2020/11/21 のログ
ご案内:「商店街」に月夜見 真琴さんが現れました。<補足:白のニットロングワンピース 赤カーディガン、マフラー 黒キャスケット>
ご案内:「商店街」にレイチェルさんが現れました。<補足:金髪の長耳少女。眼帯と学園の制服を着用。>
月夜見 真琴 >  
夕刻。
遠く東に落ち行く陽は赤く灼けて、学生街の路地に二つの影を長く伸ばす。

「瀛洲も久々だった。紙とインクの匂いは、絵の具とはまた違った風情がある」

隣り合う買い物連れが抱える袋に視線を向けてから、その顔を見上げた。
さても此度は自分の買い物。目当ては同居人が退屈しそうな物品。
個人用、常世祭用と、画材が入り用になったという運びである。
ひとりで行ってもいいのだが――さて。

「成果はいかがだったろう、詩人殿?
 繰り返しに読みたくなる懐の朋には出会えたかな?」

学生街は『芸術』を扱う一角をそぞろ歩いて、
いましがた本の海たる『瀛洲』を泳ぎぬいての帰り道だ。
ただ会いたい、と告げるのは今になってもただ気恥ずかしくて、
それっぽい口実を盾にしての機会にはなってしまったけれど。
内心の弾みと緊張はおくびにも出さないまま、白くなった吐息を夕闇に吐き出す。

レイチェル >  
商店街。
淡い朱色に照らされて。
温かみのある色を帯びた、金と純白が商店街の風に揺れている。

「あぁ、オレも寄ったのは久々だったよ。
 やっぱりあの独特の臭い――いや、香りと言った方がいいか。
 落ち着くんだよな。
 魔術の知識を手に入れるために、虫になってた時もあった。
 そんな昔を思い出すぜ」

隣を歩く後輩をちらりと見やれば、レイチェルはそう口にしてふっと
笑った。赤く染まった空のように暖かな笑みだった。

「だーれが詩人殿だって? 登山家殿。
 懐の朋になるかは知らねーけど、まぁ……悪くねぇ詩は見つけたよ。
 あれこれと目まぐるしく考えを巡らせちまう時は、素朴な詩を読むに限る。
 ストレートな言葉の世界は広大で、偉大だぜ」

夕闇に吐き出される白い息を見て、レイチェルもふっと、
小さく息を吐き出した。

「もう随分と寒くなってきたもんだなぁ」

そんなことを言って、レイチェルは空を見上げる。
冬の足音は、すぐそこまで近づいてきていた。

月夜見 真琴 >  
「むかし、か。 遡れば遡るほど歴史もあるのだろうけれど」

横目で見つめた。
まばたき。
その笑みと、夢で出会った少女が重なる。
ずいぶんと小さい手で、分厚い書物を必死に持ち上げて、
知識を得ようと熱心だったのだろうか。

「ふふ。レイチェル・ラムレイにも歴史ありだな。
 魔術師の道を歩んでいたら、一体どうなっていたのやら」

可愛らしい様を思い描いて、表情が我知らず素の色に綻んだ。
その彼女と出会っても、自分は――なんていうのは、益体もない考え。

「山登りはもう懲り懲りだな。庵に住まって筆を握るに限るよ。
 ラ・ポンピエールの紫は特に艶がいい。
 やつがれが画家の号を授かる入魂の一作にも、これはだいぶ役に立った。
 さいきんは? じぶんで吟じてないの?
 いろいろ巡ってるならこそ、いいものが出てくるんじゃないか?」

あの時、刑事課を降ろされて――降りて、その時に"魂"をカンバスに描きとめた。
自分でもびっくりするほどの出来になったものだ。
概ね、追い込まれた時に筆は冴える。さて、美しき金砂の詩人はどうなのだろう。
そう思っていると、ふと街並みに視線を巡らせて。

「すこしまえまで、夏だった気がするのにな。
 そう、冬といえば、このあたり。
 稀覯本の盗難事件でいっしょに聞き込みに来たことが、あっただろう?
 おぼえているかな、いろいろ見て回りたいのをぐっと我慢して、そう。
 帰り、どこか――寄らなかったかな、カフェに」

