2015/07/31 - 19:56~03:00 のログ
ご案内:「孤児院」に朽木 次善さんが現れました。<補足:生活委員会。孤児院に訪問中。>
朽木 次善 > 時間は、もうすぐ夕方が見える辺りだ。
日が傾き始めてもいないが、昼下がりというには少し遅い時間。
孤児院の中で、半日続いた『業務』が一段落して、
ロビーで一人ミネラルウォーターを口にしている。

生活委員の一般職務の中に、認可を受けている『孤児院への慰問』というものがある。
文字通り、孤児院に訪問して、子どもたちの相手をするという職務だ。
ほぼほぼボランティアに近いため、付与される単位の割に労力が大きく、
特に専門職務に従事する生徒にとってはあまり人気のない職務になっている。
……無理もない。
子どもが持つエネルギーは大人の想像するそれよりもずっと大きく、
慰問に慣れている自分でも半日働けば休憩の一つも欲しくなる。
まさに生活委員の仕事といったその職務に――。
彼女が上手く対応出来ていればいいがと思う。無理か、とも思う。

朽木 次善 > ことの発端は昨日に遡る。
思考の果てに模索した『彼なりの回答』の一つが、
『生活委員会の仕事を体験させる』という回答だった。
もちろん公的な手続きではなく、それこそボランティアという形ではあるのだが、
実際の作業に触れることで、自分たち『舞台袖』の人間の生き方に触れてもらい、
彼女自身に何らかの変化があればと思っての打診だった。

方法は伏せるが、彼女に連絡をして、
要旨を伝えたところ、予想通り二つ返事で了承が飛んできた。
これはもちろん、乗り気であるというのではなく、いつも通り『やることがなく』、
加えて『行っても行かなくても何も変わらない』から、たまたま『来た』だけなのだろう。
難色を示されるよりは圧倒的にいいが、それでもその態度の人間を、
孤児院の中で仕事をさせるのは腐心した。
生活委員の体験を行っている一環での慰問協力であるという形をとって、
孤児院側には了承をとれたのだが……正しく作用しているかは全然分からない。

朽木 次善 > これは一種の賭けであることは否定せず、
それに自分だけは確率が極々低いことは理解しているが、
孤児院関係者まで巻き込んでいることは自覚している。
何より生活委員の業務に携わらせることがどういう意味かも、反芻を終えていた。
リスクは承知で、その全てに回答を与えられるわけではないが、
だからこそリターンにも期待はしている。

……ここで、親の居ない子供達に触れることで、
彼女自身の見方が一つ増えればと思うのだが。

ご案内:「孤児院」に『脚本家』さんが現れました。<補足:きつめな表情に高く結われたポニーテイル。動きやすいジャージ姿。>
『脚本家』 > ……──ぽたり、と。

汗を垂らして、普段の制服姿から動きやすいゆったりとした服装に装いを変えて。
普通の演劇部の生徒が演技の練習をするときに着るようなジャージ姿。
其の装いでは普段の高圧的な印象も幾らか薄まる。
腕を捲って、垂れる汗を拭い乍ら彼女はロビーの朽木次善の傍にゆっくりと歩み寄る。
ごとりと鳴る底の厚いブーツは変わらず、其の細められた目も、変わらない。

『回答を見出した』と聞けば、黙って彼女は此処に来た。
内容も事前に話をされ、説明の上で。自分の意志で此処に居る。
偶然でもなんでもない、『必然』をなぞるように。
朽木次善の説得の甲斐あってか、そう云う『役』を演じればいいのだろうと。全く粗相することはなく此の生活委員の仕事はこなした。

タオルを片手に、まるで『生活委員会の同僚』に話しかけるかのように。
彼女は───

「悪くはないだろう、朽木君」

不遜に、笑った。

朽木 次善 > 「悪くは、ない、ですが……」

そう、悪くはない。
それどころか、一般的な人間よりは遥かに『良い』。
もちろんそれは孤児院慰問の職務という視点からの評価であり、
自分が想定して期待していた効果とははるかに程遠い。

「あんなに簡単に偽名を使うとか、
 子どもたちを相手にしても一切怯まないとか……。
 ここも貴方にとってはただの劇場の端ってことですかね……。
 なんてお呼びすればいいんでしたっけ。そもそもあれ、偽名なんですか?」

苦々しく笑って、手を持ち上げて『生活委員会の同僚』に挨拶した。
その横を、子どもたちがトタトタと走って行く。
どこからどう見ても『日常』という『劇』の上に見える。
やはり、余りにも、自分にとっては規格外の存在だ。
役割であれば、どんな役割だろうが演じきれるということだろうか。

『脚本家』 > 「なら良かったさ、君に迷惑を掛けなくて済んだ」

くう、と小さく伸びをひとつ。
高く結われたポニーテイルが小さく揺れる。目元に涙が滲む。
劇団には幅広い年齢層の人間が居た。
当然、ミラノスカラ劇場にも様々な年齢層の人間が住んでおり、勿論子供も居た。
其れならば一通りの生活するためのスキルは身につけなければならない。
『美術屋』みたいに面倒を見てやらなければいけない人間も居た。
故に彼女は面倒見が悪い、と云われる人種からは程遠かった。

