2020/10/07 のログ
ご案内:「常世学園付属総合病院」に水無月 沙羅さんが現れました。<補足:身長:156cm 体重:40kg 不死身少女>
ご案内:「常世学園付属総合病院」にレイチェルさんが現れました。<補足:金髪眼帯の長耳少女。学園の制服に外套を着用。>
水無月 沙羅 >  
裏常世渋谷での朧車討伐任務後、意識不明で倒れているところを緊急搬送された水無月沙羅は、現在『常世学園付属総合病院』に入院している。
風紀委員にはもちろん、共に住んでいるルームメイトにはこの情報は共有されており、既に幾人かの見舞客があったが未だ彼女は深い眠りについていた。

しかし、それも昨日までの事であり、ようやく彼女は目が覚めた。
目が覚めた当初は軽度の錯乱状態にあったらしいが、今は落ち着いているらしく見舞客の残した人形に挟まれるように横になっている。
邪魔になっているのではないかと看護婦に片づけられようとしたところ、激しく抵抗したらしい。
曰く、これが無いと眠れない、とか。

彼女はそうして確かに意識を取り戻したが、未だ意気消沈といった具合で、食欲もなくほとんど食事をとっていない。
それどころか、コミュニケーションを取ろうとする看護師に対してはほとんどの場合無言を通しており、何かしらの精神的なショックがあったのではないかと医師陣は見解を示していた。

他に誰もいない病室の中、白い天井を見つめてはようやく独り言をつぶやいた。

「何がいけなかったんだろう……。」

彼女の思考は、そればかりに支配されている。

レイチェル >  
病室の白と、自責の念。
二重の壁に囲われた少女の耳に届いたのは、
彼女の知る声だった。

「……沙羅、レイチェルだ」

同時にコンコン、と軽く響くノックの音。
廊下の向こうから聞こえてきた声は扉を通して静かに
少女の耳に入ってきたことだろう。
心配、躊躇、遠慮、不安。
声の主の胸中に燻る雲煙の如き感情が、
彼女の声の調子を一段抑えて響かせていた。

―――。
――。
―。


――『らしくねぇ』な。

ややあって。

「入ってもいいか?」

先程よりも、少しだけ調子を戻した声色で、レイチェルは
沙羅へと声をかけた。
その手には、紙袋が提げられている。

水無月 沙羅 >  
「……?」

珍しい来客者だな、というのが第一の感想だった。
同じ風紀委員であり温泉旅行でも話をしたことはあったが、普段から交流のある人物というわけではない。
もともと彼女が刑事課のエースだったという事もあり、別部署である自分とのかかわりが薄いのは当然のことだが、だからこそ、彼女がこうして見舞いに来るというのは疑問の余地があった。
特別仲が言うわけでもない、ともあれば、心配で見舞いに来たというよりは話すべき事がある、という事だろうか。
なんにしても、わざわざ来た彼女を追い返す理由もなければ、そのような薄情者でもなかった。


「どうぞ、空いてますよ。」

しかし、扉の奥から聞こえてくる彼女の子は何処か不安げだった。
それも次の一声では静まっていたが、それを隠しているという事だろうか。
いや、気を使っているのかもしれないな、と少し苦笑する。

彼女がそこまで不安に思う理由が自分には思い当たらなかったが。

レイチェル >  
「意外な奴が来て驚いたか? 
 部署は違えど同じ風紀委員の後輩だ。
 理央やレオと話して、
 お前とは一度しっかり話したいと思ってた」

沙羅の抱く疑問はいざ知らず、
レイチェルは困ったように笑いながら病室に現れた。
レイチェルはレイチェルなりに、ここに来る理由があった。

理央やレオ――特に、レオと話したあの日から、
必ず会わねばならぬと思っていた。
当初の予定とは随分と違う形での来訪となってしまったが。

加えて、理央との関係は前々から知っていたし、今回の朧車の件を聞けば、
レイチェルの性分が彼女のことを心配に思わぬ訳がなかった。

「じゃあ、邪魔するぜ」

そう口にしながら手近な椅子を引っ張ると沙羅の乗るベッドの
横に滑らせ、向き合う形で腰を勢いよく下ろすと、そのまま
口を開く。

「……って。ネコマニャン好きだったのか、お前」

でかいネコマニャンのぬいぐるみを物欲しそうに――否、
驚きに目を丸くしながら見つめた後、ふっと笑って沙羅へ
問いかけるレイチェル。

水無月 沙羅 >  
「あ、えぇ。 まぁ。
 顔に出てましたか? すみません。
 ちょっと意外ではありました。
 あまり理由もないように思えて。

 話したい……ですか?
 あぁ、レオ君……ともお知り合いでしたか。
 彼は元気にしていますか?」

最近できた仕事を教えている後輩の事を思い出して苦笑する。
あのどこか飼い主を失ったような、子犬のような少年は元気にしているだろうか。
また妙に思い詰めて居なければいいのだが。
不死という自分の存在は、どうにも彼には大きすぎる様に思う。

理央という単語に少し怯えたように反応をして、あえてそれに対する言及は避けた。
今、彼について話すような気力がないというのもあるが、気持ちの整理がついていないからだ。

「話に聞いた通り、豪快というか、威風堂々……そんな言葉の似合う方ですね。
 いえ、そう見せたいだけ、のようにも見えますけど。」

先ほどの不安を押し殺した入室の言葉と、少女らしい趣味に少しだけ微笑む。
気丈に振る舞いながらも、中身はれっきとした少女らしい一面があるというギャップには少し安心する。
刑事課の面々にとってもアイドル的存在なのではないかと思うぐらいには、彼女の容姿や性格は魅力的に思える。

「あぁ、デカマニャン……ですか?
 ルームメイトが好きでして、置いて行ったんだと思います。
 私は特別好き、っていうわけじゃないですけど、あの人が此処に来たんだって思うと安心できるので。
 もう一つはたぶん……かぎりんかな。」

