2015/08/29 のログ
梧桐律 > 「何も。材料はあったが、確証は無かった」
「バカとナントカは紙一重だ。あいつはそういう奴だった。ロマンチストの夢想家だ」
「その後のことは知らないのか? あいにく俺も会ってないんだが」

断片的に聞こえてくる情報もあるにはある。与太話の類だ。
判断を保留している話を持ち出すのは軽率に過ぎると俺は思う。

「はは、一本とられたな。知りたがりは相変わらずか」
「俺には関係のないことだ。『伴奏者』はもう二度と現れない」

梧桐律と奇神萱の関係性。
演じたものと演じられたものの間柄とは。
この教師、一体どこまで察しているのだろう。

「ここから先はたとえ話だ」

「俺はあいつに殺された。被害者と加害者だ。その関係は変わらない」
「地獄は現世とそっくりな場所だった」
「ただひとつ違うのは、俺にはもう自前の身体が無かったってことだけだ」
「だから、空いてる身体を借りた。そいつの魂は空っぽだったのさ」

「一方、そいつは別の身体を使ってた。過保護な親父が大枚はたいて用意した特注品だ」
「娘の人生の汚点を塗り潰すためなら何でもやる勢いだった」
「今のご時勢、カネさえ積めば喜んで人格転写をやるやつもいる」
「その手の摘出処置を施された人体は、傍目には廃人と変わらなくなる」
「別の身体に乗り換えて、ほとぼりが冷めるまで待てば罪を免れるはずだった」

ヨキ > 「このヨキは何かと目立つでな。
 それに相手がフェニーチェの『脚本家』とくれば、知られていてもおかしくはない。
 ……その後は、いいや。次は彼女に『授業』でもしてやろうかと思っていてな。
 だが彼女は言っていた、『会うのが遅すぎた』と。まるで死出の門出だったよ」

(律の言葉に、ふっと笑って)

「犬が人間の仕事をしてるんだ。
 融通が利かないのは当たり前だろう?」

(続く語りを聞きながら、手近なベンチに腰掛ける。
 その隣へ相手を招きながら、ふむ、と黙して思案する)

「君……梧桐律は本当に死んだ。冥府を経て――別人の身体を借りて、現世に舞い戻った。
 人を殺した奇神萱は……また別の第三者、別人になりすまして罪が薄れるのを待とうとしていた、と。

 ふむ。胸糞悪い話だな」

(『胸糞悪い』と評しつつ、話を止めることはしなかった。『続けてくれ』と顎で促す)

梧桐律 > 「お互い気があっただろうな。はは。そんなこと言ってたか。残念だ」

犬。何の話だ?
問い返す前に隣に招かれて、とりあえず腰かける。

「親父の意志だ。たぶん、それだけじゃない」
「あいつは……俺が舞台に立ってるところを眺めるのが好きだったのさ」
「パトロンの中でも特に熱をあげてた。あいつは不死鳥の劇団が終わることを、断じて認めなかった」

「俺がいなければ最終公演も始まらない。不死鳥は終わらない」
「だから刺したんだとさ。人殺しに理屈なんて無い。だが、ことの成り行きは知っての通りだ」

知っての通り。最終公演は止まらなかった。

「劇団はあいつの妄想に付き合わなかった。俺が行方知れずでも、音楽が無くたって平気で演った」
「昔の録音の中にも使えそうな奴はいくらかあったからな」
「団長は死に、最終公演は滞りなく終わった。不死鳥は予定通り、その夜に死んだ」

続きはここからだ。頷いて、本人の話から言葉を順序だてて並べなおす。

「当てが外れたわけだ。言っちゃ何だが、俺はまるっきり無駄死にだった」
「取り返しのつかないことをした。俺の音楽と全存在は、この世から永遠に失われた」
「それで狂ったのさ。あいつは俺がいない事も認めようとしなかった」
「予備の身体には俺の遺伝情報が使われた。強烈な暗示と機械式自動学習の組み合わせ付きだ」
「コピーキャットは自分が『伴奏者』だと思い込んでた。で、元の自分の身体が勝手に目覚めたらどうなる?」

ヨキ > (腰掛け、近くなった律の顔を振り返る。
 髪の下で垂れて揺れる犬の耳。
 自分の記憶の中に埋もれたフェニーチェの面影を遠く見透かしながら、話に耳を傾ける)