まだあるかな、と、白い髪を揺らし、落ち着いた店先の影をさぐった。
思い出をなぞりながら。
今は風紀委員としてではなく、プライベートで来ている。
来れるようになった。

レイチェル >  
「『誰にだって歴史はある』なんてのは、自明の理だよな。
 でも当然、普段は意識の内にねぇし、ちょっと気を緩めると
 忘れちまうような話だ」

『月夜見 真琴』という少女に目をやる。
彼女の歴史については、少しばかり聞いているところがある。
それでもまだ、知らぬ所も沢山ある。そういった穴は、一緒に過ごしていく
内にゆっくりと、埋まっていくのだろうか。

――そう、だよな。

何となく、ここに居ない誰かの顔を思い出して。
真琴とこうして日常を過ごすことができている嬉しさに重ねて、
胸の内が暖かくなった。そうして同時に、きゅっと締め付けられる苦しさ
にも襲われた。軽く、唇を噛んだ。

それから何となく視線を真琴から外し、反対側に顔を向ける。
様々な表情をして今を生きる人々が、学生の街を通り抜けていくのが見えた。

「魔術師ね、どうだろうな。その道を深めることはできても……
 今みたいに、広い世界を知らずに居たかもしれねーな。
 こっちの世界にだって来てなかったかもしれねーし、
 そうなると真琴に会えてなかったかもな」

思い返す。魔剣を取ったあの日。
魔術の才能だけでなく、見えない可能性を沢山取りこぼしたのだろう。

人生は選択の連続だ、などとよく言ったものだが、
選択するたびに、自分達は目に見えない無数の何かを取りこぼしている。
しかし、そんなものに目をくれるほど虚しいものはない。

選択しなかった、選ばなかった道は存在しない幻想だ。
大切なのは。

「……この道。この道に感謝、だ」

思考の先に導き出された考えが、自然と口に出ていた。
視線を落とせば二人の影が、
商店街の床でゆらゆらと穏やかに動いている。

「ま、浮かばねぇと言えば嘘になる……
 心に浮かぶのは、ほんの切れ端――出来損ないの片言だけだが。
 そいつを捏ね繰り回して、心と向き合いながら詩を作ることは、ある。
 特に最近はな。けどまぁ……良い詩はできねぇな」

落とした視線はそのままに、返した声は少し弱々しい音となって喉から出た。
きっと。
胸に浮かぶ様々な思いを、言葉という型にはめる。
そうすることで、自らの思いや考えと向き合うこともできる。
しかし、胸に浮かぶ言葉はどれもこれもが、自分の気持ちの本質を表して
いないように思えた。
だからこそ、出来損ないの想いが手帳を埋めている。

真琴にも見せてはいないが、買ったのは恋の詩集だ。
それは、自らの気持ちを言葉に落とし込み、
きちんと自分自身に、自分の想いに向き合う為に買ったものだった。

紙に綴られた想いを介して、
俯瞰的に見た自分の感情に形を与え、少しでも心に平穏を取り戻せればと、
そう思った。その上で、あいつと穏やかに日常を過ごせたら、それが一番だ。
今、あいつと話をしてもぎくしゃくした感情と、その心に相応しい言葉しか
出てこないのは目に見えていたからだ、と。

――ああ、また。あいつのことばっかり考えてる。

頭を数度振って、レイチェルは続く言葉に語を返す。
そうして、真琴の方をしっかりと見やった。
今は、真琴と過ごす時間だ。

「あ~、あったな! 盗難事件! 
 あの時もまぁ、聞き込みから張り込みから大変だったぜ。
 ……懐かしいな。
 あの時はちょっとしか寄れなかったけど……今日は時間もあるし、
 寄っていくか。ありゃ確か、すぐ近くだったぜ」

そう口にして、元気いっぱいに笑った。
間違いなくこの時間はレイチェルにとって幸せな時間だった。

月夜見 真琴 >  
「そういうおまえと出会って、どうからかってやったかとか。
 どう悪いことを教えてやろうかとばかり考えてしまって。
 そうか、会えないかもしれなかったのか。
 ――想像がつかない、なんていうのは少々、芸術家として不覚だ」

