2015/07/24 - 20:58~01:52 のログ
ご案内:「闘技場」に朽木 次善さんが現れました。<補足:生活委員会。珍しく私服。【待ち合わせ中です】>
朽木 次善 > ――普段。
ここでは血で血を洗い、学生同士が文字通り切磋琢磨しあう場なのだが。
この日だけは、全く別の催しが行われていた。
マーチングバンドやクラシック音楽団が広い空間を利用して、
音を何重にも反射させて楽しむ、特別な催しが行われていた。
この施設の音響を整備したのは、同じ生活委員会の者であり、
拓けていたコロッセオ状の闘技場に、上手く音響が反射するような細工を後付で施すという、
隠れた技術の結晶がそこにあった。
なので、一年に数回開かれるこのコンサートには、
生活委員会であれば希望をすれば指定で席をとってもらえるという優待がある。
既にプログラム上いくつかの演奏が闘技場の中央では行われており、
それを闘技場の、けして見るのに適してはいない後方の連席で頬杖を着いて誰かを待つ姿があった。
朽木 次善 > 落ち着かない。
視線は、他の客と違い、闘技場の中央だけを眺めず、中空を泳いでいる。
そして神経質に体をゆすり、何度目かになる溜息とともに、
自分の動悸を内に閉じ込めようと努力していた。
もうすぐ、時間だ。
……果たして。
『相手』は来るのだろうか。
ご案内:「闘技場」に『脚本家』さんが現れました。<補足:ポニーテイルに喪服のような飾り気のない黒いドレスに身を包んでいる>
『脚本家』 > ゆったりと、普段のきちんと着られた制服とは違い。
喪服のように黒い、飾り気のないドレスに身を包んだ女がごとり、と。
ブーツの底を鳴らして闘技場にゆったりと足を踏み入れる。
ゆらりと見回し、先日"デート"に誘ってきた男の顔を探す。
後部席R-2と3の連席。景気の悪い、隈を浮かべた其の顔を探す。
「───待たせたかい、朽木君」
女は、其処に来た。
男の顔を見ることはせず、視線は中央に向けられている。
落ち着いた足取りで、頬杖をつく彼の横にゆったりと腰を下ろした。
朽木 次善 > 声が。震えないかだけが、少し心配だった。
……来た。本当に。それも、恐らく単身で。
どんな大物の俳優も、舞台上にまで警備を連れてこないのと同じで、
ただ、そうあるべきだという彼女の逸脱した常識だけを身に纏って。
現状の自己が置かれている状況すら顧みず、ただ、"デート"に。
「――いえ。今来たところです」
男も、そちらを見ずに答えた。
きっと、そう答えることが"デート"の定石であるのだろうと思いながら。
頬を、汗が一筋伝った。頬が引きつる。苦笑をしながら口を最小限に動かして呟く。
彼女の顔を、姿を見ずに済むのは、彼としても有りがたかった。
「……来て、くれると、少しだけ思っていました。……俺とただ、話をするためだけに。
自惚れ、かもしれませんけど。勝手に」
『脚本家』 > 彼が声が震えていないか心配しているのなど知らずに。
───否、興味なんて初めからないように。彼女は、目の前の演奏にのみ意識を向ける。
公安委員会や風紀委員会とでも待ち構えているのだろうか。
其れとも彼一人で、自分は凶器を得た彼に刺殺されてしまうのだろうか。
そこまでの思案を重ねていたが、彼は其の両方をしなかった。
「そうか、ならよかったよ」
気さくに、なんでもない世間話をするように。
口元を小さく綻ばせながら、ただただ"デート"を楽しむように。
ごくごく普通に、彼女は言葉を紡ぐ。
「約束したじゃあないか。怪我のお詫びのデートだろう?
