2020/07/12 のログ
ご案内:「落第街 『爪痕』」に『シエル』さんが現れました。<補足:制服に身を包んだ、白髪の少女。その人形のような身と心に、果たして血は通っているのか。>
ご案内:「落第街 『爪痕』」に角鹿建悟さんが現れました。<補足:180cm/茶髪銀瞳/作業着(ストレッチドビー長袖シャツ&カーゴパンツ)/作業安全靴/【第九修繕部隊】の腕章>
『シエル』 >  
そしてこの落第街も、広い。
どうしようもないほどに。
怒りも、悲しみも、絶望も、
影の中に呑んで消し去ってしまうくらいに。

落第街の一角、闇の奥。
表の者は、まず立ち寄ることすらない、その一角。

地面に転がる空薬莢や、刃物の数々。
そういったものが、どれだけの暴力が振るわれたのかを
静かに、ただただ静かに物語っている。

そして。ここで起きた事を語っているのは、無論凶器だけではない。

抉れた床に溜まっている赤黒い液体。
血と肉が焦げた臭いが、辺り一帯を覆っている。
そんな中で、幼い少女の泣きじゃくる声だけが、
ただただ虚しく響いていた。

幼き少女が寄りかかっているのは、年若き女の死体。
辺りには、破壊されたビルの瓦礫が大小問わず、無数に落ちていた。
落ちて、砕けて、抉って。

横たわった女は、痩せこけている。
その身体は最早、骨と皮に少しばかりの肉が乗っている、といった風だ。

その女の手に握られた鞄からは、袋に入った僅かばかりのパンくずが、
零れて落ちていた。
その顔は、見えない。
とても見られるような状況ではない。


これは、ありふれた出来事。
この闇の街で、きっと何処にでもある、一つの出来事。
多くの者に知られることは決してない。そんな風景だ。



痛々しく泣き叫ぶ声が響き渡る中。

まるで幻想風景の一部を切り取ったかのような
少女が、幼き少女の隣に座っていた。

制服を纏った彼女はただ、じっとその様子を見続けていた。
ただただ、静かに寄り添う者の頭を撫でながら、見続けていた。

その人形の手は、どうしようもなく不器用だった。

角鹿建悟 > ――少し前、一人の少女と彼は或る”約束”を交わした。
落第街がもし壊れてしまったら…自分が”必ず直す”と。
その約束は、荒唐無稽で実現性に乏しく、一人の力ではそもそも不可能で。
――だから、所詮は口約束で出来る筈も無い絵空事。
それは、約束をした彼自身が一番理解している。ただの人間一人に出来る事なんてたかが知れている。

(それでも――俺はアンタとの約束はきっちり守るさ)

そう、約束を固く胸に秘めて己への戒めとしながら彼は今日も何かを直している。


――そして、落第街のとある一角。闇深い一角は男もあまり訪れた事が無い区域だ。
それでも、仕事の関係でこの近辺には何度も足を運んで、直して、直して、直し続けてきた。
それでも、この辺りまで訪れるのは――部隊の先輩や隊長は兎も角、新入りの自分は初めてだ。

コツ、コツ、コツ、と固い安全靴の靴音を響かせて彼は一人そこを訪れた。
本当は同僚たちも来る予定だったのだが――何故か”お前一人で行け”と、真剣な表情で言われたのが気に掛かる。

結果的に、男は一人でこの場を訪れている――一人の任務は決して珍しくは無い…のだけれど。

「―――…」

生々しい痕跡。それを目の当たりにするのは初めてではない。
ただ、それを眺めてから自然と周囲に銀色の双眸が緩やかに向けられる。
――少女の慟哭が聞こえた。それだけで、何が起きたかなんて直ぐに分かる。

(――嗚呼…”分かっている”さ。俺がこういう時に直すくらいしか出来ない無力な男だってくらいは)