彼女と会う前の歴史のほうが、ずっと長い筈なのに。
出会えなかった未来。
レイチェルという女性に貰った、余りにも強烈な痛苦の数々。
いっそ出会わなければと思ったことさえあるその道を思えばこそ。

「きっと、ここが正解。
 まっすぐ歩くのも難しい、この道が」

うなずいた。
こんな愛しい痛みと苦しみを否定するなんて。
自分をかたちづくったからこそいま抱くむず痒い喜びにも、
至れなかったというなら、そう笑った。
そう思うことが肝要だと、いつか誰かに教わったからだ。

「――――――」

じっと。
その横顔、思い悩む気配を眺めていた。
苦悩し、憂う顔に、胸をかきむしられると同時に。
"ちがうもの"も、もぞりと胸のなかで蠢いてしまうのは、
月夜見真琴という人間の、生まれついての魂のかたち。
こく、とマフラーの奥で喉を上下させた。飲み込めただろうか。

(まあ、きもちはわかる)

自分に気を遣ってくれていることも判れば、
気がつくとその人のことばかり考えてしまう、ということも、痛いほどわかる。

(わたしもそうだしな)

気づけば相手を探す。なにもしないと想ってしまう。
想うことは苦しみだ。けれど、彼女は自分とちがって、
まだ"殺せていない"のだろう。けれど、急かすことはなかった。
はやくしないととられてしまう、というのは想う側の事情であって、
想われる側も、なにかと大変なのもよくわかるし、
間にはさまれるほうも、それはもう大変だ。顔には出さない。

「張り込んだのはあのビルの上のほうだったか?
 寝る時間も削って地道に捜査をして、
 あわや島外へ持ち去られるところで――御用!
 まあ悪党としては小粒だったが、事件そのものは印象に残っている。
 その時、ちょうど落ち着くひまもなくて――でも、心残りだったのかな」

拗ねたりはしない。いまは。
そういうのは、彼女と、もうひとり、自分の同居人が落ち着いたら。
自分の欲求は、彼女を自分のものにしたい、とは違う場所にある。
いまは、支えてあげないと。

「……あ、あれ! あれだ。 開いてる!」

片手で服を引っ張り、画材の手提げを持つ手を掲げた。
うっかり見落としてしまうような、建物と建物の合間、
ひっそりと建つは"ホロロギウム"。レトロな店構えのカフェだ。
狭くて小さい、古臭いふうにつくってある趣味人の店。

「いこう」

引っ張って、先を歩く。いまはそういう立ち位置だ。
寒風のなかにあって暖かで、ああ、そう。
カウベルを鳴らして入った落ち着いた鼈甲色の照明が照らす店内に入れば、
時計の音が、――心地よい。 そういう趣味の店主だった。

レイチェル >  
「簡単で歩きやすい道なんか、つまんねぇさ。
 せめて、そう思ってやらぁ」
 
苦しい、悩ましい。
そんな感情が荒波の如く押し寄せてきて、心に傷をつけてくる。

分かっている。
その思いが、自分だけのものではないということくらいは。

このままの激しい感情で向き合ったら、
更にあいつを傷つけてしまうかもしれない。
真琴だって。
それだけは、何としても避けたかった。

この牙は彼女を傷つけてしまうかもしれないが、
それでもせめて気持ちだけは、心の平穏だけは。
送りたいと思った。与えたいと思った。
傷つけるのはもう、嫌だ。嫌なんだ。嫌なのに。


そんな中。
胸をぎゅ、と締め付けてくる真綿を振り払ってくれたのは、
真琴の手だった。

見れば古めかしい雰囲気の店がそこにあった。
懐かしいな、と自然に頬が緩んでいた。

店の中に入れば、そこは小さな異世界だった。
学生街からふらりと入っただけで、全く異質な空間がそこには広がっている。
チクタクと鳴り響く時計の音は耳障りではなく、寧ろ優しく耳に届けられて
いた。

「……あの時は寝る間も惜しんで捜査や張り込みなんざしてたもんだから、
 この時計の音が心地よくって机の上で寝そうになってたっけな。
 ああ、お前の話と、この店の音を聞いて……色々と改めて
 思い出してきたよ」

かつての記憶。そして今この瞬間。
どちらもまた、かけがえのないものだ。
月夜見 真琴 >  
もしもこの夕晴れが、まだ青さを残した夏空だったなら。
店の前に立った時点で、足が竦んでいたかもしれない。

