2016/01/26 のログ
ご案内:「商店街」に蘆 迅鯨さんが現れました。
蘆 迅鯨 > 授業を終え寮に戻る最中、商店街のとあるショッピングモールに立ち寄った迅鯨。
その目的はここで行われていた『世界の料理フェア』で販売されるチミチャンガ(揚げたブリトー)であった。
一本の松葉杖を傍らに置いて人がまばらな広場のベンチに座りつつ、
買ったばかりでまだ暖かく、チーズとトマトの風味がきいたチミチャンガをじっくりと味わっていたところであったが――

蘆 迅鯨 > ――そこに忍び寄る、ひとつの影があった。
紫がかった黒髪のポニーテール。迅鯨ほどではないが豊満なバスト。
若干三白眼気味なその目の中の、虚ろな瞳。
大きなキャンバスバッグを後ろ手に抱え、鼻歌交じりに歩いていた一人の少女は、
迅鯨の姿をその視界に捉えると、次第に歩みを速めて接近してくる。
そしてベンチに座っている迅鯨のすぐ側まで近づいた時、
焦点の合っていなかった彼女の瞳が、ぎょろり、と動く。

「あラ。あらアラあらアラ……もしかして、もしかして……」

迅鯨の方をまっすぐに見据えたまま、

「あナタってェ……ルー・シュンジンさん……じゃナァイ?いッヒヒヒヒ」

長いポニーテールを揺らし、少女は歯を剥いて笑んでみせた。

蘆 迅鯨 > 「……用事なら手短に頼むぜ。せっかくのチミチャンガが冷めちま……う……」

顔を上げ、少女の言葉に応えようとして。
自らの視界に映るポニーテールの少女の姿に、迅鯨は凍りついた。

「(あり得ねェ……なんで……どうして今、お前が……)」

迅鯨の心中で、複数の言葉が飛び交う。
その言葉もまた、テレパシーとして彼女に伝わってしまうだろうことを思い至るよりも、早く。
何故なら。嗚呼――何故なら。その少女こそは――

「お前……まさか……」

「そ。やっとおモイ出シテくれたのネ。あナタのおトモダチ……剣埼麻耶ヨ。あエテ、うレシイ」

蘆 迅鯨 > 剣埼麻耶(つるぎざき・まや)。常世学園に入学してから、迅鯨に初めて出来た友人。
絵画の道を志し、異能を持たぬ者でありながら異能者である迅鯨にも好意的に接していた、美術部の少女。
しかし、彼女との日々は長くは続かなかった。ある時を境に、彼女の心は壊れてしまった――
否。壊してしまったのだ。他ならぬ迅鯨自身が、自らの異能によって。
少なくとも、迅鯨の周囲の生徒や教師はそう認識した。そして迅鯨自身も。――だからこそ。

「……オイ待てよ。お前が、俺に、会えて嬉しいだって?冗談にしても笑えねェぜ」

まず迅鯨の口から出たのは、疑いの言葉だった。だが。

「いイエ?冗談なんかじゃないワ。だって私、ずっと迅鯨さんに会えなかったんだもノ。寂しかったのヨ」

剣埼はどこか歪な笑顔を浮かべたまま、その疑いを否定する。

蘆 迅鯨 > それでも、その笑顔だけで迅鯨の疑念が晴れることはなかった。

「お前も知ってるんじゃねェのか?あれから俺が普通の教室に居られなくなったのを」

『たちばな学級』への編入が決まったのは、
迅鯨の異能が剣埼の精神を破壊してしまった事件からしばらく後のことだ。
事件の直接の被害者である剣埼ならば、その事を知っているはず。
眼光を鋭くし、剣埼へ問いかける。しかし、剣埼はなおも笑顔を保ったままでい続けた。

「えエ。勿論ヨ。だけど生徒や先生のいウ事なんて信用できないワ。私は本当に、あナタに感謝しているのニ」

「(感謝?)」

剣埼が自分に、何を感謝するというのだ?
自分は何も感謝されるような事などできていない。
それどころか、彼女から受けた恩を仇で返すような真似をしてしまったではないか。
迅鯨は訝しみ、そしてしばしの沈黙の後、再び口を開く。

蘆 迅鯨 > 「感謝だって?バカ言ってんじゃねェ。俺はお前に一生恨まれても仕方ないことをしたんだ。感謝される謂れなんてねェ。何でだ。何でだよ……」

迅鯨は恐れていた。今の剣埼の思考は、迅鯨にはまるで理解できるものではなかった。
過去に落第街で自身を襲撃した、河内丸をはじめとする元『星の子ら』<シュテルン・ライヒ>の少女たちの動機は、
『母国の団体から保護を受け、学園でのうのうと暮らしている迅鯨が許せない』という、迅鯨からすれば非常にわかりやすいものだった。
蘆迅鯨という少女は、あまりに多くの人間を傷つけすぎた、と――客観的な事実がどうあれ、主観においてはそう思っている。
故に、人から恨まれることは当然のことであり、感謝されることは異常なことなのであった。
ましてや、自分が一度傷つけてしまった相手から謂れのない感謝の気持ちを抱かれることなど、
迅鯨の認識の内ではあってはならないことだったのだ。そして、剣埼は語る。

