2016/06/29 のログ
蘆 迅鯨 > 「ああ、あいつはホントに俺のこと、恨んでなんかなかったよ。それどころか……あいつ、待ち合わせの時に俺のほうから呼んでくれたのが嬉しいって言ってさ」

先日待ち合わせをした麻耶は恨み言を言うどころか、
迅鯨が仲直りのために自分から呼び出してくれたことを心から喜んでいたのだった。
ヨキが身を乗り出せば、迅鯨はいつものように胸を持ち上げる形で両腕を組み、ふふん、と胸を張って。

「そうだな。むしろ俺、今は前しか見えてねェかもしんねェ。嬉しくって」

そう言い切れてしまうほどに、今の迅鯨の心は晴れやかだった。

「だからさ。もう危ねェこともしねェし、なんつうか……その……もうちょっと、穏やかに、暮らしたり……とか?してさ」

と言ってはみたものの、今まで散々遊び歩いていた迅鯨にとっては、
穏やかな暮らしというものにあまり想像が及ばないのも事実だ。

ヨキ > 「君のことをたちばな学級でずっと見てきたが、
 今がいちばん明るい顔をしているよ。
 ヨキがずっと見たいと思っていた表情さ」

まるで迅鯨の姿かたちが丸ごとがらりと変わったかのような新鮮さで、
見慣れた相手の顔を見つめる。

「穏やかに暮らすというのは、自分とその毎日を大事にするということだよ。
 朝に起きて夜にはきちんと寝るようにするとか、
 食事を食べるとき、一口ごとに噛む回数を十回ずつ増やしてみるとか、
 ものすごく泡立ちのいいタオルで身体を洗ってみるとか、
 お洒落な友達に、自分のスタイリングを任せてみるとかな。

 ひとつひとつは些細だが、人はそういうところから変わってゆくものさ。
 いつもより胸を張って歩ける気分になるだけで、随分と上向きになるものだ。

 生活を丸ごと変えるなどとは、誰にとっても難しいことだからな。
 “今までしてこなかったこと”に触れてみるだけで、案外幸せになれるやも知れんぞ」

溶けかけのアイスを、側面からすかさずしゃくしゃくと頬張る。
食べ慣れた様子でぺろりと食べ切ってしまうと、む、と目を丸くする。

“あたり”と焼き印が刻まれた棒を、嬉しそうに迅鯨へ見せびらかす。

「こんな風にな」

蘆 迅鯨 > 「そっか……っへへ」

また頬を赤らめ、どこか恥じらう。

「ふんふん……」

こちらを見つめるヨキの顔を、迅鯨もまた、
今まであまり彼に見せていなかった真面目な顔で見つめ返し、彼の言葉に相槌を打つ。
思えば、たちばな学級に所属することとなってからの迅鯨の生活は乱れに乱れていた。
生活は夜型に近くなり、授業への出席もまちまちでサボりがち。
歓楽街や落第街に出向いては遊び歩き、男女問わず不特定多数の人々と体を重ねた。
時には喧嘩で負傷し、ボロボロになって帰ってくることもあった。
しかし、今の迅鯨にはそうしなくていい理由ができた。

「自分を、大切に……か。あいつが言ってたのも、そういう事なのかな」

そう言って、先日の麻耶の姿をふと思い出したあと。

「……そいや、前会った姉ちゃんもそんな事言ってた気がするぜ。もっと着飾ってみろとかなんとか」

かつて迅鯨が落第街の路地裏で出会った白椿の狐は、
人目を憚るように黒いフードで顔を隠さんとする迅鯨の姿を見て、
その頃の迅鯨が心中に抱えていた自身のなさを見抜き、着飾ってみることを勧めていたのだった。
そんな風に回想していたところ、迅鯨の視界にはいつの間にやら、ヨキが見せたアイスのあたり棒が。

「おっ、せんせツイてるじゃん」

そう言っている迅鯨も、なんだかついているような気持ちだ。

ヨキ > 「そう。いつもと雰囲気の違う服を着てみるのなんか最高だ。
 例えば……普段着より少しだけ高価なものをひとつや二つ身に着けて、
 それで街を歩いてみるのさ。
 とっておきの服でも、とっても歩きやすい靴だって構わない。
 もちろん、ぴかぴかの鞄だっていいね。