「本名を名乗ったところで噂好きの人間に通報でもされてみろ。
 君の計画諸共おじゃんに成るに決まっているだろうさ。
 劇場の端、と云うか───劇場の上、とでも云うのが正しいか。
 偽名も何も、戯曲書きの名前をそのまま借りただけさ、泉鏡花。日本を代表する戯曲書きだ

 本名は知りたかったらまァ教えても構わないが別の所で、だな」

「日常会話で出すような名前じゃあない」、と。淡々と、当たり前のように言葉を並べる。
日常には不釣り合いな人間が日常を演じきる。悪くない、と彼女は笑った。
普段、劇場では演じられない役に若干気分が浮ついているのか言葉数は多い。
与えられた役割の中であれば全てを演じきるのが、劇団フェニーチェにおける"演者"であった。

朽木 次善 > 片方の眉だけを上げる。
その物言いは、自分のこと、もっと言うのならば、
『自分が罪を教える』ということに、計画ごと配慮があるということで。
孤児院への慰問への承諾が二つ返事だったことも併せて、
自身の印象に事実が斜めに刺さりこむ形になっていた。
今はまだそれを口には出さないが、心の中に留めておく。

「名前について一切考えていなかった俺も申し訳なかったですが、
 ……考える暇もなかったはずなのに一切の躊躇も逡巡もなく流れるように『セリフ』が出てくるのは、
 本当、劇団の人間って皆そうなのかなとすら思いますよ、鏡花さん」

ミネラルウォーターに口をつけて、苦々しく笑った。
そう呼ぶことが、別のところで、ということへの了承の合図であるということを含ませて。

遠くから、声がする。
見れば、先ほどまで相手をしていた子どもたちが、姿が見えないので探しに来たらしい。
ある意味親身で、そして誂い甲斐のある自分は格好の餌食となっていることは理解出来ていた。
『ゲゲロウちゃん! 何やってんだよ、いなくなったからどうしたのかなって思った!』
『ゲゲロウ居なくなるなよー。しんぱいしたんだぞー』
生意気に言いながら、男児が朽木を取り囲み、袖を引っ張る。
どうにも僅かな時間の休憩も許されないらしい。

対して女児は、先ほどまで相手をしてもらっていたのか『脚本家』を囲んでいた。
外見的に女性に人気のありそうな女性であるように思えるので、子どもだろうが女は女ということなのだろう。
『お姉ちゃん、教室戻ろう?』『遊ぼうよー』などと口々に言う。
また、口数少ない女児も、彼女の服の裾を掴んだりして存在をアピールしていた。

『脚本家』 > 「相手が僕じゃなかったら如何していたのやら──なんてな」

からかうように一つ言葉を落として、結っていた髪を解く。
首筋に髪が張りつけば、鬱陶しそうにタオルで首元の汗を拭い乍ら苦笑に笑顔を返す。

「アドリブに対応出来なきゃあそこの劇団には居れないさ、誰でも出来る」

声がすればぼんやりと顔を向ける。
ミネラルウォーター片手に子供たちに引っ張られる朽木を見れば、小さくくすりと笑う。
自分を呼ぶ女児の声が聞こえれば、柔らかく笑顔を浮かべて目線を合わせるようにしゃがみ込む。

「そうだね、待たせちゃってごめんね」

普段の固い表情は何処へやら、一転普通の女子生徒のような笑み。
ややぎこちない乍らもぽんぽんと裾を掴む女児の頭を撫でた。

朽木 次善 > 本当、どこ吹く風だ。
それが心からの笑顔ではないと見抜ける奴はそういないと思う。
裏側を知っている自分ですら、その一面こそが彼女の本質であるという期待に『阿りたい』と思ってしまう。
それが『教示』とは程遠い感情であることを理解していても、だ。

反応がないので集団で子どもらしいローキックを開始した男児たちの一人を捕まえて、
頭にアームロックを食らわせて笑いながらの『ぎぶあっぷ!』をさせながら、嘆息した。

「そういえば。
 この後、最後に出し物……ああ、そう大したものじゃないんですが、
 生活委員側から、一芸を披露する場があるんですよ。
 鏡花さん……何かしたりできますかね。歌や、ピアノとか、そういう類の物が喜ばれるんですが。
 もしなければ、飽きたと公言されているモノマネするハメになるので、是非助けて貰えませんか」

歌劇は書いたこと、または演じれる技量があるのだろうか。
歌劇で描かれるグランギニョールというものがあるのかは寡聞にして分からないが。
その言葉を聞いて、子どもたちが色めきだつ。

『お姉ちゃんおうた歌えるの?』『すっげー、ピアニストっていうんだろ?』
『ゲゲロウちゃんのモノマネ下手くそだし照れるから面白くないんだよね』
「すいませんね照れて面白くなくて、薄々気づいてましたけどね!」

後ろから、大人が大人げない抗議の声を飛ばした。

『脚本家』 > 彼女はもう本当の自分がどれなのかが解っていないのかもしれない。
生きていく上で様々な役を重ねて、様々なキャラクタを演じて。
演者であった『七色』や『癲狂聖者』は何を考えて何を思って演じていたのか、
今となっては聞く術は何処にも無いが、内心独り言ちる。

