2015/08/26 のログ
■『室長補佐代理』 > 一瞥した学生証には、一年の図書委員で、異邦人であることが書かれていた。
そして、それを問われれば、男も少しばかりは得心して、じわりと笑う。
「なるほど。異邦人で口が利ける君にとっては、それはあらゆる意味で懸念だろうな」
殺人の定義を、彼女は聞いている。
それは、『人』とは何かと聞くに同義。
この常世島における『人』とはどのラインか。
彼女はその言質を求めていて、恐らく彼女は、常世島の外では時に『人』とは見做されない異邦人。
それが殺しと食と人について問う。
そこまでわかれば、ある程度推察に足る。
「その問いに答えよう。時と場合による。オークだからどうではない。そのオークに付随している『価値』で俺はきっときめるだろう。
逆に聞こう。君は……『人』とは何だと捉えている? どうすれば『人権』なるものが発生すると思っている?」
■雪谷 憂乃 > 「―――。」
時と場合に依る。それは最もだろう。頷く。
そして、この男は話が分からない奴ではなさそうだ。
今見せた学生証からどこまでの情報を得たのかは知らないが、
少しだけ警戒を解いて、ふぅと一息。
知らず力を入れて握っていた日傘の重みが後付で感じられた。
「…成、程。」
オークだからどうではない。オークに付随している『価値』。
分かるようでわからない。『価値』とは何だろう。
その『価値』は誰にとっての?誰が決めるの?
その言い方はしかし的確で、オークは時に価値のない生き物にも、価値のある生き物にもなる。
雇って土木をやらせれば働き者になるだろうし、野山に野生でのさばらせれば盗賊以下のゴミクズだ。
要は、社会的な『価値』と言いたいのだろうかと勘繰る。
そして、その問いは私へと返ってくる。
『人』…『人』とは、何だろう。
「…難しい、ですね。」
だが、この難しい問いを、それも分かりにくい質問の形でこの男は答えた。
考える様も、その時間も見せず。これが、司法権を有する組織の人物。
同じ様に、すぐに答えようと思っても、私には思考の時間が要った。
「『人』とは…社会の一員、…社会と言う機構の『ハグルマ』の一つ、でしょうか?
その、循環している社会の、幾等でも変えは効くけれど、
もし一つでも欠けてしまったら、確かにその機構に、他の『ハグルマ』に僅かにも影響を及ぼす様な。」
分からないけれど、分からないなりの答えだった。
「そして、『人権』は………。」
何だろうか。どうすれば人権が発生するのだろう。
「他の多くの者が、その『人』を必要とした…若しくは、そうでなくとも、
その『人』を『人』として認めた。そんな時に、発生する…でしょうか?」
答え合わせして下さい、とでもいう様な目を向けて、首を傾げる。
■『室長補佐代理』 > 「だいたいそうだ」
そういって、男は静かに微笑む。
じわりと、汚濁の笑みを浮かべ、左手を仰ぐ。
銀の指輪が、ぎらりと怪しく輝いた。
「人権とは、社会との契約により発生する。
そもそも人権という言葉が発明されたこと自体、この世界の歴史でみれば最近のものでしかない。
社会が、体制が……その『人権を守る』と宣言した暴力が、それを『人』であると認め、『権利』を与えた時、初めてそれは人権を得る。
社会にとって人とはそれでしかない。それでしか判断され得るべきではない。
この世のリソースは全て有限だ。全て等しく分かち合えば、全て等しく死に絶えるしかない。
ならば……何事も節度と分別を持って、『社会』からみて『価値』があるかないかで『篩』にかけるほかない。
その『篩』から不幸にも零れ落ちたものは……人と認められないだろうな。
それまで『人』と、『人権』をもった何かと認めるのならば、すぐにでも我々は『飢えて死ぬ』他なくなるだろう」
朗々と、男は語る。彼女の素性をある程度推察し、ある程度予想した上でそう語る。
遠いか近いかはわからない。そこまではわからない。
だが、それを『彼女』が問うた以上、『人権』の定義を聞く以上。
『それ』のラインについて聞くのなら、答えを欲するのなら……それは、恐らくそういう問答となるのだろう。
それこそ、節度と分別を持つのならば。
「故に、俺はこう定義し、俺はこう認めよう……この島に於いては、『学生証』を持たないものは『人』ではない。
そもそも『存在していないはず』なんだからな」
法務上それは、そう認められるだろう。
『存在しないもの』にどうして、権利や命がある?
