2016/01/18 のログ
■ヨキ > 電話の向こうで、相手が口を開く。
ヨキは今にも泣きそうな顔をして、笑い、頬を震わせて、俯いた。
控えめな相槌だけが、無人の廊下に密やかに響く。
窓に映るヨキの表情が歪む。
脳裏に掛かった靄が、徐々に晴れてゆくような感覚。
ヨキ自身の憎悪によって歪められていた像が、
少しずつそのピントを合わせてゆく。
ヨキが人の世にやって来る切欠となった、『妙虔』という男。
この地球に放られ、人間に利用され、傷付けられて――救われて。
荒波に身体を裂かれることが、自分に与えられた罰なのだと思っていた。
そうして今の今まで頑ななしがらみとしてきた妙虔への怨念が、
人びとから聞かされた言葉の数々と結ばれて――他ならぬ支えであったことに気付く。
黙して語らず、伏せてきた来歴。
それを思い起こし、反芻し、整理するだけの語彙がついに自分の中に備わったことをヨキは実感していた。
■ヨキ > ヨキさん、と名を呼ばれて、背筋が伸びる。
「はい」
『今度、遊びにいらっしゃい。
またゆっくりお話ししましょう』
「……はい、“先生”」
『“先生”は止して頂戴。研究所はもう辞めたのよ』
「いえ。……ヨキにとっては、いつまでも“先生”ですから」
『そう。そしたらどうぞ、貴方の呼び易いように』
「ええ」
密やかに交わされる笑み。
「有難うございます」
話し相手になってくれて。
自分を許してくれて。
――自分を救ってくれて。
■ヨキ > ――老婦人は、その名をシキミと云う。
彼女はもともと、異邦人を対象に研究を行う医科学研究所に勤めていた。
その彼女の“正義”が、かつてのヨキを救ったのだ。
金属を無限に生み出し得る触媒とされた、《門》を抜けて間もない頃のヨキを。
当時のことを記憶している者は、もう殆んど居ない。
ごく小さな新聞記事が、学園の図書館や、わずかなアーカイブに残されているばかりだ。
『生命倫理に反する研究を行っていた組織における重金属中毒事故』。
さる小規模な異能研究所において、十数名の研究員が命を落としたとされる事故だ。
原因は不明。外部への影響はなく、土壌の汚染もなし。
その出来事は、違法組織の愚かな末路としてささやかに報じられ、すぐに忘れ去られた。
報道を振り返ったとしても、ヨキがその事故に関わったという言及は何一つ存在しない。
だが“重金属”がヨキの異能によるものであったことは、今や想像に難くないだろう。
悪霊として討たれた魔獣。
ヨキという名と、人の姿を得てはじめに経験したのは――
常世財団とのコネクションを求める違法組織の、物言わぬ傀儡だったのだ。
■ヨキ > ヨキという人物について、辿ることの出来る記録は少ない。
点在する情報の断片はいずれも線を結ばず、その全体像を易々と現しはしない。
それでも。
人びととの繋がりに。
折に触れ語られる言葉に。
ヨキの所作に見え隠れする信念に。
それらすべての端々に、真実は秘されているのだ。
「………………、」
通話を終え、スマートフォンを下ろす。
継ぎ目のない首輪にそっと手を遣る。
――“常世”の底から、顔を上げる。
ご案内:「廊下」からヨキさんが去りました。