折角の誘いを無下にするようなことはしないさ、これでも楽しみにしてたんだ」
彼と同じように頬杖をついて。
旧知の友人との久々の再開のように、楽しげに口を開いた。
朽木 次善 > 席一つ空けてお互い。相手の腹の内など理解出来ず、ただ同じ方向を向く。
同じものを見つめていても、見えるものは違うのだろうか、などという言葉が脳裏を過る。
闘技場の中央で、演奏は徐々に盛り上がり始めていた。バレエの曲だろうか。
元々音楽にそれほど造詣のない朽木には分からなかった。
「……出来れば。もう少し洒落たところに連れていければ良かったんですが」
舌もそれほど回らない。いつもならもっと軽口が出ていいはずだが、無理もなかった。
次の瞬間、壇上にフェニーチェの団員が踊り出て、再び惨状が再現されるかもしれないと思うと、
逆にこの観衆を無意識に盾にしている自分にも気づいて、胸の中に黒い物が蟠る。
意識を、当初の目的だけに向けて戻す。
「……3つだけ。大きく分けて3つについて。
聞かせて貰いたいと思います。それだけ聞けたら、俺は、もう十分だと、思うので」
生唾を呑んだ。心臓は、早鐘のように打ち鳴らされている。
「1つ目。
……あの日、落第街のミラノスカラ劇場で……劇場を制圧しに来た公安委員会と衝突したと聞いています。
その時、貴方は何を見て、誰と何を話したんですか。あそこで何があったのか。
……何故、あの時、公安の一部の人間が、命を落とす羽目になったのか。
……貴方の、分かる範囲で、教えてもらえませんか」
ゆっくりと、会話の階段を、一歩登る。
『脚本家』 > 盛り上がる演奏と同時に、女の気分もまた上を向く。
此処に呼び出した男から出る言葉を、何よりも心待ちにしていた。
犯罪者である自分と話がしたいが為に自らも犯罪行為に手を染めた男の話を。
───何処か狂った、目の前の生活委員の男の話を。
「十分さ。場所なんて何処だっていいだろう。
芸術に場所は関わらない。立派な劇場だろうが路地裏だろうが僕にとっては同じだ」
ぼんやりと目を細めながら、舞台のより中央へと視線を向ける。
嘗て、『七色』が。『癲狂聖者』が中央で踊った舞台。
『死立屋』があの舞台に乱入したことだってあった、と。
舞台の先に、今は亡い劇団フェニーチェの姿を重ねる。
「あァ、聞きたいことは全て聞くといいさ。
僕に答えられるようなことなら応えよう──何時僕が死ぬかは解らない。
其の前に後悔がないように聞いてくれ」
「嘘は吐かないから」、と。目を細めて笑った。
「僕が何を見て、か。──あくまで僕の主観的な意見でいいのなら。
うちの舞台監督──主に宣伝だとか広告だとか。協賛組織を集めていてくれた奴が居てね。
『墓堀り』、と僕らは呼んでいた。彼と───どう形容したものか」
困ったように肩を竦めて、腕を組む。
暫し考え込んで、言葉を選ぶ。
「そうだな、『正義の味方』を見たよ。劇場を制圧しに来た『正義の味方』。
暴力的なまでに正しく、何時だって正当な、『正義の味方』。
公安の連中が死んだことに関しては何とも云えないね。
寧ろ──僕は何一つ悪くない。関係がない、と云うのも言いすぎかもしれないが。
『方向性の違い』、だよ。朽木君。
劇団の中にも様々な人間が居る。学園にも様々な人間が居るように。
故に、全員の行動を僕が把握している訳じゃあなくってね。
屹度───そんな下らない『演出』をするのは彼奴くらいだろう。
何と云ったか、ええと──そうだな、『ルギウス』くらいか。
フェニーチェの名前だけを使って、歪んだ自己満足を満たす男。
生憎演出家としては好い仕事をする奴だが──彼奴の行動には僕も些か疑問を覚える」
ふう、と一呼吸おいて。
「簡潔に纏めようか。
僕が見たのは『墓掘り』と『正義の味方』が話をする様。
僕が会話をしたのは、『正義の味方』だよ。折角楽しそうだったんだ、混ぜてもらいたくてね。
命を落とす原因になったのはある劇団員の自己満足。
此の理由に関しては僕に詳しく聞かれても読心系の異能も魔術も無い僕には知ったことじゃない」
男が階段を登れば彼女もまた寄り添うように。また一段、其の階段を登る。
朽木 次善 > 顎に手をやる。
思考を纏めるときに、自分が無意識にやる癖だった。
舞台を見、演奏を耳に入れながらも、映像も音声も入力から外れている。