それは、『存在しない』んだ。なら、それは『篩』から落ちている。
これは、それだけの話だ。
「さて、それを聞き、答えたうえで。また君に問おう。君はここで……何をしていた?」
■雪谷 憂乃 > 男の語りを、黙して聞く。
あっていたらしい。
より詳しく、答えが得られる。
社会。やはり、それがかかわってくるのだろう。
生きる価値のある者が生かされ、生きる価値のないものが死なされる。
それが、社会であり、その暴力性か。
価値のないものは糧にされる。否応なしに。
価値があるかないか、それの指標となるのは『学生証』。
故に、この辺の価値のない連中は、偽造学生証を作ったり、
二級学生として蔓延ったりしているのだろうか。詳しくは知らないが。
そして、彼は認めた。認めてくれた。
いや、彼が認めてくれた、ではなく、『公安委員』が認めてくれたと言うべきか?
最も、この明らかに殺って来た、若しくはそれ以上の威圧感を持つ大きな男。
彼も彼で認めてくれそうなくらいの気はするが。
そもそも、存在していない筈なんだから。
…開き直ってしまって、良いのだろうか。
「―――少し、『食事』をしようと思って。」
先程に比べれば僅かに朗らかに、しかし、恐る恐ると言葉を紡ぐ。
あくまでも、今日は未然という含みも持たせて。
何だか、この問答で精神的に疲れてしまった。
一方の男は、相変わらず笑っている。この雰囲気にも、多少慣れた。
リアクションはずっとこう。こう笑うのだ。毎回毎回、変わらない、同じような顔で。
―――表情筋とかは大丈夫なのだろうか?
さて、問われたことに答えたがこれで、満足してくれるだろうか。
あくまでも、退路を確認することは怠らない。
■『室長補佐代理』 > 果たして、雪谷が想像した通り、男は笑っていた。
変わらず、汚らしい笑みを浮かべたまま、答えた。
「なら、好きにするといい。品定めを怠らず、分別と節度をもつのならば……誰もそれに目くじらを立てることはない。
ただの『食事』なんだからな」
学生証を確認したことで、身元も既に概ねは抑えている。
なら、今こうして『注意』した以上、そこから先は自己責任で済ませることができる。
それは、お互いにそれで済ませるべきことである。
踏み入るのはここまでだ。
明確にしないほうがいいことも時にはある。
満足したように男は一度だけ頷いて、踵を返して先ほどのリザードマンが置き去りにしていった露店に戻る。
そして、大量に放置された『商品だったもの』を見聞しながら、雪谷に問うた。
「学生証をみるに、雪谷君といったか。
君は、食肉用の家畜がもし口をきいて、命乞いをしてきたら、それでもなお喰らうことができるか?」
■雪谷 憂乃 > 「ありがとうございます。」
ああやっぱり。疲れたというか、呆れたというか。
毎度毎度、威圧感があり、どうにも馴染難い、異質とさえ取れる笑みを浮かべている。
何をそんなに笑うのだろうか。
だが、認めてくれたのだから、それでいい。
男は男で、何かする事があるようだ。
細い路地の方へと歩いて行った、それを追うでもなく、見送る。
男の体で、塞がれた道が開けていく。
「はい、雪谷です。
…えぇ。少し気持ちが悪いですが、慣れてますし。」
不便なものだった。
こちらに来てからというもの、知性ある者となら誰とでも話が通用するのだ。
下等生物と見下していたサルも、爬虫類も。否が応でもその言葉が聞こえる。
少々忌々しくさえもあるが、便利な翻訳術式の所為で、肉が何を言っているのかが分かる。
豚を屠殺する畜産の仕事もしかし、似た様なものではなかろうか。
まぁ、そもそも聞こえなくする術も持ち合わせているが、それはさておく。
大通りへと歩みながら、逸れて行った彼を横目にも見ず。
「ところで、御名前と所属を伺って宜しいでしょうか。
