れてやるべき、ではなく、君自身はどうしたいのだ?」

神樹椎苗 >  
「――しいは、どうして」

 わからなかった。
 忘れたくない――その想いはある。
 そして、どうにかして忘れないよう、その方法を考え続けた。

「わから、ないのです。
 どうしてしいは、ここに来たのか。
 どうしてしいは、お前に話したのか」

 忘れたくないと思った。
 けして忘れないと誓った。
 けれど――その方法が見つからなくて。

 だからせめて――誰かに伝えたかった。
 そしてその相手は――この人でなくてはならなかった。

「――お前に、覚えていてほしかったのかもしれません。
 たとえ全てを忘れても、そういう『生徒』がいたという事を」

 言っている事が支離滅裂だ。
 忘れるべき、忘れたくない、覚えていてほしい。
 二転三転としている。

「すみません、めちゃくちゃな事言ってますね。
 しいにも、何をどうしたいのか、わからねーのです」

 こんなことは初めてだった。
 自分の考えが、気持ちが、一つにまとまらない。

「しいは、忘れないと言ったのです。
 あいつに――『お前』の事は忘れても、『友達』が居た事だけは忘れない、と。
 でも、その方法がわからない――見つからないのです」

 そこに普段の、捻くれて大人びた少女はいなかった。
 今の椎苗はただの、迷い、不安にくれる、幼子のようだ。

ヨキ > 「……本当に、滅茶苦茶だ」

小さく笑って、椎苗の肩から手を滑り落とす。

「忘れたくないなら、ヨキの言った通りにすべてを書き残せばいい。
その『友達』と共に過ごした場所を、写真に収めればいい。
『友達』の顔を絵に描けばいい。

すべてを忘れてしまったヨキよりも、君にはいくらでも方法がある。
ヨキには、それをしたくたって出来ないのだぞ。

ヨキは……もどかしい。
教え子が記憶から失われたことが。どれだけ話を聞いても、思い出せないことが」

オフィスチェアに深く座り直し、膝の上で十指を組み合わせる。

「箇条書きでもいい。単語の羅列だっていい。
忘れないと誓ったのなら、意地になれよ。
鉛筆でも、キーボードでも、絵筆でも、何だって。

ヨキのためだと思って、頑張ってくれないか」

神樹椎苗 >  
「――記しても、描いても、それが残るとは限らないのです。
 あいつの残した『忘却』が、どこまで影響するのか、わからないのです。
 こうして、お前に話したことすら、消えてしまうかもしれない」

 その言葉はまるで言い訳じみていた。
 何をしても無駄なのではないか、そんな無力感に理由をつけるような。

「全部無駄に終わるかもしれない。
 それだけやっても、しいは全部――忘れた事すら、忘れてしまうかもしれないのです。
 だから確実に記憶し続ける方法を見つけようとしたのに――見つからないのです」

 これも言い訳だった。
 あがいて、意地になって――それでもダメだったら。
 その先を見てしまって、怖がっているだけだ。

「――お前のために、『記録』すれば、いいのですか。
 しいは、お前の代わりに、無駄になるかもしれない『記録』をすれば。
 そうすれば、あいつを覚えていられるのですか――」

 ゆっくりと顔を上げる。
 疲れ切った生気のない表情は、けれど、瞳だけ今にも泣きだしそうに揺れていた。
 答えを求めるように、『そうしろ』と言われることを懇願しているかのように。
ヨキ > 「無駄だとしても。たとえ徒労に終わったとしても――
どうせ消える記憶なら、『徒労であったこと』すら忘れてしまうさ。