決して動かない無表情。決して揺るがない心、決して揺るがない…否、僅かに拳をギリっと握り締めるのを全ての感情の発露の代替として。

ゆっくりと少女に歩み寄る男の目には、同時に既に一人の幻想的な少女の姿が映っていた。
――『シエル』。そう彼女が名乗った名前はあの出会いから今までずっと耳の奥に残り続けている。
悪友たる特徴的な髪型の男と話した時も、彼女との出会いだけは口にしなかった。
――何故だろう?それは男には分からない。そういう感情なんて初めてだから。

「――――『シエル』」

静かに男は声を掛ける。その名を名乗った少女と、物言わぬ躯と、それに縋り付く少女を見つめながら。

『シエル』 >  
少女の慟哭は次第に小さくなっていく。
しかし、彼女の細い腕が母親を抱きしめる力は、より一層強く。

幼き少女は知らない。
こういう時に自らを慰める為の語も、
誰かへと助けを求める為の言葉も、
何も、知らないのだ。
故に、ただ弱々しいその力の続く限り、涙を零す。
零し続ける。


白髪の少女はただ、静かに降り積もる雪のような
その声で、唄う。
不器用にその背中を撫でながら、紡ぐ。


その歌は、故郷を思わせる歌。
その歌は、悲しみを和らげる歌。
その歌は、過去から未来を繋ぐ歌。


「……角鹿建悟さん」

振り仰げばその先に見えるのは、第九修繕特務隊の青年。
あの日、約束を交わした青年だ。

シエルは唄うのをやめて縋り付く者の頭をニ、三度優しく
撫でてから、立ち上がった。
そうして、建悟に向かってまずは一言だけ、言葉を紡いだ。


「お願い、できますか」

そう口にして、少女は『爪痕』を見渡す。
倒壊したビル。抉れた床。そして、下敷きとなった者。

やがて向き直り、建悟の方をじっと見つめるシエル。
それは、あの日に約束を交わしたのと同じく
虚ろな紅色の瞳ではあったが、その奥には以前と
異なり、少しばかりの色――悲しみの色が湛えられているように
見えたことだろう。

角鹿建悟 > その光景は…きっと、これから先も男の胸に残り続けるのだろう。
――一人の母娘を襲った悲劇。この”闇”の中では当たり前で、今この瞬間にも別の場所で同じような悲劇は起きている。
いや、もっと酷く凄惨な目に遭っている者も多いだろう。
けれど――

「………歌、か」

出会いの時も、彼女の歌声を己は聞いた。その歌は初めて聴くのに、何処か懐かしいような…そんな旋律だった。
その歌を邪魔するのは気が引けたが――仕事は放り出せない。
あの日、彼女と交わした約束と…幼い頃、■■した自分の為にも。

「…建悟でいい。いちいちフルネームで呼ぶのも面倒だろう。……仕事でここに来たんだが……。」

と、淡々としたぶっきらぼうな口調で答えつつ、彼女が気付けば会釈くらいはしただろう。
次いで、母親と思われる躯と少女を一瞥する。何の色も無い銀の双眸。それでも湛える光があり…けれど表には出さない。
少女を宥めながら一度立ち上がり、こちらに顔を向ける少女をじっと見返して。

「ああ――その為に俺はここに来た。アンタとの約束もあるからな」

頷く…しっかりと。死者に対して男がしてやれる事は無い…だから、今は自分に出来る事をやるしかない。
周囲の瓦礫や惨状の爪痕を一瞥してから、シエルへと視線を戻して。

「――その娘と…母親を守ってやってくれ。――この規模だと中々骨が折れる。
俺も今の全力でやった方がいいと判断した」

そう、彼女に忠告してからゆっくりとその場に跪く様にして右手を床に当てる。
何時もの詠唱じみた言葉は口にしない。ただ、念じる。

――さぁ、からくり仕掛けの歯車を回そう。逆しまに回せ、回せ、回せ、回せ――。

途端、周囲の瓦礫や破片が勝手に浮き上がり、動き出す。見る見る内にそれらが一つの形――惨状の爪痕になる以前の光景へと巻き戻されていく。

復元能力――決して珍しい力ではない。それでも、彼が一目置かれるのはその精密性。
元の形まで正確に再現し、巻き戻し、その場に存在を固定して完了とする。
物体に限定されるという絶対の縛りはあれど――故に、可能性に満ちた”直す”為の力。