「奇神君……彼女は、遺伝情報、とやらによって君の語り口と立ち居振る舞いを用いていた訳か。
 ではヨキが会話を交わしていたのは――“予備の身体に心を移され、『伴奏者』のように振舞っていた”奇神君だったと。

 ヨキは自分が二人に増えた経験はないがね……『この目で見て、よく知っている』。

 『自己同一性を保ちながらに、目の前で自分と同じ顔をした人物が動き出したら』。

 ――全く蒼褪めていたな」

(まるで梧桐の目の前に立つヨキ自身が、『誰かの生き写し』であるかのように。
 何気ない与太話のように語りながら、梧桐へ向き直る)

「……奇神君が、どれほど心の強い女性であったかは判らないが。
 さぞ恐ろしく、肝を冷やしたのではないかね」

梧桐律 > 「ん? 話がこんがらがってきたな」

どう説明したものかと思案しなおす。
当事者でさえよくわかっていないものを伝えることがこんなに難しいとは。

「あいつは『伴奏者』がいない現実も、自分の手で殺した事実も受け入れられなかった」
「父親の提案は渡りに船だったんだ。別人になりきっていれば、目を背けたい現実からも逃げ切れる」
「あいつの選んだ「別人」は、よりにもよって俺だった。現実を真っ向から否定することにしたんだ」
「奴は梧桐律のクローン体を使って、自分が考える『伴奏者』を演じることにした」
「自己暗示で固められた、偽りの『伴奏者』の誕生だ」

「その瞬間には、墓場に埋もれて死んでる梧桐律と、梧桐律のクローンに入った奇神萱。それと奇神萱の抜け殻がいたわけだ」
「抜け殻は抜け殻のままで良かった。心神喪失ってことで無罪放免になれば万々歳だからな」
「だが、話は予想だにしない方向にこじれていく。俺が化けて出て、あいつの抜け殻を拝借したのさ」
「早い話が、外見と中身があべこべに入れ替わっただけだ」

「『崑崙』で死にそうな顔してたのも、『橘』で会ったのも俺だ」
「俺はあいつを演じなかった。奇神萱を名乗りはしたが、それは名前にこだわりがなかったからだ」
「誰の顔でも名前でもいい。とにかく音楽が続けられるなら何でもよかった」

さぞ恐ろしかっただろうな。その通りだ。にべも無く首肯する。

「そういう俺は、あいつから見れば矛盾に満ちた存在だった」
「偽りの『伴奏者』として、あいつが出した結論はこうだ。奇神萱は罪の意識に耐えられず妄想の人格を作り出した」
「そして、梧桐律を継ぐもののように振る舞い、『伴奏者』の全てを奪おうとしているのだ―――と」

「一方的に襲われて、楽器を奪われたことにも説明がつく。あいつは俺の欺瞞を責めてるつもりでいただけだ」
「ずいぶん苦労させられたが、暗示は解けた。あいつは元の身体に戻されて、俺はこの身体をもらった」
「死んだはずの人間がここにいる理由。説明になってるかどうかわからないが、そんなところだ」

ヨキ > 「……悪夢のような話だな。地獄が地獄と恐れられる理由がよく判る」

(手を広げ、肩を竦めてみせる)

「ようやく得心が行ったよ。
 君から『遊んでやれ』と言われていた『偽者』は、本当の本当に偽者だった。
 ……少なくとも遊び方を選ぶのはこのヨキ自身だが、遊び相手を誤りたくはなかったからな」

(梧桐の、少年らしいつくりの肩をぽんと叩く)

「……お帰り、『梧桐君』。
 今日こそ本物の君にお目に掛かれたこと、ヨキは嬉しく思う。
 『劇団』での君の演奏……素敵だった」

(笑う。ベンチから立ち上がり、少し待っていろ、と相手を制する)

「――譜面台。持ってこよう」

(屋上を後にする。
 校舎の構造で言えば、ちょうど自分たちが会話を交わしている真下ほどの部屋)

(言うとおりに、五分と経たずヨキが戻ってくる――
 生成のリネンで覆われた品物を手に。
 何かの拍子に中身から、かん、と金属の甲高い音が響いたが、それほど重量はないらしい)

梧桐律 > 「返答次第じゃ噛みつかれるところだったわけだ。命拾いしたな」

納得した様子の反応に安堵して、真紅の髪を掻く。

「悪夢の怪物も、もとは普通の人間だ。どこにでもいる引っ込み思案の女子だった」

「あいつ、とことん思いつめるタイプだったからな。俺に恨まれてると思い込んでたんだ」
「元をたどれば劇団の影響だ。違うとは言い切れないだろ? だったらこれは身から出た錆だ」
「過ぎたことはもうどうでもいい。ただ練習の時間が取れることが嬉しい」