男児の笑顔を見遣れば、また人当たりのいい笑みを浮かべた。
そして、愛想よく。子供たちの前となればまた人が変わったように、先刻の高圧的な態度は何処へやら。

「とんだ無茶振りだねえ、朽木君。
 私はあんまりそう云うのは得意じゃないんだけどな──……」

困ったように肩を竦める。
大げさに、両手をゆっくりと広げる。『脚本家』の癖だった。

「ピアノが少しだけ弾けるけれど、ねえ。
 寧ろ私は飽きたと公言されているモノマネを永遠と披露している朽木君も見たいかもしれない」

くすくすと悪戯気に笑い、またひとつ女児の頭を撫でる。
『美術屋』と身長の近い少女を──自分が追い出した筈の彼は今何処で何をしているだろうか。
思案に耽りそうになりながらも、また笑う。
グランギニョールの演目は此の舞台にはそぐわないな、と思案しながら。
『伴奏者』のヴァイオリンを思い出しながら、クラシックの曲目を少しばかり頭の中で選ぶ。

朽木 次善 > 「見たこともないアニメのキャラの真似させられる方の身にもなってもらいたいですが」
『ちょー似てねーの!』『最初はそれがおもしろかったよ』
「何ですか鼠男爵って本当。
 しかもギゲゲのなんとかロウとかいう主人公関係ないじゃないですか。猫背しか共通点ないし。
 最初の頃は朽木さん朽木さんって言ってきてくれたのにキミら」

愛称というには、余りに適当な命名には、愛情というより明確な舐めを感じる。
無理からぬことではあるのだが、余りにも子どもの残酷さが出ている気がした。

「構いませんよ、むしろそういうことが出来る人間があまりいないので、
 きっと彼らにとっては新鮮に映るんじゃないですかね」

彼女が何が出来。
何が出来ないのかが、自分には分からない。
彼女自身を見極めるという思惑も、そこにはあった。
それこそ彼女が言うように、アドリブには本質が出る。
『脚本家』が人の形をとり、人の言葉を喋る事以上の情報が、自分としても欲しかったのだろう。

時折、彼女は何かを思い出すような目をする。
それは、演じている中にも、何かの残滓を思い浮かべているような、そんな目だ。
彼女が何を思い、何を考えているのか……自分は何より、それが知りたかった。

「じゃあ、戻りましょうか。
 ……俺も、少しだけ楽しみですから」

『脚本家』 > 「そんなの知らない朽木君のせいでしょうに」

ねえ、と言いながら集る男児に笑顔を向ける。
ある意味彼女にとっては新鮮な空気感は心地よいものでもあった。
ケラケラと笑いながら、自分の周りの女児にもねー、と顔を合わせた。
と、同時に自分は此処にいるべき人間ではないのだろう、とも強く思わせる。

「芸術方面に興味がある人がもっと居てもいいのになあ、あれだけ人数がいればねえ……
 それくらいしか出来ないけれど──」

「お礼になるのなら」、と小さく溢した。
彼の思惑は彼女は知ることはないが、其れでも此の子供たちとの時間は彼女にとって大きなものだった。
創立初めの劇団のことを、愛した同胞のことを思い出す場所。
意図がなんであったにしろ、彼女に過去の幸せだった時間を思い出させてくれた。
故に、感謝の言葉をひとつ。

ある意味一番自分が自分らしかった時代を追憶しながら。
彼女は。

「ああ、行こうか──朽木君」

柔和に笑った。

朽木 次善 > ――……。
―――………。

仕事上がり。
出し物の演奏は、柔和な笑みの分そつのない物であり、
最後は万雷の拍手が孤児院を包んだ。
どんな舞台の上でも最善を、というレベルの話ではない。
いつ、どんな時で、どんな場所に居たところで、彼女にとってはそこが舞台なのだろう。

別れの挨拶も程々に、二人孤児院の玄関から出る。
『また来いよ』だの『次はお兄ちゃんのほうがなにかやってね』だの、
無茶ぶりをした分援護射撃が飛んできて、この一日で完全にアウェーになったのを感じた。
観客を魅了するのが演者の役目とはいえ、その分野ではどうやっても勝てないように思えた。

玄関から手を振って出て、角を曲がったところで。
一人の少女が追いかけてくる。
少女は先ほど休憩していたときに『脚本家』の裾を掴んで自己主張をしていた子だ。
引っ込み思案で、人見知り。孤児の代表のような子であると、自分は知っていた。

その少女が再び彼女の裾を掴んで。
精一杯絞り出したような声で。

『また来てね……?』と言った。

『脚本家』 > 演じるべきことには最善を。
彼女に求められた役がピアニストであるならば、彼女はピアニストを演じる。
『出来る』ことであれば最善を尽くす。其れが、彼女の人生に於いて当然求められていたこと。
求められた其れが『出来ない』事であれば必死に努力し、『出来る』ようにする。
彼女は俗に云う天武の才を持つ人間ではなかった。故に、ピアノも、また其の一つだった。