 着飾ることは、何も他人に見てもらうばかりが目的ではない。
 自分自身の気分が良くなることが、『お洒落』の何よりの効能だよ。

 心と見た目が明るくなると、人は自然と寄ってくる。
 明るい心で得た友人は、そうそう居なくなりはしない」

にこにこと話しながら、アイスの棒を元のパッケージにしまい直す。
あとで店に持ってゆくつもりらしい。

「ヨキもな。昔はこう見えて、人間なぞ誰ひとり信用していなかったよ。
 一刻も早く、死んでしまおうと思っていた。
 自殺しようにも、自分の不死性を証すだけで終わってしまったが」

声のトーンはそのままに、何てことのない思い出話のように。

「そんなようなこともある」

蘆 迅鯨 > 「そうだな……俺もさ、着てみたい服とか、結構あるんだ。前は……俺なんかにゃ似合わねェって思って、避けてたけど」

いきなり全ての服装を見直さずとも、まずは義足用の靴だけでも新調してみたり。
真新しい鞄を持ち歩くのもよいだろうし、あるいは髪飾りのようなワンポイントを増やしてみるのも――
頬に手を当ててにこにこ微笑んでいる迅鯨は想像する。

「最近はカワイイ後輩なんかもちょくちょく付き合ってくれてるし……俺がいきなり新しい服であいつらの前に出たら、きっと驚くだろうな」

なんて言いながら、新しい自分の姿への想像はどんどん膨らんでいた。
それはふわふわした印象を与える暖色のフリルスカートを纏ったいかにもフェミニンなコーディネートであったり、
あるいはパンツスタイルで決めた、よりアクティブな印象のものであったりした。
やがて、ヨキの口から語られる彼自身の過去を聞いている間は、
どこか不安げな、あるいは心配そうな表情で彼を見つめていたが――

「……そっか。せんせにもそういう事、あったんだな。言っちゃ悪ィかもしんねェけど……俺、ちょっと安心した」

ほっ、と息を吐き出して、また笑顔に。

ヨキ > 「頭で似合わないって考えると、実際に似合わなくなってしまうのさ。
 その服を着て、剣埼君とどこかへ出かけてみるとか……
 着てみた後のことを想像してみると、何となく勇気が湧いてくるはずだ。
 今の君は、きっとそうした“先”が想像出来るようになっているのではないかと思うから」

頭の中で想像を膨らませているであろう迅鯨の様子を、楽しげに眺める。
自分の述懐に安堵した様子に、微笑んで目を伏せる。

「うん。ヨキだって、決して順風満帆では来られなかったよ。
 そうでもなければ、たちばな学級をこうして支えることは出来なかったろう」

テーブルに肘を突いて、両手の指を組み合わせる。

「はじめは人の世界を何も知らない異邦人で、こんな異能が発現したばかりだったからな。
 あとはみなまで言わずとも――まあ、概ね君の想像する通りだろう。

 助けてもらうことがなければ、こんな風に人間をやっていることは恐らくなかった。
 ヨキもまた、人間に助けてもらったおかげで、人間も悪いことばかりではないと思い直すようになった。

 騙されやすいところは、未だに治らないがね」

笑い皺を浮かべて笑う。
見かけの年相応の、青年らしいくしゃくしゃの笑い方。

蘆 迅鯨 > 麻耶とともに放課後の学生街を歩き、談笑しながら食事などとったり。
あるいは以前のように、彼女が油絵を描く光景をじっくりと眺めたり。
もしくは、新しい服を着た迅鯨自身が彼女の絵のモデルとなれるかもしれない。
迅鯨には、そのような光景が容易に想像できた。
ヨキがまた語り始めれば、らしくもなく手を膝の上に乗せ、
時折彼の言葉に対して頷いたりなどしながら、またしっかりと話に耳を傾けて――。

「……うん。俺もさ……ここに来られなかったら、今頃生きちゃいなかっただろうし。生きてても、もし麻耶と仲直りできないままだったら……生きてる心地みたいなのが、しなかっただろうし」

