2024/06/08 のログ
ご案内:「扶桑百貨店 久延毘古書房(9F)」に藤井 輝さんが現れました。
■藤井 輝 >
休日。車椅子で本屋を巡る。
しかし、この本屋というのが厄介だ。
何せ健常に立てることが前提として本棚は作られている。
多くの本に手が届かないのだ。
しかし背表紙だけを眺めながら、いざとなったら店員に頼めば手に入る。
不便だが、仕方ないことだ。
……地面に設置されたケーブルがちょっとした障害物になって
車椅子が前に進まなくなった。
歩けていた時には気付かなかったちょっとした段差。
■藤井 輝 >
溜息をついた。
後ろに下がろうにも話し込んでいる学生がグループでいて通りづらい。
こういったことを無自覚であるとは思わない。
喋っている学生も。
ケーブルを通した店員も。
誰もが当たり前のことを当たり前のようにしているだけだ。
この場合、尋常ではないのは僕のほうだ。
当たり前のことを当たり前のようにできていない。
それだけの。
■藤井 輝 >
ケーブルカバーの上を通れるか何度か試した。
しかし車椅子は動いてはくれない。
これは僕の───藤井輝なりの社会との折り合いの付け方だ。
社会に従順になるでなく。
社会に反逆するでなく。
社会に抗議するかのように無為な行為を続ける。
医者は僕のことを神経症と診断するだろう。
だが、今のところ整形外科以外を受診してはいない。
■藤井 輝 >
僕の体重60kgと持ち物、そして車椅子の自重から考えて。
僕程度の力で前に進めるというのは。
つくづく、車椅子というのは偉大な発明だ。
だが……それの恩恵を受けている人生は。
決して色鮮やかではない。
ふと、昨日の惨劇が脳裏を過る。
僕にとって本当に鮮やかなものは。
彼や、乱入した灰の男のような……
いや、今考えても仕方ない。
今の僕は藤井輝。
ただの無力な一般人未満なのだから。
ご案内:「扶桑百貨店 久延毘古書房(9F)」に黒條 紬さんが現れました。
■黒條 紬 >
「あのぉ~……」
少年の背後から声がする。
その声がしてすぐに、コツコツと床を叩く靴音。
ややあって、少年と同じくらいの目線に、覗き込むような形で
少女が顔を近づけてきた。
「……これって車椅子持ち上げちゃって大丈夫ですか?」
片手に買い物袋を提げている様子の少女は、困ったように
笑いながら、そんな風に問いかけた。
彼女が百貨店に来るのは珍しいことではない。
お気に入りの服を見つけた後は、軽くクレープを食べて、
最後にこの久延毘古書房にやって来る。
これは彼女、黒條 紬の一つのルーティーンであった。
そのルーティーンの最後に、
今日はちょっとした出会い(ハプニング)があった。
ただそれだけだ。
「お困りのようだったので何とかしなきゃー、って
思ったんですが……こういうのあまり慣れてなくて、
すみません……」
介助に不慣れであることを伝える。
生活委員等なら慣れているのであろうが、黒條にはさっぱり経験がなかった。
■藤井 輝 >
声をかけられた。
鈴の鳴るような声。
利発で人好きのする印象の肩まで伸びた茶髪。
垂れ目気味で、見る人に安心感を与えるような黒の瞳。
「……ああ」
「いや……確かに困っています」
「後ろから少し押すことをお願いできないでしょうか」
困った時には、困った時の表情が必要だ。
僕はそういう表情を顔に貼り付けてお願いした。
すらりとした、どんなものにも届きそうな錯覚を覚える手。
白と黒のコーデから伸びる健常な足───
何も考えるな。
ご案内:「扶桑百貨店 久延毘古書房(9F)」から黒條 紬さんが去りました。
ご案内:「扶桑百貨店 久延毘古書房(9F)」に黒條 紬さんが現れました。
■黒條 紬 >
「わっかりました~。それじゃ、失礼しますね」
たたた、と後ろに回る。
車椅子の手押しハンドル、そのグリップへと白い手を添えると、
少年へ黒條は声をかける。
「じゃ、押しますね~っ」
足に力を込めて。
車椅子が前へ進むように、後ろから力を加える。
「ふぬぬ……っ」
頑張って力を入れている声色。