ごとりと普段通りにブーツの踵を鳴らして歩みを進める。
其の間に混じる小さな足音を聞けば、ゆらりと振り向いた。
自分より遥かに身長の低い少女がまた自分の傍に寄れば、目線を合わせるようにまたしゃがむ。

「どうしたの、寂しくなっちゃった?」

先刻まで浮かべていた表情をまた作って、少女の双眸を覗き込めば。
少女の口から出たのは予想外の一言だった。
彼女は、困ったように笑った。『また』、ときたか──と。

「じゃあね、次はいつ来れるか解らないけど。
 朽木君は屹度また来てくれるからいつか私が来るのを待ってるといい」

先刻の作った口調と普段の口調が入り混じる。無責任な言葉が零れる。
一瞬複雑そうな表情を浮かべて、またひとつ少女の頭にぽふ、と手を置いた。

朽木 次善 > 『………』
その言葉に、少女は頷く。
言葉の裏にある『脚本家』の思考や、意味には当然気づくことはない。
だが、自分は朧げではあるがその意図や意味に思い当たるところがあり、
小さく、聞こえないように嘆息した。

『わかった……待ってる、ね』
『脚本家』を見上げて、頭に置かれた手に擽ったそうに少女は身動ぎした。
その目には、孤児独特の孤独感が潜んでいるように見えるのは、自分が穿ち過ぎなのだろうか。
そして申し訳程度にこちらにも頭を下げて、手を振って孤児院の中に戻っていった。

「……大人気ですね。『鏡花』さん。
 俺が最初に来たときは、見送りすらなかったのに。演者の器の違いですかね」

ハァ、と嘆息した。
そして帰路に向けて、二人で歩き出す。

「……きっと。
 誰かにもう一度会えないことに、他の子どもよりも敏感なんでしょうね。
 そういう意味では、あまり『脚本家』の貴方の演技の巧緻だけが原因ではないでしょうけど」

この島は、異能者たちが暮らす島だ。
ふとした瞬間に親を亡くし、孤立をする子どもも少なくはない。
彼女もその一人であり……そして同じ悲しみを背負う子どもだということを、自分は知っていた。

「……『脚本家』さん。
 ご両親のことを覚えていますか。歩きがてら教えていただければ嬉しいのですが」

『脚本家』 > 少女に小さく笑いかける。優しく、人当たりのいい笑顔。
出来るだけ真意を伝えないように──最初で最後だ、と出来れば伝わらないように。
人の心の機微には敏感な自信はあった。
故に、少女に不安感を覚えさせてしまっているのではないか、とは思っていた。
思えど、口には出さない。

「またね」

そう小さくひとつだけ言葉を落とす。
『また』がないことを知った上で、先刻から嘘しか溢さない口を開いた。

「此れでも一世を風靡した大劇団の脚本家だ──過去の栄光に縋る心算はないけれどもね。
 人当たりは悪い方じゃあないと思っているよ、金持ちと話をするのは大事な仕事のひとつだった」

嘆息する彼を横目に、笑顔を掻き消して凛とした表情を浮かべる。
普段の、いつも通りの『脚本家』の表情。

「子供の方がこう云うことはよく解ったりするからな。
 ───好い子だよ、ああ云う子ほど幸せな脚本をなぞってほしいと切に願うよ」

異能の発現と同時に暴発して親を殺してしまった。
異能があった所為で親から見放されることになってしまった。
──劇団フェニーチェは、そんな行き場のない子供たちも受け入れた。
故に少しばかり、演技の一環と云えど感情移入を多少していた節がある。

「覚えているよ、好い親だった」

何でもないことを話すように、彼女は口を開く。
ある演目の概要を説明するかのように、ごく普通に。

「先ず前提として──僕は密入島者、二級学生だ。
 一時期は偽造学園証で学園にも通ってはいたが、まァそんなものは長く続かない。
 ───そんなことはまァどうでもいいか。

 常世島に逃げ込んだ理由は単純明快。
 『異能が自分の娘に発現するとは思わなかった』ってね、追い出されたよ。
 行き場がない所為で、此処に逃げ込むしかなかった」

「其れ以外はごく一般的な家庭だったよ。
 寧ろ沢山の本を与えてもらって、演劇にも連れて行ってもらって。
 今の僕があるのは屹度あの人たちのお陰だ、感謝してもしきれない」

何処か遠くを眺めるように。目を細めて笑う。

「一条ヒビヤだ、『脚本家』でも何でも好きに呼ぶといい」

朽木 次善 > 少しだけ、息を吸う。
簡単に零されるその彼女の事実は、二級学生という軛はあるにしろ、
余りにもこの島に来る普通に普通すぎた。
何も特別なことではなく、ただ線をなぞっていたからこそこの場所に来て、
そして正しく正常に異常であっただけだというような。そんな観測が胸中に蟠った。
居心地の悪さと、座りの悪さを同時に感じる。

「……それは。
 似たようなものかもしれませんね。
 俺も、異能者として発現したことは余り良いようには思われていなかったので。
 厳格な両親であり、特別な力を持たずに成り上がった自負があったせいもあるんですが」

それは余りにも、偶然にも自分に似すぎている。
この島では当たり前である『標準』の路線を走っていながら、最初から線に乗っていなかったような、
そんなズレを感じた。相互理解からは、遠い、遠い感覚だ。

