ご案内:「食堂」に朽木 次善さんが現れました。<補足:生活委員会。弁当を前にして硬直中。乱入歓迎。>
朽木 次善 > 注文制の『A弁当』に梅干しという異邦人が導入されてから一週間。
好きなおかずばかりだったA弁当を諦めて『B弁当』を購入し始めてから二日目。

……弁当の内容が変更になっていることを、開けてから気づいた。
梅干しが入っている。

人通りの多い食堂の真ん中で、男が一人両手で顔を覆って固まっていた。

朽木 次善 > 何故。

今年は梅の取れ高が絶好調だったのだろうか。
もしくは経営が順調で、彩りの少ない米の中央に、
順番に彩りとして赤の一つでも載せてやろうという粋な計らいなのだろうか。
もちろん、内容の内訳は朝の時点でチェックする注文書に書いてある。
だからそれの確認を怠った自分が悪いのだが。

「普通、こんな短期間でコロコロ内容変わりますかね……」

朽木 次善 > しかもよく見れば魚のフライの方には粒マスタードが添えられていた。マヨネーズだと思っていたのに。
それも自分はあまり得意ではない。
だが梅干しに比べればそれがからしマヨネーズだったとしても、どうにかなる相手と踏んで我慢しての注文だったのに先回りされた。
思ったよりも梅干しという存在は狡猾で巧妙らしい。
見ているだけでダメージを受けるそれを、蓋をすることでとりあえず視界から追い出し、
静かにペットボトルからお茶を飲んだ。落ち着くことも、時には大事だ。

お茶で喉を潤しながら、経口補水液のことを思い出す。
数日前、保健課の鈴成と話した内容が、そのまま連想的にフラッシュバックする。

朽木 次善 > 話題としては、渡りに船だった。
ブレインストーミングの最中に、丁度その反対の意見を持っていそうな相手が現れたのだから。
常備されている薬、応急治療設備。
そういうものが、傷を一瞬で癒やす異能者が跳梁跋扈するこの島で、完備されており、
必要とされる理由について、彼女と世間話をした。

彼女は異能を「最終奥義」と定義し、
自分たち、これはもちろん整備課である俺もそうなのだが、
それが行う地味な作業を「通常の業務」として、その両方が必要とされていると言った。
要旨を掻い摘んだ説明なので、もしかしたら鈴成が自分に伝えたかったことは、
もっと深い意味を持っているのかもしれないが、自分としてはこう受け取った。
だからこそ、その最終手段が普遍的、常態的でない限り、
自分たちの働きは無駄にはならないということを。

朽木 次善 > また、その中で蓋盛教諭についても話した。
彼女(恐らく彼女。名前だけしか聞いたことがないので確証がないが)はそれこそ、傷を癒やすことに直結した異能を持っているらしい。
ただ、それを使用するためには代償を伴うのだともいう。
それがどの程度の代償であったのか、あの時鈴成は自分に説明してくれたはずなのだが、
細かい部分は忘れてしまった。何かしらの、傷を癒やす対価を必要とすることだけが、記憶に残っている。

つまり、持つ者にも、持つ者なりの労苦が存在するということを、
鈴成は自分に対して伝えたかったのだろうと、そう思う。

この二つの理論はとても正しいし、
何より自分こそが「鈴成側」である持たざる者であること。
もちろん異能という最終奥義を持つ「蓋盛教諭側」とは対極にあるということから、
諸手を上げて支持したい理論ではある。
自分たちのやっていることを、ただの徒労とは俺は思っていないし、
思いたくもないというのは、正直な気持ちだ。

朽木 次善 > ただ。それでも極端な話を、俺は考えずにはいられない。
現状はそうだ。
そして、常態としてそういった地味な作業が必要なことも分かる。
それは理想論であり、本来現場が危惧するようなことではないことも理解出来る。
だがもし、蓋盛教諭がネックとしているそういったデメリットが全て解除され、
範囲も、対象も、効果も、全て無尽蔵に調整の効く異能者が出てきたら、どうなるのかと。

