2015/07/25 - 21:40~03:10 のログ
ご案内:「ヨキの美術準備室」にヨキさんが現れました。<補足:人型。黒髪金目。197cm、拘束衣めいた長衣、ハイヒールサンダル>
ヨキ > (『不死鳥(フェニーチェ)は死んだ』。

 椅子に深く腰掛け、両手を頭の後ろで組み、何をするでもなくぼんやりと物思いに耽っている。
 歓楽街の酒場で、満身創痍の女生徒――奇神から聞いた言葉が、脳裏に重くこびり付いていた。

 晴れた午後。日差しは強く、むせ返るような熱が島を蒸している。
 襟元のベルトを寛げ、首筋に絡む風もまた生温い。
 けれどその肌には汗のひとつも掻いておらず、頬には体温の赤みもなかった。

 不死鳥が、死んだ)

「………………、待っていたのに」

(力なく、ぽつりと呟く)

ヨキ > (教師に、生徒に、公安に、風紀に、歓楽街の人びとに。
 劇団フェニーチェが凋落に至る顛末を訊き出そうとしたところで、一介の教師に過ぎないヨキが得られる情報は限られていた。

 断片的な手掛かりと、おぼろげな噂を組み合わせ、あとは想像に任せるほかにない)

「…………ま……」

(グラスを満たしたまま口を付けていなかった麦茶の氷が、からりと鳴る)

「……また観たかった……なあァ……」

(後頭部にあった手で顔を覆い、思うさま背凭れに体重を預ける。ぎ、と椅子の軋む音。
 この教師にしては珍しく、間延びした声で、まるで気に入りの玩具を失った子どものように未練がましく、小さく唸った)

ご案内:「ヨキの美術準備室」にビアトリクスさんが現れました。<補足:褪せた金髪 青い瞳 シャツ スカート>
ビアトリクス > コンコン、と几帳面な、小さいノックの音。
それに少し遅れて、かちゃ、とノブが回される。
「失礼します」
姿を見せたのは、金髪碧眼の外見上の性別が判然としない生徒。

個人的なデザイン依頼を受け、ある資料本を探していたが
求めていたものは美術部部室には所蔵されていなかった。
そのため、ここ美術準備室に(やや気が進まない中)足を運んだのだが。

「……大丈夫ですか」
ひと目見ただけでも、常ならぬ落ち込みであると察せる様子に、
思わず気遣う声が出た。

ヨキ > (挨拶の声に、顔を覆っていた手を漸う持ち上げる。
 背凭れに身を預けたままの格好で、入り口に向かってぐるりと椅子を回す)

「…………、日恵野君。君か」

(椅子に立て掛けられた材木でもあるかのように、身体が傾いでいる。
 重たげに上体を起こして座り直し、眉間の眼鏡のフレームを指で押し上げる)

「失敬。少しばかり残念な話を聞いてな。
 巨星墜つ、だ。好きだった劇団が、解散したらしい」

(端的に話す。で?と、ビアトリクスを見遣って)

「何か御用かね。
 画材はそっちの引き出し……本はそこの棚だ。工具や薬剤なら、奥の鍵を開けてやる」

(事務什器らしい、シンプルなつくりの棚をあちこち指差す。
 特にこの部屋のラックには、図書館に所蔵のない、ヨキが個人的に蒐集したらしい美術書の類も多かった。
 ガラス張りの棚の中に、さまざまな言語の背表紙が並んでいる)

ビアトリクス > 「……劇団、ですか。この島の?」
会釈。
指差された――本の収まる棚の方へと歩を向ける。

「ええと、本です。
 腐れ縁の知り合いに紙面デザインを頼まれまして。
 レタリングの資料書を、あればお借りしに来ました」
棚の前へと歩を進める。
屈んだり、逆に見上げたりを繰り返し、目的の資料を探す。
ビアトリクスには馴染みのない言語でのタイトルも含まれており、目が泳ぐ。
これかな、とそれらしき背表紙の一つに指をかけたところで、はた、と思い当たる。

「もしかして――『フェニーチェ』?」
都市伝説について触れるような、確信とは遠い声色。

ご案内:「ヨキの美術準備室」に神宮司ちはやさんが現れました。<補足:巫女舞の少年。式典委員会の腕章に学生服姿>
ヨキ > (ビアトリクスの質問に、そうだ、と短く答える。
 彼が書棚へ向かうのを見ながら、多くは言わない。