「……貴方も。
 幸せな脚本を望むんですね。
 何もかも脚本であるから、与えられた脚本は受け入れ、誰もに受け入れさせたいと、
 そう思っているんじゃないかと、勝手に思っていました。一条さん」

名前を呼ぶ。彼女にも親がいて、名前があって、今まで歩んできた人生がある。
その中で、最初からズレていたのか……意図的にズラしてきたのかは分からない。

ただ。
彼女が、呟いたその感慨に、小さく嘆息をしながら。
そっと。刃を添えた。
卑怯者で、弱い自分は、そうすることでしか、彼女を想うことが出来ない証左として。
並んで歩きながら言う。

「さっきの彼女、あの孤児院では一番最近に入った子で、カガリちゃんと言うんです。
 ……元々母親を早くに亡くした片親の子だったのですが……最近父親を亡くされたそうで。
 ……彼女の父は。
 公安委員会の実働部隊だったそうです。
 『ミラノスカラ劇場』の事件のときの――犠牲者の子どもです」

丁寧に。
滑りこませるように――残酷に言葉を添えた。
自分は今。どんな顔をしているのだろうと――それすらも、冷静に思いながら。
ただ相手が――それにどんなことを想うのかだけを、ひたすらに考えながら。

『脚本家』 > 特別ではない、此の島であれば幾らでも聴けるであろう在り来たりな内容。
普通で、平凡で、よくある話。
其れこそ彼女の異能の発現すらも脚本通りだったのかもしれないし、
ただ単に現状明かされていない異能発現メカニズムの悪戯だったのかもしれない。

「特別な力を持たない?
 ───十分特別じゃないか。異能が発現していれば十分特別じゃあないか。
 常世島に於いては全く以て平凡な異能でも本土に戻ってみれば君も十分に特別だ。
 此の島でも落第街には異能を持たない人間はごまんといる」

何を云っているんだい、と言いたげにくすりと笑う。
自分が特別ではないと語る彼は十分に特別じゃあないか、と。

「当たり前だろう、僕だって悲劇ばかりを望む訳じゃあないさ。
 ハムレットよりはテンペストの方が好きだ、当然好き嫌いはある。
 
 願うくらいはいいだろう?
 如何にもならないならば祈ったって構わないだろう。
 受け入れさせたい、じゃあないんだよ。───受け入れざるを得ないんだ。
 そうすることしか出来ない。出来なくても、願うくらいは許されてもいいだろう」

名前を呼ばれれば、ふと目を細める。
彼が何を思うのかも、何を考えているのかも解らない。
其れでも解るのは自分と正面から向かい合っている、と云う事実。
闘技場で行われた演奏会と同じように、真っ向から『一条ヒビヤ』と向かい合っている。
ならば、自分にできることは正々堂々と言葉を返すだけだ。
嘘偽りなく、真っ直ぐに。

「そうか、其れは不運だったな」

悪びれることもせず。ただ、其れだけ。
彼女にとってミラノスカラ劇場で行われた虐殺は、忌むべきことではあっても直接の関係はない。
自分が嘗て手に掛けたような人間であれば心は痛んだかもしれない。
あの虐殺は、劇団フェニーチェにとっても隠すべき、忌むべき汚点に他ならない。
実際に行動に起こした奴を探し出して殺してやろうと思うほどに。
不死鳥の名を汚した者を、二度と起き上がれないようにしてやろうと思うことはあった。
其れでも彼の言葉は───

「残念ながらそう云う脚本だったのだろう、死んだ彼は」

残酷に仕込まれた刃は、彼女の内に燻る『劇団の名を汚した誰か』への怒りを想起させるにとどまった。

朽木 次善 > 零度の刃は。それでも、相手の皮膚すら傷つけられない。
あわよくば、などと考えていたことは認める。
自分の持ちうる刃で、万が一にでも傷つけ――いや、揺らすことさえ出来れば。
その揺れを足がかりにして、一段ずつ登っていける――それを、期待してすらいた。

だが。
彼女にとって。
一条ヒビヤにとっては、それは痛点ですらなく。
あくまで『ただ其れだけ』のことであり……そこにあるのは罪悪ではなく温度のない死でしかなかった。
誰もが壇上に立ち、誰もが演者であるという『前提』を覆すには、余りにも貧弱な刃は、
音もなく地面に打ち捨てられ、粗末な音を立てた。

「不運、ですか。
 そう、かもしれませんね……」

浅ましく諦めきれず、凡人の脳が誰にも聞こえない悲鳴を上げる。
もはやそれは害す言葉ではなく、事実の羅列でしかないが、隣を歩く脚本家に向かって、
言葉を、ただ投げた。

「貴方から見たら……そういうことに、なるんでしょうね。
 避けがたい不幸であっても、演者が耐え切れない悲しみであっても、
 それは最初から配置され、約束されていた流れでしかない……。
 世界という脚本の仲で、悲劇を表現するために無作為に交錯したのが彼らの運命で。
 それによって加賀峰カガリは父親を失うという、不運な脚本……そういうことでしかない、んですか」