それが、本当に出てこないとは俺には思えない。
異能が、これだけ無軌道に、一定の理由や法則もなくランダムに割り振られている環境の中で、
次に出てきた異能者がそういった異能者でない確証が、俺には持てない。
そうなると。
それが出てきた時点で、そういった地味な作業――。
俺たち生活委員会がしているような活動は、全てそれにとって変わられるようになり……。
この島の常識が入れ替わるのではないかと、そう思ってしまう。

朽木 次善 > 当たり前のように、米の中央に梅干しが乗る島だ。
昨日まであった当たり前が、通用するとは思えない。

個人の存在が、ルール全体に波及して、既存の常識を覆してしまう。
それが連綿と続く今日と明日を切り替えるスイッチとして急に日常の中に現れないと、
何故言い切れるだろうか。

異能を使う者がこの世界に現れてから今まで、
人の生活にそう大きな変化はないように俺は思う。
技術的に再現性がなく、またそれほどの大きな規模の何かを変化させるような、
絶対的な力を持つ人間が「表出」していないことにより、
その秩序は保たれているといってもいい。

未だに自分が整備するような道は必要とされているし、
鈴成が調達してくる薬は必要とされている。
でも、それはいつまでだろうか。
もし明日、それが必要がなくなるような異能者が現れたとき。
鈴成が自分に向けてくれた「仕事がないことが喜ばしい」という笑顔は、本当に保たれるのだろうか。
いや、鈴成が問題なのではない。彼女はきっと笑顔でまた別のやりがいを探せる子だろう。
そうなったとき、俺は卑屈な苦笑いを浮かべてそれに羨望や嫉妬を向けたまま、歩くのを辞めてしまうかもしれない。

梅干しという危難が弁当に訪れただけで、
弁当に手がつけられない凡人ならば、それも容易に想像が出来る。

朽木 次善 > むしろ。そういった異能者が跳梁跋扈していてなお。
島が異能者が世界に蔓延る前と、ほぼ同じ形態を維持していることのほうが。
自分にとっては少し不可解な現象に思えてしまう。

もし『空歩き』のように空が飛べる人間がいるとするならば、
きっとこの島のインフラは、空を飛べる人間がいることを前提に作られていなければおかしい。
そこには新しい常識が根付き、独自のルールが生成されるのではないかと思う。
だが、この島は、そういった異端の存在を許容しながら、
島の外……とみにインフラに関しては違いがないように作られているように思える。

鉄道が走り。道があり。神社がある。
買い物をする場所があり。学び舎があり。こうやって食堂もある。
それは……もしかしたら奇跡に近い事柄なのではないかと思わずにはいれない。
ただそこに、多種多様な種族が歩き、異能を持つ者がいて、人工造物が言葉を喋る。
そこだけが……ただ違う。それは、そういうものなのだろうか。

ご案内:「食堂」に蓋盛 椎月さんが現れました。<補足:養護教諭 亜麻色の髪 茶の瞳 白衣 蜥蜴のヘアピン>
蓋盛 椎月 > 肉、わかめ、たまご、かきあげ、ねぎ、etc。
トッピングを全部載せしたうどんの丼の盆を持って、
汁ハネなんて気にしないという気概の伺える白衣姿の女が朽木の席へ近づいてくる。

「そんな風に梅干しを難しい顔で睨みつけてる人初めて見たわ。
 ……梅干し軍に故郷の村でも焼かれた?」
へらへらと笑って。

朽木 次善 > 異能という梅干しがあって。
それに動揺しているのは、俺だけなのだろうか。
弁当自体の価値には、何も影響なく。
何故皆、梅干しの存在を認めていながら、それをB弁当だと思えるのだろう。

何故梅干しはこんなに酸っぱいのだろう。
酸っぱいものはそもそも甘いご飯と合うのだろうか。
酸っぱいということは、腐っているということじゃないのだろうか。
人間は本来その酸っぱいという味覚を、腐敗の精査に使っていたんじゃないだろうか。
だとしたら梅干しが食べれない自分こそ正常であるのではないか。
梅干し本当に苦手なんです。
ごめんなさい。どうか梅干しだけは勘弁してください。