思い当たる二人の家族をあげて、少しだけ暗い表情が柔らかになる。
二つの人形を抱き寄せて、顔の下半分だけうずめて見せる。

「欲しくてもあげませんよ?」

レイチェル >  
沙羅の言葉を受けて、レイチェルは柳眉を少しばかり下げて、
軽く笑い飛ばす。
 
「なに、顔に出てなくたって分かるさ。
 こう言っちゃなんだが、
 別に普段からあれこれ仲良くしてた訳でもねぇし。
 しっかり話したこともまだねぇだろ?
 温泉の時くらいか、ちょいと話したのは。
 
 
 それでも、書類に目を通す中で知ったお前のこと。
 それから、お前に縁のある連中から聞いたお前のこと。
 どっちも、知っちまった以上は放っておけねぇって。
 そう思っちまってな、そういう性分なんだ。

 レオは……最近オレと特訓してるぜ。
 殺さぬままに相手を鎮圧する……そういう戦い方を
 学びてぇんだと。あいつも色々悩んでるけど、『変わろう』と
 頑張ってる。なら、支えるだけで心配は要らねぇと思ってる。
 その点、話に聞く限り、レオよりお前の方が心配だね」

理央の名に明らかな動揺を見せる沙羅。
やはり、まだ彼の話をするには整理がついていない状況のようだ。
彼女が所属上、理央の下から外されたことは聞いている。
その深い内面を流れる事情まで詳細を知るところではなかったが、
それでもある程度、何が起きたかを推測することはできた。

「へぇ、ルームメイトが……って、かぎりん……? 
 かぎりんって、まさか……あの華霧か?」

今度こそ、レイチェルは目を丸くした。
少しばかり腰を浮かして沙羅へ顔を近づける形となる。

「……あ、すまん。いや、別に欲しい訳じゃねぇ。
 しかし、そうか。意外だな、お前と華霧、知り合いだったんだ」

そういえば、彼女の現在の交友関係も深くは知らない。

――ほんと、今は知らねぇことばかりだな。

水無月 沙羅 >  
「あはは……、そうですね。
 私、風紀の問題児みたいなところありますから。
 目につきますよね……すみません、ご迷惑ばかりかけて。」
 
椿の件や、トゥルーバイツ事件において行った、あかねへの異能による攻撃。
殺し屋事件に際しての行方不明。
スキャンダルにおいては事欠かない人材と言えるだろう。
そして今回の入院騒動。 そろそろクビになってもおかしくないなと自嘲的に笑う。

「そう、あの子が変わろうと……ですか。
 いや、あはは。
 君は君でしかない、誰かの代わりにはなれないとは言いましたけど。
 そうですか……殺さない、戦い方。
 良かった、彼は、変われるんですね。」

自分の言いたかったことが伝わったのか、それともほかの人たちによる聡しがあったのか、どちらでも構わない。
彼が、『システム』ではなく、彼個人として動き出しているという事は嬉しい朗報であった。
あの日話したことは、無駄ではなかったと思える。 
風紀委員に居た意味が、一つ増えた。

「……まぁ、入院してるぐらいですから。
 心配されても仕方がないですね。
 
 ……?
 えぇ、園刃 華霧です。
 私の、お姉ちゃん……みたいな。 いや、血縁関係は無いですけど。
 血は繋がってないけど家族……みたいな。
 仲良くしてもらってるっていうか……面倒見てもらってるっていうか。
 えぇ、そんな感じです。
 ルームメイトは、まぁ、私より年下の椎苗って子なんですけど。
 お母さんみたいな子っていうか。
 いや、すみません。
 脈絡が無くて驚きますよね。」

自分の親しい人達についての所感を述べると、余りに突拍子が無さすぎて相手を混乱させるのは自覚しているが、それでも自分にとっては家族同然の大切な人たちだ。
故に、この紹介の仕方を変えるつもりはなかった。
レイチェルにとっては、華霧とそう言った仲が良い関係というのが驚きだったらしいが。

「意外……ですか?」

少し首をかしげる。
仲が悪そうに見えるのだろうかと逡巡する。
確かに、生真面目に見える自分と、少しいい加減に見える彼女は相性が悪く見えるのかもしれない。

レイチェル >  
「別に、良いんじゃねーの、迷惑かけたって。
 オレだって風紀の皆に散々迷惑かけてきたぜ。
 順番だよ、順番。後輩だった頃に問題起こして
 迷惑かけまくったオレが、
 今度は後輩であるお前の問題に向き合う番」

自嘲的な笑いに対して、それでもにっ、と。
頬を緩ませてレイチェルは笑うのだった。
だから気にすんな、と。言外の笑みに残した想いを彼女に託す。

「そっか、沙羅も大切な言葉をあいつに渡してたんだな。
 じゃ、お前も立派な風紀の先達だな」

ふふん、と笑いながら椅子の背に右腕を回し、
左手の人差し指でびしっと沙羅を指さすレイチェルの姿勢は、
既にリラックスしたそれになっていた。

ところが。


「……え? いや、お、おう……?」

華霧がお姉ちゃんだという話を聞けば、
はぁ、と首を傾げて沙羅の顔を見つめるしかなくなる
レイチェルであった。
しかし、考えてみれば。きっと華霧にとってはとても大切な
関係性なのだろうと、すぐに思い直した。
彼女の過去を考えれば、頷ける話だ。