額を押す。遅れて、目眩が来た。
怒りだろうか、悲しみだろうか、あるいは価値観の化生を相手にすると、こんな頭痛が訪れるのだろうか。

「或いはそれが脚本であったとしても。
 彼女の不幸はその不幸が起こった後も続いていくんですよ。
 描くべくもない、スポットライトなど当たらない、ただ当たり前に不幸なだけの毎日が。
 そこに残されているのは退屈な不幸であり、何の起伏もない……。
 物語にはけしてならないような……そんな『人生』そのものなんです。
 それでも。
 それでも、貴方はそのために……彼女のその不幸を受け入れざるをえない物だと思えと。
 そう、思っているんですか。それが……貴方の中の揺るがざる『真実』、なんですか」

大きく息を吸い、吐いた。
出来るだけ、糾弾にも、詰問にもならないよう。ただ、確認をするためだけのように。
『脚本家』の方を見て、言った。

『脚本家』 > 異邦人街の帰路。
そんな会話の傍で、異邦人の子供が数人駆けた。
カラン、と音を鳴らして落ちたのはスチール缶。
孤児院の子供たちではない、此の周辺に住むであろう子供たちが缶蹴りをして遊ぶ。
ぼんやりと、其の様子を遠目に捉える。

先日彼と擦れ違いざまに出来た傷も、もう痕が残っているだけだった。
傷つけられたとしても、其れが刺さっていたとしても。
痛みを知らなければ、其れが痛みだと云うことにすら気付けない。
舌が存在していなければ味が解らないのと、同じだ。

「其の可笑しな脚本を──アドリブを演じた団員がことを起こす前に僕が殺していたら。
 そうだったとしたら其の脚本は書き換えられたかもしれない。
 されど、其れは成らなかった」

「気付いた時には遅かったさ」、と。
僕には脚本を書き換えられなかった、と悔しさを表情に滲ませて。
珍しく、表情を歪ませて。
 ・・・・・・
「変えたくても変えられなかった。起きてしまった事実は覆らない」

唇をひとつ、噛んだ。

「そう云う脚本だったと、諦めるしかないだろう!
 ───あの子が父親を喪ったように。僕だってあの事件の所為で居場所を喪った。
 仲間を喪った、友人を───」

覆水盆に返らず。こぼれたミルクを嘆いても仕方ない。
彼女もまた、同じように喪っていた。其れを理由づけるために只管『脚本通り』だと呟いた。
こんなのはフェニーチェの演劇じゃないと。
幾ら云っても世間には響かない。伝わらない。イカれた殺人集団だと、世間では云われる。
こんなに納得できないことは。親に見捨てられたことだって。

「脚本通りと誤魔化して、何が悪いんだい。
 不条理に対して、何も出来ない自分から目を背ける理由が必要だった。
 ───何が悪いのか、僕には全く理解が出来ない。
 そうなってしまった事実は覆らない。燃えた山が元通りになんてならない。
 誰かの起こした事は何処かで理由が必要なんだよ。
 そりゃあ、脚本通りと納得するしかないだろう」

きつく、唇を噛む。
ずっと押しとどめてきた無力感を、不条理に対する怒りを。
我慢できずに口にしてしまった。ひどい自己嫌悪に襲われる。吐き気だって覚える。

「───物語にならない人生なんて一つも存在しない。
 全員が主役であり、見方さえ変えてしまえば誰だって主演で、誰だって──」

暫しの逡巡を挟んで、ぽつりと言葉を落とす。

「なってしまったことは覆らないんだ。
 ならば其れを脚本の中に組み込んで、二度とそう成らないように思考を重ねるしかない。
 不幸だった。不運だった。
 変わらない事実を受け入れるためにはそれしかできなかったんだよ、朽木君」

「なかったことになんてならない。
 彼女の父親の死だって。劇団フェニーチェに貼られたレッテルも」

最後は絞り出すように。
珍しく怒気を孕んだ声で、それは独白のように。
言葉を、紡ぎ切った。

朽木 次善 > ……――それは、斬った跡から溢れ出てくるような灼熱の流血だった。
自分の刃は、相手に届かなかったわけでも、傷を付けなかったわけでもない。
ただ、その刃が通った後でも、対象たる彼女が表情を変えなかったから、
痛みすらそこにないのだと、勘違いしていただけだと、気づく。

強固な『信念』そのものだと思っていた。
起こった事実を揺るぎない物として理解し、それを結論とするのは――。
そういう在り方が普通であり、そういう物なのだろうと……思考を停止していた。
彼女が余りにも超然としているように見えたがゆえ、だ。

自分には、持つ者の苦しみは分からない。
でも、持つ者が自分と同じ種類の苦しみを感じているかもしれないということには、
意図的に、目を伏せていたのかもしれない。
彼女の根底にあるのは強固な理論ではなく、或いは脅迫的な感情なのかもしれないと、
そう、思った。

心のなかに。
じくりとした痛みが広がる。

これが、共存の痛みで。そして、自分が失敗する、その理由かと。
二人の恩師の言葉を思い出しながら、そう思った。
だとしたら――。

「すいません……。
 軽率に、尋ねてしまい。少し、後悔しま、した」

目を伏せる。
胸の中に、懊悩が生まれた。
自分の行っていること、そして相手と自分の定義に。
彼女のことを、勝手に超然とした強者だと思い込み、それに弱者の苦悩が存在するだなんて。
―― 一度も思ったことがなかったから。