どうにか視線の圧力で梅干しが消える異能に目覚めないかと、
景気の悪い顔が睨みつけていたところで、顔を上げる。

「ああ、ええと。……もしかしたら、前世で焼かれたかもしれないす。
 えと、研究生、の方、ですかね」

すぐに相手が誰かが分からなかったので、相手の白衣を見て尋ねる。
他人の名前と顔を一致させるのが極めて下手なので、既知であったら失礼であると思われることを覚悟しながら。

蓋盛 椎月 > 「前世か~、きみって前世信じるほう? あたしは信じないほうかな。
 でも朝のニュースでやってるみたいな星占いとか
 血液型占いみたいなチープな占いは結構好き。
 血液型A型のあなたのラッキーフードはうどん!」
訊かれても居ないことをぺらぺらと喋って、近くの空き席に腰を下ろす。

「あたし? あたしは養護教諭の蓋盛だよ~。
 保健室でダラダラするのが仕事のやつ」
身分証明証か何かと思しきカードを見せる。
蓋盛椎月なる氏名、その顔写真、教員であり生活委員会保健課協力員、
そんな情報がある。

朽木 次善 > 「嗚呼、俺も信じてないですけど……苗字が朽木なんで焼かれた村の木だったのかなって。
 いや、うどんて…! もう目の前に弁当あるのに、いまさら変えられないすよ、無体な!?
 いや、俺ABなんで外れてんすかねそれ……? いいのか? Aであるべきでしたか?」
成る程、食事に会話を必要とするタイプの人か。
あるいは機嫌がいいかのどちらかだろうなと苦笑いをしながら思う。
彼女曰くラッキーフードから外れてしまったB弁当をからフライを箸でとり、
口に運ぶ途中で相手の自己紹介に「フタモリ」という響きが挟まれていて。

手から力が抜けてフライが梅干しの上に着陸した。

「……は? 蓋盛。
 あ、いや、すいません、蓋盛先生。ですね。いや、え……」
鈴成、ヨキと渡りに船が続いた上で、今度は個人客船が迎えに来た気分だった。
何か反動で良くないことが起こりそうな予感を覚えながら、その偶然に感謝した。

「いや、その、なんかすいませんちょっと慌てて。
 以前友人。友人でいいのか、えと、鈴成。ああ、保健課の生徒から、名前だけ聞いてて。
 会えりゃいいなとか思って、まして。聞いてみたいこととかあって」
これは、聞きようによってはナンパに聞こえる。
そう思いながらも早めに自体を説明しようと舌がもつれた。

蓋盛 椎月 > 「きみセンスあるね!
 いやあ、あたしがA型ってだけなんだけど。
 でもなんかきみってA型っぽい印象あるよね。苦労多そうな人相っていうか」
勝手なことを言ってけらけらと笑う。どう見てもA型の印象ではない。
それに気づいているのかいないのか、ぺちりと割り箸を割る。
うどん、と見せかけてわかめを箸ですくい取って口に運んだ。

「ん? 蓋盛だよマイネームイズ蓋盛。へえ鈴成ちゃんから。
 なになに? ナンパ? あたしの身体もベッドもいつでも空いてるよ~」
なんだか慌てている様子の彼に、
テーブルに肘をついてやや危険なジョークを飛ばす。

朽木 次善 > 「まあ、業務柄自分の中で一番自信あんのが喋りなんで、って……。
 ああー、それ良く言われます……。なんでですかね。適当にやってるつもりなんですけど」
血液型分類では確実にAと診断されない一例が口にする血液型占いが、
どれくらい信ぴょう性があるのかは不明だったが、調子を合わせた。

うわあ。マジでナンパにとられた、と焦り、箸まで落とす。
「いや、空けてちゃマズいでしょう。保健体育の方の保健室になっちまうでしょう。実技かよ。
 ああ、ええ、鈴成サン個人もご存知なんですね。
 そうか、保健教科の教諭なら保健課とダイレクトに繋がってるのが普通か……」
調子を取り戻すために、一口茶を口に含み。