全身全霊を、横に座る『脚本家』のまるで絹のような声で放たれる言葉を紐解くことに集中していた。
「『墓掘り』と『正義の味方』。ですか」
『墓掘り』というのは文脈から、恐らく『脚本家』と同じフェニーチェの団員だ。
つまり最初に劇場には『墓掘り』がいて、そこに『正義の味方』が制圧をしに来た。
『公安の連中』という言葉が公安委員会の集団を指す言葉なのだとしたら、
『正義の味方』は公安委員会の制圧部隊自体を指す言葉ではない。
それに、『墓掘り』と話した、というのだから、『正義の味方』という個人が存在して、
そこで何か個人同士のやりとりがあったのだろう。
更には、この『脚本家』と、その『正義の味方』は自分がしているのと同じように、話をしている。
その揶揄から恐らく……そこで正義を語り、彼女を説き伏せようとした『個人』が存在するということだ。
だとしたら、これは……自分がこうやって赴き語ることで、堅牢な彼女の価値観を崩すことはきっとできない。
元々掲げるべき確たる正義もない自分だったので、本当にそれを期待していたわけではないが、
心の何処かで話をする余地があるのなら、説得の一つも出来るかと思っていたが、甘かったとしか言えない。
同時に、彼女の言葉から、フェニーチェという集団が、
この『脚本家』の一挙手一投足で軍隊のように動いているわけではないことも分かった。
価値観もそれぞれで、彼女が命じることで公安の命が奪われたというわけでもないのだろう。
それは、そうだ。
彼女が他人に害意など、持つわけがない。路傍の石を見て、それに本気で怒る人間がいないのと同じだ。
僅かに交わした言葉からでも、彼女の本質がそういう形をとっていることが、何となく分かる。
「方向性の、違い……ですか。
芸術家、らしい、答えですね……」
かろうじて。
思考の海に沈みきらないように、そんな誰でも言える言葉を返す。
「ありがとうございます。
これは、ただの前置きで、本当の問いは次の問いになります。
最悪、これだけ聞けたらいいとすら、思っています」
指揮者がタクトを振る。舞台の音楽団がそれに合わせて音楽の苛烈さを増した。
「……2つ目。
……貴方たちフェニーチェは。何をしようとしたんですか。
何故集まり、何を実現しようとして……公安委員会とぶつかり、血を流したのか。
……何を、目的としてるんですか。貴方は。
そして、フェニーチェという集団は……」
もう一段、登った。その段が、十三段目でないことを願った。
『脚本家』 > 腕をゆったりと組んだまま、足を組む。
普段のプリーツスカートと違い、足の動かしにくさに一瞬顔を顰め乍ら、
彼女もまた彼から向けられる疑問に全力で向かい合う。
人はみんな自分は直ぐには死なないと思っている。
公安委員会の運悪く命を落とした彼らも、まさか自分が殺されるだなんて思ってはいなかっただろう。
ごくごく普通に接収した劇場の警備をしていただけで。
明らかにフェニーチェのアウェイとなった空間で、まさかフェニーチェの刃に倒れ伏すとは思っていなかっただろう。
タイミングさえ違えば名前も知らない生活委員だったかもしれなければ、また朽木次善だったかもしれない。
人は何時か命が尽きることを頭では理解していても、其れは今日や明日ではないと思っている。
されど死ぬ。
今日も死ぬし明日も人は死ぬ。
事件で事故で病で偶然で寿命で不注意で裏切りで信条で愚かさで賢さで。
何時だってみんな死んでいく。
其れが彼らだった、ただそれだけの話で。
『脚本家』にとっては名前も知らない『誰か』の脚本をなぞっただけの話。
「あァ、反吐が出るほどに『正義の味方』だった。
あんな連中が此の島を守ってるんだとしたら、悪人は息をするので精一杯だよ」
からからと、談笑するように彼女は笑う。
どこか自嘲するように、また、どこか楽しげに。
「君も僕からしてみれば『正義の味方』に見えるけれど」
どうでもよさげに、演奏に耳を傾けながらまたひとつ。
苛烈さを増す音楽にタクトを振るう指揮者。彼女は指揮者にはなれなかった。
また、彼女も組んでいた手を小さく広げた。
「何を、か。今となっては他の奴らも同じように思っていたかは解らないから、此処は僕の話をしよう。
僕は、『嘗て劇団が目指したグラン・ギニョール劇場を』再現したかったんだよ。
グラン・ギニョールは知っているかい?