「―――…っ…!」

ギリッ、と僅かに歯噛みする。本来なら、魔術で最初に建物の規模や構造を計測するのが正しい。
だが、一刻も早く直さなければ…そんな、言葉に出来ない気持ちが珍しく彼を突き動かした。

それでも、彼は”直し屋”として手は抜かない。多少の無茶は度外視してきっちりと復元をしていく。

――数時間?数十分?――否、”たった数十秒”で爪痕という悲劇の象徴を完全に”直して”いく。

『シエル』 >  
そう、これはただの一つの物語。
ありふれた物語。
此処は落第街、混沌の街。
光射さぬ影の中で、暴力と欲望が渦巻く街。

昨日にも明日にも、今日と同じようなことが繰り返される。
壊れ、壊され、死に、殺される。
建物は破壊され、人の心は踏み躙られる。
壊すのはそう、とても簡単なことだからだ。
とても。



娘と母親を守ってくれという男の言葉に、シエルはハッと
目を見開けば、静かに頷く。

「ここは危ないよ。さぁ、こっちへ」

幼き少女の肩を叩くシエル。
しかし、彼女は母親から離れようとしない。
ただ、お母さんお母さん、と泣き叫ぶのみ。

「大丈夫、お母さんと一緒に、逃げよう」

そう口にして、
母親の遺体を抱きかかえてその場から移動させようとするも、
娘はその場で激しく抵抗するのみ。

「分かった。じゃあお姉ちゃんが守ってあげるね。
 貴女も、お母さんも」

母娘を庇うように、小さな身体で覆い被さるように、
抱きかかえる。

同時に、男の異能が発動する。
割れた硝子を、破片となったコンクリートを、
着実に直していく。
覆水を盆に返すその異能が起こす奇跡を背中に
感じながら、シエルはただ一言だけ、呟く。

「大丈夫」

浮き上がる破片が、シエルの肩口を抉り、
頬を切り裂く。それでも、シエルは顔を歪めない。
少しも退かない。ただ、瓦礫から小さな命と、
母親だったモノを抱きかかえて、唄う。

器用な言葉など知らない。
悲しみを癒やす言葉など知らない。
だから、唄う。
彼女の胸の内にある歌を、唄って届ける。


その歌は、懐かしい日々を思わせる歌。
その歌は、誰かの悲しみを和らげる歌。
その歌は、誰かの過去を未来へ繋ぐ歌。


そうして。
たった数十秒。
たった数十秒で、『爪痕』は元の形へと戻った。

遺体と、今にも壊れてしまいそうな小さな心を残して。

角鹿建悟 > 光差さぬ街に光を差す事は出来ない。
何故なら、自分が出来るのは壊れた物をただ直すだけ。
人の心は直せない、人の心は癒せない、人の心は決して元には戻せない。

(――”だからどうした”。最初からそんな事は分かっている。自分がどれだけ無力なのかも。
――あの子とした約束が、ただの夢物語でしかないのも!)

角鹿建悟はただの人間だ。何でも出来る神様でも何でもないのだから。
ただ、その力を直す事に傾ける事が己に出来る全て。だから…やるしかない。

――無意味?分かっている。
――無駄?そんなの言われるまでもない。
――無茶?それでもしないといけないんだよ俺は。

「――俺は”落第街を直す”男だ……それを証明するって決めてるんだよ……!」

そんな、小さな呟きは復元の巻き戻しの余波に紛れて聞こえたかどうか。
無茶に復元した反動で内臓が軋む、筋肉が悲鳴を上げる、骨がギシギシ五月蝿い。
だが、目を見開いて僅か数十秒で全ての復元を完了する。

――男を基点とした、”半径500メートルの復元”を完了する。個人の規模としては破格。
――少女の依頼どころか、それを遥かに超える範囲を完全に復元していく。
全てが完了すれば再び闇に訪れるは静寂と…男の荒い息遣い。

