2015/08/28 のログ
ヨキ > 「……賢明だな。
 神宮司君のことをそれほど深くは知らないが……彼はきっと、一生懸命に過ぎるから」

(ビアトリクスの言葉に、ゆったりとした微笑みを向けて耳を傾ける。
 両手を後ろに突いて上体を弛緩させ、折り畳み椅子に腰掛けたビアトリクスを見上げる)

「少しは……判ってきたか。母親というものが。
 ……閉ざされた世界、というものは、毒だ。
 二人きりであるならば、余計に。

 視野を広げるがいい。アンテナを高く立てて……外を見るがいい。
 たとえ解決しなくとも、打ち克てなくとも、どうにもならない物事をやり過ごす方法は、ある。
 ……こんな後ろ向きの『進み方』も、人間ならではと思っている」

(異性の服装を纏うことについて、向ける目には特に奇異は含まれない。
 ごく自然に答えながら、尋ねられて片足を持ち上げる。
 男にしては細く、女にしては骨太の、獣の後肢)

「君のその服装、よく似合うものだと思っていたよ。
 ヨキのこうした服装も……まあ、趣味だ。
 異邦人街に、腕のよい仕立屋が居てな」

(腕を持ち上げる。布地に覆われた手を、表裏と引っ繰り返す)

「……一昔も前には、ヨキは人間の姿をしていなかった。
 永いこと、衣服など身に着けたことがなかったからな。

 毛皮がなくなった所為か……落ち着くんだ。こうして身体を締め付けることがね」

ビアトリクス > 「打ち克てなくても、いい――」

漠たる表情で呟くように言う。

「……そうか、勝てなくてもいい、のか」

破壊の術――《色葬環》。
それは《トロンプ・ルイユ》を打ち砕くために修練された万能の攻撃だった。
しかし、きっとこれも、イーリスには通用しないだろう。
だから克つことはできない、何も出来ない――そう諦めていた。


「最初は、似合うからとかじゃなくて……
 もう少し消極的な理由から始めたのですけど。
 今は案外似合うことがわかってきて、楽しくなってきたところです。
 ……ああ、違うな。楽しんでもいいんだな、ってわかったんです」

並の人間からはズレた、その肢を穏やかな目つきで観察する。

「抱きしめられることも、締め付けられることも……
 程度がちょうどよければ、心地いいものですね。
 あの人は、肌が青くなるまで縛り付けることしかできないらしいけど」

スケッチブックを開き、鉛筆を走らせて、アタリを取る。
おそらくは――この屋上の風景を描こうとしている。

ヨキ > 「――どうにもならないことは、どうにかせずともよい。
 もうどうしようもない、と思ったときには、大体その判断は正しい」

(ビアトリクスの言葉を、スケッチブックに向かう手を邪魔せぬように、穏やかな声をぽつぽつと響かせる)

「逃げるがいい。母親から。その束縛から。逃げることは敗北ではない。

 そして――逃げる、ということは、ただ物理的な場所や距離を引き離すだけではない。
 ……君の心が逃げ込める場所を作っておけ。ヒトでも、モノでも、趣味でもいい……

 次元を渡る魔法使いも、遠く逃げ去った心には追い付けない」

(『楽しんでもいいんだ』、と。その言葉に、目を伏せて笑う)

「……そうだ。楽しんでしまうがいい。母親以外の、何もかもを。
 母親をよそに、君の心がはるか明るい場所に在るとき……君はひたすらに、自由だ。

 どこまでも暗く深い淀みは、眩さに紛らせてしまえ。
 覗き込めなくとも……本当の意味で、蓋など出来なくとも」

(ビアトリクスが鉛筆を動かすのを、幸せそうに見る。
 まるで自分までもが、その紙の上に絵を描いているように)