演者は浮浪者だか街頭の孤児やら。娼婦に殺人嗜好者だとかね、折り目正しい在り来たりな舞台劇には登場しないようなキャラクターを演じて──
妖怪譚に嫉妬からの下らない殺人、嬰児殺しにバラバラ殺人、火あぶりに伝染病の恐怖だとか。
そういった『生きた感情』を再現できるような。そんな舞台劇を再現したかったのさ。
此れは『団長』の掲げた目標でね──彼はいい纏め役だった。
今は公安委員会とぶつかって彼は死んでいるけれどね。彼の舞台は美しかった。
彼の死も、僕らにとっては劇の中の演出の一つだった。最後まで美しい劇だったよ。
あの生きた劇は本当に素晴らしかった。
だから僕はあれをもう一度再現したかったのさ、仮面を被るだけのつまらない劇ではなく。
───全員が演者であり、誰の脚本かも知れない劇を。僕は再現したかったのさ」
広げた手をもう一度組み直す。
わざとらしく、まるで舞台の上で悠々と語る演者のように彼女は言葉を並べた。
そして、溜息交じりにひとつ言葉を付け足す。
「ひとことで言うならば。
『劇』をしたかったんだよ、『生きた』劇を───」
彼が登れば、彼女もまた同じように。
演劇を愛する彼女が、彼を同じ舞台に引き上げようと。
「君は如何思ったかい」
問いを、一つ。楽しげな笑い声が零れた。
朽木 次善 > その指摘。
自分もまた正義の味方だという指摘には、乾いた苦笑となって卑屈な笑みが漏れた。
「俺が正義だったら……今こうやって話してないすよ……。
俺が与えられた配役はきっと『ただの自分勝手な臆病者』、じゃないですかね」
それは謙遜でも何でもなく、風呂で自問自答して得た答えだった。
本当に正義の味方で、この島の住民のことを広く考えていたのだとしたら。
今こうやって犯罪者と席を並べて会話を交わし、その価値観を紐解く必要など何もない。
自嘲するように『正義の味方』と揶揄する彼女の笑みにも、薄ら寒いものが感じられる。
罪悪感や、後ろめたさなど微塵もない。
ただ、何事もあるがままに、そうなるだろうという結果に収まっただけ。
この島で起こること全てが、末端の選択肢まで遍く『脚本の上』であり、
平面上でも端から端まで、過去から未来まで、そこは全て『舞台の上』である。
最初から、見ているものが違う。
視界が明らかに違う。
俺が俺という視点からけして脱却できないが故に自分の生や死に拘っているのと対象的に、
彼女は彼女という俯瞰の視点からしか物事を捉えていない。だから生も死も、そこにあるものは『ある』だけなのだ。
人が一人死んだら、それは人が一人死んだだけ。
それが自分であったとしても。何も変わらず。
「グラン・ギニョール……」
その単語は、初めて聞いた。
様子からそれを察したのか、彼女はそれに説明までを加えてくれた。
悲哀や嫉妬、人間の後ろ暗い感情までをも、凄惨に切り取り表現する劇場。
物語の主役になりえないものまでをも壇上に上げて、まざまざと描く演劇。
どこか恍惚にそれを語る彼女の言葉には、今までにない熱が篭っていた。
それが彼女にとってどれだけ特別なものなのか、語り口や言葉の抑揚からも伝わってくるように。
だからこそ、それが彼女の言うとおり『嘘』ではないことが分かる。
彼女は本気で。
ただ、それだけを演じ。
再現するためだけに、その役者たる異常者を集め。
他の物など何一つ考慮の中に入れず。
――それを、グラン・ギニョール劇場をこの地に降ろそうとした。
話を振られ。
静かに、舞台の上を見ながら。拳を握りしめた。
「俺は……その劇を、この目で見たわけじゃないです。
だから……その劇の価値を、そしてその劇がどれだけ素晴らしいかが、分からない。
それが『生きた』劇であり、貴方がそれをどう思ったかを、察することは出来ない。
ただ、一つ言えるなら」
胸の中に蟠る。
熱い、怒りの灼熱が、口の端から吐息として漏れだした。
「それを。
犠牲なく、達成することは、本当に出来なかったんですか。何一つ犠牲なく。
それが、俺の正直な感想です。
――そして、最後の質問にも関わってくる」
舞台上で、演奏が最高潮を迎え、指揮者が大きく指揮棒を振る。
「3つ、目です……貴方は。
その劇を行おうとしたそのせいで、多分、『死ぬことになります』。その死を齎すのは脆弱な俺じゃなく、もっと強力な<<免疫>>だ……。
公安委員会も、風紀委員会も。貴方を指名手配して、ずっと探し続けている……。
そして貴方がこうやって公の場に姿を現す以上、いつか必ず貴方は拿捕されてしまう。
そうすれば、貴方は『死』を免れない。
それすら本当に貴方は、『自分が死ぬことすら』その劇のためならどうでもいいんですか……ッ!!」
押し殺した怒りが。
語尾に強い抑揚をつけて、漏れだしてしまう。強く握りしめた拳が、両足の膝の間で震えながら音を立てた。
『脚本家』 > 「僕は、其の臆病さも正義の一つだと思っているよ。
何も犯罪者を捕えて公安風紀に身柄を渡すだけが正義じゃない」