「ハァッ…ハァッ…うっ…!」

心臓を押さえる。無茶どころではなく今の限界まで能力を使ったに等しい。
仕事はきっちりしたが、本来の依頼にない場所まで一気に復元してしまった。
それは己の未熟か――普段、決して表に出さない心の叫び故だろうか。

「仕事――完了、だ。…シエル…そっち…は?」

緩くそちらに顔を向ける。そうしながら、ゆっくりと立ち上がり。
今にも倒れ付してしまいそうだけれど、それでもそちらへと歩み寄り…”3人の”傍へと腰を下ろす。

…まだだ。あと一つだけ、彼に出来る事がある。それは慰めにもならない些細なものだが。

『シエル』 >  
凄まじい、修復だ。
破壊よりも凄まじい力が、落第街の形を修復していく。
シエル達の立っている傍にある建物だけではない。
近くの捻れた柱や、向かいの建物の弾痕までもが、
修復されてゆく。

落第街の形を崩したのは、力。
そしてこの修復もまた、力。
しかしこの男の放つ力は、
荒々しくも、どこまでも優しい力であった。

「もう、大丈夫」

母娘から離れて、立つシエル。
その身体からは所々血が流れている。
修復が終わったのを確認すれば、
彼女は数歩引いて、建悟の横に立つ。

娘は彼ら二人の様子を、
そして落第街が修復されていく様をただ呆然と見ていた。

そして口にする。

『すごい……かみさまみたい!』

娘は、まだ悲しみの色が残ったその顔を、
垢で汚れた袖で拭って、笑顔を見せる。

『おかあさんも、たすけてくれる……!?』

娘は顔を上げて、建悟を見やる。
その瞳はただただ純粋なもので、
通りすがりの彼《かみさま》に救いを求めていた。
それは、男にとってどれほど残酷な言葉であったろうか。

シエルは、何の色も映さぬ瞳で、建悟の方を見つめた。
静かに、見つめた。その目を細めて。

角鹿建悟 > 全身が鉛のように重いし頭痛も酷い。何かに脳みそを手づかみされてかき回されているかのような不快感。
血流、脈拍、鼓動、その他全てが今だけは正常からは程遠いだろう。
復元能力を今の限界まで使った反動…いや、意識があるだけまだマシか。
視界が明滅する、呼吸が中々整わない。耳鳴りがゴワゴワと酷いものだ。

それでも、ゆっくりと、足元がやや覚束無いながらもそちらへと歩み寄って行けば。

「…神様…か。」

素直に驚いたような、感動したような、嬉しそうな娘の言葉に男は…ただ、一度だけ目を伏せた。
そんなご大層なものではない。確かにそう幼子に見えても不思議ではないが…。

ここが、俺の限界点。今の角鹿建悟という男の終着点。未だこれ以上は先に進めない壁。
それを壊すことは出来る。”もっと無茶をすればいい”…だが、それは出来ない。
…今は無理でも、何時か越えてやるつもりではいるが…それは何時か、であって今では無いのだ。

横に並ぶ白髪の少女の視線を感じながら、無邪気に問い掛けてくる少女へと視線を合わせるようにして腰を下ろしてしゃがみこむ。

「――すまん。俺には君のお母さんを”治す”事は出来ない」

――何故なら、もうそこに命も、魂も無いから。
――何故なら、彼には生物を治す力は無いから。
――何故なら、彼は”かみさま”では決して無いただの人間なのだから。

僅かに幼子から視線を外すように俯いて…そっと、なけなしの力を振り絞るように。
彼は母親と思しきその躯に触れる。冷たい…温度すら喪われた遺体。
だが、その遺体の傷が少しずつ”修復”されていく――それでも流れた血はそのままだ。

「俺に出来るのは…君のお母さんを”綺麗な状態”に戻すことだけだ」

そう、幼子に語りかけながら、やがて母親の遺体を綺麗な状態まで”復元”する事に成功する。
――だが、それは変わらず躯であり、決して熱が戻ることも、血が通うことも無い。その瞳を開く事も……無い。