「あのとき、やつがれはなんでもないような顔をしてココアを味わったが、
 じつのところ、こちらも眠くてしょうがなかった。
 そういうところを見せてたら、おまえが休めないかなと」

きっと逆の時もあったのだろう。
オフィスに戻って雑事を済ませてもまだ休めない、慌ただしい事件だった。
終わった後はずいぶんぐっすりと寝こけてしまった気がする。
確か――そう。

「わたしのデスク、いま誰が使ってるんだろ」

誰に言うでもないひとりごとと共に、ふたりで、と告げると、
店構えに対しては年若い――学生であるから当然だが――店主の男性が、挨拶の後、

――『お久しぶりです』

と、微笑んでくる。
そのまま席に案内された。あの時と同じ、カウンターから離れた奥側のボックス席。

「きょうはプライベートだから。
 うたた寝しても、構わないんじゃないか?」

帽子と上着を脱いで、備え付けのハンガーツリーに預けると。
席に座りながら告げた。実際に寝ろ、というわけではない。
ゆっくり話せるこの店は、抱えている荷物を下ろしてもいい場所だろう。
口にするのはどうせ、公的な機密情報ではない。私的な秘密ではあるかもしれないけど。

「憂い顔もごちそうさま、という感じだけれど」

もともと、自分の気分転換も兼ねての買い物、お誘いだ。
顔を見られて、会えて、随分と救われているところも、ある。
それにこのまえ、彼女の私室ではだいぶ色々受け止めてもらったわけだし。
受け止めてもらっただけではなく、まあ、その――他にもいろいろ。
彼女の気分の助けにもなりたいとは、嘘偽りのないもので。

メニューを開く。視線を落とす。破れたところが修繕されていた。
新しいものに差し替えないのも、ある意味の拘りなのかもしれない。

レイチェル >  
「ほんと昔から気を遣って貰ってばかりだ。ありがとよ」

無論、立場が逆のこともあった。しかしそれを口に出す気はない。
付き合ってくれていたことに、ただただ感謝の念を述べる。

虚空に投げられた言葉はきっと、
自分に問いかけられたものではないのだろう、と。
レイチェルはちゃんと感じていた。
しかしそれでもその言葉を受けて、問いかけたいものはあった。


「……やっぱ、戻りてぇか?」

こう言っても、今のアトリエが落ち着く、だなんて言うのだろうか。
口にしながら、ふとレイチェルはそんなことを思う。

てっきり老人でも出てきそうな雰囲気の店であったし、実際出てきても
驚くことなどなかったであろう。それほどまでにこの空間は幻想的だった。
世俗とはかけ離れた場所に思えた。それは現在から離れた過去の自分たちを
重ねていたからこそ、かもしれなかったが。

「……ちっ、やっぱり顔には出ちまってたか。
 オレは演者じゃねぇからな。舞台にゃ上がれねぇ」

ふと、フェニーチェの面々のことを思い浮かべながら、
首を横に振った。終わった話、だ。

「まぁ……そうだな」

そこから少しばかり間を置いた。
面と向かって、
今の自分のモヤモヤとした気持ちをぶつける気にはならなかったのだ。
今回付き合っているのも、
純粋に真琴自身と向き合って同じ時間を過ごしたかったからであって、
あれこれと自分の悩みを聞いて貰おうだとか、華霧のことをあれこれと
聞いてみようだとか、そんなつもりで承諾したのではなかった。
だからこその、間。

じっくりと、間をもって。

「……あいつ、最近どう?」

レイチェルの胸をかき乱しているそれを、
一番気になっているところを、ぽつりと漏らした。

月夜見 真琴 >  
長い耳につぶやくのは厳禁、というわけでもないけれど。
聞きとがめられた言葉に問われると、視線をうえに向けて少し考え込んで。

「そういう気持ちも、ないわけではない、かな。
 だって、庁舎に行く時も、いままではあえて刑事課を避けていたくらいだ。
 あの頃はほんとうに楽しかった。眩くて、熱くて。
 アルバムとか開くと、自分にもこういう時があったんだなって。
 そこに戻れば、きっと安心できるんだろうって、思ってた」

