2015/12/03 のログ
美澄 蘭 > 急に吹いた風で、今まで特別な動きを見せていなかった翼が不意に広がる。

「あっ…」

咄嗟に利き腕で身体をかばってしまう。
それでも、少しよろめいた。

翼の主である少年が慌てて声をかけてくれれば

「いいえ…大丈夫よ。
こっちこそ、結構ぎりぎりまでぼーっとしちゃってたから」

心配させてごめんなさい…と、かばった利き腕を軽くさすりつつ軽く頭を下げた。少し申しわけなさそうな顔をしている。

日下部 理沙 > 理沙が翼をぶつけてしまった女子生徒は一応、大丈夫といってはくれたが、腕をさすっているのを見て理沙は心配になる。
この翼、それほど華奢ではないのである。力いっぱいぶつければそれなりの凶器になる。
無論、そんなことをすれば理沙もタダでは済まないだろうが、いずれにせよぶつけるとお互いに結構痛い事は確かなのだ。

「もしかして怪我を……? す、すいません、よければ保健室のほうへ……いや、ここだと薬局のほうが近い……?」
 
しどろもどろになりつつ、オッドアイの女子生徒に声をかけ続ける理沙。
女子に傷をつけるというのは決して良い事ではない。あらゆる意味で。

美澄 蘭 > ピアノの際に重要な利き腕でかばってしまって、その「やってしまった」感でつい腕をさすっていたところ…どうやら、翼の持ち主にまで心配させてしまったようだ。

「怪我ってほどじゃないわ…少し強く打っただけ。
それに…このくらいなら、すぐ「治せる」から」

苦笑混じりにそう言うと、利き腕をさすっていた左手を、そっと添える形に変えた。

「かの者を癒せ…ヒーリング」

少女がそう唱えると…もし理沙に魔術の心得があれば、治癒魔術が発動したのが分かっただろう。
そして、それから少女は、添えていた手でぐっと腕をまくってみせた。
先ほどまでさすっていた白い右腕は、まるで何事もなかったように綺麗だ。

「………ね?一応私、保健課に所属してるから」

だから大丈夫…と、はにかみがちながらも、少女は柔らかく笑ってみせた。

日下部 理沙 > 「え、あ……! あぁあ……怪我が……」
 
そう、理沙が若干間抜けに口をあけて驚いているうちに、その『治療』は終わってしまった。
魔術的な知識は理沙にはこれっぽっちもないが、それでもこの常世島で数カ月過ごした身だ。
それがそういう治療であることは察しが付く。
ここではそう珍しいことでもないが、それでも理沙からすれば未だに驚嘆に値するものだ。
 
「は、ははは。保健課の方だったんですか……それは、なんだか、余計な事を云ったようで……別の意味ですいませんでした」
 
そう頭を下げる。
そのさまもどこか間抜けだ。

美澄 蘭 > 「いいのよ…私の方こそ、うっかりで気を遣わせちゃって申し訳ないくらい」

頭を下げられれば、そう言って少し困ったようにくすりと笑い、肩をすくめた。

「治癒魔術はほとんど独学だから、大したことは出来ないけど…
ちょっとした怪我がすぐ治せるだけでも色々楽よ」

うっかり火傷した時とか、紙で指切っちゃった時とか…と言って、楽しそうに笑む。

日下部 理沙 > 「あ、いや、そもそも私が翼を開いたのが悪くて……いや、でも、そういってもらえると、助かります」
 
少なくとも、大事に至らなかった。
その上で、このように笑って貰えるのなら、それは理沙にとっては喜ばしいことである。
喜怒哀楽のうちで、喜の感情を嫌うものはそういない。
少なくとも、理沙はそう思っている。

「独学でもなんでも、修めていることが既に凄いと私は思います……少なくとも、私には出来ない事ですし。
自分に出来ないことが出来る人は、凄い人だと思います。
私は、魔術ってからっきしですから余計に……」
 
