2015/08/20 のログ
『室長補佐代理』 > そこで、男はまた顰め面を作る事となる。
棚のガラス戸に薄く浮かぶ男の顔の向こうには、綺麗に整頓されたファイルがズラり。
そう、臨時協力員である麻美子やヴィクトリアによって整理されたものだ。
それは、実に見やすく、以前よりもはるかに改善された見事な陳列であるといえる。
だが、それはこれを最初に見た者が思う事だ。
以前の乱雑な配置でだいたいの場所を覚えていた男からすれば、数年ぶりに訪れた街角がガラリと変わっていたようなものである。
だいたいの目印にしていたファイルや仕切りまで余所に行ってしまっているとあれば、最早一目で検討などつけられようはずもない。
よもや、慣れ親しんだ職場、しかも棚の前で路頭に迷おうとは、誰が思うであろうか。
それですら、日頃からきちんと整理整頓をしなかった男の自業自得である。

『室長補佐代理』 > しょうがなく、新たな道路標識に従うが如く、大区分の案件別、更にそれを五十音順に綺麗に並べられた棚を端から見ていく。
職場の棚だというのに、まるで初見の本屋でタイトルだけ知っている本を背表紙だけを頼りに探すような作業である。
しかも此処には当然ながら店員はいないし、検索端末もない。
二人が非常に見やすく整理してくれていたことが唯一無二の救いと言えるだろう。
実際、隅からみていったら「ここからっスよ」などと書かれたメモが挟まれていた。
行動を完璧に読まれているあたり、苦笑しか漏れない。

『室長補佐代理』 > 配慮に従い、メモの通りにそこから目当ての書類を探せば、ものの数分で目的のものはみつかった。
なるほど、なんでもこれくらいの手間でみつかるのなら、今後はさらに楽になるだろう。
そう微かな満足感と納得を胸に目当てのファイルを手に取り、棚から引き抜けば。
 
 
勢いよく棚の一部が崩落してきた。 
  
 

『室長補佐代理』 >  
「おうぶっ!?」
 
雪崩れ込んでくる書類の波をモロに受け、頓狂な声をあげて男が倒れる。
そこにさらに時間差で崩落した書類が追撃を加える隙を生じぬ二段構えである。
たっぷり数秒かけて男が未整理ファイルの山に埋もれると、ひらひらとまた一枚メモが男の顔に落ちてくる。
顰め面で手に取れば、そこには「これに懲りたら日頃から整理整頓しろよ、バーカ」と苦言が呈されていた。
全くその通りな上に当人が今ここにいないので、二重の意味で一つも反論ができない。

『室長補佐代理』 > 当初の顰め面をさらに顰めさせ、眉間に深く皺を刻んで渋面を作りながら、散らばったファイルを集める。
とりあえず麻美子かヴィクトリアのどっちかがいるときに整理し直すとして、一先ず目当てのもの以外は適当にまとめておこう。
そうと決まれば、溜息を一つついてからファイルをかき集め、デスクの上に臨時避難させる。
そのまま男もそのデスクについて、また目当てのファイル探しを始めようとした所……デスクに男がついた僅かな振動でまたファイルの山が倒れてしまった。
『賽の河原』という単語が、男の脳裏を強かに過った。

『室長補佐代理』 >  
「チッ……」
 
最早、苛立ちを隠しもせずに舌打ちし、席を立ってファイルと錯乱した書類をかき集める。
それを崩れないように4つに分けてデスクに並べる。
小さな書類の山が4つ出来上がり、見るからに手狭ではあるか背に腹は代えられない。
少しばかり乱暴にデスクにつけば、椅子が軋みをあげて抗議の声をあげる。
知ったことではない。

『室長補佐代理』 > そう脳裏で嘯いた直後、今度は椅子の足でも折れるのではと男は懸念し、厳めしい顔つきで視線をそこに奔らせたが。
……まぁ当然ながらそんなことはない。
こうやって世界から、少しずつ信じる心が失われていくのかもしれない。
男はそんなことを益体もなくおもったが、徹頭徹尾それは杞憂でしかなかった。
しかも、その杞憂は己の失態からきたものでしかないため、本当にあらゆる意味で自業自得であった。

