2016/02/02 のログ
■ヨキ > 理沙の言葉を聞きながら、ヨキの表情は冷えたままだった。
時間が止まったかのように瞠られた双眸の中で、金色の瞳に宿る焔だけが揺れていた。
ややあって、口を開く。
乾いた喉が、そうか、と掠れた声を絞り出す。
「……彼女の友人らと同じように、君も彼女のことを忘れないで居てやってくれ。
君の心は、君のものだ。ヨキや他のものたちが、口を挟んでいいことではない。
だが……」
蒼い瞳と、真っ直ぐに向き合う。
「その気持ちが、どうか『歩み続ける』ための原動力であって欲しいと思う。
自分を『責め続けること』が君の行く道を塞いでしまうことだけは、どうか止してくれ。
それほどまでに、ヨキは嬉しかったんだ。
昨日の君が、『演劇をやってみたい』と話してくれたことが」
■日下部 理沙 > ヨキの言葉を受けて。理沙は笑った。
光の無い目でヨキの顔を見たまま。口元だけを歪めて、能面のように。
いいや違う。
「昨日までの『私』だったら、その言葉できっとまた悩んだと思います」
何かに、挑むように。
「だけど『俺』は、そんな昨日までの自分が今は許せない。
許して、逃げて、また先生の懐に飛び込んだら……ずっと、アンタから独り立ち出来なくなる。
アンタに甘えることが『刷り込まれ』て、そのままきっと、どこまでも堕ちていく。
アンタに認められることは心地がいい。アンタに甘えることは容易い。
全部全部、ヨキ先生の『お陰』とヨキ先生の『せい』にして生きられたら、きっと毎日気分がいいと思う。
だけど……そんな籠の鳥でいることは『俺』は望まないし、きっと先生も望まないのも、わかってるんだ。
だから、『俺』は『私』を恨むし……そのせいでこの道がいつか途絶えても、俺の勝手にする」
渇いた瞳の向こうに、金色の瞳が映る。
揺らめき踊る焔の彼方に……微かに、冷えた何かが見える。
わかっていたはずだ。鉄に寄り添えば体温が奪われることを。
わかっていたはずだ。だからこそ、己に丁度よく宿るその熱が心地よいことを。
「それが、今の俺の答えです。
舞台の上で演者だけを見て演技する大根役者になんてなりたくない。
舞台に居る自分を見る聴衆に……本当にそれが出来るんだと思い知らせてやりたい。
したり顔で『そこ』に座ってた『昨日までの私』に……復讐するために」
■ヨキ > 鉄で作られた、冷えた彫像のような顔。
じっと理沙を見つめていたその眼差しが、ふっと和らぐ。
それはどことなく、安堵のようにも見えた。
「判った」
薄く笑って、首を振る。
「……もしもヨキが毒になるのなら、そんなものは吐き捨てたっていいんだ。
君の歩みをヨキが止めさせてしまうのは、このヨキとて本意ではない」
顔を引き戻すと、ヨキは理沙よりも随分と頭の位置が高かった。
もはや教え子を諭し見守る教師の顔はなく、少年の前に立つひとりの男がそこに在った。
「――だがヨキは、ヨキの毒を飲み下して尚そう言い切った君を喜ぶよ。
人を知り、自分を知った君は、さぞや冷酷な名優になれるだろうから」
自らの手に付いた理沙の血を、指先が拭って捏ねる。
指の腹を赤黒く染まるのを見下ろす顔は、それこそ芝居のようでさえあった。
「『復讐が復讐を生む』など、現実に決まりきった導はない。
切り開いて脱皮したら、あとに残るのは何の情緒もない抜け殻だけだ」
ぱたりと手を下ろし、深く笑う。
「もはや君を『心配』する必要はないようだ」
■日下部 理沙 > 見上げる顔は、遥か高く。
見下ろす瞳は、柔らかくも、鉄のように鋭く。
分かっていた。彼は今まで『私』を守ってくれていた。
きっとその気であったら、一生。
それが恐らく、ヨキという教師であるから。
何故なら彼は、異邦人。
彼から見れば人間など……いつまでたっても『子供』のようなものかもしれないから。
人間も、小鳥を飼えば一生面倒を見る。