一応、授業でいくつか魔術の授業もとっているが、全て座学だ。
知識として最低限の履修をしているだけである。
実技のほうは出来ないのだから、まぁ、当然なのだが。

美澄 蘭 > 「それを言ったら、そもそも私が不用意に近くを歩き過ぎだし…

………きりがないから、やめましょうか」

そう言って、少し悪戯っぽく笑った。

「私も本格的な勉強はこっちに来てからだから、実技はコゼット先生の元素魔術しかとってないのよ。
後は座学で魔術理論概説と、魔術学概論。

魔術って一言で言っても、生物とか物理とか数学とかの勉強もしないと専門的な勉強は難しいから…今は、その下積みの方が大事、って感じかしらね」

真顔で指を折りつつ魔術関係で履修している講義を列挙する。
鬼のように落第者を出すと評判の獅南蒼二の講義を履修していると自己申告するあたり、この少女は優等生の部類に入るのだろう。

「…まあ、専門的に勉強しようと思うと大変だし…無理して、ってこともないと思うけど。
異能と違ってよっぽどのことがなければみんな使えるようになるはずだから…生活に役立ちそうな、簡単なのくらいは覚えてみたいわよね」

せっかくこの学園にいるんだし、と、楽しそうににっこりと微笑んだ。

日下部 理沙 > 「え、あの難解で有名な獅南先生の講義までとっているんですか……? 優秀なんですね」
 
コゼット先生の授業も獅南先生の授業も理沙には難解過ぎてついていけない。
魔術的な素養が元々理沙は殆どないようで、実技も覚束無いのだ。
使えたら便利そうだなくらいには常々おもってはいるのだが、反面、過ぎたるは及ばざるが如しとも思っているので、まぁなぁなぁである。
 
「こちらに来てからという事は……えと、私と同じ新入生の方なんでしょうか?
あ、自己紹介が遅れました。私は、九月からの新入生の日下部理沙と申します。
いずれにせよ、色々履修してて凄いんですね……私は、必要最低限やるので手一杯です」
 
理沙も特待生ではあるが、別に学力だの特技だのがあるからではない。
異能の観察・研究を条件にいくらか学費を免除してもらっている、要は被験体である。
目前の少女のような優秀さとはまるで無縁だ。

美澄 蘭 > 「ええ…ちょっと噛み砕くのが難しいけど、予習復習をすれば、何とか。
優秀………なのかしら?確かに、勉強で苦労するようになったのはこっちに来てからだけど」

実感がないような顔をして、ことりと首を傾げる。

実際のところ、前期の期末試験で蘭がA判定を取れなかったのは、
難解(獅南の魔術学概論)か、
中学校を卒業して間もなく受講するには前提知識のハードルが高い(古典基礎)か、
中学校を卒業して間もない年頃の学生には捉えづらい(政治学概論)かだけなので、優秀な部類に数えて間違いはないのだろう。

「ええ…今年度からの1年生よ。
日下部君ね…私は美澄 蘭。

色々…ってほどでもないけどね。異能関係の講義はほとんどとってないし、理科も一気に全部とってるわけじゃないから、午後の空き時間で勉強するくらいの余裕はあるのよ。
あと、ピアノの練習とか」

と言って、はにかみがちに微笑む。
理沙とは対照的に、この少女は異能の方に縁遠いようだった。
先ほどの言葉から、ある程度推測は可能かもしれないが。

日下部 理沙 > 「あ、それじゃあ、ちょっと先輩なんですね。私は九月からの中途転学なので……よろしくお願いします、美澄先輩。
ピアノ、なさるんですか。だから、腕というか……手を気にしたんですね」
 
それなら、とても納得できる話である。
ピアニストにとって指は何よりも代えがたいものであると聞く。
もし自分の打ち込んでいるものが怪我などが原因で出来なくなったら、それはきっと辛い事だろう。
それくらいは、察しの悪い理沙にもなんとか想像ができる。
 