 彼からの本の要望に、あー、と短く声を漏らす。
 椅子から立ち上がりもせずに、遠目で棚を指差して)

「そうそう、その辺りだ。左の十冊くらいが地球のやつで……右の薄いのは、異世界の。
 ヨキのお勧めはその左側の――『書体デザイン入門』と、『レタリング・ハンドブック』と……『タイポグラフィの基礎』だ」

(棚に収められた無数の本はサイズも厚みもばらばらで、見ればジャンルごとに配列されているらしい。
 厳密な分類法に則っているというよりは、内容ごとの連想によってつながりが保たれているようだ。

 『フェニーチェ』。

 ビアトリクスの口から発せられた言葉に、ふっと笑う)

「……おや。君も知っていたか。
 ご明察だ。ヨキは彼らのファンだった」

(劇団フェニーチェといえば、違反部活の代名詞のひとつだろう。
 教師という立場を気にした風もなく、平然と認めた)

神宮司ちはや > (トリクシー君いるかなぁ……?)

なんとなく彼が絵を描いている姿を間近で見たくてつい美術室まで足を運んだはいいものの、どうも人の気配が少ない。
そっと美術室の扉をからからと開けて中を覗き込むも、イーゼルや書きかけのキャンバスは立てかけられているものの誰もいない。
だが隣の美術準備室からは話し声が聞こえる。

「こ、こんにちは~……日恵野さんはいらっしゃいますか?」

恐る恐るその部屋へ向かって呼びかけてみる。

ビアトリクス > ありがとうございます、と一礼し。
勧められたうちの一冊、『レタリング・ハンドブック』を抜き出し、パラパラとめくる。
金が入るタイプの依頼ではないし、そう入念に調べる必要もないだろう。
異世界のものと思しき資料書も一冊手に取ってみる。読めるはずもないが。

「ファン……ですか」
何も憚ることのないセリフに少々目を丸くするが、
この教師の独自のロウに障る存在ではないのだろう、と納得する。

「……ぼくも、一度、後学のために観ておこうか、
 というより、その実在を確かめておこうか――悩んではいたんですが。
 再結成まもなく、公安に劇場を焼き討ちにされた、って噂ですね」
若干事実と食い違った流言を口にする。
ビアトリクスもそう事情に通じているわけではなかった。
『フェニーチェ』という奇妙な劇団、それ自体はある程度は知識として知っているが。
劇の達成のために犯罪を厭わない、という態度。
物語じみて現実離れしたそれが、本当に存在するとは、完全に信じきれていなかった。

「……ちはやじゃないか。何か用かい?
 ああ、こちらにいらっしゃるのはヨキ先生。美術の教師だよ」
知っている声のほうを向く。ここで会えるとは思っていなかった。

神宮司ちはや > ビアトリクスが声をかけるとぱっと顔をほころばせた。無事に出会えたことに安堵する。

「あ、トリクシーくん!ううん、用ってほどじゃないんだけど……
 せっかく美術室の近くに来たから、もしかしたらここでトリクシーくんが絵を描いているかもしれないって思ってちょっと覗きに来たんだ。
 ……ごめん、お邪魔だったかも……」

ととと、とビアトリクスの横に並ぶと紹介された美術教師に向き直る。
椅子に座っているとはいえ、すらりとした体躯に犬に似た足に視線を奪われた。
教師相手ということもあり、少し緊張した面持ちでぎこちなく頭を下げる。

「は、はじめまして……こんにちは」

ヨキ > (本を捲るビアトリクスの様子を、黙って見ている。
 タイトルを薦めはしても、それ以上のことは何も言わなかった。

 フェニーチェについての話に、小さく頷きながら)

「そう。ヨキは彼らの演劇が好きでな。
 以前、公安の手入れが入る前には、彼らの劇場へよく通ったものだった。
 演劇というものを見慣れていなかったからな。非常にわくわくさせられたものだよ。
 焼き討ち……かどうかは、判らんがね。彼らの残党ももう、散り散りになったらしい」