『室長補佐代理』 > 勝手に一人で気疲れし、勝手に一人で世界を憂い、勝手に一人で溜息をついたその男は、最早何もかも諦めて書類に手を付け始めた。
紆余曲折あったが、やるべきことが終わっていない以上、やることは変わらない。
ようやっと書類の検索に手を付けられるのだと気を取り直して、ファイルを漁り始めれば。
 
「……」
 
最初に出てきたのは、職員名簿であった。
先日、業務規程に従って墓参りに行く際に事務的に必要となった書類だ。
『室長補佐代理』は中間管理職故、そういった組織的な冠婚葬祭に纏わる行事には強制出席なのである。
墓参りの件でいえば、本意はどうあれ『公安委員』として死者を悼むポーズくらいはとっておけといったところか。
まぁともかく、もう用が済んだものなので、今回目当ての書類ではないのだが、最近使ったものであるため、手近な棚に仕舞われていたのだろう。
普段は、まず用がないものだ。

『室長補佐代理』 > 戯れに開いてみれば、自然と口端に汚らしい笑みが浮かぶ。
分かりきっていることだが、並んでいるのは『※検閲済み※』やら『※処分済み※』やらといった単語の羅列のみ。
最早、何の意味があって、何故書類として残されているのかもわからない、形骸化した名簿。
男も恐らくいつかはここの『※検閲済み※』か『※処分済み※』の一つとなるのだろう。
かつての部下達が、そうなったように。

『室長補佐代理』 > 先日の、墓苑での部下との……薄野との会話が、脳裏を過る。
彼女は公安委員会の為になど死なないといった。
いくら理屈で説明されようと、どこか心の深いところでは納得など出来ないと叫んだ。
そんなことは当然だ。
男も覚悟はできていても、納得など、していようはずもない。
それでも、男が反駁すらしないのは……それが、ただの結果であるからでしかない。

『室長補佐代理』 > 死は結果だ。納得も、献身も、関係ない。死んだらそれまででしかない。
死は終焉であり、虚無であり、それ以上でもそれ以下でもない。
そこに意味を求める事自体、生者の幻想と傲慢でしかない。
そこに何かの期待や、何かの価値を求める事自体、不毛でしかない。
特に、『公安委員会調査部別室』では、それが顕著だ。
この『名前が1つもない名簿』をみれば、一目瞭然である。

『室長補佐代理』 > ここでは、死は生きた証明ではない。生きた結果ではない。
死は、情報でしかない。
死という事実でしかない。
誰が死んだという事実などでは決してない。
 
『公安委員が死んだ』という結果でしかない。 
 

『室長補佐代理』 > ちらりと、部屋の隅のデスクを見る。
今は使われてない物置同然のデスクが二つ。
その片方にはかつて、悪辣ながらも凄腕の諜報員が座っていた。
その片方にはかつて、懸命ながらも傲慢な執行員が座っていた。
だが、既にどちらもいない。
ただの『※検閲済み※』と『※処分済み※』になった。
それが、ここでの……いいや。
一度でもこの常世の『法』に関わったものが辿る、当然の末路なのだろう。

『室長補佐代理』 > 少なくとも、公安委員会は……いいや、公安委員会調査部は、そこまでやる。
そこまで『やった。』
かつて、クロノスのコードを冠した少女はついぞ『名』すら明かされず、素性すらも今となっては知りようがない。
何故、彼女がああなり、何故、彼女がああしたのか、知り得る手段は最早どこにもない。
否。かつてそんなものが、そんな少女が『いた』のかどうかすら。
定かとする手段は……果たしてあるのだろうか?