「鈴成サンが、俺がちょっと異能による治癒とかで悩んでるときに、
 こんな人も居るんだよって紹介してくれたのが、蓋盛先生でして……。
 なんでも、他人を治す異能をお持ち、だとか」
最初は踏み込まず、事実を確認した。
鈴成からの情報を信じれば、踏み込まない方がいいラインがありそうだという自身の臆病さを十分に発揮して。

蓋盛 椎月 > 焦る様子を見ればさらに笑みを深める。
どうやら人をおちょくるのが趣味であるようだ。
からかいがいのありそうなオーラに惹かれたのかもしれない。
「はっはっは冗談冗談。
 いやーでもさーちゃんとお互いを傷つけないような愛し合い方については
 ちゃんと予習しておいたほうがいいと思うわけ。
 気が向くなら相手をしてやっても構わんよ?」
仮にも食事中にしていい話ではない。
箸を動かし、肉やかき揚げといったトッピングを全部先に平らげてしまう。
まったくわびさびの感じられない食べ方である。

「異能? ああ、《イクイリブリウム》のことか。
 簡単に説明すると、まあ、なんでも瞬時に治せる能力だね。
 副作用として、それに関わる記憶が飛んじゃうんだけど」
蓋盛は自身の能力については特に隠してはいない。
これぐらいなら朽木も既に知っている情報かもしれない。

朽木 次善 > 俺はこの笑みを知っている。
去年、生活委員会第三整備班所属時に、一年の朽木が梅干しをはじめとした刺激物がダメだとバレたときに、
様々刺激の強いお菓子が回ってくる前に先輩全員が浮かべていた笑みと同じ種類の笑みだ。
その時と全く同じであろう苦笑いと汗を垂らしながら答える。
「あー、先生の教育、生徒と距離近いっすね……!
 超実践教育型っていうか……色々まずくないですか生徒とだと……!」
まさか距離的にゴム一枚までいきなり近寄られるとは思ってなかったが。

「それです、イクイ……?
 ………。凄いすね。瞬時に、ですか。
 副作用はそれ、傷のこと自体を忘れるってことですか……?
 それとも、傷に関わる全ての記憶ってことですかね」
隠していない雰囲気を察すると、相手が教諭ということもあってズケズケと質問する。

蓋盛 椎月 > えっ何が悪いの? ときょとんとした表情を見せる。
「ここの生徒って本土で言えばほとんど高校生以上じゃない。
 15歳って言ったら江戸時代なら元服済んでる歳だよ? 大人だよ?
 することの意味がちゃんとわかってればさ~いいんじゃないかな~って
 あたしは思うわけですよ」

この能力名言いにくいよね、と首筋を掻いて笑う。
「んー。傷に関わる全部の記憶、だね。エピソード記憶っていうの?
 診断できたときは一応記録は取ってるんだけど、
 忘れる程度の軽重は今ひとつマチマチみたいなんだよねー。
 その傷が本人にとってどれぐらい重大か、というのが重要らしいんだ、どうやら。
 傷や症状の深さとか、期間とか、そういうの。
 場合によっては、副作用が“はみ出す”こともあるみたい」
さほど気にする様子もなく、ぺらぺらと喋っていく。
茶を一口飲む。

朽木 次善 > 「いや、どっちかといえば学生と教師っていう立場がマズいんじゃないですかね……。
 上手く言えませんが、その、なんか建前だけでも生徒には、
 教師は個人的感情を向けたりするのがマズいような……平等? なんだ? 何が悪いんだ?」
心のそこで愛し合い方が恋愛感情の上にあってほしいと願う男子生徒は抗弁する。

「エピソード記憶……短期記憶でもなく、それにまつわる記憶ってことですか。
 ……成る程、代償としても一定ではないってことですね。
 んん……つまり。えっと。
 その副作用について、その軽重がある程度ランダムであると分かるくらいには、
 日常的にその異能使用されてるんですか、蓋盛先生は」
想像の中とは少しズレが生じているような気もする。
それこそ、必要な相手には危険性を説いて処方箋を出す医者の言のように感じられた。
「で、はみ出した相手も、当然いたって、こと、ですよね。
 ……怖くないんですか、その異能……」
思わず、先ほどまで考えていたことがそのまま口に出てしまう。