(そうして、少年の声。ヨキ自身美術部の顧問ではないが、部員はおおよそ把握している。
 聞き覚えのない声に、入り口へ顔を向けて、どうぞ、とちはやを迎える)

「やあ、日恵野君の知り合いか。ヨキだ。美術科を教えている」

(椅子に座っているとは言え、彼らに比べれは長身だ。
 サンダルに包んだ痩せた両足は、人間の肌に犬の形をしている)

ビアトリクス > 異世界の資料書の奇妙な図柄と読み取れない言語に白旗を上げて、それを戻す。
勧められた他の二冊も検めてみる……

浮世からわずかに隔てられた印象のある教師の、フェニーチェに対する感想に
さもありなん、という認識を深める。
観るべき価値のあるものだったのだろう。
その機会がおそらく永遠に失われてしまったのは、残念だ。

「……邪魔じゃあないよ。
 絵か。……毎日あそこで活動してるわけじゃないからね。悪いな」
ヨキには見えない角度で、はにかんだ笑みをちはやへ見せる。
しかしほんの少し、声が照れたように弾んだのが伺えるかもしれない。

「フェニーチェは、様々な犯罪に手を染めていたそうですが。
 その……(ちはやのほうをちらりと見て)、色々と」
再びヨキへ顔を向ける。問いただすような冷たい声色。

「ヨキ先生は……表現を追求するにあたり多少の悪事には
 目を瞑っても良い……と、考える方ですか?」

神宮司ちはや > ヨキの挨拶に自分も、神宮司ちはやですと自己紹介を返す。
まだわずかに警戒心が相手にあり、ビアトリクスの横からは離れる気配がない。

邪魔ではないと言われればよかったとため息を吐いて、邪魔せぬように大人しく二人の話を聞く。
ビアトリクスが吟味する本をちらちらと興味深そうに横から覗きこんだり、
あるいは物珍しそうに室内を見て回る。
おおよそ美術には疎い環境にいたから、絵の具の臭いや、色鮮やかな美術資料などはとても珍しく感じた。

が、ビアトリクスの口から『犯罪』などという不穏当な単語が聞こえれば瞬時に振り向いて顔を曇らせる。
ふぇにーちぇ、なるものを知りはしないが話の筋から聞くに演劇をする何からしい。
ただ二人の会話をよく知らぬ自分が遮るのも失礼に当たるだろう。

ビアトリクスがヨキへと問うた答えを耳をそばだてて待ち構えた。

ヨキ > (ヨキが紹介した教本は、いずれも図版が多く、解説は平易ながら実用向けだ。
 ビアトリクスの腕に、生易しい解説は不要と判断してのことだろう。

 ちはやに対するビアトリクスの声が小さく明るんだのを、耳聡く聞いていた。
 無言でビアトリクスの後頭部を見遣る。声には出さない――『ほう?』。

 振り返ったビアトリクスに向けて、両の四指を組み合わせる。
 椅子の肘掛けに腕を載せ、寛いだ格好で)

「『色々と』。そうらしいな。
 ヨキもそのすべてを知っている訳ではないが。

 ――悪事に目を瞑ってもいい、というのは、少し違うな。

 そもそも人の営みには、それぞれの場所にそれぞれの秩序がある。
 フェニーチェならば、舞台の上に。ミラノスカラ劇場のうちに。そして落第街の中に。

 それらの『保たれるべき一線』を超えない分には、ヨキは何も言わないことにしている。
 だが公安が、彼らを『脚本や演出を超えて人びとを害している』と判断したからこそ――手が入ったのだ。

 ヨキも、公安も、考え方は同じだ。『秩序』の範疇が異なるだけで」

(事情を知らぬ様子のちはやに向き直る。
 不穏さすら滲む会話の内容に反して、穏やかに口を開く)

「神宮司君、か。よろしく頼む。

 ――この島の、裏通りの方にな。
 『フェニーチェ』という、少し危なっかしい劇団があったんだ。
 ホラーや、サスペンスや、おどろおどろしい劇をやっていて、『物好き』には人気があった。
 悪乗りの度が過ぎたもので……残念ながら、公安の手が入ってしまったがね。