「そんなに優秀なのに、異能関係はとってないんですね。
やっぱり、魔術分野のほうの履修とかで忙しいからでしょうか?」
 
それだけの数の履修をとっていれば、手の回らない講義も当然あるだろう。
 

美澄 蘭 > 「同じ学年で先輩とか、ないと思うの…
だから、敬語じゃなくていいわよ。無理に、とは言わないけど」

丁寧な言葉遣いが習慣になっているらしい知人を思い返しつつ、「先輩」呼ばわりされればどこかばつが悪そうな苦笑いを浮かべて。
それでも、ピアノの話に移るとその表情を少し和らげた。

「ええ…こっちに来てからは軽い気晴らしくらいのつもりでやってたんだけど、常世祭で発表会に出たら、また火がついちゃって。
…今は、魔術の実技練習より力を入れてるくらいよ」

そう言って、楽しそうに笑った。

「異能関係は………今のところ、私には発現の兆候ないから。
前半に「異能」について知るための基礎的な座学だけ受けて…それっきりね。
前期のテストが終わる頃に魔術に詳しい人と知り合って…それで、魔術の講義の履修を増やしたの。
それでも、今は普通の高校でやるような勉強の比重が一番高いくらいよ」

この学園ならではのことを詰め込もうとして、大分駆け足になっちゃってるけどね…と、笑う。
実際、中学校を卒業して間もなく熊谷教員の数学基礎を履修するのは、なかなかの暴挙だ。

日下部 理沙 > 「あ、いえ、敬語はその……くせみたいなものなので、じゃあ、先輩だけはやめて、美澄さんで」
 
そう言い直しながらも、話を聞く。
聞けば聞くほど、真面目で勉強熱心な人柄がうかがえる。
自分とは大違いだと、理沙は思った。
 
「ああ、異能はまぁ……人為的なあれこれを受けない場合は偶発的に発生するのを待つほかないようですからね。
そうなると、たしかに座学だけで十分だと思います。
それ以上に、普通の勉強のほうが大事だろうとも思いますし」
 
基礎を怠るとロクなことはないと、どこかの本で読んだ気がする。
そこは理沙も同意する部分だ。
何事も地に足ついたところからやるのが一番である。
 
「美澄さんは……本当にでも、努力家というか、頑張り屋さんなんですね。すごいです

美澄 蘭 > 「ええ…それでお願いするわ」

敬称の修正を、穏やかに喜んで受け入れる。

「血筋的には、無縁でもないんだけどね。今のところはさっぱり。
この学園を卒業した後に普通の大学に進学する選択肢を切るのも嫌だし、魔術の勉強も面白いし…ほんと、この学園で勉強するの、4年じゃ足りないわ」