「だって、アの日……あナタは私に素敵な素敵ナいンスピレーションを授けてくれたじゃなイ」

先程まで後ろ手に抱えていたキャンバスバッグを迅鯨に見せつけるかのように前方へ持ち出し、
その中から剣埼が取り出したのは、一枚の絵だった。

「おカゲでこんなニ……こんなニ素敵ナ絵が、描けたノ。全部、あナタのおカゲなのヨ」

そこに描かれたもの。それはどこか奇怪ながら、温かみのようなものも感じられる赤紫色の空。
この世のものとは思えぬ、名状しがたき歪な形状の花々が咲き乱れた花畑。
そしてその中央に立ち、聖女のように暖かな微笑みをこちらへ向けるのは――
緑がかった銀髪をなびかせる、黒いフードの少女であった。

蘆 迅鯨 > 「(……そんな……これは……)」

剣埼が描き上げたという絵を目の当たりにした迅鯨は、俯き、しばし言葉を失う。

「……どう、かしラ。気に入ってくれタ、かしラ……?」

心の声すら発する事のできない迅鯨をよそに、剣崎は虚ろな瞳を動かしながら話を続ける。
それと同時に、彼女の身体にはある異変が起きはじめていた。

「私はあナタをいマでも友達だとおモってるノ。あナタは、違うノ?私は、こんなニ……こんなに、あナタのことガ……」

なおも言葉を紡がんとする剣埼の両目から、そして口元から、
徐々に溢れ出していたのは――血のように赤く、血液ではないもの――赤いインクであった。
今まで異能を持っていなかったはずの彼女は、しかし"あの事件"の影響により、"目覚めて"いたのだ。

「……大好き、なのニ」

他者に対して抱く好意が一定の水準を超えた時、その身からインクが溢れ出す。
――それが、剣埼麻耶の身に目覚めた異能であった。

蘆 迅鯨 > 「(……言うな)」

しばらくして、迅鯨は再び心の声を発した。
だが、未だその口が開くことはない。

「(それ以上、言うな。俺にそんな言葉を受け取る資格はねェんだ)」

剣埼の頬を伝う赤いインクは流れ出し続け、
着ていた制服を、持っていたキャンバスバッグを汚してゆく。
しかし、そのことなど構わぬ様子の剣埼は、ひときわ甘く優しい声で、囁くように告げる。

「資格なんて関係ないワ。私はあナタのコト、うランデなんかなイ……だから素直になっテ。私たち、また友達ニ……」

「言うなつってんだろうがッ!」

剣埼の言葉を遮るように、迅鯨は再び己の肉声で叫ぶ。
周囲を通りかかった生徒が、遠くから困惑した様子で二人を見つめていた。

蘆 迅鯨 > 傍らに立て掛けていた松葉杖を再びその右手に取り、迅鯨は立ち上がる。
そして食べかけのチミチャンガの袋を左手に持ったまま、剣埼に告げる。

「……今更、ダチにゃ戻れねェんだよ。お前がどう思ってようが……もう手遅れなんだ」

迅鯨の表情は暗い。そのまま剣埼の側を離れ、背を向けて立ち去らんとする。

「待っテ!」

左手で絵を抱えたまま右手を伸ばしつつ叫び、迅鯨を引き止めんとする剣埼。
脚を怪我している迅鯨が相手であるからには、掴みかかれば無理にでも引き止められただろう。
しかし、剣埼はそうしなかった。それもまた、剣埼にとって迅鯨が今でも『友達』であることの証明でもあった。
剣埼の両目からは、なおも赤いインクが涙のように零れ続ける。
迅鯨はその様子を振り返りもせず、ただひたすら真っ直ぐに歩き続けた。

蘆 迅鯨 > ――やがて、迅鯨がショッピングモールを去った後。
一人取り残された剣埼は、悲しみに暮れ呆然と立ち尽くしていた。

「あア……おワカレもいエなかったナ……」

そう寂しそうに呟くと、剣埼はすっかり汚れてしまったキャンバスバッグに絵を収納し、来た道を戻って歩き出す。

「……でも、迅鯨さん……元気で、よかっタ」

歪な、それでありつつも、心からの笑顔を浮かべながら。

「いヒヒヒヒッ。あァーハハハハハッ」

ポニーテールの少女の姿もまた、商店街の雑踏に紛れ消えてゆく――

ご案内:「商店街」から蘆 迅鯨さんが去りました。