 今はもう、なくなってしまったらしくてな。少なくとも、この辺りに危険が及ぶようなことはないだろうさ」

ビアトリクス > 吟味の末、少し悩んだようだが、
最初に手にとった『レタリング・ハンドブック』以外を棚に戻し、
棚を閉じる。

ヨキの回答を、目を伏せて聴く。
確かに、たとえば落第街という土地柄であれば、
多少の暴力や違反薬物の使用など、問題にすらならないのかもしれない。

やがて頷く。

「……なるほど。しかし。
 『保たれるべき一線』を、法で引かれたもの以外に探すのは……
 いささか、難しいと思います。
 法の外にはみ出せば……法の下に排除されても、文句は言えませんから」

憤り、というよりは理解が及びかねる、といった表情を見せる。

「実際、彼らは公安の怒りに触れた。
 なぜ、彼らはそうまでして法の下にとどまろうとしなかったのか。
 人を害してまで、演劇という芸術に、求めるものが、ある、と?」

宗教画しか許されなかった当時のフランスのサロンで
裸婦が含まれる『草上の昼食』を描いたように?

神宮司ちはや > 「劇団『フェニーチェ』……公安……」

ヨキに丁寧に説明してもらった内容をゆっくり飲み込むように自分の中に取り込む。
正直自分は式典委員会以外の委員会については全く事情に明るくはないが、
公安委員会の仕事や噂程度なら軽く耳にしたことはある。
今二人が話している内容を聞きかじるならば、つまり『フェニーチェ』という劇団は『人々を害している』と公安に判断されたせいで取り締まられたらしい。
違法部活というものの存在を見たことはないが、そういうものがあるということは知っていた。
たぶん『フェニーチェ』もそういうものにあたるのだろう。
しかしおどろおどろしい演劇を上演する劇団をビアトリクスもヨキ先生も知っていた。

少し、彼らの見ている世界と自分のいる場所が断絶されたような気がする。
もう無くなってしまったとはいえ、危険が及ぶことはないと諭されても湧き出た不安は収まらない。

そっと、ビアトリクスの一歩後ろから片手へと手を伸ばし、指先を握ろうとする。
彼の横顔に向けて黙って不安げな眼差しを送った。

(危ないこと、していないよね?)

そういう、言葉にはしないが気持ちを込めた眼差し。

ヨキ > (ビアトリクスの手のうちに、示した本が収まるのを見届ける。
 自分に対する彼の声へ、耳を傾けていた。

 その語尾が疑問の音を含むと、そうだな、と一言零して、手近に重ねられていたグラスを取る。
 『職員室』とラベルが貼られたピッチャーから、冷えた麦茶を注ぐ。
 ビアトリクスの、そしてちはやの分。椅子から腕を伸ばし、彼らの傍のローテーブルへ二杯のグラスを差し出す)

「人と人とのあいだに、線など目には見えないものだ。
 法こそが、誰の目にも判りやすく明文化された『一線』の形だよ。
 それを除いては、枠組みなど大層ファジーなものだ。
 曖昧な秩序を取り囲む『枠』は、単なる口約束や、他愛もない個人的な感情や、くだらぬ暗黙の了解であったりする。
 
 ……今回の一件で、フェニーチェがいよいよ人を害したと知った。
 それについては、ヨキの価値観においても許容のならぬことだ。

 時代のなかに生まれる新たな芸術のかたちとは、常にはじめは奇異に映るものだ。

 宗教も歴史も描かず、当時においては『無内容』と評されて然るべきシャルダンの静物画が――さる思想家によって激賞されたように。
 『この人こそ画家であり、この人こそ色彩画家である』。

 フェニーチェは、芸術の広がりを『舞台の外』に求めたことについては全く正しかったよ。

 だが芸術は、観客の身体を、外圧によって冒すべきものではない。
 触れた者が心を揺さぶられ、その内圧を高め――自ずから震わされるものでなければならない。

 そういう意味では……彼らは、方法を、誤った」

(午後の日に温くなった麦茶のグラスを傾ける。
 グラスを置きながら――ビアトリクスの手へ伸びるちはやの指先に、そっと目を伏せた。
 ビアトリクスの反応を待つように。まばゆいものを目にしたかのように)

ビアトリクス > 「……それが、フェニーチェの犯した間違い、か」

芸術は、表現は、時に暴力を伴う。
たった一枚の絵が、たった数分の演奏が、人の生を狂わせる。そういうこともある。
しかし、暴力が先にあってはならない。
それは、表現の純粋な美しさを、穢すことになるからだ。

表現とは、なんのためにある?