中央の舞台に向けられていた視線は、ゆらりと横の席の彼に向けられる。
ようやく彼を捉えた其の視線は厭に真っ直ぐで、其れで居て彼を見てはいなかった。
「僕はね、朽木君───
此の世界の全てが此の世界を笑いながら見ている誰かの脚本の上であり、掌の上だと思っている。
紛れもなく、其れが事実だと。其れを疑ったところで否定はできなかった。
幾度となく否定しようとしても、其れを否定できる材料が見当たらなかった。
───故に、其れが正しいと思っている。今此の瞬間に今君と話していることも。
屹度『誰か』の脚本をなぞっているだけだと、そう思うんだ」
そんな『妄想』を『妄信』する彼女は、此の思考の可笑しさに気付くことはない。
気付いても、其れを否定することが出来なかった彼女は正しいものだ、と『妄信』するに至った。
理不尽や不合理を経験して人は現実を現実だと実感する。
だのに。彼女は此の理不尽や不合理も全て、脚本通りと呑みこんでしまう。
何時から彼女の歯車が狂ったのかは誰にもわからない。
勿論、彼女自身にも。
故に、彼女は誰の言葉も。
───現状、死んだ同胞以外の誰かの言葉の全てから現実を感じられない。
罵倒も、賞賛も、批難も、賛美だろうが。此処で彼が彼女に向けた怒りも。
彼女にとっては、『決められた脚本の中の台詞』なのだ。
アドリブであると口で云おうが、彼女の中ではもう既に、ずっと前から決まっていたことに他ならない。
全てに於いて作り物だ、と。
此の世界の全てが舞台で此の世界に生きる人間全てが演者で。
何ものかも解らない誰かの脚本を、誰かの掌の上で踊っているだけの繰り返しだ、と。
全てがフィクションである、と。
其れが、『劇団フェニーチェ』で只管に筆を執っていた『脚本家』の──
『一条ヒビヤ』の、内面に根付くもの。
生活委員の朽木次善が、犯罪を犯してまで知りたかったものは。
「犠牲なくすることも出来たかもしれない。
でも其れは───犠牲のある劇の劣化品にすぎないじゃあないか。
何かの劣化品を演じるくらいなら僕はそんな劇には参加をしない。
其れじゃあ『生きた』演劇になんてなりやしない」
にこり、と。
彼にひとつ微笑みを向けて。デートに来た男女が談笑をするように。
舞台上の演奏よりも、目の前の男に意識を向けて。
怒りを吐き出す彼を気にもせずに、ただただ当たり前のように笑顔を向けて、また口を開く。
「脚本通りならそうなるんだろう。覆る筈もない」
「僕もまた、あのミラノスカラで殺された公安委員と同じだ。
いつ死ぬかなんて解らない。何れ死ぬのが先延ばしになるか、目の前になるだけだ。
そんなに大した違いもないだろう?
<<免疫>>に殺されることになろうが構わない。
僕を排除して其の脚本の通りになるのだったら、甘んじて受け入れる。
僕と公安委員も、何の違いもないんだよ。
脚本の上で描かれた『駒』の一つでしかない。舞台の『小道具』の一つでしかないのさ。
故に。
────如何でもいいに決まってるじゃあないか。
投げたボールが地面に落ちるくらいには当たり前のことだ。如何こう云ったところでなるようにしかならない」
水道を捻れば水が出るように。太陽が昇れば沈むように。
当たり前のことを、冷徹に。激情に焼かれる彼とは対照的に、淡々と語った。
朽木 次善 > 掛けられる言葉に冷や汗が出る。
背筋に、冷たい汗が流れて、悪寒となって不景気な顔に絶望の色が塗布されている。
もはや、平静を装ってすらいられない。傍に佇む化け物の価値観に、足に震えさえ来ている。
苦々しく噛み締められた奥歯からは鉄の味がして、今すぐにでもこの場から逃げたい程の恐怖が全身を包んでいた。
『脚本家』。
『劇団フェニーチェの首謀者』。
蓋盛教諭の言う、逸脱した存在。
ヨキ教諭の言う、無力な者こそが向き合わねばならない存在。
デートに来た男女の気軽さで、破綻を口にする、『グラン・ギニョールの案内人』。
『盲信』は理論となり、理論は肉を纏って人の形をとった。
ただ人間の形をしているだけで、理解を遠くに投げやる破綻した彼女を見て。
絶望と、怒りの入り混じった暴風が、身体の中に吹き荒れていた。
「……そんな」
そう。
絶望、だけではなかった。
胸の中に、確かに点る熱は、炎は、灼熱のマグマは。
荒れ狂う嵐の中でも消えずに存在していた。
あるいはそれこそが、彼女の指摘した臆病さという名前の正義なのかもしれない。
「そんな。
『そんな理由』で……」
言うな。
殺される。
破綻した理論に。
目の前の化け物に。
逃げろ。
本能が叫ぶ。
勝てる相手じゃない。
話も通じない。
言うな。臆病なはずだろ。正義も何もない。ただの凡人で。勝ち目なんかない。
やめろ。怖い。助けて。弱い。逃げろよ。勝てない。
――『赦せなかった』。
「……如何でもいいなんて思えるわけ……ないだろう……ッ!!」
――その言葉に、舞台上でシンバルを叩く音が重なった。
顔を押さえ、恐怖と絶望に引きつった顔のまま、弱者は奥歯を噛み締めた。血がにじむ程に。