それと同じなのかもしれない。
だからこそ、彼の愛は……人を容易く堕落させる。
その傷と愚かしさすらも、『愛おしい』と嘯きながら。
「毒も薬も、違いなんてない。きっと一緒だ。
俺にその薬はもう必要ないってだけで、きっと先生の薬を欲する人はまだまだいる。
だから、アンタは教師なんでしょうね」
深く、深く頭を下げる。
翼を畳み、腰を折り曲げ、しっかりと。
「お世話になりました。ヨキ先生。
毒と分かってそれを薬として適切に振り巻くアンタは本当に……教師だった。
だけど俺の復讐に……俺が『選んだ』復讐に、『導く』その薬はいらない。
それをずっと教えてくれてたのに……理解するまで……時間がかかって、すいませんでした」
■ヨキ > 教え子の瞠目に伴う感嘆でなく、対等な言葉が返る。
耳に届くその音に、声に、言葉の選びに、嫣然たる笑みがいっぺんに融け落ちる。
「――ヨキを教師にしてくれるのは、いつだって君たち学生だった」
待ち侘びた瞬間を迎えたかのよう、ひどく心地良さそうに笑ったのだ。
「そしてヨキを『単なる教師』から解き放ってくれるのも、また」
生乾きの血を拭う。
手のひらが、頭を下げた理沙の背に添えられる。
その手は理沙から奪った熱を彼へと返し、見る見る冷えてゆくかのようだった。
それでいて声の低い調子には、穏やかな熱が保たれている。
「……有難う、日下部君。
時間を気にすることなどあるものか。みな遅かれ早かれ、誰しもヨキの下を発つ。
君のその顔を見られて、これ以上ない幸福だよ」
理沙の背から手を離す。
「喪うことを不幸と感じるのも、そこから立ち直ろうとすることも、生けるものの業でしかない。
それでもその業を強みに昇華できるものが、ヨキには好ましいのさ。
“常世”は、生きた人間が永く活きるための場所ではないから」
背から生えた翼が、彼の筋肉にしかと統御されているかのような様に、再び目を細める。
「君は進んでゆけるよ。その足でも、その翼でも、きっとな」
■日下部 理沙 > 背から、手が離れる瞬間。
つい、泣きそうになる。
それでも、一度歯を食いしばれば……今は、それで済む。
既に、熱は返された。
ならば、それすらも今は……理沙の中にあるものだ。
もう、大丈夫だ。
自分に今必要なことは、逃避ではない。
一人すでに取りこぼした。
もう、『ゆっくり』などとは言っていられない。
時間はいつだって、限られているのだから。
「ヨキ先生……ありがとうございます」
しっかりと目を見て、しっかりと礼を言って。
背を向ける。
手は離された。
ならば、今すべきことは決まっている。
「さようなら」
まずは、スケッチを描いてくれた子達に謝りに行こう。
本当は飛べるかもしれないと。
殴られても恨まれても構わない。
それが今は、自分のしたい事なのだから。
己の勝手で、俺は私に復讐をする。
過去は覆らない。
だからこそ……この復讐が終わることも、またきっとないのだろう。
それこそ、墓に入るまで。
ご案内:「廊下」から日下部 理沙さんが去りました。
ご案内:「廊下」に日下部 理沙さんが現れました。
■ヨキ > 向き合った彼と視線を交わす。
頷いて、足先が自分に背くのを見る。
「元気でやれよ。あとにヨキが望むことは、それだけだ」
遠ざかってゆく背中が廊下の向こうに消えるまで、いつまでも見送った。
静寂の戻った廊下で、ひとり。
踵を返す。
理沙とは逆の方向へ、歩き出す。
足を踏み出したヨキの瞳が涙にも似た光の軌跡を残し、しかしその目は渇いていた。
廊下に響き渡った理沙の慟哭も、自動販売機に残された血も、ヨキの手と肌とにこびり付いた熱も。
浸る間もなく洗われ、払われ、落とされて。
それでも残るものがあるならば、人はそれを『導』と呼ぶのだろう。
幕は上がったのだ。
ご案内:「廊下」から日下部 理沙さんが去りました。
ご案内:「廊下」からヨキさんが去りました。