「―――ああ、俺は神様じゃないんだから…。」

このくらいしか、幼子にしてやれる事が無いんだ。

『シエル』 >  
建悟の様子を見て、シエル――『エルヴェーラ』も感じるものがあった。
この男の身体は既に限界に近い。
あのような大規模の修復を行ったのだ、それも当然だろう。

直すことこそが、この男の矜持。
方向性は違えど、彼もまた自らの信ずる道を征く者なのだ。
故に『エルヴェーラ』は目の前の男の精神の在り方に、敬意を抱いていた。

謝罪する建悟の言葉は、娘の顔をくしゃりと歪ませてしまう。
そして再び響く嗚咽。

『おかあさんは……なおせないの……? なんで――』

その時、彼らから少し離れた所から、鐘の音が鳴り響いた。
それは落第街にある、小さな時計塔。
先程までコンクリートが突き刺さり、醜く歪んでいた大時計は、
再び動き始めていたのだ。
誰かの命が失われても、時は止まることなく流れていく。
その虚しさを感じたのは、はるか昔。
その感情はどんな色だったろうか。
エルヴェーラには、思い出すことができなかった。



建悟による、遺体の修復作業が始まる。
その様子を、シエルは見守っていた。
彼の背を見つめる虚ろな瞳の奥には、
少しだけ、あたたかいものが宿っていた。

シエルは娘の小さな手を取って、ただただその頭を不器用な細指で、
優しく撫でながら、彼の『施し』の行く末を見守る。

建悟が一通り力を行使し終えれば、すっかり元通りになった母親が、
そこには横たわっていた。
それは魂の無い、容れ物ではあった。
それでも。

「……見て」

母親の顔へと視線を向けたシエルは、そう二人に声をかける。
すぐに、娘は泣きながら――しかし先程とは全く色の異なる涙を
ぼろぼろと流しながら、母親へと抱きつき、先程までは『無かった』
その表情に、頬を擦り寄せた。

それはきっと、気の所為だったかもしれない。
それはきっと、そう在って欲しいという願いが見せた幻想だったかもしれない。
それでも。

その場に居る3人が見たその母親の顔はとても穏やかで、
満ち足りた表情をしているように見えた。

そう、見えたのだ。

角鹿建悟 > 未だ発展途上とはいえ、これだけの規模を直せば能力の限界まで使い果たしたと言える。
少なくとも、今日一日…下手すれば2,3日はまともに能力が使えないかもしれない。
それでも――仕事は果たす。何より”約束”した少女が見ているのならば尚更だ。

(…まぁ…正直…つまらない…男の意地を通しているだけ、なんだろう…が)

僅かに意識が朦朧としているが、ここで気絶する訳にはいかない。ガリッと、舌を軽く噛んで意識を戻しながら。
こちらの言葉に咽び泣く少女…それはそうだろう。神様と思っていた男から母親は救えないと断言されたのだから。
――こういう時、何時も彼は思う。それだけ直す力を極めても、人の命と心は救えないのだと。

そこに、響き渡る鐘の音色。小さな時計塔――先ほど、己の能力で修復した建物の一角。
その音色を聞きながらも、彼は今彼に出来る事を彼なりに全力でやった。

――もう、ここが正真正銘の限界だ。角鹿建悟という人間の。
無力感と仕事を終えた達成感がごちゃ混ぜになる。分かっては居た事なのに。
けれど――

「………?」

白髪の少女――シエルの言葉に、そちらへと瞳を向けた。己の手で綺麗に修復された母親の遺体。
――そこに浮かんでいたものを見て、男は…僅かに何かを堪えるように上を向いた。
幼子の泣く声を聞きながら、ぽつり、と男は白髪の少女に一言だけ問い掛ける、

「シエル――ー俺は…少しはこの母娘を救えたんだろうか?」

建物は幾らでも直そう。けれど人の心は直せない。それでも――少しでも”誰か”を救えるんだろうか?