「まー、そうだな。二人のタイプが違うから~、とか。
 そういうんじゃなくてさ。
 あいつからそういう話、聞いてなかったからさ」

しかし、自分の知らないところで、
彼女がそういう関係を作っているのは少しばかり、
ほんの少しばかり寂しくもあり、そして何よりも。

――ほんと、知らねぇことばっかりだ。

自嘲気味に再び浮かぶ、言葉。

――『らしくねぇ』。

それを、レイチェルは否定する。
これから知っていけばいいだけの話だ。
そしてそれは、きっと楽しいことだ。

『らしくねぇ』気持ちを振り払うように頭を振った後、
レイチェルは穏やかに微笑んだ。

「華霧は、ああ見えて結構寂しがりやだからさ。
 そういう親密な関係があるなら、良かった、本当に」

水無月 沙羅 >  
「順番……ですか。
 みんながみんな、レイチェル先輩みたいに言ってくれたらいいんですけどね。
 そうじゃない、面倒ごとを見る眼を向ける人も当然いますから。
 ほら、公安とか……ね。
 実際、危険人物であることに変わりはありません。
 そうでなくしたいな、とは思ってますけれど。」

結局は他人の評価だ。 信頼ともいえるかもしれない。
いったん落ちてしまった信頼を再構築していくことは難しい。
不可能と言っても過言でもない程に。
それほどに、犯した罪というものは呪いの様に付きまとってくるものだ。
だが、彼女のその言葉は温かく、少しだけ沙羅の表情を穏やかに微笑ませるのだろうか。


「先達……いや、私まだ一年なんですけど。
 レオ君の先輩というには、ちょっと情けない気もします。
 でも、あぁ、そう成れていたならうれしいですね。」

こちらの事をリラックスした姿勢で指さす彼女。
先ほどの不安な様子はどこへ行ったのやら。
おそらく話したい本題はそこにはないのだろう。


「寂しがり……ですか?
 ……なら、もっと会って話してあげたらどうですか?
 その、かぎりんってすごく心配性というか、けっこう考えてるっていうか。
 なんていうのかな。
 すごく、思いやりがあるし、不安になりがちだと思うから。
 私は、その、今こうして心配をかけてしまっている側だから。
 レイチェル先輩が、かぎりんにとって仲の良い人なら、支えてあげてください。
 きっと、今は少し辛い状況だろうから。」

自分の事を棚に上げて、沙羅はそう告げる。
本当ならもっと自分のことを第一にするべきだと言われるのだろうが、沙羅にとっては身の周りを固める事こそ、自分の為でもある。
これ以上親しい人を失いたくないという恐怖が、その根源には存在していた。

少しだけ震える手を隠すように、デカマニャンを抱きしめている。

レイチェル >  
「馬鹿。そういう眼からお前を守るのがオレ達の役目だ。
 もっと周りを頼れよな。
 でもまぁ、『そうでなくしたい』――『変わりたい』ってお前が
 思ってるその気持ちが、きっと大事なんだと思うぜ。
 お前がそう思ってるってんなら、ちょっと安心した。
 それならオレ達は、そいつを支えるだけだ」

周りを頼れ、と。
今の自分ならきっと責任を持って、胸を張って言えるから。
その言葉には血が通っていて、少しばかり力強く放たれた。

「一年だって、レオよりも先に風紀委員に入ったんだったら
 先輩になり得るだろ。お前の方が経験あんだからさ。
 それに、少なくともお前の言葉、きっとレオに響いたんだろうよ。
 だからこそ、レオは動き出した。なら、お前は胸張っていいと思うぜ」

リラックスした姿勢はまだ続く。
その裏で、レイチェルはいつ核心に触れるべきか考えていた。
それは、病院の廊下に居た時から何も変わっていなかった。

「……そう、だな。ああ、その通りだ」

何度、連絡を取ろうと思っただろうか。
何度、話しかけようと思っただろうか。
在り方に悩んで、結果的に先延ばしにしていた。
でも今ならばきっと、楽しい気持ちで会える気がしていた。
だからこそ、レイチェルは沙羅の言葉に頷いたのだった。

「仲の良い……オレにとって、あいつは大切な奴だ。
 だから、そこんところは安心してくれ。
 オレはあいつに寂しい思いをさせないように頑張るからさ。
 オレもそうしたいし……それに、
 『妹』の頼みじゃ、しょうがねぇからな」

冗談っぽく笑いながら、ネコマニャンを抱きかかえる沙羅へ
目を向ける。そうしてその震える手に、目が行った時、
先まで崩れていたレイチェルの姿勢は、改まった。
表情もまた、少しばかり病室の扉の前に居た時の色が、
ちょっぴり浮かんだ。
そうして、しっかりと彼女へと身体の向きを直した。

「……沙羅。怖いのか?」

震えているその手を見て、真剣な表情で
レイチェルはそう問いかけた。

水無月 沙羅 >  
「周りを頼れ、ですか。
 これでも、大分改善されてきたと思てるんですけど。
 やっぱり、足りてない……ですよね?
 どうしても、悩むと一人で考え込む癖があるのかな。
 不安が強いと、どうしてもこうなってしまって。

 頼り方も学ばないといけませんね。
 それに、向き合わないといけない子も、居るから。」

入院患者用の服を魅せるように持ち上げる。
色々と抱えすぎているのだろうという事は自分でも理解できる。
キャパシティを超えてしまうと、こうして病院の世話になているのだから否定のしようもない。
だからこそ周りを頼れという事なのだろうというと、理解できているつもりだ。

本当に変わりたいと思っているのか、少しだけその言葉が頭に過る。
それはきっと、『椿』というもう一人の自分の存在がそうさせるのだろう。
彼女は、自分の代わりに、自分の本音をばらまいている。
自分の抱える狂気を、彼女が引き受けている。
ならば、本当に自分は変わらないといけないと思っているのか。
そう思う自分と、向き合わなければいけないのだ。


レオに言葉が響いたのだと語る彼女のその一言には、微笑みという表情で返した。
何かを伝えるために、風紀委員になったのだから。
人は変わっていけると、示せたのならそれはとても喜ばしい。


「そう、ですね。 『お姉ちゃん』のこと、お願いします。
 私の大切な、家族だから。」

レイチェルの笑みに、同じ様に笑う。
自分にとって、家族という言葉は冗談でも何でもないけれど。
それを尊重してくれているという事は十分以上に伝わった。

水無月 沙羅 >  
 
 
「――――え?」
 
 
 