指先がそっと握られる。
ちはやの眼差しに瞳の奥が揺らぎ、う、と息が詰まる。
自分は、諸理由から落第街に向かったことが何度かある。
もし再結成されたフェニーチェの息がもう少し長かったなら、
きっと劇場に足を運んでいただろう。
危ないことをしていない――などとは、到底言えない。
後ろめたそうに、目をそらした。

逸脱を、跳躍を、求めていた。
フェニーチェのように、法の外へとはみ出さなければ、
それを得られないのか――と、悩んでいた。

積極的に悪行に手を染めているというわけでなくとも、
フェニーチェの公演を観に行く、ということはつまり
フェニーチェの悪事に間接的に加担するということにほかならない。

しかしちはやに憂いの表情を作らせることとなっても、
機会が得られたなら、ビアトリクスはきっとミラノスカラ劇場の席に座っただろう。
それはビアトリクスの定めた法に従ったゆえであろう行動に違いなかった。

自分にとって表現とはなんなのか。

「ぼくは……
 少しはみだしてでも、確かめなきゃいけないことがある。
 それがぼくの生き方なんだ。……大事なんだ」

危ないことをしない、とは言えない。

「だけど、心配をかけて……ごめん」

ちはやに、小さく頭を下げた。

神宮司ちはや > ビアトリクスの返答にそっと視線を逸らす。憂いの表情は未だ消えない。

芸術に疎い自分でも、ビアトリクスとヨキが交わす会話の大事さ、その重い主題には少しだけ理解が及んだ気がする。
そう、芸術は見たものの心を揺さぶり、魅了する、決して心を掴んで離さないものでなければならない。
誰かを害して成り立つものなど、歪なものでしかないとちはやにも思える。

ビアトリクスという人とまだ短い間だが、それなりに交友を深めてきたほうだ。
好いてくれる相手のことをまた理解したいとも思うのは当然であるし、
ビアトリクスが言う彼の『はみだし』と『生き方』についてもよく知っている。
彼のその装いが『はみだし』というものの一部を雄弁に表している。

そして何より、彼の美に対する姿勢、芸術へ傾倒する心は部屋に招かれた時に見たスケッチブックの冊数からもうかがい知れた。
ビアトリクスは美に対して誠実であり、悩めるものであり、挑み続けるものである。
それを知ってなお、自分がビアトリクスの無謀な行いを責められるだろうか。


止めることは出来ないと、はなからわかっているのだ。
その権利がちはやにはないし、そうしないビアトリクスというのは自分が好きになったビアトリクスではない気がする。
諦めに似たように瞼を伏せ、もう一度強く相手の指先を握る。

「ううん、トリクシーくんが謝ることはないと思う……。
 本当のことを言えば、あんまり危ないところとかそういうものに関わってほしくないけど……
 トリクシーくんが一生懸命で、大事なものを知っているから……。

 でも、大変なことになる前に相談してほしいな。
 こんなぼくでも、トリクシーくんの力になりたいっていつも思っているから。」

正直自分は足手まといでしかないだろうけど、でもそれでも少しぐらい助けになってあげたい。
ヨキの視線にも憚らずビアトリクスへ手をつなぎ、少しすねたような物言いでそう言った。

ヨキ > 「……芸術は、暴力的でなければならない。
 観客の心を直截に打ち据えるのも暴力、解釈を突き放し拒絶することもまた暴力。

 芸術が観客にとって圧倒的である一方で、作り手にとってもその在りようは遥か遠くに座するものだ。

 ゆえに芸術家は、魂を捧げる。魂だけでは足りないから、身を削る」

(淡々と言葉を紡ぎながら、自らの手に視線を落として一瞥する。
 薄手の手袋の上からも、四本の指が節くれ立っていることが判る。

 目を伏せたまま、ビアトリクスの謝罪を、それに次ぐちはやの声を聞いていた。
 交わされる言葉は、いずれも誠実で、真摯だ。

 顔を上げる。
 人間の面立ちにしては、些か不自然な筋肉の動きをする表情。
 その顔で、口の端が笑みの形にふっと持ち上がる)