「――かつてヨキは、そうして助けられた。人間に。芸術に」

ビアトリクス > 「…………」

ヨキ教諭の言葉を聴きながら、鉛筆を動かしながら――
唐突に理解する。飛躍の踏み台に、足がかかる。

(そうか――)

(キャンバスや画用紙に描くのは、目にうつったモチーフや風景だけではない)

(“それを見る自分自身”も――絵のなかにあるんだ)

画用紙に屋上の風景が姿を現し――
さらにその上に書込みを加えた。

コツ、コツ、タン!
革靴のかかととつま先で、硬い地面を叩いた。

アスファルトがやわらかい土に変わる。
青々とした草がその上を覆う。地面の隙間から、色とりどりの花が芽吹く。
薔薇の蔦が、柵を這って天を目指した。
そのいずれにも鉛筆の描きむらが見える。

スケッチブックのページの隙間から紙の蝶が逃げ出して、庭園に舞った。
日の落ちた部室棟で、そこだけが明るい。

「……こんな感じですか?」

屈みこんで、咲く幻の白い花――月見草を一輪摘んで、立ち上がる。
それを、口元に持って微笑む。
幻の草花の庭に――悠然と佇んでいる。

ヨキ > (――不意に、髪が夜気とは異なる風に揺れる。
 眼前を掠めてゆく蝶に顔を上げて、目を瞠る。

 瑞々しい花々。土の柔らかさ。明るみを帯びた空。
 ビアトリクス自身の垣根を飛び越え、そこから大きく開けたような――)

(光がそこに)

「………………、」

(驚きに開かれていた唇が、やがて笑みに変わる。
 その両手がゆっくりと持ち上がり――ビアトリクスへ、自然と拍手を向けた。
 手袋に包まれた手の、くぐもって、それでいて確かな賛辞の音)

「よろしい、日恵野君。
 よくぞ理解した」

(ビアトリクスの後から立ち上がり、土を踏み締める。
 向かい合い、冗談めかして小首を傾げる)

「……『9点』だ。
 最後の1点は、自分で見つけたまえ」

(風が吹く。緩やかに広がるローブの袖口を揺らして、両手を広げる)

「君が――これだけのものを描き上げた。
 十分すぎるほど、評価に値する」

(それは、日恵野ビアトリクスに与える『二回目』の講評だった。
 向かい合った顔は、ただ優しい)

ビアトリクス > 花を、ぱっと手放す。
一陣の強い風とともに、月見草は空へと舞い上がり、
それとともにイメージは揮発し、瞬きする間に幻の庭園は掻き消えて、もとの屋上の夕闇を取り戻す。
ぱたぱたとスケッチブックのページが風でめくられ、紙の蝶はそれに吸い込まれるようにして収まった。

楽しむということ。絵を描くということ。
自分の望みが、ようやく形を得ることをはじめた。
強固な石の檻の隙間から、草花の芽吹くように。

「……ありがとうございます」

ぺこり、と頭を下げる。
膝掛けを返却し、椅子を折りたたみ、抱える。

「残りの一点は――ゆっくり探すことにしますよ。
 すぐ見つけてしまっては、面白くもありませんからね」

不敵にそう言って、それではまた、と、屋上を後にする。

ご案内:「部室棟屋上」からビアトリクスさんが去りました。
ヨキ > (明るい風景が消えてゆく。視界が薄暗い屋上に立ち戻る――
 が、未だあの明るみが瞼の裏に焼き付いているかのように、深く瞬く)

「……どう致しまして。
 最後の一点ほど、大きなものはないぞ。それだけに……
 見つけたときの喜びは元より、それも探す日々もまた、君にとってはきっと尊い」

(ビアトリクスに笑い返す。
 去ってゆく小柄な背を、柔らかな眼差しで見つめる)

(――そうして、ひとり屋上に佇む。
 唇を結んで、目を伏せる)

「………………、それでよい。
 みな飛び立ってゆく――

 この地の底から」

ご案内:「部室棟屋上」からヨキさんが去りました。