迅鯨もまたそのように語った後で、

「でも……今はさ。生きてるのって案外、悪くねェと思ってる」

そう、結論づけた。

ヨキ > 迅鯨の言葉に耳を傾ける顔は真摯だ。
これまでの迅鯨からはとても聞くことのなかったような、実感に満ちた言葉。

「蘆君」

迅鯨が自らの膝に置いた手へ、そっと自分の手を伸ばす。
柔く掴んで、相手の目へ真っ直ぐに頷きかけようと。

「生きていることが悪くないと、そう言えるようになったのは、
 他の誰でもない、君自身が足を踏み出して、報われた結果だよ。

 つらい思いをしてきた人間が、誰しも他人に優しくなれるなどとは思っていないが――
 少なくとも君の前に、道は開けた訳だ」

そうして、そっと囁く。

「よく頑張ったな。
 君のことを、ずっと信じていてよかった」

蘆 迅鯨 > 温度のない手の不思議な感触が伝われば、
迅鯨は自身の鼓動がかすかに早まるのを感じ、金色の瞳を見つめる。

「(報われ、た……?)」

今の自分が報われたと言えるのか、迅鯨自身にはわからない部分もある。
しかし――たちばな学級へ編入が決まった当時の自分からは、
間違いなく良い方向へ変わってきたといえるだろう。
ヨキの囁きからしばらくして――迅鯨の頬を伝い、いくつかの雫が流れてゆく。
だがそれは、悲しみゆえのものではなく。

「……そっか。俺……」

それなのに、なぜだか言葉は出てこない。心の声さえも――

ヨキ > 「ああ」

迅鯨の心の声と、直接会話するかのような返事。

「何もかもが急激に変わってしまったら、それこそ君の心は潰れてしまう。
 剣埼君や、ヨキや蓋盛や、君を支える者らと一緒に、
 少しずつ変わってゆけばそれでよい。

 君の心に、どうか無理のないように」

椅子を迅鯨の側へ寄せ、片手は相手の手を握ったままもう一方の腕を伸ばす。
頭ごと優しく包み込まんと、迅鯨の肩を抱く。

「君、ここへ来てあまり泣いたことがないだろう。
 笑い声だけでなく、涙で洗い流したっていいんだぞ」

それきり、口を閉じてただ抱き締める。
迅鯨の顔は、見ないことにした。

蘆 迅鯨 > 「……だよな。少しずつでも、変われりゃァ……それで」

涙を零しながらもどうにか笑顔を作ろうとするが、
それは今の迅鯨には難しかったようで。
ヨキが肩を抱かんとすれば、どこか甘えるように寄り添う。

「(……あんがと)」

溢れる感情をまだうまく言葉にできない迅鯨は、
心の声で彼に感謝の意を告げると、しばしの間泣き続けていた。

ヨキ > テレパシーで伝えられた礼には、相手を抱く腕の小さな身じろぎと、笑み交じりの吐息とで応える。
ハンカチを貸し、落ち着くまでじっくりと寄り添って、穏やかな時間を過ごす。

迅鯨が顔を上げられるようになれば、揺らぐことのないヨキの笑みがそこにある。

「もう少し君とこうしていたいが、ヨキはそろそろ仕事に戻らなくては。
 ……その前に、ヨキと一緒にコンビニでも行くかね?
 当たった分のアイスは、君にやろう。幸せのお裾分けだ」

子どもじみた提案を、さも大人ぶった顔で誘い掛ける。
迅鯨が応えたならば、握った手をそのまま繋ぎ直して学外へ向かうことになるだろう。
日が傾き始めて、茹だるような暑さも和らぐ頃合いだった。

蘆 迅鯨 > 「おう、勿論。ちょうど腹も減ってたし、俺もなんか買ってこっかな」

やがて借り受けたハンカチで涙を拭き、顔を上げた迅鯨は、
先程までとは打って変わって、けろっとしたような微笑みで応じ、その手を繋ぎ直さんとする。
アイスをやる、と言われれば、嬉しさを顔に表しながら子供のようにはしゃいだりなどして。
二人の時は、短くとも濃密に過ぎてゆくだろう――

ご案内:「ロビー」からヨキさんが去りました。
ご案内:「ロビー」から蘆 迅鯨さんが去りました。