蓋盛 椎月 > 「そもそも教師って言ったって人間なわけで、
 人間である以上はどうしても個人的感情っていうのは、
 ……まあいいやこの話はやめよう面倒くさい」

頭を振る。経験則上、こういうのは平行線しか辿らない。
ほとんど素うどんになったうどんを啜る。

「日常的に……いや、最近はあんまり使ってないけどね。
 一応《イクイリブリウム》と付き合って十年ぐらいになるし、サンプルは多いんだ。

 発現したての頃、全然効果がわからなくて、すごい不安でさ。
 で、一時期、とにかく自分の異能について知るために
 サンプルを集められそうな場所を駆けずり回った」

天井近くに一度視線を向け、それから顔を戻す。

「怖くないか、って言われたらそりゃ、めちゃくちゃ怖いよ。
 あんまりビビった姿晒すわけにもいかないし、表には出さないけどさ」

朽木にまっすぐと向き合って、平然と答える。
『今食べてるうどんの味付けは関東風ですけど?』ぐらいの調子で。

朽木 次善 > なんだか、教師ではなく女性を傷つけた気がして、
気が気でなく、口元がヒクツイた。
話題が話題だけに弁当は少しも減っていっていないし、
フライを持ち上げたらフライまで梅干しで真っ赤に染まっていた。自分は今世も殺されるかもしれない。

「ああ。そう、ですか……です、よね」
そこは、自分の中の想像と、それほどズレはなかった。
きっと蓋盛教諭は、自分の異能と真剣に向き合おうとしたんだろう。
大体の異能、特に権能の強い異能を持つ人であればあるほど、真剣に向き合う必要がある。
彼女の中にある怯えも、自分には容易に想像がついた。
と、同時に、それを口に出すことの特異さにも、少し気がいってしまう。

「……でも、それを、先生は公言している。
 いえ、その事情というよりは、えっと……異能があること自体を。
 代償が、サンプルを集めたとして、その異能がランダムであることを回避出来ないなら。
 もしかしたら、思った以上に記憶が「削れる」ってことも、あるわけ、ですよね」
上手く、言えない。直接的な言葉で言ってしまえば伝わるのだろうが。
直接的な言葉で言ってしまうには、自分の度胸が足りなかった。

「俺なら。
 臆病な俺なら、皆に、その異能があることを、教えない、んじゃないかなって。
 相手にリスクを背負わすなら……尚更……。
 先生は……何故それを、公言出来る、んでしょうか」
言えない。
救えないことで責められることも怖く、相手にこんなはずじゃなかったと失望されるのも怖い。
だから自分はきっと、蓋盛の異能《イクイリブリウム》を持っていたら、最初から助けられるかもしれないなんて、誰にも教えずに生きていくだろう。
聞きたかった。彼女の価値観を。知りたかった。「過ぎた」異能を持つ人間の視界を。

蓋盛 椎月 > 「ほお。いや、面白いな。
 そういう風に突っ込んで言及してくれるのは珍しいね。
 いや、面白い」
面白い、と二度繰り返す。実際、愉快そうに肩を揺らしている。

「いや。
 怖いから、明かすんだよ。
 こんなものは本来人間が持っていていいチカラじゃない。
 この世界は、有形無形の《免疫》がある、とあたしは考えている。
 秩序を破壊する《世界の敵》が現れたら、それを排除するための」

装飾のない湯のみを両手で持って、ゆっくりと茶を口に運ぶ。

「あたしはこの能力を隠さない。
 死神に気づいてもらうために。
 この能力が《世界の敵》となり得る力だったなら――
 あたしは世界を壊すか、死神の鎌の下にいるか、どっちかだろう。
 けれど今のところ、そうはなっていない」