水無月 沙羅 >  
『怖いのか?』

そう言葉にされた質問に、沙羅の肩は跳ね上がった。
触れることに恐れていたそれに、踏み入ってくる一言に臆病になる。
隠していた恐れと不安、そして恐怖はその言葉をきっかけにあふれ、カタカタと歯が触れ合うほどに少女の体は力み、震えは加速する。
一気に顔は青ざめて、ぬいぐるみを抱きしめる手はさらに強くなった。


「あ、あはは、何言って……」


そんな強がりな言葉ではもう隠しきれないほどに、少女は限界を超えてしまっていた。


「あれ、おかしいな……ちょっとこの部屋、寒いですかね?
 冷房の利きすぎかな?」


エアコンのリモコンに手を伸ばし、手に取ろうとするも其れすらもできずにその手からこぼれ落ちた。
落ちてしまったリモコンを、先ほどまでの穏やかなものとは一変した、どこまでも昏い吸い込まれてしまいそうなほど悲しみに満ちた瞳がみつめている。

レイチェル >  
踏み込んだ一言に、震える少女。
レイチェルの不安は、此処にこそあった。
ただ、今のレイチェルは。
その不安を乗り越えて、『らしくねぇ』と振り払って、
今、ここに沙羅と向き合っている。

カタリ、と。
乾いた音を立てて落ちてしまったリモコンをレイチェルは
見つめた。小さく首を振ってそれを拾うと、ベッド横の
机の上へと置いた。

「……怖いんだな、沙羅。
 目の前から、大切な人が居なくなっちまうことが。
 そりゃ、辛ぇよ。辛いに決まってる。
 なのにお前は平気そうな顔をして、オレを出迎えて……」

確認するようにもう一度、静かにそう口にする。
理央のことが、そして華霧のことが。
大切だからこそ、その感情は彼女の内に湧き起こるのだろう。
よく分かる。自分だって、そして華霧だって同じだ。
そしてきっと、沙羅も。いやきっと、誰だって。


彼女が向けてきたその瞳はまるで虚ろ、闇の底。
吸い込まれてしまいそうな深淵。光の届かぬ夜の帳。

レイチェルの瞳は、対照的。
悲しみの色を帯びてはいたがしかし、その奥には
あたたかな光が滲んでいる。

「……理央と何があったのか。
 良かったら、聞かせて貰ってもいいか?
 嫌なら、別に話さなくてもいい。
 無理強いはしねぇ、お前の自由だ」

目線を沙羅に合わせるように。
寄り添うように。
レイチェルはただ、隣に座って穏やかな声を投げかける。

「それでも、ほんの少しでも力になれたら嬉しい。
 お前が抱いている迷いや恐怖を少しでも、
 和らげることができたら……お前の気持ちの整理を、
 つける手伝いができたら……そう思ってる」

理央の時にも、同じことを思った。そこがきっと、
今の沙羅との関係を踏まえた上での自分の限界だ。
この場に居る自分一人だけの力で、他人の悩みを全て
解決できるだなどと、傲慢な思いは抱いていない。

それでも。そうだとしても。

「こいつは、『先輩』としてじゃねぇ。
 『レイチェル・ラムレイ』として、
 震えちまってるお前を見過ごせねぇんだ」

沙羅の瞳をじっと見つめて、レイチェルはそう口にする。
すっかり弱々しくなってしまった眼の前の少女に、
いつか見た誰かの面影を重ねた所があったことは、
レイチェル自身も否定はできない。
しかしながら、重要なのはそこではない。

今、目の前の沙羅という少女が。
喪失に悩み、孤独に惑い、目の前で苦しんでいる――
――その『有り様』が気に食わない。
レイチェル・ラムレイはそれを赦さない。

だから、じっと横に座りながら。
それでも心の手を翳《のば》す。

水無月 沙羅 >  
「……。」

聴かせてくれと述べる彼女の瞳は、憐れみではなく暖かさを感じるモノだった。
どこまでも深く墜ちていく心に伸ばされる手を、それでも何処か握れずにいる。
その理由がどこにあるのかは、自分自身にもわからない。
温かさが憎らしい訳でも、鬱陶しいと感じるわけでもない。
寧ろその心遣いに、冷たくなった自分の体すら温めてくれるものを感じる。
そう、きっと、その温かさを失ってしまう事すらも怖いのだ。
自分の傍に近寄るものが失われることを、酷く恐れている。



「何があったのか……それは、私が聴きたいくらいです。
 出会いや、殺し屋事件の事は……書類に記載されていることが全てですから。
 それ以上は……。
 入院する前の朧車討伐の後に……本当に唐突に、幸せにできる自信がないと、幸せになれと。
 討伐で受けた傷がもとで動けない私に、彼はそう言って……。」

そうして目の前から消えた。
判っているのは其れだけだ。
それしかわからない。
どうして彼がその結論に至ったのかすらもわからない。


「彼の為に、彼が傷つかないために、傍に居るために、出来る事はやってきたはずなのに。
 私が失いたくない幸せは、そこに在った筈なのに、彼は何も言わずに、私の傍から離れて行きました。
 なにも、何も、判らないんです。」


それでも、幾度となく助けられてきたその手を振り払うことなどできる筈もなかった。
そうして得てきた物が、椎苗や華霧といった家族なのだから、それを裏切ることなど自分にはできない。
故に、わかる範囲の事を伝える。

具体的に聞かれるならばもっと詳細に語ることもできるだろうが、混乱と恐怖に満たされた沙羅の状態では、それを語るだけで精一杯だ。
縫ぐるみを抱きしめながら、失いたくない者の温かさを確認するかのように顔をうずめている。