「いい友だちを持ったな」

(どちらとも付かず、あるいはお互いをそう評する。
 居心地の良さそうに和らぐ身体が、椅子の背凭れを小さく鳴らす)

「芸術家、ないし道を求める者には、パトロンが必要だ。
 そして若き学生には、心からの信頼に足る友人が」

ビアトリクス > スケッチブックを山と積み上げるのも、自らを危険に晒すことも。
道を求めるためには避けられないことだ。
探し当て、血を吐き、身を削り、魂を捧げ、進んだ道の先に、
望んだようなものがあるかどうか知れないとしても。

強まる手の力に、心臓が跳ねる。

愛人の慟哭を冷徹に克明に描いたピカソ。
彼は妻や愛人にミューズとしての霊感を見いだせなくなると、
次々と捨てていった……。

もし絵と彼を天秤に掛けざるを得ないことがあったなら?

迷いの末、重く口を開く。今出せる答えは。与えられる言葉は。

「言ったろう。充分、きみには、助けられているよ……。
 少しぐらい、踊り場から身を乗り出すことはあるかもしれないが。
 きみに黙って、危険へと落ちていくことはしないよ。安心してくれ」

(なぜなら、ぼくの命は、きみのものなのだから)

(きみにあたえられた命なのだから)

グラスを手に取る。麦茶を一気に飲み干す。
俯いて、恥ずかしそうに。

「ええ、彼は、とても大切な、――。」

神宮司ちはや > ビアトリクスの口が重く動き、その言葉に苦しみを悟る。
そう、こういうことを言わせてしまったのは自分のせいでもある。
彼は優しいから自分がああいえば、たぶん安心させるためにこういうだろうというのもなんとなくわかる。
多少の後ろめたさがあったが、それでも口にした以上半分ほどはきっとビアトリクスならそうしてくれるということでもある。
嘘は語っていない、真実も含まれている。
今彼が言えるのはこれだけで、それに納得しなければ自分は相手にひどいことをしているのだろう。

「……うん、わかった。ありがとう。信じているから」

頷くとふ、と安心したような笑みを見せる。そこでようやくビアトリクスの手を離した。
同じようにヨキの出した麦茶を両手で受け取ると静かに口をつける。
美味しい。夏の味がする。

ビアトリクスの言いかけた言葉を引き取るようにヨキへ素直に笑いかけ

「はい、ぼくとトリクシーくんは大切な友達です」

微かに気恥ずかしそうではあったがためらうこと無くそう言い切った

ヨキ > (ビアトリクスの、穏やかに弱まる語尾に微笑む。
 揶揄するでもなく、その先は求めない。
 たとえ訊き出したとて、彼らの顛末を十二分に知ることは出来ない。
 それでも十分すぎるほど、窺い知れるものはあったのだ)

「日恵野君。
 ……このヨキはずっと、君とこんな風に話をしたいと思っていた。
 ほんの少し、回り道を経てしまったが……
 君の言葉が聞けて、よかった」

(その声は低く、けれど静謐な空気のうちによく通った。
 吹き込む風に乗ったのだ、と、思う)

「君の心がうつろうことを、嗤いはせん。
 もし……君を嗤う者あらば、それは君の、そしてヨキの敵だ。

 ヨキとて、伊達に教師をやってはおらんよ。
 君の言葉を受け止め、支えるほどには、足場を固めてきたつもりだ。

 それと同じほどに――いや。それ以上に、このヨキは。

 君とともに惑い、隣を歩んでゆきたいと思うほどには、未だ道半ばに在る」

(いっぺんの淀みも、躊躇もなく言い切る。
 ちはやの言葉もまた、柔らかな熱を孕んだ言霊のように染み入った。
 心地よさに浸る犬のように瞼を閉じ、頷いて、また開く)

「神宮司君も。……聞かせてくれて、ありがとう。

 どれほど長く教師を務めたところで、生徒の心のすべてを知ることは出来ないからな。
 そうして素直に聞かせてくれたこと――

 教師冥利に尽きるね」

ビアトリクス > 野生の獣のような印象の男であった。
けれどそれに少し修正を加えなければならないのか、と今は考える。
ヨキの言葉はそれこそ演者のそれのように聴こえる。
しかしそれは芝居や虚飾などではなく、
真に心の底からい出たものなのだろう、とわかった。