異能や、勉強のことについてそう言うと、軽く肩をすくめて、悪戯っぽく笑う。

「頑張り屋…なのかもしれないわね。
でも、出来ることが増えたり、知ってることが増えたりするの、楽しいでしょう?」

だからやめる気はないのよ、と言って、少しだけ、自信ありげに笑った。

日下部 理沙 > 「嬉しい……ですか」
 
そういわれて、理沙は即答できなかった。
知っていることが増えること。
出来ることが増えること。
己の責務が増えること。
己への期待が増えること。
 
それは、翻れば、重責ともなる。

以前の理沙なら、それを畏れてそのまま否定的な回答をしたかもしれない。
だが、今は。
 
「確かに……嬉しいですよね。
新しいものや、新しい自分と出会えるのは。
そうやって、自分が進んでいくのが」
 
どうにか、そう答えられる程度には、『この学園』のお陰で前向きになっていた。

美澄 蘭 > 「自分を磨くことに専念出来るのは学生の特権だ、って、おじいちゃんも言ってたわ。
なら、その「特権」は使い倒さないとね」

そう言って、楽しそうにくすくすと笑う。

「力」の使い方には責任がついてくること。
魔術の練習の失敗を経て、蘭も分かってきていることではあった。

それでも、その責任の元で、何をするか。
その道をそれなりに真っ当に考えられる人間になることを、蘭は諦めていなかった。

日下部 理沙 > 「いいおじいさんですね。含蓄があるし何より……救われます。
聞いている若者が安心できる」 
 
それは、自然に出た言葉だった。
深い意味はない。それ以上の意図もない。
だが、理沙は素直に思ったのだ。
ただ、この島でそう過ごす彼女が。
この、異能と魔術が混在し、異邦の業すら跋扈する常世において。
ただ、『普通』である選択肢すら捨てず、前を向き、未来を見据えられる彼女は。

「美澄さんは、強いんですね」
 
きっと、そうなのだろうと。

美澄 蘭 > 「普段学生を一杯相手にしてるのは伊達じゃない、って感じよね」

ふふ、と楽しそうに笑う。祖父のことであって自分ではないのだがまんざらでもなさそうだ。
そして、どうやら、その発言主である彼女の祖父は教職に就いているらしい。

…が…「強い」と言われれば、その瞳が陰る。

「………そんなことないわ。
だって私、逃げ出してきたんだもの」

俯いて、ぽつりと零した言葉。
それは、こっちに来て初めて、漏らしたかもしれない弱音。

「普通」の選択肢を捨てない彼女がなぜ「逃げる」必要があったのか。
その理由は、彼女の「淡過ぎる」色をした左目と…先ほどの、「血筋的には異能と無縁ではない」という言葉が、示唆しているのだろう。

日下部 理沙 > 絞り出すような、独白に似た、言葉だった。
鮮やかなオッドアイが曇り、陰を落とし、口端からは、慙愧の念が滲む。
その呟きは……その囁きは……理沙から言葉を奪った。
 
逃げてきた。彼女はそういった。
彼女のように、強い人もそういった。
 
まるで、自分のように。
 
ただ、この島に逃げてきた……自分のように。
 
「美澄さんも……なんですか?」
 
それもまた、自然と出た言葉だった。
意図などしていない。できようはずもない。
自分より遥かに強いと思った少女から出た自分と同じ弱さ。
それを目の当たりにして平静を保てるほど……理沙は、強くない。

美澄 蘭 > 理沙の問いに、はっとしたように顔を上げる。
見開かれた、色の違う双眸が、理沙の瞳をまっすぐ捉えた。

「………日下部君、も?」

確かに、彼の美しい翼は、本土であれば蘭の左目の比ではなく目立つだろう。
それどころか、日常にも差し支えたはずだ。
本土は、まだまだ身体の作りから違うものを包摂する設計になっていない。

………それに、蘭が地元にいづらくなったのは…必ずしも、常世島に関わる要素「だけ」が理由ではない。

やがて、蘭は再び視線を少し下げた。

「…私の事情なんて、日下部君に比べれば大したことないとは思うけど…

………でも、少し、似てるところもあるのかしらね。私達」

視線を下げてはいるが…その瞳は、ある種の優しさを宿していて。
口元には、微妙な笑みが浮かんでいた。

日下部 理沙 > 事情については、敢えて問わない。
オッドアイ。魔術への関心。
そして、祖父が教職にも関わらず……この常世島への入学。
彼女の事情は……島流しにあうだけの理由だ。
自分のそれと、きっと変わらず。
 
故郷の学校の屋上。
突き放すように蒼い空。
無関心に白い雲。
叫びを掻き消す虫の鳴き声。
階段で反転する視界。
一人だけの渡り廊下。
 
フラッシュバックするそれらは、きっと……『似ている』ところなのだろう。
 
「きっと……似ているんでしょうね。
でも、それでも私は……同じように逃げて尚、それでも強い美澄さんは……やっぱり凄いと思います」

それもまた、ただの本心でしかない。
それ以上でも、それ以下でも。

「逃げるだけで、済ませていないから
立ち向かう事を……恐れていない。
それは、途轍もなく勇気のいることで、途方もなく、凄い事だと……私は思います」
 
立ち向かう事を怖れていた理沙だからこそ、分かる。
理沙だからこそ、羨む。
それを得るために遠回りを続けた理沙だからこそ……ただ素直に、敬意を抱く。
それは、理沙にとっては……ただただ当たり前の事だった。

