窓の無いバンの荷台に、チタは、閉じ込められている。  熊を、鶏小屋に閉じ込めたようなものだ。チタが体当たりすれば容易く突 き破れる。  そうしないのは、首に嵌められた首輪と、チタを拉致した男の妙な能力の せいである。  あるいは、ただ、面倒くさかったのかもしれない。恐怖や不安などは感じて いない。どうでもいい、という思いと、どうにでもなれ、という捨て鉢な感情 だけがあって。チタはいつも通り不機嫌であった。  投げ出して座った両足の間に、手錠された手をだらり、としたまま。チタ が大人しくしていると、車の揺れは止まった。   「着いて来い」    バンの扉が開かれると、細身の男がニヤケながらそう言った。  上等そうなズボンと靴、そして品の無い派手なシャツの若い金髪の男だ。 ただのチンピラのような男の後に、チタが黙って従うと、周りを囲むように スーツ姿の男共が続く。  時刻は、もはや朝の方が近い深夜であったが、ネオンや看板が、街頭よ りも明るく煌々と灯る歓楽街には無関係な事で。  酔って意味不明な事を、喚き散らす声や、娼婦と客のカップルの話し声 は、扉が開かれた瞬間にさらなる喧騒に飲まれた。  もはや騒音レベルな音楽、チップとコインのかき混ぜられる音、人から発 する音はどよめきになり、濃密な酒とタバコと汗の臭いがチタの鼻を突く。   「1階と2階はカジノ、3階から上はホテルでな。 勝った客には上でお楽しみ頂いて、金を戻してもらうわけだ」    聞いてもいないのに、チタを振り返りながら男は言う。  上の階とやらに放り込むつもりで、チタを連れてきたのだろうか。チタは、 黙って睨み返した。   「お前たちはここでいいぞ」    奥にあったエレベーターに、チタと2人だけで乗り込むと、男は、制御盤に 鍵を差し込んで、階数の書かれていないボタンを押す。  登っていく密室の中で、男は相変わらずニヤついている。  銃で武装した十人以上の集団を、チタが、あっという間に無力化したのを 見ていたはずなのに。まったく警戒する素振もみせない。  その気になれば、チタは、一瞬で男を殺せるのに、そうしないと確信して いるかのようである。  やがて、階下の喧騒の届かない最上階で扉が開いた。  1フロア丸ごと専有した部屋へ通されて、照明がつくと、そこはクラシッ クカーや高級車が、ショールームのように何台も並べられていた。 「俺のオフィスだ、こっちへ来て座れよ。」 部屋の一角赤い絨毯を敷いた場所へ男は行き、アンティークな棚に置かれた 酒を注ぐ。  チタは、絨毯の上まで歩いたが、ソファの側に立ったままで。  男は、肩を竦めて笑い。   「俺の名前はラルフだ、お前は?」    どう見ても東洋人系の面の細身の男はそう言った。  大物ぶったギャングのボスのような振る舞いも、重厚で高級な調度品や車 の数々も、まったく似合っていないし、名前すらチグハグな奴だと、チタは思 った。思っただけで何も言わなかった。  不機嫌そうな彼女を、警戒していると捉えたのか、ラルフは。   「そうだな、まずはお互い事情を説明しようか。  見覚えあるだろ?」    札を1枚取り出した。   「俺の所で作ってる偽札だ。お前がこの間盗んだのと同じ奴だよ。 大事な商品を、取られたって聞いた時はさすがに焦った。 変な所で使われて、足がついたら商談が台無しだったからな」   「だから、必死に探してたんだよ。運良く俺の縄張りの中でお前が偽札を使 ってくれて本当に良かった。  簡単なお使いも出来ないバカも首に出来た」    廃ビルで、首輪に頭を吹き飛ばされた男の姿が、一瞬チタの脳裏をよぎる。  同じ首輪が、チタにもはめられている。  彼女は、手錠を難なく引き千切った。ラルフの手が、背中に入れた銃に伸 びかけるのを見て、ゆっくりと、迷彩服の胸ポケットから二つ折りの札束を 取り出しソファに放った。  この金を使ったのは、スラムの洗濯屋と飯屋台だけだ。チタの持っている分 を合わせれば、全部なはずだ。   「素直なのはいいことだ。だが、この件はただのきっかけでな。 俺は今、金よりもお前に興味が湧いている。  商談がしたい、だからそろそろ、その無口を止めてくれないかな」   だが、チタは黙ったままで。   「いいだろう、じゃあ一つ賭けをしよう。  勝ったら何も言わず帰っていい。首輪も外してやる。  負けたら俺と取引してもらおうか」    言いながら、ラルフは、コインを一枚チタの方に放った。  何の変哲もないただのコインだ。確かめると、手で催促したラルフへ放り 返してやった。  ラルフは、袖をまくり右手にコインを載せて、空の左手を開いて見せた後、 コインを弾きあげて右手の甲を左手で抑えた。   「表か、裏か」   「裏」   即答。チタの視覚は、それぐらい見分けるのはわけもない。 ラルフは表情を変えないまま手をどけると、コインは表であった。   「俺の元々の本業はコレでな」   イカサマである。   「しかし、この街でなんの後ろ盾もない若造が、大勝負を挑むのは難しい事 でな。いくら勝負に勝っても、相手が素直に払ってくれるとは限らない。 ギャンブルの才能だけで勝ち上がれるほど、甘くは無い」   「そういう時は、俺の能力が物を言う。 まずは、お前の名前を聞こうか」    途端に、チタの体が重たくなった。足元から毒々しい色の蔦が這いまわり体 を拘束する。蔦が顎をに絡みついて無理やりに開かされ。   「あ……ッ!がっ!……ち、チ、タ……ッ」   「ハハハッ。これが俺の力だ。派手さは無いが、人の心を縛る事ができる。 お前は俺との賭けに負けた、代償を支払わねばならないシガラミに捉えられ たんだよ」    ラルフは、愉快そうに笑いながら指の間でコインを弄ぶ。  ぎりぎり、と歯噛みしながらチタは膝をついた。どんなに力を込めても、 蔦は千切れない。   「どこから来た?」   「日本…港」   「ああ、そうか」   質問の答えとして間違ってはない。チタは日本から密航船に乗ったのだ。   「何者だ」   チタは歯を食いしばる。ラルフが覗きこむ。   「答えるんだ。お前は、何者だ?」   「わた、しは……ッ。チタ、兵士……。……強化……人間」   「はっ!ハハハハッ!」    顔を上げて、ラルフは笑った。