『室長補佐代理』 > そこでようやく、男は気付いた。
男は、理解した。
理解し……自嘲の笑みを漏らした。

『室長補佐代理』 >  
 
 
自分は、選んでいるのではない。
常に――その時出来る選択を、否、『価値観』ですら……『選ばされて』いるだけなのだと。 
 
 
 

『室長補佐代理』 > この、死生観ですら。
男が日頃持っている価値観ですら、それが意志を持って選んだ定かなものであるという保証などどこにもない。
己で選んだという確証はなく、己でたどり着いたという証明もない。
ただ、『そうしなければ』生きられなかっただけで、そうしなければ『公安委員会調査部』に都合がいい自分ではなくなったからこそ、男はこうなった。
ならば、それは、『定かな価値観』などと、果たしていえるのだろうか。

『室長補佐代理』 > 『朱堂緑』を守るための『室長補佐代理』なのか。
『室長補佐代理』を成り立たせるための『朱堂緑』なのか。
公私という名のダブルスタンダードで、自分を守っているだけではないのか。
そして、もしそれが事実なのだとすれば、何を言ってもそれは……死から遠ざかるために生きるのではなく。
生きることを諦める代わりに、死から遠ざかっているだけではないのだろうか。
消去法で残っただけの価値観が……果たして、選んだ価値観などと、胸を張って言えるのだろうか。

『室長補佐代理』 >  
「くだらん」
 
頭を振り、思考を追い出す。
無意味だ。何の意味もない。
考えて何が変わる。
考えた末、万が一にも『否』という答えが出たところで、どんな行動をとれるというのか。
生を己で選ぶために抗うのか?
死を己で否定するために挑むのか?
かつてそうして『文字列の滲み』になった連中と同じように?
 
 
いいや、真っ平御免だ。それだけは間違いない。 
 
 

『室長補佐代理』 > 生きる事でしか、己は証明されない。
連続性が途切れる恐ろしさを、誰かに『記憶を奪われる』恐ろしさを、男は身を持って知っている。
死はそれを永久無限に奪われる。
死後にいくら思われたところで。死後にいくら記されたところで。
それが誰かに『奪われない』保障が、誰かに『消されない』保障が……何処にある。

『室長補佐代理』 > 生きる限りは、そこに存在し、そこで誰かの目に入る限りは生は証明される。
そこで己が、『我思う故に我在り』と嘯く限りは、証明される。
ならば、『我』がそこで途切れれば、それは。

『室長補佐代理』 >  
  
 
 
 
「黙れッ!!」 
 
 
 
 

『室長補佐代理』 >  
 
 
 
 
 
 
 
 
                『――折角良い所だったのになぁ?』
 
 
 

『室長補佐代理』 > 一度、脳裏に響いたその声に強かに男は舌打ちし、いつの間にか額を握っていた『右手』を左手で引き剥がして、ポケットにしまう。
『囁かれ』た。
左手に嵌められた銀の指輪を睨みつけて、男は奥歯を噛み締める。
そうだ、己が己である保証すら……自分にはない。

『室長補佐代理』 > 『室長補佐代理』は、『朱堂緑』なのか。
『悪魔のような汚濁の笑みを浮かべる』それは、『朱堂緑』なのか。
それとも、それは。
 
「……ソロモン七十二柱、か」
 
改めて、右手を見る。
最早自分のものではない右手を。
悪魔に捧げたそれを。
七十二柱序列三位が地獄の君主『Vassago』
「苦行」と「休息」を司る悪魔。
秘密を暴く力を与え、あらゆる知識を教唆する謎の悪魔。
今日の悪魔学においても、諸説あるとはいえ、召喚者や契約者の前にすら、姿を示さないと言われている悪魔。
否、その正体が、明かされていない悪魔。
何故なら、それは。

『室長補佐代理』 >  
 
 
 
 
 
 
 
 
                『――『俺』はいつでも此処にいる』
 
 

『室長補佐代理』 > 直後、男は無言で自らの額を左拳で殴りつけた。
一撃で額を割り、鮮血が溢れだし、銀の指輪が朱で染まる。
我思う故に我在りと、かつて古人はいった。
だが、その『我』すら覚束無いというのなら。
いいや、下らない。その『囁き』には、もう乗らない。

『室長補佐代理』 >  
「井戸の底が抜けるまで掘って……潜ったところで、何になる」
 
それは、誰に言った言葉だったのか。
最早書類にすら手を付ける事なく、鮮血の溢れる額を抑えたその男は部屋を後にする。
窓際から差し込む緋色の光だけが、誰もいないその部屋を照らしていた。

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