「本当は、もうあたしは世界を破壊してしまっているのかもしれない。
 こうやって過ごしている一秒一秒の間にも、
 世界は壊れているって考え方もあるらしいしね」

言葉を一度切って、ふう、と息をつく。

「……なんて、トンデモ話には興味ないかな。
 わかりやすく言うとさあ、強すぎる能力って隠すのは最初から無理なんだよ。
 どうしても使えそうなときは使いたくなっちゃうし。
 一人で抱え込むほうが、よっぽど危ないじゃん。フェアじゃないしね」

一般論だ、と言わんばかりに。
当然のあり方である、そう告げる。

朽木 次善 > 「すいません。性分も、あると思います。
 失礼なことを言っていたら、教諭として注意を与えてくれて構いませんので」
生活委員会の男は面白がる教諭に、前置きとしてそう告げた。

「つまりは……自浄作用に期待してる、ってこと、ですか。
 逸脱すれば、どこかからの作用が加わって……
 その作用によって万が一逸脱していたとしたら、自分という逸脱は是正される、ってこと、っすか……」
一つ一つ、相手の言葉を読み解くように口に出す。
向き合っているのは蓋盛椎月という相手というよりも、
そういった相手がどういう視界を持って、どういう方向性を持って動くかということそのもの、
無意識ではあるがこれも蓋盛がサンプルを集めた作業と同じような工程だった。

「上から押さえつけられる力が存在していることを信じているからこそ、
 その異能を十分に振るう事が出来る、ってこと、になりますかね……。
 逆説、そのより強い力が自分を挫かないことが、世界っていう箱庭を維持出来ている証拠、ですか」
荒唐無稽な話とは、思えなかった。
世界が、先の妄想のように、何か大きな意思によって「かくあれかし」という形に収められているのだとしたら、
それは自分にとっても納得しやすい話だ。それを蓋盛は<<免疫>>と表現し逸脱を<<世界の敵>>と呼んだ。
それは、ヨキ教諭が口にした理論とは全くの逆であると、個人的には思った。
彼は自分を、「物語の登場人物ではない」と、そう言っていたから。

「じゃあその記憶を失うという代償は、最初に与えられた蓋盛先生の意図的な枷であり、
 自由に使えなくすることで、逆に逸脱をしないように調整が働いた、んですかね、先生の理論だったら。
 ……もう一つ、その上で質問していいですか。
 もし、その枷……代償として対象が記憶を失うという枷がなかったら。
 先生は、無差別に、何かを治しますか。……治し尽くしますかね」

『それ』はもう蓋盛椎月ではない。それは承知していながら、尋ねた。

蓋盛 椎月 > 「お、そうそう。自浄作用。いい表現だね、今度からそれ使うわ。
 朽木くんは頭の回るやつだなあ、感心しちゃうよ」
自分の考えを噛み砕いて口にする朽木の様子に舌を巻く。

「調整、か。それもまたなかなかおもしろい考えだ。
 あたしが副作用に対して出した結論とは実はちょっと違うんだけど、
 そういう可能性は大いにあるね」

丼を持ち上げて、つゆを啜る。

「《イクイリブリウム》に副作用が、なかったら?
 そーねえ――……」

割り箸の先を咥えて、うーん、と唸る。

「両手を切り落とす、もしくは潰すかな?
 この能力、手がないと使えないんだよね」

平然と言う。
言った後、あ、今のはオフレコで! と慌てて付け加えた。

朽木 次善 > 「ハハ、すいま、せん。いつもこんなことばっかり、考えてるせいで」
とてもじゃないが饒舌になってる自覚はあったので、褒められた心地がせずに苦笑で返す。

「……っ」
息を、鋭く吸った。
こともなく。――両手を切り落とすと告げた蓋盛は。
この僅かな時間でも、それが冗談であるとは思えないくらいに、そう、まるで。
――ずっと前からその事実と向き合い、覚悟してきたかのように、自然に告げた。

そこに至るまでに、どれだけの苦悩と、どれだけの煩悶があったのか。
18年しか生きていない自分には、その異能を持たない自分には、想像も出来なかった。
これが。理解の壁かと。思った以上に、自分の登る道の険しさを感じ、足元がぐらついた。
脳裏に、ヨキ教諭の言葉を思い浮かべて、どうにか踏みとどまる。