「……俺に、少し考える時間をください。
 その苦しみに、そして諦めについて……改めて、真剣に考えさせてください」

息を吸い、吐く。
定義を変える。その必要があることを感じた。

自分は、本当に残酷なことをしようとしているのだろう。
相手が捨てようとしている苦しみを拾い上げ、それを以って前に進もうとした上で、
彼女の行く先で正当にその罪を理解出来る形で、罪を償うことを願っている。
それは、痛みを理解していない者に痛みを覚えさせてから痛めつけるような。
そんな後ろ暗い感情が、根底にある。
その事実そのものを、突きつけられたかのように。

胸の中に、今まで味わったことのない痛みが、蟠り続けていた。

『脚本家』 > 燃えるように。腹の内に飼っていた焔が、劫火が傷痕を灼いた。
ひどく醜く、爛れたような傷口を隠すようにしていた包帯が解け落ちる。
ひたすら隠して、誰にも見せることはなかった奥深くの感情が導火線に火を点けられたように爆発した。
何年隠しただろうか。何年曖昧に笑っただろうか。
───何年ぶりに、台詞しか吐けないと思っていた口から言葉が落ちただろうか。

感情を押し固めていた。劇団フェニーチェの『脚本家』はそう云うキャラクターだ。
ならば、『一条ヒビヤ』の意志なんて、意思なんて何処か遠くに押し込まなければならない。
演じた。『脚本家』が自分の本当の姿であると。
超然とした、毅然とした、破綻した理論を形どった其れが『自分』である、と。
彼女の演技は、よくも悪くも上手く行っていた。
否、完成しきっていた。
───だのに。其の演技は今、舞台の上で破綻した。

ガン、と。
乱暴にアスファルトをブーツの底が叩いた。

嘗て自分の文筆の才を買った男から与えられた役を奪われ。
嘗て自分が心酔し、憧れ、そうなりたいと願った役に抱いていたプライドを踏み躙られ。
自分が自分であるために大事に抱えて大事に愛した其れをいとも簡単に引き裂かれて。

ずっと演じてきた役を降ろされた彼女にとって、今の朽木次善は明確な『敵』だった。

「…………、」

暫しの瞑目の後、嘲るように笑う。

「謝るくらいならやるんじゃない、正々堂々としたらいいじゃあないか。悪いことをした訳じゃあないんだ。
                    
 謝れば自分が悪いのを認めることになる。 ・・・・・・・・・
 一度言ってしまったことは絶対に返らない。取り返しがつかないんだ、謝るくらいなら────」

はん、と鼻を鳴らした。


「嗤ってみろよ。『脚本通り』だ、って。
 ────なァ、嗤ってみろよ、朽木次善。其れが僕の味わってきた痛みだ」


嘲るように、『一条ヒビヤ』は、嗤った。
彼の言葉を聞き終えれば、「構わない」、と。

「何時だって僕は君の回答を待っているよ、僕に罪の味を教えて呉れるんだろう。
 償わせてくれるンだろう。其れなら何時までだって待つ」

朽木 次善 > ……――成る程。それがッ。
自分に名乗った、理由かと。今頃、自分の胸に開いた傷を苦しげに撫ぜた。
掻きむしるようにしてもまだ消えない火傷のような痛みが、胸を灼熱に焦がす。

冷淡で、合理的で、涼しい顔の裏側には。
他者を支配し、形に納め、配役を与え、事を全うするような。
――支配者級の威圧がそこにあった。

荒い息を吐く。呼吸を整えるのが精一杯だ。
本当の強者は、強者ということだけでなく、弱者という属性も兼ね備え。
そして同じ感情と理屈を以って誰かに弓を引くのだ。計算と感覚の上で。

「無茶、ばかり言われて、困ってる、んですけどね……。
 謝るのは、昔からの、癖で……。
 本当……俺は、本当にただの人間で……。
 本来なら、誰かの壊した道を整備してるような、ただの一般市民で――……」

身体が震えた。
相手の威圧感に、剥き出しになった敵意に。

嗚呼。
そうか。
理解出来た。

今自分は、真正面から『脚本家』を見ていて、
強烈で鮮烈な悪意を真っ向にぶつけられていながら、
足が一歩も後ろに下がっていない事に気づいた。
いや、違う。もっと正確に言おう。

頬に触れる。
やはり。
――『嗤い出しそうになっていた』。
自分が、絶対に理解できないと諦めていた、
強者の苦しみを、『理解出来そうなこと』に。


「分かってた、んですかね。
 いや、分からない振りを、していたのかも、しれないです、けど。
 もしかしたら、そうじゃなければいいなって思っていたんですけど、ね……。
 ああ、こちらの話です、本当に。
 大丈夫です……こんなの、俺にとっては『ただ死ぬほど苦痛で、痛いだけですから』」