ほんとうは。華霧が刑事課に行くといったとき、心がぞっと冷えた。
短い青春を過ごした場所。そして、レイチェルのとなり。

――とられちゃう。

輝かしかった思い出すら。熱は飲み込めず、腹の底で荒れ狂っていた。
だから、あいたいと、切実な哀訴を目の前の女性にむけたのだ。
助けを求めた。華霧からなにも奪わない方法で。

「でも――いまは、ここに居られるから」

微笑んだ。
自分にとっての"特別な居場所"。
弱さを醜さを、余さず伝えて、血を捧げた時から。
同じ委員会でなくても、"ここ"に置いていてくれているから。
刑事課の月夜見真琴は、"嗤う妖精"とは違う名は、"歴史"になった。

「清算できない"罪(もの)"もあるし、な。
 それに――やつがれが前線に復帰してみろ。
 後輩たちの活躍の機会を根こそぎ奪ってしまいかねないだろう?
 "ここ"からでもできることを、やつがれはやる。
 おまえの花道を飾るためにも協力は惜しまないとも」

指を立て、得意満面、愉快そうに語ってみせる。
いずれ雪が降る。そして、溶けるころ、また桜が咲くのだ。
時間は進み続ける。うかうかしていたら置いていかれる。待ってはくれない。
――めのまえの彼女に、追いつけただろうか?

「ふふ」

問われた言葉には、思わず肩を震わせて。

「離婚した夫婦みたいな切り出し方をするな」

どうやらこっちが親権を持っているようだ。
楽しそうに笑いながら、そうだな、と考える。

「今生の我々は、どうあがいても"主役(ヒーロー)"にはなれないさ。
 おまえのだめなところだって、受け止めてやるとも。
 まあ、その後にはしっかり、こっち側も受け止めてもらうから――そうさな。
 元気にやっているけど、外側にひとつ不安なことはあるかな」

園刃華霧が刑事課に行った理由。
彼女の友人。水無月沙羅を取り囲む事情。
事態が動いた時、彼女の精神にどう作用するかわからない。
そしてその不安定な状態に、不安定なレイチェルをぶつけたら……?

ココアと、ガトーショコラを注文する。
おまえは?と問い返しながら。

「人になんでもかんでもぽいぽいあげてしまうところには、
 とりあえずあげられなさそうなものを沢山くれてやってみた。
 在り方を"否定"してみたら、なんとも面白い顔をしてくれたよ」

自分から見た華霧は、になる。可愛らしく面白い同居人。
目の前の彼女には、果たしてどれほど眩しく見えているのか。
頬杖をついて、じっと見つめる。
今見つめるものは、彼女だ。彼女しか見ていない。

「――――――――すこし無茶なことを言ってもいい?」

レイチェル >  
「はっ、確かに。活躍は奪っちまうかもな。
 ……でも、そっか。それなら良い。
 ただな。必要な時はこれからも遠慮なく声をかけてくれよ。
 買い物だろうがなんだろうがさ」

ここに居られるから、と。
そう言ってくれる彼女に対してレイチェルは目を閉じてそう口にした。

そうして。


「離婚した夫婦だぁっ?」

思わず、大きめの声を出してしまう。
あまりにも突拍子もない言葉に感じて、耳もびくんと跳ねた。

そして、無意識の内に椅子から腰をあげていた。

「……あ」

右、左。
ふるふると左右を確認し、少し困惑した店員の顔から目を逸らしながら、
こほんと小さく息を吐いて椅子に座り直した。
レイチェルの頬は、ほんのりと赤みがさしていた。

「外側、ね……」

彼女の『家族』のことだとか、頭を悩ませることは沢山あるだろう。
本当なら、自分はそんな彼女を支えてあげたいと思っているのだ。
しかし彼女を安心させる言葉を送る為のこの口からは、
鋭い牙が覗いている。

店員に、同じものでと一言寄越した後に、
レイチェルは語を継いだ。

「……オレは、そうだな。
 まぁ、うん。お察しの通り、悩んでばっかりだ」

華霧のことばかりではない。後輩のこと、理央のこと、沙羅のこと。
他にも色々だ。問題は、毎日山のように積み重なってくるのだから。
それでも、分けられる仕事は周りと分かち合っている。
無理をしないことは華霧と約束をしたことだったし、
分かち合うということは、貴家とも話をしたことだ。