「……蓋盛先生。
 すいません。思ったより、踏み込んで聞いてしまって。
 ……代わりに一つだけ。俺の、夢を聞いてもらっていいですか」

動揺を飲み込むように。
そして自分の踏み込みにも真摯に答えてくれた教諭に、少しだけ声色を変えて呟いた。

蓋盛 椎月 > 「…………」

肘を付いて、朽木をじっと見据える。

『副作用がなかったらどうするか――』

ということに関しては――実はそう深くは考えたことはなかった。
なぜなら、《イクイリブリウム》の効果の全容を知り、その意味に気づいた時、
腕を切り落とすべきかもしれない――そう考えたから。
今でさえ、そうしたくなることがある。
けれど、それはあまりにも面白くない。

「いいよいいよ何でも話しな。
 ちょうど、きみという人物にも興味が湧いてきたころだからさ。
 むしろ、教えてくれよ」

ゆったりと目を細める。

朽木 次善 > 蓋盛の試すように細められた目に、身体を蓋盛の方に向けて言葉を告げる。

「この島が、蓋盛先生の言うような自浄作用によって。
 あるべき姿……異能が<<世界の敵>>にならない程度の逸脱に収められてるのだとしたら。
 そこで暮らす俺たちは、逸脱をした瞬間その<<免疫>>によって弾かれる、んですよね。
 もしかしたら島ごと、最初からなかったことになるかもしれない。より大きな力によって」

自分の手に、視線を落とした。

「……俺は、蓋盛先生ほど、強くなれません。
 多分怖いからでしょうけど<<免疫>>に弾かれることを了承出来ない。
 でも異能も百凡だし、優秀な生徒でもない。個人でそれに抗う力はないです。
 ただ、その逸脱を許容するような、逸脱すらも飲み込むような、強力なインフラを整備すれば、
 それ自体が逸脱じゃなくなり、<<免疫>>に抗えるんじゃないかなんて、夢を描いてるんです。

 『空を飛ぶ人間』が『自由に空を飛べる環境』を。
 『傷を癒せる人間』が『癒せない人間と共に歩める状況』を。
 『神の如き強さを持つ誰か』が『何の力も持たない人間と共に暮らせるルール』を。
 今までの当たり前を切り崩して、新しい当たり前を作り上げれば。
 その<<免疫>>なんていう馬鹿げた外側からの手が加えられずとも、俺達は逸脱せずに済むと。
 箱庭なんて形で上から眺める誰かに、箱庭の中に居ながら中指が立てられると、そう本気で思っています。
 俺達は異能のモルモットじゃない、この島で生きてる人間すから……」

若さゆえだろう。体制に組み込まれることを是と出来ず、個の主張をさげられない。
何か大きな意思が存在するとするなら、それに抗い、稚拙ではあるが個人として進み続けたい。
そんな意思が、瞳に宿っている。それは軽い怒りにも似ていた

「……俺は、実は、そのために生活委員会に所属してるんすよ。
 もし、蓋盛先生が<<イクイリブリウム>>について制約を失い、それを無尽蔵に使えるようになったとしても、
 それすらも日常の一部になるような『環境』<<インフラ>>を作り上げられれば。
 『蓋盛先生』は『両手を切り落とす必要』がなくなる。……俺は、それを目指したい」

大きく息を吸って、吐いた。

「すいません。……こちらも、オフレコで。若者が夢物語語っただけすよね、これ。笑ってくれて、いいす。
 ……それにベッドに誘ってくれた先生の手が失われたら、男子が受ける保健の授業の項目も減るでしょうし」

最後に、それが冗談であると。
まだ冗談でしかないと言いながら、何かに宣言するように、青年は蓋盛に告げた。

「ありがとう、ございます。
 少しだけ、視野が広がった気がします、蓋盛先生。鈴成サンにも感謝しないと」

いつも通りの苦笑を浮かべた。少しだけ、すっきりしたのは確かだった。

蓋盛 椎月 > 朽木が苦笑を浮かべた頃。

パリン、という音。
蓋盛の持ってきた湯のみが、テーブルの上から消えている。
中身は殆ど飲み干されていたらしく、飛び散ることはなかったが……
湯のみは粉々の破片になった。