美澄 蘭 > 『何?母親が混血で特別だから、自分も特別扱いしてもらえると思っちゃってんの?』
『授業で大真面目に手挙げてさ、ばっかじゃねーの?』
『お前、音楽に詳しいからって調子のってんじゃねえぞ、指揮者は俺なんだからな』
『親もじじいも金持ってんだろ、ちょっとくらいいいじゃねーか』
『ははは、日頃お高く止まってる奴がずぶぬれでやんの、ケッサク!』

大学や専門学校に近い常世学園のシステムは、忌まわしい過去から蘭を随分遠ざけてくれていた。
…それでも、こうやって自分が「逃げた」ことを思い出すとき。
「あいつら」と似た匂いのする男子学生と接するとき。
全く思い出さずにすむかと言われれば、嘘になる。

…それでも、「逃げた」こと。逃亡先の環境。
それらを蘭が享受していることも、間違いなく事実で。

「強いっていうか…この学園だと、勉強したいことが自分で選べるし、クラスの束縛もないから、気が楽ってだけよ。
………わざわざ逃げた先で、必要以上にびくびくして、出来ないことも出来ないでいるの…馬鹿らしくない?」

大したことじゃないのよ、と言って、少し困ったように笑った。

日下部 理沙 > 理沙は、首を振る。
ただただ横に。断固として横に。

「それでも、美澄さんは……『先』を見ています。
それは、逃げだけでは……選べない選択肢じゃないかと、私は思います。
少なくとも私は……選べませんでしたから」

彼女は、捨て鉢にならず……前に進んだ。
普通から逃げなかった。未来から逃げなかった。進歩から逃げなかった。
この、異形の園において。
何よりも難しいはずのそれから、逃げなかった。
 
ここで様々な人々と出会わなければ逃げ続けたであろう、理沙と違って。
 
「異能や魔術……力を得たことで、『普通』から逃げる人は多いと思います。
でも、美澄さんは……それだけに逃げていない。
それは、とても凄い事なんじゃないかと……私は思います」

ただ、理沙にはそれはまぶしく映る。
未だに恐らく……前を向こうと思い至っても尚、どこかで『普通』から逃げ続けている理沙には、途方もなく。

美澄 蘭 > 「………」

逃げた『先』を考えられるかどうかに大きな違いがあるのだと、強く主張する理沙の言葉を、顔をそらさずに、黙って聞く。
そして、蘭は内心、『私の事情なんて、日下部君に比べれば大したことないとは思う』というさっきの憶測を、より信頼し始めていた。

蘭には、逃亡を促すような『敵』もいたけれど、その『敵』と対峙するのに背中を支えてくれる人も、たくさんいたのだ。

共通の『敵』を抱え、共通の趣味を持って馴れ合える同性の友達。
頼りになり、目標を示唆してくれる人…上を見させてくれた大人達。
恐らく、理沙はそういった存在に乏しかったのだろう。蘭と理沙の境遇を分けた重要な要因の1つはそれだろうと、蘭は思った。

(…そんな存在がいた上であえて逃げることを選んだ私は、凄く自分勝手なのよ)

そう、心の中で理沙に語りかける。…恥ずかしくて、声には出せないが。

「………『普通』から逃げないっていうか…「逃げる」に値するだけの「何か」をまだ持ってないってだけ…の方が感覚的には近いけどね。
魔術も、異能も、他の世界のことも。知らないことばっかりだし、出来ないことばっかりよ」