レイチェル >  
「幸せにできる自信が無い、か……」

彼女の想い人――理央が口にしたというその言葉を、
レイチェルは繰り返す。

「何も、判らない――か。
 実はな、少し前にオレ、理央と話をしたんだ。
 ほら、あいつが最近大怪我して入院した時、
 オレも見舞いに行ったからさ」

レイチェルは、理央と話した時のことを沙羅に聞かせる。

彼女を傷付け、苦悩させてばかりの自分は、
『良くない恋人』なのだと、彼が語ったこと。
彼女を傷つけてきたが、それでも鉄火の支配者と
してあることしかできないのだと、そう口にしたこと。

そして。

もし役割も資産も異能も魔術も、全て失ったとして――
つまり鉄火場から離れたとして、そこに残った『神代 理央』に
価値はあるのか、と。そう弱々しく口にしていたこと。

「あいつもあいつで、『判らない』し『怖かった』んだろうよ。
 ……オレからは、こう伝えた。
 
 水無月沙羅――『神代 理央』を一番想ってる人間が、
 お前が持つ色んな価値を知ってるし、愛してる筈だ。
 でもって、オレも、沙羅をはじめとした色んな奴に
 想われてる『神代 理央』の価値を信じたいって。
 そしたら、あいつは言ったよ」

その後、彼が口にした言葉も、一緒に伝える。

『きっといつか。いつか必ず。
私は『神代理央』として、立ってみせますよ。』

『私が、私自身の名に誇りと尊厳を持てる様に。』

『ただの『神代理央』を、
 今でも受け入れてくれている人を、裏切らない様に』


「――ってな。時間をかけてでも、向き合ってくれると
 思っていたが――」

ベッドの横の椅子に深く腰掛けたまま、レイチェルは遠くを
見るように白の壁を見やった。そこに映し出されていたのは、
あの日の理央の姿である。

「――一筋縄じゃいかねぇな、あの呪縛は。
 オレも似たよーなもん背負ってるから、
 そこんとこは何となく分かるけどよ」

目の前の相手が救いを求めていたら、
弱々しい姿を見せていたら、
手を翳《のば》さなければ、いられない。
己の過去に起因する呪縛が、
レイチェルにも刻まれているから。

「お前の『判らない』をどれだけ解せるか分からねぇが……
 こいつが、オレが神代 理央から聞いた話だよ」

そう口にして、レイチェルはデカマニャンを抱きかかえる沙羅へと視線を戻した。
穏やかな口調のまま、視線だけを送った。

水無月 沙羅 >  
「……あの人はいつも入院してますからね……。
 いや、私も人の事はあまり言えないかな。」

幾つかの機材に繋がれている自分の体を見て、自嘲的に笑った。
己の場合は肉体的な損傷ではなく、精神的側面によるどちらかと言えば拘束という意味合いでの入院が多かった。
それほど、自分は不安定で危険な存在であるという証明でもあるのだろう。
思い返せば、理央と自分は、とても不安定な組み合わせだった。
これまで関係性が続いてきたことも、一種の奇跡の様なものなのかもしれない。

「あの人の呪縛を解こうとしたことは、ありました。
 『鉄火の支配者』として、学園を守る一つの『システム』として。
 彼を育ててきた環境という呪縛から、解き放たれる時が来ればいいと。
 少しでもいい、その背負わなければならなくなっていたものを、降ろせるようになればと。
 それまでは、一緒に背負えたらと。」

殺し屋事件の時も、特殊領域『コキュトス』においても、かれが奪った命の大きさにさいなまれたときも、隣に居て寄り添っている、そのつもりだった。
だが、つもりでしかなかったのだろうか。
結局、自分もまた彼の重荷でしかなく、彼はそれに耐えきれなくなった。


『水無月沙羅』を幸せにする、という役割を果たさなければいけないという義務感にさいなまれていたのだとしたら、それは。


「役に立つ必要なんて、無かったのに。
 ただ、傍に居て、隣いて、語らえているだけで幸せだったのに。
 私が、あの人の隣に居るためにしたことは、いつだって、裏目になる。」


ディープブルー、シスター・マルレーネを救出した時にだって、自分のしたことは結局何の役に立ったというのだろうか。
誰がどんな優しい言葉をかけたとしても、彼が瀕死の重傷を負ったという事に変わりは無く、水無月沙羅はその隣には居なかったという結果がすべてだ。
沙羅にとっては、その結果こそが重要だった。
結果を得るために、力を尽くしてきたのだから。
けれど、それは自分の無力さを思い知らされる結果となった。


「隣に居るだけで、いなくならないで居てくれるだけで、十分だったのに。
 そこに価値なんて、要らない。
 彼が其処に居る、それだけで十分だったのに。」 


何度も、何度も、そう訴えてきた。
自分を見てほしいと、言葉を聞いてほしいと。
その重荷を背負わせてほしいと。
自分の幸せはそこに在るのだと、伝えてきたはずだった。
それは、彼には響かなかったのだろうか。


彼を、恐怖から救うことができなかった。


自分は結局無力で、失いたくないものを再び失った。
昔と何も変わらない事実に、少女はもう何も、何も。


ただ、光の失った瞳で何もない空間をぼんやりと見つめている。

レイチェル >  
「ああ、そうだ……そう、なんだろうな」

沙羅が語る、言葉。
その重みも空虚な闇も、ただ受け止めるだけ受け止めて。
レイチェルは言葉を返す。

「本当に、本当に沙羅は頑張ってきたんだな。
 オレにはお前の苦しみや想い、その全部は分からねぇが……
 それでも、お前がすげー苦しんで頑張ってきたって事実。
 それだけは間違いなく、改めてその言葉でオレに伝わったよ」