今度、法律に迷った時、是非貴方の様な頭のキレる公安委員さんに相談したいと思うのですが。」
それは皮肉でも何でもない、賞賛の辞。
といっても、一公安委員がただ注意するためだけに話した相手に懇切丁寧に名乗ってくれるとも思えないけれど。
拙いこちらの言葉を理解し、法について、社会について、打てば弾かれるように答えてくれたのだから。
この男の笑顔だけは頂けないが、その大きさも相俟って、こう言った面では少しだけ、頼もしさというのも伺えた、そんな気がする。
ダメ元ながらの問。ゆっくりと、日傘の影に入って。
道が開けた路地を進みながら、逸れた路地から言葉は返ってくるのだろうか。
■『室長補佐代理』 > 恐らく、人か、それに准ずるものの血肉を啜る類か。
発言から、男は雪谷がどういう異邦人なのかそう一先ず結論付ける。
『少し気持ちが悪い』という発言からすれば、元々は違ったのかもしれないが……そこは重要なことではない。
今どう感じ、どう納得し、どう扱っているかが重要なのだ。
そして、彼女は、雪谷は懊悩の素振りこそみせたが、淀まずにそう答えた。
ならば、それは『諦観しながらもある程度割り切っている』ということの証左といえる。
そこから導き出される彼女の『食性』を想像することは、そう難しくもない。
何にせよ、推察の域はでないが、この推察が間違っていようが合っていようが、『存在しないもの』を相手にしている限りはそう口煩くいう必要もない。
仮に、それ以上の何かをしたとしても、相手は図書委員である以上、何かをしでかせば責任は図書委員会のものだ。
公安委員である男の関知するところではない。
「公安委員会直轄第二特別教室 調査部別室所属 室長補佐代理だ。世辞はありがたく受け取っておこう」
そういって、普通の生徒がもつそれとは装丁が異なる生徒手帳をみせて、一応名乗っておく。
自らもやましいところはないと示す意味もある。
この島ではそれも、己の『価値』を示すドッグタグとなる。
「まぁ、ゆっくりと『食事』を愉しんでくれ。『ほどほど』にな」
『ほどほど』にの部分を少し強調しながら、男は雪谷を見送る。
追うのはせいぜい視線だけで、最早足が向くことはない。
■雪谷 憂乃 > 大方、男の予測通りであり、男が結論付けた事で間違いない。
そして、注意勧告をするだけして、それ以上は何もしないというのも、
公安委員として適切な行動なのだろう。
「―――は、はい?は、はぁ…。」
して、何かとんでもなく長い漢字の羅列が飛んできた気がする。
一風変わった生徒手帳を見れば、そこには確かに彼がどう言う人物であるかが綴られているのだろう。
室長補佐代理。本名ではないのは分かるが…そういう物なのだろうか。
ちらり、と足を止めて男の様相を伺って、それから、また歩き出した。
「御世辞ではないのですが。
えぇ、程々に。他に紛れて目が付かないくらいにはしておきますので。大丈夫ですよ。」
話の分かる男だった。相応に理解力も高いのだろう。
まるで取引でもしたかのような、儀式の様な、そんなやり取りだった。
少なくとも、私には。
向こうからすれば、ただの日常で、記憶の隅に忘れ去られるようなほんの些細な出来事か。
「…失礼しますね。
公安の…室長…代理、さん。」
取り敢えず覚えられたのは「公安委員」であること「二」と言う数字と「室長」と「代理」であることくらい。
これだけ覚えれば十分だろうか。
それよりも視覚的な印象が強い。
この顔を、あの笑顔を見れば、すぐに分かりそうなものだ。
最後に振り返って、傘の下の影で一礼して見せる。
それからゆっくりとした足取りは、軈て闇に潜って消えて行く。
■『室長補佐代理』 > 「そう言ってくれるなら、俺としても安心だ。是非とも、淑女たる行いを忘れないでいてくれ。
そうして、『お行儀よく』している限り……公安委員会は、あらゆる生徒の善き隣人であり続けるだろう。
