人気のない路地裏。 暗く汚れた道に似つかわしくない少女がゴミ箱の上に座っている。 その手に握られているのは金平糖。 片割れが持っているように瓶詰めになっているものではなく、 小さなビニール袋に入っている。 少しだけ分けて持ってきたのかもしれない。 ひとつ取り出し、口に含む。 噛まずに口の中でそれを転がして溶かしていく。 やさしい甘さが口の中に広がっていくのを感じた。 「……………………。」 目を閉じて、意識を自分の深層に沈めていく。 押さえ込み、制御しようと。集中していく。 自身の『異能』を。そして、『体質』を。 意識はどんどん深くに沈み込み、『情報』の海の中へ。 知りたいとは思わない。知りたくなんてない。 自身の足元にある石ひとつの組成から 大気中の分子一つ一つの運動の向き、 今自分がいるこの路地裏の片隅で過去に何が起きたのかまで。 雑多な情報が、ルナの中を駆け巡る。 取捨選択されることもなく。 ただただ、等しく。平等に。無意味に。 不規則な情報の羅列。無意味なコード。 普通の人間であれば、頭が潰れてとっくに発狂しているであろうその重さ。 それを押さえ込み、呑み込み、自分の一部とする。 それは、知らない人が見れば完全な情報に見えるだろう。 それは、何一つ欠けていない無限のデータに見えるだろう。 だが。 足りない。足りないのだ。欠けている。 自分の知りたい情報だけが。 渇望する、その欲求に呼応するように。 切り取られ、その手の隙間から。 頭の中から、自分の中から。 零れ落ちて、消えていく。 「…………っ」 唇を噛み締める。手を伸ばす。 だが、届かない。 「…………はぁ。」 諦めたように目を開けた。 自分の異能。その本質は情報の整理であり、制御。 常に『識り続ける』ことを定められている自分。 その存在が壊れないように、自身に内在する力。 そして、その力には呪わしい制約がある。 すなわち、『知りたくない』ことほど強く知ることになり、 本当に『知りたい』と願ったことを教えてくれない、その力。 情報の重さに押しつぶされて頭痛は鳴り止まないし、 体も常にそれを支えるために悲鳴を上げている。 いっそ。いなくなれたらどんなに楽だろうか。 しかし、それができないこともまた事実。 『知りたくない』事実であるがゆえに、 それは確定事項として自らを縛り付けている。 浮かぶのは、片割れの顔。 自分がいなくなれば「彼/彼女」も命を落とす。 自分がそれを許せないことは、ずっと前から知っていた。 だからこそ、自分は自分の意志で命を捨てることができない。 増えすぎた情報に押しつぶされて今にも消えそうな命であっても、 その灯を消すことは許されない。 知りたい。知りたい。知りたい。 「彼女/彼」が何を思っていたのかを。 「僕/私」はそのためにいる。そのためだけにいる。 知りたいのに、知ることができない。 そして、知ることができないことを知ってしまう。 焼けるような渇望。息が詰まりそうなもどかしさ。 「彼女/彼」も、こんな思いを抱えていたのだろうか。 金平糖をもうひとつ口に含み、空を見上げる。 路地裏の汚れた空気のせいか、星空も心なしか寂しく見える。 疲労感が押し寄せる。体が重い。頭が痛い。 少し、熱が出たかもしれない。 ルナは、ぼんやりとその場で星を眺めていた。 すこし、うとうとしていた。 話し声で目が覚める。 寝起きであろうと何であろうと、 それどころか眠っている間でも異能は際限なく情報を供給し続ける。 だから、今自分が置かれている状況も分かっている。 自分を取り囲んでいるのは2級学生たち。 それぞれ違った目的を持ちつつも自分を捕まえようとしている。 それは小遣い稼ぎのためであったり欲望のはけ口にしようとしていたり。 吐き気がする。 逃げることはたやすい。 だが、今は少し機嫌も気分も悪かった。 魔術式を起動。青白く光る文字列が周囲に浮かぶ。 「……邪魔。」 『情報』の重さで集まってきた学生たちを殴りつける。 その場にいた全員が、声も出さずに昏倒する。 外傷は、ない。 「…………はぁ。」 この結果も、分かっていた。 疲弊しているところに魔術なんか使えばどうなるかくらい分かっている。 分かっていても止められないあたり、やっぱり自分は子供なんだろう。 体がだるくて動かない。 ひんやりしたコンクリートの壁にもたれかかり、呼吸を整える。 