たとえ最後には何もかも失われてしまうとしたって、抗うことを止めるな。
そこで立ち止まったら、君は『忘れない』と誓ったことさえ嘘になる。

『友達』なのだったら。
尽くすことを、抜かるな。恐れるな。躊躇うな」

ヨキは真っ直ぐに椎苗を見ている。
強くも、鋭くも、冷たくさえも見える眼差し。

「無論、ヨキのためだけではない。
それは自分のためでもある。

…………。
君は『道具』だそうだな。

記録しろ、などとは口が裂けても言わんぞ。
ヨキは君を一切、道具扱いなどしない。

君が『自発的に』そうするのだ。
『友達』を想いながら――『友達として』な。

それは……『記録』ではない。『思い出』だ」

目を伏せる。

「……君は。
その『友達』が、どんな男を慕っていたか、少しでも知っているのだろう。

――『こういう男』だよ」

神樹椎苗 >  
 言葉の一つ一つが、重く圧し掛かる。
 頭の芯を殴りつけられるように、何度も何度も、反響した。
 目がくらんで――心が軋む。

「たとえ、徒労でも――抗う事を、やめない」

 教師の言葉を、力なく繰り返す。

「嘘つきには――なりたくないです。
 あいつと誓った事、願ったことを、嘘にしたくない」

 言葉にして、揺らぐ青に光が灯る。
 震えていた唇は、強く結ばれた。

「どいつも、こいつも――しいを、人間扱いしすぎなのですよ」

 その言葉は、『普段通り』に、疲れた響きを持っていた。

「しいが自分から、『友達として』、『思い出』を記す――。
 そう、ですね。
 何が残るかはわからねーですけど、何もしなければ、何も残らないですから」

 ようやく、焦点が定まったような気がした。
 一体何に迷い、不安がっていたのだろう。
 結局――出来ることなど決まっていたのに。

「我ながら、バカみてーですね。
 こんな簡単なことすら、自分で決められなかったなんて」

 呆れたように肩を落として、自らを嘲るように言う。
 そして、左手で額を抑えながら、小さな笑い声が漏れ出す。

「ああでも、本当に。
 あいつ、男の趣味だけは、随分と悪かったみてーですね」

 ようやく、椎苗は教師の顔と向き合った。
 どこか無気力で捻くれた、いつもの表情で。

ヨキ > 「『道具』として扱われたいのなら――もう少し、感情を殺すことだな。
『道具』は疲れた顔をしない。迷いなど訴えない。
そのような顔で言われても、説得力がない」

しれっとした顔で、そう言ってのける。

「……そうだ、とても簡単なことだ。
残された者に出来ることなど、それしかない。

ヨキはずっとずっと、そうしてきた。
そしてこれからも、そうしてゆく。
己の命ある限り、己と教え子のために尽くすのだ」

椎苗と向き合い、その目を見つめる。

「恋は盲目、あばたもえくぼという言葉を知らぬか?

これから付き合ってみれば分かる。
このヨキが、いかに愛情深い男かということはな」

鼻を鳴らして笑う。

神樹椎苗 >  
「――なりたくて『道具』になる奴なんて、いねーですよ」

 自分の中途半端さを笑うように言うと、ひじ掛けに手を当てて、体を押し上げるように立ち上がる。
 酷く疲労感は残っていたが、頭はすっきりとしている。
 未だ、胸のうちは酷く、重くなっているが。

「それしかないなら、やるしかねーですね。
 ああそうです、どうせそれしかないのなら、しいはやる事を選びます」

 どれだけ選択肢が少なくとも。
 選べるなら選び続ける。
 できうる限り、前を向いて。

「愛情深いなんて、自分で言うような男は怪しくてしかたねーですね。
 はーあ、お前みたいなやつのなにがそんなに恋しかったのだか」

 肩を竦めながら、教師に背中を向ける。

「お前に会いに来た理由が、やっとわかりましたよ。
 お前みたいな教師だから、話してみたかったのでしょう。
 ああ本当に――趣味が悪い」

 そう、どこか可笑しそうに薄く笑みを浮かべて。
 礼も言わずに去っていこうとするだろう。

ヨキ > 「…………。そうだ」

肯定する声は、いやにはっきりと響く。

「『道具』扱いなど、碌なものではない。
……ヨキは異邦人だ。多くを語るつもりはないが、それだけは確かだ。

だからヨキは、絶対に、死んでも、『人間相手』にはそれをしない」

その声には、どこか怒りのようなものさえ籠っていた。

「だから……ヨキの前では、君は――否。君のみならず、みな人間だということだ」

ひとつ息を吐くと――その一瞬の激情は、鳴りを潜めて。
何がそんなに、という椎苗の言葉には、眉を下げて笑って。

「…………。全くだ。
ヨキの方が、それを訊きたいよ」

どんな教え子だったのか。
どんな会話を交わしたのか。

どうしてヨキは、慕われることになったのか。

「ヨキの方が訊きたいさ……」

椎苗よりも先に、『教え子』の記憶を失った男は。
そうとしか答えることが出来なかった。

「本当に、趣味が悪かった、のだろうな」

茫漠とした話に、何一つ確信も持てぬまま。
ぽつりと、そう呟いた。

神樹椎苗 >  
「――大した教師ですよ、お前は。
 きっとそれで、救われるやつもいるんでしょうね」

 一瞬の激情に意外そうな顔で振り返り、つい詮索しそうになって――目を離した。

「そんな趣味の悪い教え子が居た事。
 それだけ、覚えててやってください。
 それで十分に――あいつは幸せだと思いますよ」

 最後にそれだけ残して、まったく無礼に挨拶もせず。
 椎苗は職員室を後にした。

ヨキ > 「……失敬。古い話をした。

ふ、大した教師、か。お褒めの言葉をありがとう。
その言葉があれば、明日からもやってゆけるよ」

微笑んで、二三頷く。

「――言われずとも、覚えておくさ。

言ったろう、ヨキはどこまでも教え子のことは覚えておきたいんだ。
たとえ、思い出す手掛かりなどなくともな」

椎苗を見送ったのち、自分の机へ向き直る。

「……………………、」

眼鏡を外す。
机に肘を突き、額に手を宛がう。

長い長い息を吐いて、いつまでも、いつまでもずっとそうしていた。

ご案内:「第三教室棟 職員室」からヨキさんが去りました。<補足:29歳+α/191cm/黒髪、金砂の散る深い碧眼、黒スクエアフレームの伊達眼鏡、目尻に紅、手足に黒ネイル/拘束衣めいた細身の白ローブに黒革ハイヒールサンダル、右手人差し指に魔力触媒の金属製リング>
ご案内:「第三教室棟 職員室」から神樹椎苗さんが去りました。<補足:黒基調の衣服、スカート。怪我だらけの自殺癖。包帯を巻いた右腕を首から吊り下げている。時間やシチュはお任せ>