では、ごゆっくり。雪谷君」
そういって、雪谷の一礼にあわせて手を振り、闇に溶けて消えていくその背を見送る。
宵闇を纏い、それに潜むが如きその仕草と……日傘。
正しく隣人であるのは、何れであるのか。
推察の彼方にちらつく夜の主の相貌を脳裏で一瞥だけして、頭を振る。
それは想像の域を出ない。なら、それ以上に扱う必要もない。
「……人と等量の意志を持つそれは人であるのか。そも人とは、意志とは何か」
闇から視線を背けて、改めて男は苦笑した。
世に『人』しかいないことを前提にした哲学では、その問いの答えにたどり着くことはないのかもしれない。
否、そうでないとしても。
ご案内:「落第街大通り」から雪谷 憂乃さんが去りました。
■『室長補佐代理』 > 雪谷を見送った後。
リザードマンの店主が残した『商品だったもの』を見聞し、いくらか押収しながら、男は推察の上での雪谷の正体に笑みを浮かべる。
もし、雪谷の正体が正に『己と等量の知性や意志を持ったものの血肉が主食である異邦人』であるとするならば。
先ほどの問答には、どれほどの傲慢が含まれていたろうか。
万物の霊長を嘯く類人猿の、どれほどまでの傲慢と、悍ましいまでの思い上がりが。
■『室長補佐代理』 > ここは、人の世である。
常世とは、正しく人が生きる世であり、この世界の覇者は疑う余地もなく人間である。
物量を超える暴力はこの世界に存在しない。
この世のあらゆる価値観も、哲学も、信仰も、知恵も、暴力の前には膝を折る他ない。
そして、その暴力の中でも図抜けて凶悪で、性質が悪く、どうしようもないものが、『物量』だ。
そんな世界に彼らはきている。
ならば、その世界の法則に従い、その世界で覇を唱える愚者の高慢に膝を折ることも、正しい事であると思える。
郷に入らば郷に従え。
社会とはつまるところ、そういうものだ。
■『室長補佐代理』 >
だがそれは、『隣人』がいなかった社会での理屈であり。
物量を超える暴力が存在しなかった世界での理屈である。
■『室長補佐代理』 > 人には五感がある。知恵がある。
その五感と知恵でもって、人は『人らしさ』なるものを定義する。
その意志の所在を定義し、その知能の程度を定義し、その信仰の成否を定義する。
それは全て『人』が基準であり、『人と等量の知恵を持ちながら違う感覚器官と質の異なる意志を備えた隣人』がいることは前提とされていない。
■『室長補佐代理』 > 物量についても同じことだ。
人の世界では、人の性能はどこまでいっても程度があった。
剣で真っ二つにされて死なない人間はいないし、銃弾で脳髄を吹き飛ばされて死なない人間はいない。
かつては、そうだった。
故に単純な物量こそが暴力の最大単位となった。
それ以前に、人は結局のところ、暴力をよりどころにして社会を形成させている。
つまるところ、人の世界では……ついに人類は、開闢以来この幾千年の時を経て尚、暴力以上の力を得ることはできなかったのだ。
知恵はあったろう。意志もあったろう。
だが、それは全て暴力の補佐以上には、結局なりえなかった。
■『室長補佐代理』 > だが、人ではないものがそうである保証がどこにあるだろうか。
魔を手繰る術が解き明かされ、異形の権能が跋扈するこの時代に……果たしてそれらはまだ決定的な『定義』として成り立つのだろうか。
個が多を超える暴力となりえる可能性を、どうして否定できるだろうか。
暴力を超える、それこそ人には知覚も発想も出来ない『何か』の存在を、どうして否定できるだろうか。
よもや人の『隣人』となった異邦の者どもがそれを持たないなどと……どうして言えるだろうか。
いや、わかっている。
理解している。
だからこそ……恐れるからこそ……人は、彼らを貶め、蔑み、憐み、箱庭に押し込めるのだろう。