そうして彼女が積み重ねてきた努力や苦しみをここで
直接伝えられたからこそ、レイチェルはその言葉を口にする。

「だから、さ。
 『頑張ってきたから良いじゃねぇか』――
 
 ――なんて。

 簡単な言葉で終われる関係じゃないことは、分かる」

一緒に居たいというその願いが彼女の内にある限り、
そんなまやかしのような言葉は救いになどならない。
寧ろ、毒でしかないだろう。

もし自分が沙羅の立場だったら。
華霧が目の前から居なくなってしまったら。
思わずそのことを想像して、ずきりと胸が痛くなる。

「そして、『幸せにできる自信がない』なんて――
 ――そんなちぐはぐの一言だけで納得して終われないことも、分かる」

沙羅の想いは、彼に届いていない。
想っても想っても、相手に届かない。

「想っても届かねぇのは……辛いよな。
 自分の想いが、重荷になっちまうってのも」

そうして、何もない空間を見つめる沙羅に、レイチェルは
ぽつりと零した。

「……上っ面の同情なんかじゃねぇぜ。
 この言葉に限らねぇが……
 オレも今、大切な奴とすれ違いながら、それでも
 向き合おうとしてるからこそ、口にしてる言葉だ」

そうして、レイチェルは続く言葉を口にする。
沙羅のほんの僅かな先まで、進んでいたから。

紅蓮という教師から、真琴という後輩から、
真っ暗闇の中に薄っすらと光を射す言葉を受け取っていたから。

「お前にとっても、それからオレにとっても……。
 きっと大事なのは、『どう在りたいか』だ。
 悩んでるオレに、色んな奴らが教えてくれたことだ。
 迷うお前のヒントになるかは分からねーが、伝えとく。
 
 あいつから一方的に離れていったのを見送る形になった
 お前は、これからどうする? 
 
 いや、どう『在りたい』?
 
 『失った者』として、あいつの背中をこのまま見送るのか。
 『水無月 沙羅』として、あいつの隣に居る為に足掻くのか。

 それとも、全く別の在り方を求めるか?」

責めるような口調も、上から諭すような口調も、そこにはない。
ただ、同じ『迷いながら歩む者』として。
そして今この病室で、『隣に在る者』として。
レイチェルは問いかけた。

水無月 沙羅 >  
「しぃ先輩は、『お母さん』は、私の思うがままにしたらいいと、言ってくれました。
 彼を蝕むものすべてを壊してしまいたい。
 そんな恐ろしい欲求が私の胸の内にある。
 それを打ち明けても尚、彼女はそれを共に背負うと、言ってくれました。」

 
ルームメイトであり、『水無月沙羅』という人格の生みの親でもある彼女は、自分を受け止めてくれた。
その全てを、受け入れてくれた。


「かぎりんは、『お姉ちゃん』は、やめろと止めてくれました。
 本当は止めてほしいと思っている、そんなことしちゃだめだって言ってくれる私に気が付いてくれた。
 ちゃんと、諭してくれた。
 トゥルーバイツの時のこと、なのかな。
 そう止めてほしかったんだって、自分の事を振り返って。
 二の舞にはなるなって。 そういってくれて。
 それでもどうしてもっていうなら、一緒に背負うって。」


その衝動に身を任せてしまう事への恐怖と、罪悪感、そして、誰かに止めてほしいという密かな願いをも汲み取った姉。
どちらの家族も自分を受け入れ、受け止め、そしてともにあると誓ってくれる。
離れることは決してないと、そう言ってくれる。


けれど、だからこそ。


「だから、判らないんです。
 自分が如何したらいいのか。
 どうしたいのか。
 もう其れすらも、判らない。
 ううん、したいことは分かってる。
 けど、私の胸の中にあるこの衝動は、誰かを不幸にするものだから。
 風紀としても、人としても、きっと罪を背負うことになる。
 だから、彼女たちに其れを、押し付けたくないと、思う。」


全て、自分の持つものをなげうって、彼を救いに行けるのならばそうしたいという欲が無い訳ではない。
それは、それだけは、したくないと思う。
彼女たちは其れすらも受け止めてくれるだろうという確信はあるがゆえに。


彼女たちを巻き込みたくない、大事な物を、大事な人たちを、これ以上傷つけたくない、失いたくない。
その恐怖が、どこまでも自分を縛り付ける、
彼女たちはこの言葉を聞くと、怒るかもしれないけれど。



「理央さんに、全てを割くことは、出来ない。
 もう、彼がすべてだった私じゃないから。
 大切なものは、他にもあるから。
 それを、壊したくはない、から、だから。
 この願いも、衝動も、きっと、私は持っていちゃいけない。」


彼を追いかける、理央を、取り戻す。
その方法を、自分は破壊意外に知らず。
それは、自分の周りを傷つける。


これ以上は失いたくないのに。



「だから、もう、良いんです。」



未練が無い訳ではない。
いつまでだって、きっと彼のことを思うのだろう。
けれど、この感情が、彼らを、彼女たちを傷つけるのなら。
この感情は捨ててしまおうと。


感情の抜け落ちた瞳から、一粒涙がこぼれた。

レイチェル >  
「……そうか、大切なものが沢山あるから。
 それを傷つけたくないから、もういい、か」


レイチェルは、彼女の放つ諦めの言葉を、その一言で肯定した。
大切な人を傷つけたくない。
その気持ちは、痛いほどよく分かっていた。
だからこそ、無責任に諦めるな、などとは言えない。

もしそんな言葉を彼女に伝えることができる者が居るとしたら、
それは彼女にとって大切な人々――『家族』だけであろう。
椎苗というルームメイト、そして、華霧。
そして、もしかしたら他にも。

しかし、だからと言って、
ここで彼女を捨て置くわけにはいかなかった。
それは、『レイチェル・ラムレイ』の在り方が赦さない。
虚ろな瞳から涙を零す彼女を、放っておくことなど、
できはしない。

その在り方は――『否定』する。


「お前が選んだ道だ。オレからあっち選べこっち選べ、なんて
 言わねぇよ。

 けどな、お前の今の在り方だけは、どうしても気に食わねぇ。
 納得した奴が、そんな辛そうに涙を流すかよ。
 諦める選択をするにしても、まだやれること、あるんじゃねぇか?


