2015/07/31 のログ
ご案内:「図書館」にヘルベチカさんが現れました。
ヘルベチカ > 夕刻の図書館の中、空調の音が揺蕩う。
開館時間内だが、利用者はいない。
大図書館群の内、この館に収められているのは、
端的に言えばテスト前には珍重されるが、
テストが開ければそう人気のない本達だった。
中途半端に詳細な、自然科学書。少し古いものが中心だ。
他の館―――例えば文学館の一つであるとか―――は、
今日も、明日も、明後日も。年中そう変わらず、利用者が居るだろう。
けれど今日ここは、読むものの居らぬ書架。
即ち読むものの居らぬ書物であった。
そんな中、図書委員の少年は、カウンターの内側。
作業机で、一人、書類の整理を行っている。

ヘルベチカ > 机の傍。窓ガラスの外からは、虫の声が聞こえてくる。
夏の夕刻。
溢れるような虫の声の騒々しさが、それ即ち静けさに感じられるのは、何故なのか。
耳の中滑り込む音色たち。生きている音。
紙と紙の擦れる音。手元の書類たち。
虫達の声に合わされば、即ちこの紙面たちも、生きていると言えるのではあるまいか。
益体もない考え。脳裏に過る。

ヘルベチカ > 生を得た紙面たち。それを仕分ける。
生きている紙面と、不要な紙面。
生死を分けるのは記載された情報だ。
既に過ぎた催しのパンフレット。死んでいる。
購入依頼図書の申請方法。生きている。
最新、というには古い書物を納めた館の中。
少年の手元、新旧を持って、生き死に絶える書類たち。
情報の価値。

ヘルベチカ > 少年は立ち上がった。
凡そ20枚。不要の山に積まれた紙。
掴めば、歩いて。向かった先。裁断機。
細く、紙面を通すという意義を強く伝えるスリットへ。
20枚の先端を差し込んだ。
センサー式なのだろう。駆動するモーターの音。
そして吸い込まれた書類たちは、分厚いものへ刃の入る音と共に。
機器の内側へ姿を消し、そして、やがて。音が止まった。

ヘルベチカ > 音の止まるのを聞き届け、そして再度作業へ戻ろうと、踵を返して。
歩み始めた足が止まった。
己の座っていた椅子。その上に腰掛け、こちらを向いて、ゆるりと足を揺らす相手がいた。
髪は白く、猫の耳はなく、顔には薄笑いが浮かび。
『暇そうな仕事してんなぁ』
自分を馬鹿にしきった顔の、自分がいた。
『こないだみたいな仕事、増やせよ』

ヘルベチカ > 『楽しかったろ?久しぶりに踊るのは』
背もたれへと体重をかける、白髪の己。
職員室の教員用と同じ型の椅子。軋んだ。
『しがらみなく、とはいかなくたって、こんな仕事より楽しかったろ』
机の上、置かれていた輪ゴムを一本とれば、
右手、親指、人差し指、中指三本で伸ばし、縮めて、弄んで。
「…………まだ、子供だった」
猫耳の少年が、静かに呟いた。

ヘルベチカ > 唖然とした顔で、白髪の少年は椅子から立ち上がる。
そのままリノリウムの上、わざとらしく足音を立てて、猫耳の少年へと近付いて。
身を乗り出せば、腰を直角に曲げ、下から睨めあげるように。
彼我の距離、30センチと離れていないその場所から。

『まだ子どもだった、とか。オイオイオイ。この島でそりゃあおかしな話だ』

嘲笑の色濃い声で、溜息混じりに吐き捨てた。
距離を開けて、腰を、背筋を伸ばして。
両手を広げて、示すような格好。何を。島をだ。

『この島は子供のために作られた島、歪な性質のネバーランド、箱庭だ』
『”子供しかいないはず”であって、子供に”全て”が与えられてる』
『くそったれな委員会なんて、その現れだろう』

緩く右手を前へ差し出して。

『だから、与えられてるのは、そりゃあつまり、権利も、義務もだ』

親指と小指。二本立ててから、指を畳んで。硬く、拳を握った。

『生きる権利も、死ぬ義務も、死ぬ権利も、生きる義務も、全部全部、なんだってだ』
『教師に絶対的な力がなくて、大人の管理も満足にないってのは、そういうことだ』
『世界融合に合わせて変わる……適応する、即ち進化すると言っていい。そのために全て与えられた』

白髪の少年は、踊るように、猫耳の少年へと背を向けて。
テーブルの前まで戻れば、並べられた書類の上に、座る。
足をぶらぶらと揺らしてから、わざとらしく笑って。

『そういう意味じゃ、学生の立場で紛れ込んでる大人なんて、みっともないったらありゃしない』
『あーあ!あーあ!可哀想なクック船長!』
『”僕はまだこれからだ”って叫んだって、ピーターパンが迎えに来た時のままじゃあ、いられない!』

顔を伏せる。くつくつと喉を鳴らす。

『変わることなんて、できやしない。持ってるもので、生きてくだけだ』
『努力と成長と達成?違う違う。地力を持ってた、それだけだ!』

一通り笑った後。静かに、溜息。そして。

『ひ、ひひひひ、ひ。わかるだろ?この島は、融和、融け合うための島だ』
『だから、子供だった、なんて関係ない。この島じゃ、その子供が全部持ってて、そもそも』

『変われないものは、不要なのさ』

ヘルベチカ > 「いい加減にしろ、兵トレイジャン」

ぐにゃりと白髪の己が歪んだ。
黒く溶けて。
”その女”の影へと戻る。
ひっつめ髪の、切れ長の目をした女。
ただ、失礼、と。冷たい声で言った。

ヘルベチカ > 『君の兵は我儘で、つい溢れてしまった。許してほしい』
細く、落ち着いた。感情の薄い声。
その薄い感情には、謝罪の色は感じられない。
「なら、その机の上、アレが散らかした書類。片付けといてくれ」
猫耳の少年の指さした先。
必要であると選別され、整えられていた書類が散らばって。
どこからか、己と同じ声の、意地の悪い笑い声が聞こえてきた気がした。
『いいだろう。君はどこへ?』
「閉館前の巡回をする。利用者はいなかったと思うけど、閉館時には、規定されてる」
言えば、女に背を向けて。
猫耳の少年はカウンターの内側を出て、書架の間へと歩き出した。

ヘルベチカ > 己の両側を過ぎてゆく、背の高い書架。
やはり人影はない。
古い本の匂いと、背表紙の文字だけが少年を見下ろしている。
残った利用者がいないかどうか。
書架の間、往復し、合間を縫って。
学習机の上の忘れものの有無も、ついでにチェックする。

ヘルベチカ > 特に、何も。
その言葉の通りに、通常だけが図書館の中にあった。
閉館の時間。館内スピーカーから流れる音楽。
聞く者がいるかいないか、ではなくて。
そういうことに、なっているから。流れる曲。
カウンターへ戻れば、整えられた書類だけを残して、
トレイジャンと呼ばれた女の姿は消えていた。

ヘルベチカ > そうして、図書館は今日も閉館する。
ご案内:「図書館」からヘルベチカさんが去りました。