そう、どこか自嘲めいて笑う。
自嘲めいて笑うのは、先ほど口に出すのをやめた言葉の影響もあったが。

………しかし、それから真顔に戻って…少し、ためらいがちに、口を開いた。

「………ねえ、これも何かの縁だし、アドレスでも交換しない?
勉強のことくらいなら力になれると思うし………似た者同士、「馴れ合う」のも悪くないと思うの」

自分勝手な自分でも…ささやかでも、この程度の力にはなりたい。
言葉のシニシズムとは裏腹に、その表情は、緊張で張りつめていた。

日下部 理沙 > 自嘲の笑みを漏らす美澄に……理沙は、あえて言葉は掛けなかった。
彼女の内面にある感情は、恐らく理解できる。
いや……共感できる。
その笑みは諦観であり、自嘲であり、葛藤である。
共感できるからこそ、理沙にはそれを否定することも、肯定することもできなかった。
 
同じように、逃げる彼女に安心したのかもしれない。
そんなところで安心するような卑屈さが自分にあることを、理沙は理解している。
それこそが恐らく……一番薄汚い、自分の弱さなのだろうから。
 
「連絡先の交換は非常に嬉しいのですが……私、携帯端末の類はもっていなくて」 
 
本土でのあれこれで解約して以来、結局持たなかった。
こちらにきてまた持ち直す機会は何度でもあったのだが、持てなかった。
それもまた……理沙が『逃げた』部分に他ならない。
 
「代わりに学生IDのほうを教えますので……何かありましたら、そちらの私書箱にお願いします」
 
そういって、理沙は自分の学生IDを口頭で伝える。
あまり桁数が多いわけでもないので、優秀な彼女なら問題なく覚えられるだろう。
真顔で微かに緊張の色を残す彼女の声色には……敢えて理沙は触れなかった。
『馴れ合い』というのなら、それは触れてはいけない。
互いにきっと、まだ傷になる。

美澄 蘭 > 「え」

携帯端末の類を持っていないと言われれば、目を丸くし、大きく2〜3回瞬かせた後。

「………そっか。…そうよね…ごめんなさい、変なこと聞いて」

本土の家族との連絡にも積極的になれないくらいのことがあったのだろうか…その重さに想いを馳せ、顔が下を向く。
…が、学生IDを教えられれば、

「ありがとう…それじゃあ、テスト前にでも。
…さっきも言ったけど、勉強くらいなら力になれると思うから」

と、はにかみながらも、感情の曇りが晴れたかのように笑った。

「教室棟にいるとか、ピアノの練習じゃなければ、図書館か「橘」で勉強してることが多いから…気が向いたら声かけてくれていいから」

もっとも、こないだ散財しちゃったから2週間は「橘」我慢しないとだけどね、と、悪戯っぽく笑った。

「それじゃあ…またね、日下部君」

緊張の色が見えたのは、単に初対面の人…しかも異性と連絡先交換を申し出るのに、勇気が要っただけである。
「馴れ合い」という言葉も、『それで日下部君の気が楽になるなら』というつもりで選んだのだった。
理沙が必要以上に重い意味で受け取ったことに、蘭は気付かない。

そのまま、蘭は帰宅の途につくため、駅への道を再び歩き出した。

ご案内:「学生通り」から美澄 蘭さんが去りました。
日下部 理沙 > 「はい、それではまた。美澄さん」
 
軽く手を振り、駅の構内へと消えていく美澄を見送る理沙。
その後ろ姿を見送ってから、一度だけ、溜息をついた。
 
他でもない、自分自身に対して。
 
ここでは、理沙の体験など……大したことではない。
彼女は逃げたといった。
本土を捨てるほどの何かがあったからこそ、逃げたのだ。
 
……しかし、それでもなお、逃げるだけで終わってはいない。
 
「……私も、ああなれるだろうか」
 
いや、なるべきなのだろう。
だからこそ、まずは自分の出来ることを探そう。
自分なりに、やってみよう。
きっと時間は……まだあるのだから。

ご案内:「学生通り」から日下部 理沙さんが去りました。