「ぽいぽいあげてしまう、ね。
 あいつのそういうとこは、ほんと……」

続く言葉は飲み込むレイチェル。
自分が言えたものではないからだ。


「……無茶なこと? 何だよ?
 言ってみな」

自分のことをまっすぐ見つめてくる真琴に対して、
レイチェルもまたまっすぐに彼女の方に視線をやる。
眼差しを、与える。

月夜見 真琴 >  
「遠慮はしないつもりだが。
 …………緊張はするの。わかって」

わかるでしょ、と少し拗ねたように言う。
きっと彼女が同居人に感じるハードルの高さと、似たようなもの。
でも、こうして考えるもどかしさで、自分の想いを確かめるのかもしれない。
いっしょにいられると、それもそれで嬉しい。そわそわしながら落ち着く。

「あの子はわたしの子よ」

頬杖をついてにやつきながら、座り直す彼女にそんな揶揄を向けた。

「そうやって色々抱え込んで、首の回らなくなってるあなたに。
 あの子のことは任せられないかな。
 ――だいじょうぶ、あなたにもちゃんと、できることはある。
 ただ、なぜ悩むのか、はきちんと明確にしておかなきゃだめだよ。
 悩むことから始まって、その理由を見失うと、ずっと出られなくなっちゃうし。
 そして悩んでくれると、わたしが聞いてあげられるし?」

悩むことが目的になることが、ままある。
解決方法が目の前にあるのに。

たとえば、そう。

「選ばなかった道、過ぎ去った時間。
 それらにしがみついて、現在を見ようとしないことは、
 わたしたちが分かち合う理念からすれば――良くないことかもしれない。
 でもこうして、思い出や原点に立ち返ってみて。
 あらためて整理をつけたり、拾い忘れたものに気づくこととか。
 そういうこともあるだろう? 行き詰まったら現場にもどれ、というやつ」

目線を変える必要があった。
そもそも彼女がいま、悩んでいること。
変貌してしまった距離感。牙の呪い。押しつぶしてしまうほどの想い。
けれども、だからこそ。


「……いっかい、恐がらずに"親友"に帰ってみたら?」


彼女からすれば、逆戻りに感じるかもしれない選択肢。
せっかく進みかけた関係を、針を戻すかのように思える提案。
なれど、恋を忘れろというのではない。
抱いた想いを諦めろというのではない。

けれどそこに拾い忘れたものがあるかもしれないなら。
うまくいかなくなったなら、うまくいっていた時に還ればいい。
答えは案外、そこに転がっているのかもしれないし。

「あの子はあなたを待ってるよ。たぶん」

レイチェル >  
「親友に帰ってみたら、か」

当然、考えていない選択肢ではなかった。
ベッドの上で星空を眺めながらあれこれと思い悩む日々。
その中で、思いつかない筈もなかった。


何度も何度も頭に浮かび、何度も何度も否定した考えだった。

進みかけた関係に後ろ髪を引かれているのではない。
否定する言葉はただ一つ、何を今更――

あれだけ、我儘を言ってしまって。
あれだけ、想いを伝えてしまって。
あれだけ、心を傷つけてしまって。
あれだけ、置いていってしまって。
あれだけ、無理をさせてしまって。


「何を今更――どの面下げて、そんな」

今の関係に浮かれている気持ちなど、微塵もなかった。
親友に帰る。口にするのなら、簡単だ。
自分の気持ちも、華霧の気持ちも、
もう『元通り』になんてならないのではないか。