     諦める道。     追いかける道。


 これからお前がどちらを選ぶことになろうが――」


真っ直ぐに沙羅の瞳を見つめながら、レイチェルは語を継ぐ。
紫色の瞳は純粋な炎の如き輝きを見せていた。


「――自分が本当に納得できる、満足できる道にすること。
 そのことだけは絶対に諦めんじゃねぇ。
 『水無月 沙羅』自身をそんなに簡単に殺すんじゃねぇ。

 お前が選んだ道を、満足のいく正解にしろ。
 他の誰かに頼ってもいい。縋っても良い。
 お前が大切に思う奴らは、きっとそいつを望んでるからな」


『家族』だって、お前のそんな顔見たくねぇ筈だ、と。
伏し目がちに小さく呟きながら、
華霧が自身に投げかけた言葉をレイチェルは思い返していた。
彼女は相談して欲しかったと、その思いを伝えてくれた。
彼女の思いを裏切ってしまったことは、今でも悔やんでいる。

だから。


「それに、オレだって。
 お前の大切な『家族』じゃねーかもしれねぇが……
 それでも、お前の苦しむ顔を見たくねぇ人間の一人であることは事実だ。
 先輩後輩、それだけじゃねぇ。
 『水無月 沙羅』の頑張りを。
 『水無月 沙羅』の苦しみを。
 知っちまったから、な。
 
 ……だから、いつでも頼れよ。
 どっちの道を選ぼうが、オレもお前の支えの一つに、
 なってやるからさ」


そうして、手を伸ばす。翳すのではない。
掌を上にして、握手を求める形で。

「約束だぜ」

水無月 沙羅 >  
「……私の周りは、変な人が多いですね。」


自分を殺すことはするなと、自分を諭す少女を力なく見つめる。
己が無力感に涙する時、現実に耐えきれずに崩れ落ちた時、誰かを助けたいと奔走する時。
自分の力ではどうしようもない時に、必ず誰かが傍に居て、自分にそうやって手を伸ばす。
 
 
最初は、『神代理央』だった。


彼はとても不器用に、自分の定めを受け入れてた自分を掬い上げた。
それに甘えていた自分を思い出す。
助けられたからこそ、助けたい。
受けた恩を返したい、最初はただそれだけの理由で、それが好意へと変化して行った。
そして、それは幸福の始まりでもあり、今こうして絶望のきっかけにもなった。
だからこそ、少女の言葉はひどく眩しく、酷く恐ろしくも見える、


その手を取れば、次は彼女を巻き込むという事だ。
傷つけるかもしれないという事だ。
神代理央の様に、己のこの昏い感情を分かち合うという事だ。
頼ってもいいのだろうか、縋ってもいいのだろうか。
これ以上、誰かを巻き込んではいけないのではないか。
ネガティヴな感情と思考が、己を支配して行く。
伸ばられた手にびくりと震え、恐る恐る取ろうとするも、危機感が邪魔をする。

その手は緩やかに、ぬいぐるみを抱きしめる様に引き戻された。
また、彼女もそう言いながら、己のもとを去るのではないかという恐怖が、己を襲うのだ。


「……知っただけで、聞いただけで、どうしてそこまで親身になれるんですか。
 みんな、おかしいですよ。
 私に、優しくしてくれる人は、みんな。
 私にそこまでする価値が、あるんですか。」

 
それは、図らずも理央が自分に思っていたであろうことだ。
そんな価値はいらないと、自分で言ったのは分かっている。
それでも、それでも。
不安なのだ、理由が無くては、保証が無くては、どうしようもなく不安になるのだ。


かつて、幼少の頃にすべてを失ったように、神代理央が自分のもとを去ったように、また失ってしまうのではないかと。


「レイチェル先輩は、どうして手を伸ばすんですか。」


その理由を、知らない事には、手を取ることは出来ない。

レイチェル >  
「価値はある。
 大切な奴のことを考えて、想って、頑張って……
 それで自分から苦しい選択をしようとしてる。
 誰かの為にそんなことができる『水無月 沙羅』には、
 きっと価値がある。オレはそう信じてる」

神代 理央もそうだった。
間違いなく、価値のある存在だというのに。
不安で、怯えてしまう。自分の価値なんかと、
勝手に自分の中で一蹴してしまう。
自分とて、そうだったのだ。
己の価値を信じるというのは、どうあっても難しい。
それでも、いやだからこそ、他人の価値は信じたい。
レイチェルは、そう考えている。

「……オレが手を伸ばすのは。
 
 昔、見たくもない結末を見たからだ。
 手を伸ばすことで、
 きっと大切な家族を救えた筈なのに。
 怯えて、手を伸ばせないままで……何も救えなかった。
 
 それが、始まりだった。

 それから、この学園に来て……
 かけがえのない……大切な華霧に、手を伸ばせなかった。
 それで、あいつのことを傷つけちまった。
 下手したら、あいつがこの世界から
 居なくなっちまってたかもしれねぇんだ。
 
 そういうの、もう味わいたくねぇんだよ。
 目の前で、誰かを失いたくない。
 
 だから、目の前に救える奴が居て、
 そいつが救いを求めるのなら……
 手を伸ばしてぇんだ。
 
 だから、はっきり言うぜ。

 伸ばすこの手は、オレの我儘だ。
 取るも取らねぇも、好きにしな」

その手を前に伸ばしたまま、レイチェルは沙羅へそう告げる
のだった。その口元に笑みはなく、彼女はただ真剣な表情で
沙羅を見つめるのみだった。

水無月 沙羅 >  
「……。
 失いたくないから手を伸ばす。
 その気持ちは、よくわかります。
 私も、ずっとそうしてきたから。」


神代理央を、神樹椎苗を、自分に関わってきた者たちを、失いたくないと思うからこそ、何時だって自分は駆け、這いずり廻りながらも手を伸ばし続けてきた。
だからこそ、その言葉は信用できる。
失ったことのあるものの言葉には、重みがある。
何より、華霧が自分を止めてほしかった相手というのはきっと、眼の前に居る彼女の事なのだろうと、そういう事が察せられたから。