脂汗と、解けない問題と、思考の檻の中で。
『持たざる強者』は『脚本家』を前にして。
『朽木次善』は『一条ヒビヤ』に対して。

            バケモノ
「余り、出来のよくない『貴方の敵』なので。
 時間は掛かると思いますが……。抗って、必ず教示を捧げようと、思います」

今日は、お付き合いありがとうございました。
また、お誘いします、そう告げて、頭を下げた。

ご案内:「孤児院」に朽木 次善さんが現れました。<補足:生活委員会。孤児院に訪問中。>
『脚本家』 > 口元をひどく歪めて、嗤う。
『一条ヒビヤ』の強者の面を切り裂いた其れは、『朽木次善』の──弱者の皮を引き裂いた。
当然、顔を覗かせたのは"強者"の面だった。
彼女は其れを、ずっと心待ちにしていた其れを見て。此れ以上なく楽しそうに。
此れ以上ないくらいに其の様を見て嘲笑う。

自分が目を背けてきた『弱さ』と対照的に、彼の目を背けた『強さ』が同時に白日の下に晒される。
夕景が、二人の重ならない影がじわりと滲む。
滲むのは夕景だけではない。
悪意も、敵意も。害意も。──淀む感情が、じわりじわりと滲みだす。

息を荒げる彼とは真逆に、クツクツと楽しげに笑いを溢す。
彼女が大事にしてきた『脚本家』の皮を剥がされたのならば、其れを剥いだ彼は『弱者』の皮が剥がれる。
役を降ろされるのは何よりも辛い。悲しい。痛い。──その役に未だ、居たい。
そんな同じ痛みを彼が味わっているとしたら。『弱者』の役を降ろされた彼が感じる痛みも、居たさも。
───自分と同じ痛みを味わっているのならば、何よりも喜ばしいことはない。

自分を『強者』だと認識した『弱者』は、誰よりも自分の敵に相応しい。
同じ舞台からお互いを引きずり下ろして。また同じ舞台で踊ることが出来る。
一条ヒビヤの表情が、また歪む。

「なァ、そんな一般市民が──ただの人間が居ると思うかい。
 ───お前は、道を作る側の人間だよ、朽木次善。自分のことが解っていない」

「整備しているように見えて、誰よりもすべてを踏みにじって道を拓く。
 壊すのが僕らなら、道を創る側の人間はお前だ」

彼が頬に手を遣れば、また哂う。

「分かっていたのに目を逸らしていたんだよ」

ぐるぐると廻る螺旋階段の中、堂々巡りの思案の果てで。

「正面から僕を見て呉れたことには礼を云うよ、ありがとう。
 ただ───僕は、敵には容赦はしない。『僕の敵』には誰よりも。
 僕は此の敵を打ち破らなければまた『脚本通り』だと嗤わなければいけなくなる。

 ────僕の脚本は、僕が書き換える。其れが劇団フェニーチェの『脚本家』の」

ゆらり、頭を下げる彼に背を向ける。

「最後のプライドだ。
 ────今迄綴ってきた物語に誓って。全ての死んでいった役者に誓って。
 
 ………お前を殺すよ、『僕の敵』を」

「次のデートも楽しみにしているよ」、と。
ごとり、ブーツを鳴らして。迫る宵闇に、風景に───溶けた。

ご案内:「孤児院」から『脚本家』さんが去りました。<補足:きつめな表情に高く結われたポニーテイル。動きやすいジャージ姿。>
朽木 次善 > 真っ直ぐ、正面から脚本家を見据えたまま。
それが立ち去るまで少しも身じろぎせず、耐えていたが、彼女が去ると膝が崩れる。
相手からの威圧と、何より差し出された物の大きさに。
それは、最初から懐に入っていたものを、
丁寧に相手が引き抜き、ただ手の上に載せただけだというのに。

自分を『弱者』だと認めている『強者』に、自分の刃が通じるだろうか。
そこは『強者』の舞台でも、『弱者』の舞台でもない。
一条ヒビヤと、朽木次善だけが載る、二人のステージでもある。

「……本当に。
 ここで膝を折って、二度と立ち上がれなくなって。
 その強大さに打ち拉がれて、あんなもの見なかったって、
 何もかも忘れてしまえるのが……俺の思ってた、俺だったはずなのにな。
 分かっていて、目を逸らしていたのか、本当に」

肩を抱く。恐怖とも、悦びとも取れない疼きが身体を震えさせる。

「……俺は。
 そういう自分も、好きだったんだけどな」

いつの間にか、自分は何か強大な物の『敵』になってしまっていた。
そういうことなのだろう。ようやく――理解出来た。

「だったら。
 俺は――その『脚本』を覆すよ。
 前提を疑い、常識を殴り殺し、美しいキミの話に稚拙な先を描いてみせる。
 それが……俺の<<免疫>>との戦い方なのかもしれないから」

弱者は、立ち上がる。立ち上がれる者は弱者ではないはずだからきっと。
きっと彼女の観測は正しくて――。大声で叫びだしたい衝動を堪えながら、家路についた。
悲しみも、怒りも、何もかも。今はあの『敵』に向けなければいけない気がして――……。

ご案内:「孤児院」から朽木 次善さんが去りました。<補足:生活委員会。孤児院に訪問中。>