それを追うように、速やかに屈みこむ蓋盛。
テーブルに遮られ、その表情は見えなくなる。

「あ――……、こりゃだめだな。
 割れちゃったなあ――……
 食堂の人、呼ばなきゃだめか――……」

緩慢な動作、緩慢な声。
必要以上に時間を掛け、ゆっくりと、身体を起こし、体勢を元に戻す。

「失礼、失礼。
 いやあ、はは、びっくりしちゃった。すごい夢だな、それ」

にこり。殆ど瞳が見えなくなるぐらいまで、目を細めた笑み。

「……でも、間違いなく立派な夢だ。
 嗤いやしないよ。
 夢は大きいほどいいって誰かも言っていた。
 すべては無理かもしれないが、その理想の一部は、
 あるいは実現できるかもしれないね、いつかは」

親指を立てて見せる。

「なあに、礼には及ばないよ。
 こんな話、出来る相手なかなかいない。こっちも貴重な時間を過ごせたよ」

朽木 次善 > 「ああ……大丈夫、すか。
 割れた、すか……? 破片とか……」

何かの食器が割れた音に、少しだけ焦る。
机の陰になっていたので被害の程度は知れなかったが、
自分が余計な話をしたので気を散らせたかと首の後ろを掻いた。
蓋盛の僅かな変化にも気づかない。
それは、もしかしたらいつもの朽木なら気づけたかもしれないが今は語った夢想に少なからず酔ってもいた。

蓋盛に微笑みを向けられると、苦笑を返し。

「……いや、今はただの冗談でしかないです、ね。
 まあホント、先生の言うとおり、ただの夢物語ですから。
 でも、そうですね。……まあ、その一歩目として、目の前のことに取り組んでいきます」

時計を見る。
思ったよりも話し込んでしまった。
次の現場に行くためには、梅干しと格闘している暇はなさそうだ。
勝負は延長線へとズレ込み、弁当を仕舞い、鞄に入れた。

「ありがとうございました。
 蓋盛先生。保健課に足運ぶときあって鈴成サンに会ったら、良い縁をもらったと言っといてください。
 んじゃ、お先に失礼します」

息を吸い、生活委員会の朽木次善は、保健課の蓋盛椎月に手を振って食堂から去っていった。

ご案内:「食堂」から朽木 次善さんが去りました。<補足:生活委員会。弁当を前にして硬直中。乱入歓迎。>
蓋盛 椎月 > 笑顔で朽木の去るさまを見送る。
そうして、完全に姿を消したのを見届けて。
だらん、と椅子の背もたれに身を預け。
一本の煙草と、ハンカチを取り出す。煙草は火をつけず、咥えるだけ。
ハンカチは広げて、顔の上にベールのように乗せる。
それでもう、蓋盛がどんな顔をしているかは、誰もわからなくなる。
その体勢で、駆け寄ってきた食堂のアルバイトと二言三言会話をする。
いや申し訳ないね。いえいえ。ありがと。
片付けられていく湯のみの破片。去っていくアルバイト。

ぼそぼそと、誰にも聴こえない声で呟き始める。

「朽木くん。これは誰にも言ったことがないんだけどさ。
 《免疫》に排除されるのが恐ろしいのならば。
 《免疫》として振る舞えば、《世界の敵》とは見做されなくなるんじゃないか。
 って、考えたんだよね――……
 多分、同じ考えの奴も、結構いるんじゃないかな」

想像もしなかった。そんな野心を抱いている生徒がいるだなんて。

「……気をつけたほうが、いーよぉ」

くく、とハンカチの下で笑った。

ご案内:「食堂」から蓋盛 椎月さんが去りました。<補足:養護教諭 亜麻色の髪 茶の瞳 白衣 蜥蜴のヘアピン>