けれどもまだ警戒は解かれるには至らない。
大人、という存在はただそれだけで信用ならず恐れるべき対象だった。
それはビアトリクスが自らの未熟さを、痛いほどに知っているから。

ゆえに、ヨキの言葉には、無言でかたく、項垂れるように頭を下げるだけにとどまった。

「ぼくはきみには嘘はつかない。誓うよ」

ぽん、と一度ちはやの頭に優しく手を乗せる。

「……それでは、失礼しました。
 時間をとらせてすみません」

グラスを置く。
資料書を手に、静かに美術準備室を後にした。

ご案内:「ヨキの美術準備室」からビアトリクスさんが去りました。<補足:褪せた金髪 青い瞳 シャツ スカート>
神宮司ちはや > 自分の頭にビアトリクスの手が乗せられれば照れたように目を細めて笑う。
くすぐったく、しかし心地よさそうな表情で相手の手を受け入れた。

静かに部屋を出て行くビアトリクスに、あ、待ってと声をかけ慌てて自分も麦茶のグラスを置いた。
うろうろとビアトリクスの後ろ姿とヨキとを繰り返し見た後
そっと声を潜めてヨキへと話す。

「あ、あの……トリクシーくんちょっと気難しいところがあるし、すぐに人を心に許すことはあんまりないけど
 でも……悪い子じゃないんです。

 きっと先生ともうまく話がしたいとは思っているし、
 先生だってそう思っていらっしゃるから気にかけてくださるんでしょうし……

 えっと、ちょっと不躾な態度もあると思いますけど、
 いつかきっとトリクシーくんも先生と仲良くなれると思います。」

自分の言っていることが正しいかどうかはわからないし、
ビアトリクスがそう思っているかどうかは怪しいが
少なくともこのヨキという教師が彼へ寄り添ってみたいと思っているのならいつかは道が開けるような気がする。

上手く伝えられたかはわからないが、とりあえずそれだけ急いで言うと頭を軽く下げ失礼しますと言ってから、
慌ててビアトリクスの後を追って部屋から出て行った。

ご案内:「ヨキの美術準備室」から神宮司ちはやさんが去りました。<補足:巫女舞の少年。式典委員会の腕章に学生服姿>
ヨキ > (ビアトリクスの心が自分をいかに評しているものか、与り知るところではない。
 彼の一礼に、ヨキもまた頭を下げる。言葉は返さない。
 『ありがとう』『お疲れ様』はたまた『お代は見てのお帰り』とでも――言わんとしているかのように。
 ゆらりと頭を引き起こす。向けられた挨拶に、軽く手を挙げて見送る)

「いいや、結構だとも。
 ここの資料は、気の済むまで手に取るがいい。ヨキはいつでも、君を歓迎する」

(残されたちはやが潜めた声に、耳を傾ける。喉の奥で、楽しげにくっと笑う)

「ああ、判っているとも。この学園に、根っからの『悪い子』など一人も居るものか。
 このヨキは、誰しもの在りかたを認めるよ。
 ヨキの目と耳が届くところで校則を破るから、『悪い子』になるんだ」

(陰での校則違反を推奨しているのかと思わせるほど、あっけらかんと口にして笑う)

「やさしい言葉をありがとう。
 ヨキは君ともまた、話をしてみたいと思っているよ。
 神宮司君も、いつでもヨキを尋ねてきたまえ。
 ヨキは美術の教師である前に、君と同じ、ひとりの島民に過ぎないのだから」

(同じくちはやを見送って、室内にひとり。
 穏やかに笑って、立ち上がる)

「さて。借りたものは、きちんと返さなくてはな」

(麦茶の入ったピッチャーを手に取る。蓋の上に『職員室』のラベル。
 ついでの一杯で喉を潤し、空のグラスをまとめて準備室を出てゆく)

ご案内:「ヨキの美術準備室」からヨキさんが去りました。<補足:人型。黒髪金目。197cm、拘束衣めいた長衣、ハイヒールサンダル>