『シエル』 >  
男の問いかけに、人形の視線が向けられる。
美を追い求めた職人が、何度も何度も試行錯誤を重ねて作り上げたような、
そんな無機質な美を備えた口を、彼女は小さく開いた。

「救われたかは、まだ分かりません。
 きっとそれは、何年も、何十年も後になってから分かること。
 ですが――」

輝く白い髪が靡く。
落第街に吹く風は冷たくも、どこか優しかった。

「――きっと、無駄ではなかった。私は、そう思っています」

そんなことは、この場に居る者が決められるものではないのかもしれない。
そんなものは、幻想なのかもしれない。それでも。
肩口から流れる血が、床へと落ちる。
それを気にせず、シエルは建悟の方を見て、そう口にした。


そうして。


少しだけ、ほんの少しだけ頬を緩めた。

それはどこまでも不器用な笑み。
零れ落ちる感情を必死に掬い上げているような、薄氷の笑み。
それでも確かに、彼女は笑ってみせたのだった。

角鹿建悟 > 白き”人形”へと”直し屋”は緩やかに視線を向ける。
視線が交錯し、彼女がその口を開く――その言葉に、ただ一言だけ男は答えた。

「そうか―――無駄じゃあ…無い、か」

そう、その一言だけで充分だ。それが――今回の仕事の報酬だ。
直すだけの力しか持たず、誰かを守る事も、守る為に壊す力も持たない。
――いざとなれば、誰かを殺す程の鮮烈な覚悟すら己には無いのだ。

(けど――直す力は…俺の力は…”無力かもしれないが無駄じゃあない”んだ…)

無力でも、決して無駄ではないのだと。必ず誰かの、何かの役に立つのだと。
角鹿建悟という男は、直す事を貫くために――これからも、無力に苛まれながらも前に進むのだと。

そして、何か口を開こうとした男の言葉は、彼女のその笑みに――見蕩れた。

「―――アンタは…そんな風に綺麗に笑えるんだな…シエル」

ぽつり、とそんな言葉を思わず呟いて…彼は笑った。珍しく、はっきりと。

「ああ、そうだ――すまん、その肩の怪我――…ぁ?」

そこで男の体がグラリ、と斜めに傾いで倒れ付す。そう、矢張り限界が来ていたのだ。
それでも、身を起こそうとするが急激に意識が遠退いていく…むしろここまでよく意識を保っていたもので。

「シエル――すま、ん…誰か…呼んでおいて――それ、と……その子を…頼む――あと…。」

意識が途絶する瞬間、最後に男は白髪の少女に願った。

「また――何処かでアンタに会えたら――歌を聞かせてくれ」

そう、願いながら男の意識は闇へと落ちた。その顔は…何処か満足そうで。

『シエル』 > 『そんな風に綺麗に笑えるんだな』。
そんな彼の言葉を耳にして、シエルの耳がぴくりと揺れる。
そうして、自分の顔にその手を添えて、不思議そうに、
目をぱちぱちとさせる長耳のエルフ。


「ええ、後は私に任せてください――」

彼の頼み事はしっかりと聞き届ければ、
彼女はその目を閉じ、深く頷いた。

そうして、雲の隙間から現れた陽光に
その穏やかな顔を輝かせながら、最後に口にする。

「――ええ、歌いましょう。いつかまた、何処かで――」


そしてこの落第街も、広い。
どうしようもないほどに。
怒りも、悲しみも、絶望も、
影の中に呑んで消し去ってしまうくらいに。

明日にまた、違反部活が此処を破壊するかもしれない。
明日にまた、この娘の命がある保証など、何処にもない。


繰り返される暴力と破壊、欲望と退廃。
きっと、終わりなどないのだろう。

『エルヴェーラ』は、空《シエル》を仰ぐ。
空は何処までも透明で、輝いていて。

「――ありがとう」

光の射さないこの街でも空を仰げば、
太陽は確かに輝いていた。

ご案内:「落第街 『爪痕』」から『シエル』さんが去りました。<補足:制服に身を包んだ、白髪の少女。その人形のような身と心に、果たして血は通っているのか。>
ご案内:「落第街 『爪痕』」から角鹿建悟さんが去りました。<補足:180cm/茶髪銀瞳/作業着(ストレッチドビー長袖シャツ&カーゴパンツ)/作業安全靴/【第九修繕部隊】の腕章>