「自分の死さえどうでもいいなんていう立場で、
他人の生死までを含めて演劇にして……それが『生きた演劇』だなんて、俺は……認められないッ……。
そんなの、その劇のために死んでいった人間たちが、死ぬかもしれない弱者が……認められるはずないだろうッ……。
舞台上の人間は、少なくとも舞台に上がっている間は、演者じゃなく、その劇という世界で生きてるんだ……。
それぞれの人生を、それぞれの視界の上で、与えられた配役から脱却しようとして、精一杯ッ……
それを、誰かの脚本通りだなんて。俺は絶対に認めないッ……!! 皆、生きているんだ……ッ」
それは。
何のための足掻きで、何が故の怒りだったかを、上手く説明はできない。
彼女の言う通り、死は死でしかなく、それに理由を求めるのは生きている人間のすることだ。
引き金がどういう理由で引かれたかなんて死という事実の前では瑣末なことで、今回はたまたま死などがどうでもいい誰かの手に銃が握られていただけだ。
それが、苦しみながら相手の死を悼み引かれた引き金であったとしても。
大声で嗤い叫び、殺人を悦びながら引かれた引き金であったとしても。
死んでしまった人間にとっては同じだということも、わかっていた。
でも。
それでも。
自分の死すら無価値だと思う人間が引いた引き金で人が死んだとするなら。
それを死という形の報復で贖わせることは、出来ない。
殺されてもいい相手を殺したとしても、完成するのは贖罪ではなくただの脚本通りの演劇だ。
舞台上でただ一人、生と死に向き合っていない者が居る限り、劇としても破綻している。それが、『生きた演劇』だなんて、自分には思えなかった。
「俺には、何も出来ないッ……。
貴方を裁くことも、貴方を倒すことも、貴方の理論を破綻させることも、貴方をここに留めることですら。
俺の手には何もない。力も、異能も、理由も、何一つ。
ただ俺は、絶対に『赦せない』。
貴方を、その簡単に結論づけた逸脱そのものをッ……」
顔を抑え。爪が食い込む程に顔を握り、絞りだすように声を零す。
「『脚本家』。
俺は貴方を、出来る限りその罪に近づけたい。
俺は、『駒』を『駒』のまま死なせない……!
貴方が死を迎えるのは、どこかの誰かが描いた脚本の上じゃない。
自分の死と正面から向き合い、罪に許しを請いながら泣き叫んだ何処かだ。
俺は貴方の味方にも敵にもならない。それでも<<免疫>>が貴方を殺すなら、俺という無力な存在は何も出来ない。
でも、貴方が幸運/不運にもその<<免疫>>にすら『殺されなかった』としたら」
言うな。言え。
「――澄ました顔の貴方<<演者>>を。
俺は『舞台の上』から『引きずり下ろす』」
滝のように流れた汗。ひくつく口元。震える足。
何も誇れるものはない。外から見て、形にすらなっていない。正義の味方などとは程遠い。
ただ臆病で、何一つ見過ごせないだけの不器用な男が。――その怪異に、ただそう告げた。
息を吐き、背もたれに身体を預けた。
「……俺が言いたいのは、ただ、それだけです。
すいません、口にするのが……自分の我儘ばかりで」
『脚本家』 > 足を震わせる彼を見て、薄ら笑いを浮かべる。
彼の其の、『生きた』感情に彼女は歓喜に、また愉悦に浸っていた。
流れる心地よい演奏と時間に身を任せて、より椅子に深く座り込む。
視線は、また舞台の中央に戻される。
彼女は自分のことを逸脱した存在とも、無力なものが向き合わねばいけないものだとは断じて思うことはない。
何故なら、其れが彼女にとって『当たり前』のものだから。
可笑しいと思う理由がなく、ただただずっと変わらないもの。
劇団フェニーチェには、其れを否定する者がいなかった。
そんな彼女でも受け入れて呉れた。
故に彼女は其処を居場所として、ミラノスカラ劇場を。フェニーチェを愛した。
『団長』が死んで散り散りになった劇団を、不死鳥に再び焔を与えた。
とじこめられている火が、いちばん強く燃えるものだとでも云うように。
強く強く、羽ばたかせるために火を与えて、空気を吹き込んだ。
彼女もまた、彼と同じように。劇団の再興に燃えていた。腹の内に焔を飼っていた。
彼が言葉を落としたのを聞けば、目を細めて彼に視線を向けた。
腕を組んで、悠然と。毅然と。超然と。
臆病だと、自らを『ただの自分勝手な臆病者』だと評価した彼を。
「───」
じいと、濁った黒曜石のような黒が、捉えた。
「優しいんだな、君は」
2度目のシンバルの音と重なって、彼女はぽつりと。
如何でもよさそうにそう、ひとつ溢す。
臆病者だと自分で評したのにも関わらず。
彼は言葉を落とした。
此処で『脚本家』が激情して彼を殺す可能性だってある筈なのに。
其れでも彼は言葉を落とした。
自身を弱者だと、臆病だと語る彼が。自分に牙を剥いた。
そんな彼を見て、『脚本家』は。『一条ヒビヤ』と云う一人の芸術家は。
「君に認めて貰わなくとも、僕は此の演劇を続けるさ。
死ぬかもしれない弱者?