路地裏にいることはソラに伝えてある。 迎えにくるまで我慢して待とう。 もっとも、また学生にたかられたらそのときは、少し危ないかもしれない。 ころころと金平糖を口の中で転がす。 やさしい甘さが広がり、苛々した気持ちが少しずつ落ち着いてきた。 ソラはいつも金平糖をたくさん口に入れて噛み砕く。 折角の繊細な甘味なのに。もっと味わえばよいのではないか。 常々そう思ってはいるが、ソラの意見は違うようで。 ひとつひとつ舐めるだけなので、金平糖はなかなか減らない。 まだ袋の中にたくさん残っている。 もっとも、ソラにとっては足りない量なのだろうな、と。 ぼんやりと考えてすこし楽しくなった。 背中に当たる壁のひんやりした感触が心地いい。 それは、だんだん自分の体温が上がってきているからであって。 常に負荷を与えられ続けている所為で自分の体はいつもボロボロ。 疲労に負けて体調を崩すのもまたいつものことであった。 自分の異能ではソラのことは分からない。 だが、なんとなく今晩中には来ない気がした。 ずっと一緒に過ごしてきた経験からの、勘である。 ソラもソラなりに自分のことを大切にしてくれている。 けれども他の楽しいことにも常に惹かれている。 贅沢だと分かっていても、自分だけを見てくれたらいいのにと。 ほんのちょっとだけ、思ったりもするのだった。 寂しい。 昨日は他の人がいないのをいいことに 散々ソラに甘えてみた。 あとでものすごくいい笑顔でからかわれたが、後悔はしていない。 それでも、まだ足りないと思うのは贅沢だろうか。 もっとずっと一緒にいたいと思うのは望みすぎだろうか。 ほんの少し、目から涙が零れ落ちた。 きっと、ソラはまだこない。 こんな路地裏の隅を除く物好きも多くはないだろう。 さっき二級学生をのしたから、不気味がってなおさら人は来ない。 見られないなら、少しくらい泣いたっていいだろう。 足音も立てずに、気配も無く。  いつの間にか現れた人影が、じっと見ていた。路地裏のカビたコン クリートの臭いに、微かな血の臭いを混ぜながら。 「……っいっ!?」 反応が遅れた。いつの間にかいた『誰か』にようやく気がつき、 あわてて涙を拭いながら顔を上げた。 冷静さを失った行動によって、後頭部を強かに壁に打ち付けることになる。 頭を抑えて蹲るルナ。しかし、その意識は人影に向いていて。 興味を持ってしまった以上、たいした情報は得られない。 それでも、少しだけ相手のことを知ろうと試みる。 路地の暗がりに潜むように居たのは、ルナよりも大分年上に見える 少女だった。  しかし、大人という程でもない。  微かな星明かりの中で、少女の髪が揺れて見えるのは、光を反射す る銀髪だからだろうか。  そして、暗がりで、その目が時折光るように見えるのは、獣と同じ だからであろうか。   「……」    少女は、じっとルナと、地面に倒れこむ人を見ていた。  警戒である。  怪我をしている様子は無い、血の香りは、少女の衣服からただよっ ていた。 「…………。」 目に映るのは、銀色の髪に光る瞳。 同じ銀色の髪で、海の底のような青い目で見つめ返す。 相手のことを調べようとして……やめた。 今の自分は疲れすぎているし、相手に興味を持ってしまった。 たいした情報は得られまい。 その目に浮かぶのは、警戒。 この状況だ。怪しいのはどう見ても自分だろう。 じっと、血の匂いのする少女を見つめる。 内心、敵でないことを祈りながら。 こつり、とブーツの足音が路地に響いた。足音はルナに近づいて、 少しだけ離れた場所で止まり。   「…こんなところで、ぼんやりしてると。あぶない…」    そう言った。 「…………うん。」 少し迷って、曖昧な返事をする。 敵意は感じない。 視線を合わせ、その目を覗き込んでみる。 壁にもたれかかったまま、その輝く瞳を。 なぜだろうか。非常に、興味を引かれる。 彼女はその目で、何を見てきたのだろうか。 暗がりで、猫の目を覗きこんだ時のように、また少女の目が光った。  目があって数瞬、今度は、気まずくなった人がするように目を逸す。  それから。   「そいつらから、盗るの?  なら、早くすればいい。私は手出ししない。周囲に人も巡回機械も 気配は無い」    どうやら、地面に倒れている奴らを、ルナが倒したとは思っていない ようである。  ただ、なんだか疲れたようにそう言った。 