「いや」

自分の思考を、声と共に否定する。

――結局のところは真琴の言うように、恐いんだ。

『恐がらず』に。その言葉がレイチェルの思考に、一石を投じた。
いくら理由を並べ立てたとて、その感情は否定しようがなかった。
無論、信条のこともある。

いつだって前を向いて歩いていくことは、一番大切にしていることだ。
面倒なことも恐いことも、自責も後悔も、山程経験してきた上で勝ち取り、
自分のものにした信条だ。


しかし、それだけではなかった。信条だけが原因ではない。
積み重ねた感情を失うことが恐かったのだ。


「ああ。そうか、そうだな」

親友に帰ったところで、全てが元通りになる訳じゃない。
無理をさせてしまったことも、傷つけてしまったことも。
何もかもが無に帰す訳じゃない。

しかし、同時に。

彼女と過ごした時間も、交わした言葉も、
何もかもが無に帰す訳じゃない。


二人で積み重ねてきたものは、なくならない。



「そうだろうな」

真琴と出会った日に、自らの口で紡いだ詩があった。


『――だとしたら、悲しみに見えるそれは。』

『――前に進む為の飛翔なのだろう。』


頭の中で、あの日の桜の花びらを思い起こした。
それらは地に還るようでいて、とても前向きで、美しかった。

レイチェル >   

「前に進む為の飛翔は、必要かもしれねぇな」


そうしてレイチェルは自嘲気味に笑みをこぼすと、
後頭部に手をやって椅子に深く背を預けたのだった。
穏やかで、美しい笑みだった。

月夜見 真琴 >  
「肩を寄せ合って、些細なことでたくさん笑って。
 "親友(あなたたち)"が、羨ましくてしょうがなかった」

――まあ、きっと。
風紀の先輩と後輩として、此処に来た時の自分は、
似たようなことをできていたのかもしれない。
他人から、今の自分たちはどう見えるのだろう――とか。
益体もないことを考える。

嫉妬。羨望。強烈な情念に妬かれ、愛欲を育てた鬱屈の日々。
暗い廊下から遠巻きに覗いた仲睦まじい風景。まだ三つ揃っていた時。
そうして二人置いていかれた親友たちの肖像が、もし。
あの夏に起こった事件から、落ち着くことなく曖昧になった関係性が、
このまま解れていくとすれば。

「それが、恋によって失われてしまうとなると。
 わたしのみたものはなんだったんだろうって。
 陶犬瓦鶏――真に尊い時はどちらだったろう。
 あなたがこのまま苦しいよ、って顔をしていたら、
 あの子は恋というものを、知らないまま嫌いになってしまうかもしれない。
 自分から奪っていくばかりの想いだ、と――ありがとう」

甘いココアとほろ苦いガトーショコラが届く。
お構いなく、と店員を見送った。ココアを一口。

「……"親友"って、他人にあげたりできないでしょう?
 いまこの島で、あなただけが、
 そう名乗ることを許された、特別な居場所。
 まず、そこからあの子にあげてみたらどうかな。
 ばかなことをして、遠慮なくものを言って……楽しんで。
 "親友"でいながらでも、恋をすること、探すことはできるよ。

 恐いのなんて、当たり前だよ……だって、わたしもそうだった。
 変わってしまったことを確かめるのも、終わってしまうことも。

 当然、胸の痛みや苦しみが消えるわけではないだろうし。
 おまえもあの子もすこしずつ変わって、昔と同じは難しい。
 けれど、そこは、それ。
 そのときのための、わたし、やつがれ――
 いくらでも頼って、甘えてどうぞ。 溺れるほどに甘くしてあげる」

挑戦的に見つめながらも、吟じられたその詩篇。
眼を伏せて、そういえば夢に見たといっていたっけ。
闇の底に潜んで、散った筈の花弁は、そこで終わりではなかった。
バッグを漁ると、携帯デバイスを取り出して。