そんな音が、車椅子の後ろから聞こえるだろう。
そうして、車椅子は動き出すのだろうか。
車椅子は乗り越えるのだ、ほんの僅かな距離を。
■藤井 輝 >
何の音もせず。
ただ本来そうである、何事もなく通れる道であるかのように。
僕の手の力と彼女の善意がその先へと通した。
「ありがとうございます」
自分の顔に慎重に笑顔を貼り付けてから振り返った。
「助かりました」
丁寧にお礼を言う。
それが僕だ。藤井輝という存在の仮面だ。
「冒険漫画を読むのに、冒険しないといけない」
「不便なものです」
と言って苦笑した。
■黒條 紬 >
「いやぁ……えへへ、お力になれたのなら良かったでありますよっ」
照れ隠しか、頭上に手を添えるは、軽い敬礼の形。
無論格式張ったものではなく、冗談交じりのそれである。
「……優しい方で安心しました。
怒られたら、どうしようって思ってましたから」
丁寧にお礼を言う少年に対し、少女は胸元に手をやって
一瞬だけ、何かを思い起こすかのように目を閉じれば。
そんなことを口にしたのであった。
「『大変、でしょうね』なんて。
私なんかが簡単にそんな風に口にしていいのか、
分かった風な口きいていいのか、って話ですけど――」
車椅子の横で、うーん、と腕組みする黒條。
それから、自然と浮かんできた笑顔を浮かべて、改めて車椅子の前へ顔を出して
こう口にした。
「――それでも、だからこそこうして、初めてお話できましたね」
それだけは。
穏やかな声色で。
あたたかな笑顔で。
少年に伝えるのだった。
それが黒條だ。黒條 紬という存在の本質だ。
■藤井 輝 >
黒。
「そういう人もいるのかも知れませんが」
「少なくとも僕は助けられるたびに怒っていたら…」
黒。黒。黒。
「道行く善意の方を片っ端から怒らなくてはならなくなりますよ」
黒い、感情が。
「袖振り合うも他生の縁と言いますしね」
押さえられない。
妬ましい。疎ましい。厭わしい。おぞましい。
そう考えている自分自身のことすら憎らしい。
「車椅子の扱いも慣れたらそう難しいものではないんです」
「本屋の扱いも……ね」
手を伸ばすジェスチャーをして笑った。
■黒條 紬 >
内に溢れる、黒い感情。
そう、感情だ。
■黒條 紬 >
嫉妬。
忌避。
嫌悪。
不快。
■黒條 紬 >
少年が暗然たる感情を内に爆発させた、その刹那。
一瞬だけ黒條の目が細められた。何かに反応するかのように。
だが、それも束の間のこと。
会話は、何事もなかったかのように日常のワンシーンは続いていく。
水面下で何が起ころうと、関係はない。
「……声をおかけしたのが素敵な方で、良かったです」
黒條は声色そのままに、にこりと笑みを浮かべた。
「私は黒條 紬。風紀委員会の2年生です。
何かお困りのことがあれば、いつでも相談してくださいね。
私でも、何か力になれることがあるかもしれませんのでっ」
ぐっと、拳を握りしめる黒條。
■藤井 輝 >
「素敵とか初めて言われましたよ」
柔和に笑って。
そして続く言葉に、激しく心がかき乱される。
風紀委員会。
風紀。
風紀を守る……
「僕は藤井です、四年の藤井輝」
「次はこっちから手助けできたらいいのですが」
空っぽの言葉。ソラゴト。どう言い繕っても、虚ろな声。
「ありがとうございました、それでは」
そう言って笑顔のまま去っていった。
この感情。
誰かの関節を力任せに外さなくては収まらない。
■黒條 紬 >
「藤井先輩、ですね!
ええ、何かあった時はよろしくお願いします」
ペコリとお辞儀をして、黒條も去っていく。
――あの顔、何処かの資料で見かけたような。気の所為ですかねぇ?
そして去り際に、思考を巡らせる。
膨大な資料を日々確認し、情報を処理しているのだ。
鮮明に思い返すことこそ難しかったが、何か引っかかるところはあったようだ。
――ちょっと、調べてみますかね。
顎に手をやる黒條もまた、百貨店を去っていった――。
ご案内:「扶桑百貨店 久延毘古書房(9F)」から藤井 輝さんが去りました。
ご案内:「扶桑百貨店 久延毘古書房(9F)」から黒條 紬さんが去りました。