其れならば死んでいった強者は、死ぬかもしれない強者は如何だっていいのかい?
其の劇と云う世界で生きているとしたら、必ず人間は死ぬだろうに。
其の順番が前後することくらいは別によくあることだろう。
───其れならば一つ問おう。
君は与えられた『ただの自分勝手な臆病者』を、脱却したいと思っているのかい?」
きょとん、と。
不思議そうにひとつ、問うた。
組んでいた腕を解いて、大きく伸びをする。
彼女が一笑に付す理不尽や不合理を、彼はひとつひとつ大切に抱えて。
舞台の上の人間一人一人に向き合っている。
其れが、此の歯車がズレてしまった『脚本家』に対しても、同じように向かい合うのだ。
「赦してほしいなんて云う心算は全く以てない。
寧ろ──赦してもらえるとも思わなければ、誰が如何考えても赦されないことをしている。
君がそう思うのは当然であり、当たり前。必然に近いものだろう。
君は確かにそうだ。
云う通り、僕を裁くことも、僕を倒すことも、僕の理論を破綻させることも、僕をここに留めることですら出来ないだろう。
其れならば一体僕を裁くのは誰だ。倒すのは誰だ、理論を破綻させるのは誰だ。
───『正義の味方』だろうさ。君の言葉を借りるなら<<免疫>>だ。
そうなれば如何なるか?」
薄く笑みを浮かべて、至極楽しそうに。
「君が否定しようとした僕は、すぐさま死ぬだろう。
自分の死を当然のように受け入れて。
若しかすれば笑いながら死ぬかも知れない。嬉々として自分の死を呑みこむだろう。
其れを否定すると云うのならば。
やってみせて呉れよ、教えて呉れよ、味わわせて呉れよ」
また両の手をゆっくりゆっくりと広げて、じっとりと這わせるように男を頭から見遣って。
「僕に罪の味を教えて呉れよ、朽木」
臆病な男は、もうただの『ただの自分勝手な臆病者』からは逸脱してしまった。
目の前の怪異に、化物に、妄信に。
彼は、彼女に「『舞台の上』から『引きずり下ろす』」と。
宣言してしまった。云ってしまった。
故に、彼は最早与えられた枠組みの外に出てしまった。
彼は既に、『正義の味方』に成ってしまった。
「───構わないさ、実に面白い」
彼が背凭れに身体を預けるのと同じタイミングで。
流れる音楽は劇的な、激情を告げるものからゆったりとした小休止に入っていた。
「嗚呼、実に面白い」
同じように背中を預ける。
楽しげに其の口元を不気味に歪ませながら、『脚本家』は独り言ちた。
朽木 次善 > 「……優しく見えるだけかも、しれないですよ。
自分では、公安や風紀よりも、ずっと酷いことをしようとしているって自覚があります、から」
身体中に、疲労を感じる。
自分のような凡人が、こんな化け物の隣に居るだけで、体力というものは疲弊していくものなのだろう。
食われないために必死で自制し、守りに徹したその人生の長さに対して須臾すぎる時間の終わりに、溜息を吐いた。
卑屈な、疲労した顔で舐めまわすように黒曜石の瞳で見られると、背筋に疼きが走る。
今すぐにも撤回して、阿りたい気持ちをなけなしの勇気で継ぎ接ぎ状に支え、どうにか踏み留まった。
罪を教えろと、彼女は言う。
その言葉は、自分の言葉を真っ向から受け止めて、送り返されてきた言葉だ。
「……わかり、ました。
もし、幸運が、あるいは不運が味方してくれるなら。
……いつでも。そして、何処ででも。
『脚本家』サン」
相手の血の告白に、己も命を掛けた告白で以って返す。
それは闘技場の万雷の拍手によって迎えられ、誰にも聞かれないままひっそりと取引が行われた。
何も変わらない。
何も手を出さない。
ただ、その道が触れ合うときがきたら。その度に言葉を交わし、罪という名の毒の盃を捧げるのだろう。
相手が涙に咽び、自分の罪を理解すれば己の勝利であり。
自分が相手の逸脱によって破綻するか、あるいは免疫によって無残に言葉など無意味になれば敗北である。