「…………。」 ぱちり、と目を瞬かせる。 頭の中で、分かったことを順番に整理する。 まず、目の前の少女はこの現状を自分がやったとは思っていない。 これは、まあ妥当だろう。 自分の見た目はお世辞にも戦えるようには見えない。 そして、もうひとつ。 それは路地裏にいる人間からしたら珍しいことではないのかもしれないが。 自分がもし倒れた男の所持品を奪おうとするならば、 それを見なかったことにする、ということだろうか。 それどころか、周囲に人がいないことまで教えてくれた。 少し考えて、口を開く。 「……とらない、よ。わたしには、いらないものだから。 もし、それがあなたに必要なら、わたしも止めはしないけれど。」 じっと、反応をうかがう。 彼女はどう答えるのだろうか。 「……私にも、必要ない」    少女は、そう答える。  つまり、少女は、そこに倒れている者に用はなく。おそらく、ルナ にも、用は無い。ただ通りすがっただけだ。    だから、偶然出くわした野良猫のように、すぐ立ち去るのが道理な はずだったが。   「ここは危ないよ」    なんだか悲しげに、そう言った。 「……へいき、だよ。そのうち、迎えが来る、から。」 ただ、通りがかっただけ。 それなのに声をかけてくれて。 警告をくれた。 息を大きく吸って、吐く。 自分の気持ちを整理するように。 確証は、ない。それでも、思ったことを。 口に出してみた。 「あなたは……さみしい、の?」 勘違いかもしれない。 自分がそう思っていたから、相手もそうなのかもしれないと。 勝手に思い込んだだけかもしれない。 むしろ、自分がそう思い込みたかっただけかもしれない。 それでも、聞いてみたかった。  少女は、顔を上げてルナを見た。獲物を狙う獣のような、高ぶらない 殺気を込めたような目つきであった。  けど、それも一瞬だけで。   「…心を、読んだりするの?あなたも、異能者?」 その瞳をみて、自身の発言が軽率だったことを知る。 否、問いかける前から、本当は分かっていた。 それでも聞いてしまった。自身のエゴから。わがままから。 「……ごめん。」 小さく謝罪の言葉をつぶやき、続ける。 「……異能は、ある。でも……心は、読んでない。 あなたの、目が、声が。さみしそうだった。」 その目を、もう一度覗き込む。 自分は、満たされているはずなのにそれ以上を求める寂しさ。 きっと、目の前の彼女は違うのだろう。 痛い、痛い、痛い。 心が、痛む。 それでも、目を離さない。 「それなら、別にいい……。心をどうにかする奴は、嫌だから」    殺気の消えた少女の目は、先ほどの殺気が嘘のように何の力も感じ させず。無力な小動物のようで。   「私は、孤独では死なない」    だから、そんなに心配するような目で見ないで欲しいとでも言いた かったのだろうか。  ただ、そんな柔い雰囲気とは裏腹に、少女の目の奥に、その体に染み 付いていたのは、慟哭と、絶望と、無力感、それら全てを飲み込んで 塗りつぶす、戦火の気配。  そして、苛立ち。  染み付いた業の気配は、服に散った鮮血よりも濃く、隠しようもない。 「…………。」 何も言えなかった。 声をかけられなかった。 それは、知らなかったからか。 それとも、知りすぎたためか。 いずれにしても、目の前の少女の心を 少しでも癒すことができたらと。 そうおもった気持ちは空回りして、 気持ちと裏腹に、言葉は出てこない。 「……ごめん。」 もう一度、謝罪の言葉をこぼして。 それから、手に持っていた金平糖の袋を 半ば押し付けるようにして渡した。 残りは、一掴みほどだろうか。 次の瞬間には、すでに少女の姿はそこにはない。 ただ、わずかな光の粒子が漂っていた。 「…何やってるんだろう、私…」    一人残されて、少女は一人そう言った。  今まで、誰かと話していたのだから、思わず弾みで出てしまった独 り言であった。  あの小さな女の子に、話しかけたのは彼女を助けたかったのか。あ るいは、自分に救いが欲しかったからなのか。   (どっちでも、変わらないな)    その言葉は、胸の中だけでつぶやいた。  胸の前で、金平糖の入った袋が小さく、サリッ、と鳴く。    夜が明ければ、また少女は戦う事になるのだ。  ポケットに、金平糖の袋を突っ込むと、獣の目に戻って歩き出した。  ブーツの足音が、路地裏から遠ざかっていく。