「諦めたいわけじゃない。
 自分を押し殺したいわけでもないんです。
 でも、それが一番だって、そう思う私が居て。
 その現実を受け入れたくない私もいて。
 自分でも、整理しきれない感情が、ずっと渦巻いてるんです。
 
 まだ、私は正解を見つけられてないんです。
 このまま彼を追いかけても、きっと意味はない。
 また、彼を苦しめるだけになってしまう。
 それじゃぁ、駄目なんです。
 いまのままじゃ、ダメなんです。
 彼が、傷つかずに済む方法を、考えないといけない。
 
 諦めるにしても、追いかけるにしても、私たちは。きっと彼を知らなさすぎる。」


まだ、瞳に光が戻った訳ではない。
希望を取り戻したわけではない。
絶望の淵で、もう少しだけあがいてもいいかもしれないという、それだけの事。
伸ばした手を振り払う事は、したくないと思っただけ。


「……欲張りな人ですね。
 レイチェル先輩は。
 かぎりんも、私も、そうして手を伸ばそうなんて。」


まだ恐れのある、震えの残る手を、そっと伸ばした。

レイチェル >  
迷う手と手が、触れ合った。 

「そうだな、『知らなすぎる』。オレ達は……」

相手のことを、知らなすぎるのだ。
それでも、改めて見据えようとするのなら。
相手が傷つかない方法に手を伸ばそうとするのなら、きっと。

こんなことで晴れるような迷いではない。
そんなことは、レイチェルとて分かっていた。
それでも、彼女はこの手を取った。
それで、十二分だと感じていた。

『傷つかずに済む方法を、考えないといけない』

その言葉を聞いて、レイチェルは微笑んだ。

この道をより良い道に、正解に近づける為の努力を
彼女がするというのなら。

「じゃ、一緒に足掻こうぜ。迷いながらでも。
 相手のことを……
 きちんと知るために。
 見据えるために。
 向き合うために。
 今歩いてるこの道を、マシな道にする為に」

諦める道も、追いかける道も、進むことには変わりない。
進む中で迷いや痛みも生じるだろう。
レイチェルはしっかりと、沙羅の手を握りしめた。
傷だらけでも、確かにあたたかいその手で。
これからだ。何もかも、これからだ。互いに。

そして続く言葉には、空いた左手で頬を掻く。

「……欲張りね、よく言われるぜ」

自嘲気味に軽く笑い飛ばすと、レイチェルはその手を離した。
代わりに、一度外套にしまっていた紙袋を、彼女へずい、と
突き出す。

「じゃ、そろそろ行くけど……これ、お見舞いの品。
 まずは甘いものでも食べて、ちょっとでも元気、出しなよ」

紙袋の中身は、チョコレートクッキーだ。

水無月 沙羅 >  
「……はい。
 向き合うために、知る為に。
 分かち合うために、一緒の道をまた歩くために。
 力を貸してください。」


もう少しだけ、あと少しだけがんばってみよう。
また、無駄足になるかもしれないけれど。
それでも出来る事がまだあるならば、やれることは全てやるべきだ。
そう思う事も出来る。
こうして背中を押してくれる人が居るなら、まだ立ち上がれる。

 
「そういえば、私今、宙ぶらりんで行くところが無いんです。
 理央さんのところをクビになってしまったので。
 風紀委員で、人を募集してるところ、知りませんか?」

知らなさすぎるなら、知らなければいけない。
それを知るためには、立場と情報が居る。
それを手に入れられる場所は限られているからこそ、まだこの立ち場を失うわけにもいかない。
故に、助けてくれるというのならばまずはそこからだろう。
自分の立ち位置を明確にしておかなくては。


「……クッキー……ですか?
 そうですね、かぎりんと、しぃ先輩と一緒に、いただきます。」


ようやく、ほんの少しだけ暗い表情は消えはしないが、柔らかに微笑みを返すことができた。


「それと、一つだけ。
 神宮寺、という風紀委員には、気を付けてください。
 私から言えるのは、それだけです。」


その言葉を最後に、疲れ切ったのか、ぬいぐるみを抱きしめたままゆっくりと瞼を閉じた。
決意こそできたが、まだ、彼女には休息が必要なのだろう。
 

レイチェル >  
「ああ、喜んで」

レイチェルは、深く頷く。
どのような道に向けてであれ。
歩き出すことは、虚ろな色の涙を零しているよりもずっと、
価値のあることだろうから。

「……んー、だったら。刑事部、来るか? 
 華霧も来ようか悩んでるって話だし、
 もしかしたら、ちょうど良いんじゃねぇかな」

家族が近くに居れば、きっと心強いだろう。
そう感じたレイチェルの口からは、自然と刑事部へ誘う
言葉が紡がれていた。

「神宮寺……分かった、気をつけておく」

その名をしかと記憶に刻む。
詳しい話は、また聞かねばならないだろうか。

「今はゆっくり眠りな。
 ずっと頑張ってたんだ、今は休めばいいさ」

眠りに落ちようとする彼女へそう言葉を渡して。

彼女が眠りに落ちた後も。
レイチェルはその場に残り、彼女のことを暫しの間、
見守っていたことだろう――。

ご案内:「常世学園付属総合病院」から水無月 沙羅さんが去りました。<補足:身長:156cm 体重:40kg 不死身少女 待ち合わせ済み>
ご案内:「常世学園付属総合病院」からレイチェルさんが去りました。<補足:金髪眼帯の長耳少女。学園の制服に外套を着用。>