図式はわかりやすい。そして、弱い自分が取れる最善の手がこれであると自覚する。
約束は交わされない。
それが、多分最初で最後の、示し合わせた逢引だ。
次からは、もっと深く、相手に踏み込むしかない。罪をねじ込み、相手にそれを理解させねばならないから。
「ありがとうございました。
……また、どこかで会いましょう。
貴方が捕まらないことを。そして捕まることを。いつも、心から願っています」
自分も、退場していく楽団の人たちに、大勢の中の一人の拍手をした後。
『脚本家』の方を見ずに席を立ち、闘技場を後にした。
心のなかに。
確かな何かを芽生えさせながら。
ご案内:「闘技場」から朽木 次善さんが去りました。<補足:生活委員会。珍しく私服。【待ち合わせ中です】>
『脚本家』 > ゆったりとまた身体を起こして真っ直ぐに彼の目を見遣る。
彼女の『日常』を裂いた目の前の『非日常』は、彼女の心の中の、ずっと奥深くに眠っていた『疑問』を再び表面近くへと引き出した。
そんな男を、彼女は興味深そうに、楽しそうに見つめる。
一方的に恋い焦がれるように、熱を帯びた目で。
自分に正面から向かってきた『正義の味方』は。
ひどく疲弊しているように見えたものの、実に堂々としているようにも見えた。
───初めて自分と正面から向き合い、『理由』を問うた男を見て。
───彼女は、彼との逢瀬が他の人間に勘付かれないことを、ただ祈った。
「僕にとっては十分優しい人間だよ、君は」
困ったように、先刻とは違い幾らか柔和な笑みを浮かべる。
<<免疫>>に排除される前に彼と偶然にも出逢い、厭、必然だったのかもしれない邂逅を果たし。
最後に自分の想定していたもの──自分の妄信している『脚本』を否定した男に出逢えたことは。
誰かの掌の上で踊っていた筈の自分にとって、人生に於いて一番のアドリブだったのかもしれない。
「あァ、何処かで遭おう。『朽木君』。
───出逢い方が違えば、一緒にこうやって劇場に足を運んで一つ一つ演劇の話が出来たかもしれないな」
小さく右手を挙げて、彼から目線を逸らして見送る。
喝采の中去りゆく『正義の味方』を見送り、彼女はまた背凭れに凭れ掛かる。
「『世界は一つの舞台。そして人間というものは、その役者にしかすぎない』」
彼女の敬愛する劇作家であるシェイクスピア『お気に召すまま』の2幕7場の台詞。
喝采の中、誰も聞こえない声で小さく溢す。
「『人生というのは、歩き回る影にすぎない。へたな役者。阿呆が語る物語。
大声で怒るけれど、その実、何も意味することはない』」
同じくシェイクスピア、『マクベス』の5幕5場の台詞。
王座に登りつめるために、手段を選ばなかったマクベスが、夫人の自殺を知らされて出す言葉。
此の後、マクベスは戦場で命を落とす。
誰も聞くことのない独白は、紡がれる。
喝采の中、自分に向けられた拍手ではない拍手の中、『脚本家』は小さく呟き続ける。
「『生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ』」
最後に零れ落ちたのは、『ハムレット』の3幕1場。
───彼女の描く脚本は、最後まで好転することはなかった。
『テンペスト』の台詞を引用出来ないくらいに。悲劇的にしか転がり落ちることはない。
そうひとつ呟けば、彼の背を追うようにゆったりと立ち上がる。
喝采も収まり、起立する人間の間を縫って大きな闘技場を後にする。
2幕は終わった。
───彼女に残されたのは、終幕への片道切符しかない。
『脚本家』 >
ヴ───ッ、と。
演奏会の終幕を告げるブザーがまたひとつ鳴いた。
ご案内:「闘技場」から『脚本家』さんが去りました。<補足:ポニーテイルに喪服のような飾り気のない黒いドレスに身を包んでいる>