「ここに名作の全文が残っています」

そう微笑んだ。
前向きで、まっすぐで、とても"らしい"。
そこに至る苦悩を知っていればなおのことそう思う。
飾らない言葉。深淵で偉大なる文化。

月夜見 真琴 >  
   
「――はい、というわけで」

届いたガトーショコラ。
ふたりとも同じものだ。同じものだが。
彼女の手元のフォークを指差して。

「いいこのわたしに、ご褒美をくれる?」

その指をみずからの唇に。
なんとも安上がりな女だが、些細なことでも満たされる。
些細なことからでいいのだ。

まずひとつ、自分だけをまっすぐ見てもらうことから。
おいてきた過去から、大事なものを拾い上げて、
時計の針に追い立てられながら進んでいくために。

レイチェル >  
「……オレの願いは一度だってぶれねぇさ」

落第街を走り回っていたあの日から、柱は何も変わっていない。

華霧と一緒に未来を生きたい。
そして。
何もかも投げ捨てようとするあいつを繋ぎ止めて、
この手で幸せにしたい。

ただ、それだけだ。

それを真琴の前で今一度口にすることはないが。

「だから、きっとやれる。やってやろうじゃねぇか。
 親友、特別な居場所をもう一度与えるために……
 全力で、前向きに後退《ひしょう》してやろうじゃねぇか」

華霧には、穏やかで居てほしいのだ。
急ぎすぎてしまったのなら、歩調を合わせれば良い。

虫が良すぎる。
自分勝手過ぎる。
そんな風に、行動する前に理由をつけて躊躇うのは馬鹿のすることだ。
だぁらレイチェルはそれらを、否定する。

「……お前、消しとけっつったろうが」

はぁ、と呆れた顔で口にする。まぁ、自分だって引用したのだ。
強くは言えまい。

だから口にして、それから笑った。
自嘲気味な笑みというよりも、
言葉を吹き飛ばすような、からっとした笑みだ。
レイチェル『らしい』笑みだ。

「ま、でも……そういうところはお前『らしい』、ほんとにな」

自分らしさを失って、取り戻して、見失って、また思い出した。
思えば忙しない日々だった。

そんな中でも柱《ねがい》だけはずっと、抱えてきた。
変わらず、抱えてきた。
だからこそ。支えもあって、何度だって自分を取り戻せた。思い出せた。
そして、今度こそはきっと。

レイチェル >  
「……ったく、しょうがねぇな」

言葉とは裏腹に、優しい笑みを見せていた。
今度は、レイチェルが彼女の心を支える番だ。

「ほらよ」

手元にあるガトーショコラをフォークで丁寧に切り分けて、
顔の前へずい、と突き出す。

突き出しながら少しばかり視線は逸らしていたが。
それも何とか修正、修正。

彼女の想いから、目を逸らす訳にはいくまい。いや、逸らしたくない。

そうしてレイチェルはフォークを手にしたまま、じっと真琴を見据えるのだった。

月夜見 真琴 >  
また、羨むくらいの二人に戻って、なんていうのは。
いろいろと複雑な想いもあるから言うはずもないのだけれども。
憂い悩む顔がなくなってしまうとなると、少し惜しむものもある。
ああ、否――きっとその後は、自分が困らせるのかもしれない。

「ちゃんと見ているから。
 ころんだ先の杖があるものと思って、どうぞ羽ばたいてみて」

暗夜行路を照らす月。
それは太陽あってこその夜明かり。
柔らかく、暖かくはなく。うまくいってもいかなくてもそこにある酷薄な月。
それくらい透明な光だが、すこしでも照らしてあげたいというのは本当。

なにせあちこちに手を差し伸べてしまう相手だ。
これくらいは、させてほしい。

「消さないよ。 やつがれの大事な宝物さ」

いつ、なにが人の助けになるかはわからない。
だったら、思い出はしまっておく価値があるはずだ。
きっとこの店にまた訪れたことも、いつか。

「また、きょうみたいに声かけるよ。
 ちょっとずつ、ちょっとずつでいいから――」

取り戻していきながら、埋めていきながら。
跪いて祈っても、どうせ時間は戻ってこないから。
新しい時間を重ねていきたい。

月夜見 真琴 >  
「―――――」

微笑のまま、突き出されたそれ――ではなく。
顔を見つめた。そらされた視線。
それがかち合ってようやく、にっこりと満面の笑みを浮かべて。

「あーん」

一口。
ご機嫌にほろ苦さを含んだ。

「よくできました。 ふふふ、嬉しい。
 こうしておねだりすると、あなたはわたしを見てくれるんだな」

わがままになってもいいのかも。
お互いに。

そう考えながら、こちらもフォークを手に取る。
何をしようとしたか。何をしたかなんて、あえて語るまでもない。
しっかり"お返し"をしただけだ。

ご案内:「商店街」からレイチェルさんが去りました。<補足:金髪の長耳少女。眼帯と学園の制服を着用。>
ご案内:「商店街」から月夜見 真琴さんが去りました。<補足:白のニットロングワンピース 赤カーディガン、マフラー 黒キャスケット>