川添孝一は風紀委員会本部に侵入者が来た一件で入院生活を余儀なくされていた。 これは彼の退院の日にあった物語である。    『仲直り』 川添孝一は首を鳴らしながら病院の受付にいた。 緊急入院だが着替えや下着などは桜井雄二に頼んで何とかなった。しかし。 正直、彼にとってあまりにも退屈な時間だった感は否めない。 「あーあ、ようやく娑婆に出られるぜぇ……」 「美女が揃って退院のお出迎えとかしてくれねーと割りに合わな……ん?」 そう独り言を言いながら病院を出た先に、蓋盛椎月と奇神萱と―――――実妹、三枝あかりの姿。 「オッオッオッ!? なんだ、本当に美女が揃ってお出迎えたぁな!」 焦りながら取り繕う川添孝一。 彼にとって、妹とは気まずい仲。 喧嘩別れに近い形で、それからずっとメールや電話で細々と会話をしたくらいの。 俯いているあかりの肩に蓋盛が手を置く。 「ほら、兄君に言うことがあるんだろう?」 ヴァイオリンケースを開きながら奇神萱が声をかける。 「子リスが本当に臆病な草食動物だとしても、下がっちゃいけない場面くらいわかるだろ?」 二人の言葉に、俯いていたあかりが顔を上げる。 その挙動に怯えたのは、兄のほう。 「ま、また文句を言いに来たのかよぉ……」 ビクつく川添孝一に、奇神萱が薄く笑って言う。 「おいおい、兄君まで下がってどうするんだ、全く……俺に手を焼かせないでくれ」 蓋盛の言葉をそのまま使って川添孝一を兄君と呼んだ奇神萱が、音楽を演奏し始める。 グスタフ・クーン/ドレスデン・シュターツカペレのウェーバー序曲集より、「オベロン」序曲。 これは妖精王オベロンが王妃ティタニアと『真実の愛』について大喧嘩した後の仲直りの曲。 「ま、夫婦の仲直りも兄妹の仲直りもそう変わらないさ……家族なんだからな」 その言葉に蓋盛が肩を竦める。 「あっかりーんに言われるがままについてきたあたしたちも相当な物好きじゃないかな?」 「言えてるな、物好きついでに二人を逃がさないようにしよう」 いきなりアレグロ・コン・フォーコの主部へ突入するというウェーバー得意の展開で曲が盛り上がる。 ヴァイオリンが奏でる勇壮かつ華麗な旋律。 「えっ、えっ!? な、仲直りって……どういうことだよ蓋盛センセー?」 キョドってる川添孝一の前に三枝あかりが一歩前に出る。 「お兄ちゃん………今までごめんなさい!」 妹が、兄に頭を下げた。 「お兄ちゃんが今まで色々手を尽くして私を守ろうとしてくれてたこと、ありがとう……」 そのことを告げると、川添孝一が鼻白む。 「おい、川添くん。妹が愛の告白してくれてるって時になんなのその気の抜けたリアクションは」 「茶化すなよ蓋盛センセー!」 「どうして素直になるだけでこんな大騒ぎを起こすんだ、兄君」 「お前に兄君と呼ばれる筋合いはねーよ、そこの女ぁ!」 ヴァイオリンを演奏しながら、奇神萱が吹き出した。 「はははっ、それじゃ兄と呼ばれる筋合いがある人物がいるのか?」 「ぐっ………」 不安そうな顔をしている三枝あかりに、川添孝一が向き合う。 「兄が妹を守ろうとすんのは、当然の話だろ」 「………っ」 「お前に色々背負わせたまま、バカなことしてた時期もあった……すまねぇあかり」 次の瞬間、蓋盛が隠し持っていたクラッカーを川添に向け、紐を引いた。 パァン。 気の抜ける音。 「退院と仲直りおめでとう、川添くん!」 クラッカーから出たキラキラと細長い色とりどりの紙束が川添の顔にかかる。 「蓋盛センセーなァ……クラッカーには人に向けないでくださいって書いてあるのが読めねぇのかぁ!!」 「わ、川添くんが怒った!? 助けてあっかりーん!」 ぎゃーぎゃー騒ぎ始める蓋盛と川添。 病院の受付前にいた人たちがキョトンとした表情で彼らを眺めている。 奇神萱がヴァイオリンをメロディアスに奏でながら横目で三枝あかりを見る。 「それで? 俺に兄を紹介してくれるんだろう、子リス」 「うん!」 三枝あかりが蓋盛と騒いでいる川添孝一に右手を向けて。 「私のお兄ちゃんの、川添孝一! 奇神先輩、仲良くしてあげてね!」 あかりは胸を張ってそう答えた。