賞賛の言葉に笑みを返し、階下に下りていく教師を見送る。
それからしばらくのこと。
かすかな金属音がして、夜空から視線を戻すとヨキ先生が包みを抱えて戻ってきていた。

「―――見てみても?」

ヨキ > 「ヨキの顎は強いぞ。
 歳若い少年少女の喉笛など一発だ。

 ……行き過ぎた岡惚れも考え物だな。
 だが奇神君の姿と声、ヨキはそう嫌いじゃなかった。
 罪を犯しさえしていなければ、あと十年は待てた」

(これまで律と交わした会話からは予想だにしないような軽口を、平然と口にする。
 それもまた、事態が収束したことの証左)

(――やがて品物を手に屋上へ戻り、元のベンチの前まで歩いてくる。
 折り畳まれていた金属の猫足がしかと床面に立ち、覆った布に手を掛ける)



「君と――『劇団フェニーチェ』に」



(するりと軽い音を立てて、布を取り払う)

(――銀の支柱に、金色のフレーム)

(まるで額縁のように、フレームの周囲をロカイユめいた曲線の装飾が伝っている。
 支柱もまた銀でできた木の枝めいて、無機的な曲面や直線はほとんど見られない。
 それでいて全体に傾斜は見られず、真っ直ぐに自立し、開いた楽譜をなだらかに支える平面)

(依頼人曰く、『軽くて小さく畳めて持ち運びに便利なやつ』。
 それでいて、晩夏の夜風にはぴくりとも揺れる気配がない)

「……普段は、作品を仕上げるに異能は使わんのだが。
 『フェニーチェ』という才能の集まりに敬意を表するに、使わずにはおれなかった」

梧桐律 > 「無理もない。あれで容姿にはずいぶん気を使ったからな。昔の奇神萱とは別人だ」
「奏者の務めとはいえ、髪の手入れには骨が折れた。解放されてほっとしてるところだ」

「これは―――」

尋常の細工ではない。金工の妙などと、一口で言い表すにはあまりにも精緻だった。
さながら生けるが如き装飾の技芸はベルエポックよりもさらに古の華美なる時代を思い起こさせる。
神は細部に宿りたもうと言うが、引いて見ても全体の調和は崩れる様子がない。

「畳めばケースの隅にでも入りそうだ。異能にはこんな使い方もあるのか」
「あんな大ざっぱな頼み方でこれが出てくるとは…ありがたく使わせてもらおう」

「さて、返礼って訳でもないが、何か演ってみるかね」

無銘の楽器を肩にあて、幻の譜面を思い描いて譜面台に向き合う。

「元はアルゼンチンの作曲家フリアン・アギーレのピアノ曲だ」
「ハイフェッツがヴァイオリンとピアノのための譜面に落とした」
「タイトルはHuella。「轍」を意味している。副題は『アルゼンチンの歌』」

過去と未来を貫く、対の轍がどこまでも続いてゆくさまを思う。
弓を、落とす―――。

ヨキ > 「あの見目麗しさは、君の努力の賜物か。
 なるほど君は君で、なかなか細やかに気を使っているらしい」

(風に揺れる律の髪を見遣る。
 光に乏しい夜空のうちで、なお鮮やかな色。

 自作の譜面台への評に、に、と笑う)

「ふふ。君は誰に制作を頼んだと思っているね?
 ――この常世学園のヨキ、手抜かりは一切罷り成らん。

 ……もしも使い込んで壊れたならば、いつでも美術室を尋ねるがいい。
 手入れはサービスしてやろう」

(不敵な笑み。
 少年が流れるように取る弓に、再びベンチへ腰を下ろす。
 その腕前は既に疑うべくもなく、よく知っている。

 その手さばきが、立ち姿が、身の裏側を引っ掻いて撫で上げ、粟立たせる)

「………………、」

(かつて劇場で幾度となく目の当たりにした、演奏の妙。
 もはや煌びやかな猥雑も、胡乱に輝いた才能の主たちの姿も遠く過ぎ去って久しい。

 けれど判る。

 不死鳥の焔が瞼の裏に遺した残像は、目を開いて今一たび――此処に)

ご案内:「屋上」からヨキさんが去りました。
ご案内:「屋上」から梧桐律さんが去りました。