丁度、『異能者』であり『魔術師』である自分が今この島に縛り付けられているように。
■『室長補佐代理』 > 「今更だったな」
一人そう嘯き、頭を振って自嘲の笑みを象る。
そう。この島にいる異能者も、魔術師も、人ではない。
少なくとも、旧来の社会が定義してきた人とは大きく異なる。
人では持ち得ぬ権能を持ち、人では持ち得ぬ暴威を振るう、人と同じ形をしているだけの何か。
『己と等量の知性や意志を持ったものの血肉が主食である異邦人』と、いささかの違いもない『異形』でしかない。
その異形の中ですら、人は互いの隔絶を願うのだろうか。
考えてみれば、元から肌の色の違いですら認められない狭量な種族だ。
それも納得できる話である。
レイシズムの檻から抜けることは、人と同じ視野と意志を持つ限り恐らく不可能なのであろう。
■『室長補佐代理』 > この常世島における『人』とはどのラインか。
それは姿かたちに関わらず『人権』を与えられたものである。
『人権』を保障するものは何か。
それは『人権』を与えたものからの対価により契約を交わした社会である。
社会とは何か。
それはコミュニティという名の物量であり、その物量を統制させるための暴力に立脚した集団である。
暴力とは何か。
他者の意を否応もなく屈服させる力である。
少なくとも、人の世界は今までそうやって成り立ってきた。
■『室長補佐代理』 > だからこそ、恐らく人の価値観はそこから出ていくことはないのだろう。
人は力に魅せられる。わかりやすい力に。
そして力に踊らされる。目に見えた力に。
それがわかっているからこそ……『未知』という名の力を何より恐れ、蔑むのかもしれない。
もし、その有様を『隣人』として『異邦人』たちが俯瞰しているのだとしたら。
「……嘲笑わずにはいられないだろうな」
いや、それすらも。人という猿の持つ独特の醜い価値観なのかもしれないが。
論理と思索ですら、それは人の持ち得る物差しでしかない。
その外側の事は、いくら考えたところで出ることはないだろう。
逆にいえば、それが理解できる範囲の『隣人』は、確かに『人』とはいえるのかもしれない。
人と同程度の感覚しか持ち得ないのなら、それは矮小化されたスケールの中で生きる正しい隣人であるのだろう。
■『室長補佐代理』 > 大上段から語った人への視線すら、結局は社会という暴力から与えられた飴でしかないと再確認して、男は苦笑交じりに頭を振る。
逐一確認しなければ、自分もそれを肯定出来ていないのかもしれない。
ならば、それは構造理解からは程遠い。
これすらも、結局は己の暴力への信仰から与えられた愚かな啓示でしかないのだろう。
『何故』と一度問われるだけで揺らぐ程度のものしか、自分は結局持っていないのかもしれない。
■『室長補佐代理』 > 今まで男が裁いてきた犯罪者や悪人達……社会に、公安に、そう定義された者たちは『それでも』と叫んで、体制に抗った。
それに対して、男は確かに幾度か刃を振り下ろした。
だがそれを振り下ろすとき。
男は何といったろうか。
「『それでも』っていってたのは……俺も同じだったのかもな」
彼らは、『それでも』抗うといった。
男は、『それでも』阿るといった。
それは人の社会から見れば大きな違いだが……俯瞰で根本的な部分を見下ろせば、大した違いなどないのかもしれない。
■『室長補佐代理』 >
「だから、俺にも『そうなれ』って熱心に『アンタ』はいうのか?」
■『室長補佐代理』 >
『――人は力に抗えない。それは『俺』が一番良く知っているはずだろう?』
■『室長補佐代理』 > いつの間にかまた額を握りしめていた『右手』を億劫そうに左手で引き剥がして、無理矢理ポケットに突っ込みなおす。
一度だけ鈍く、左中指の銀の指輪が輝いて、男は強かに舌打ちをする。
今のは『囁かれた』のか。それとも。
いや、考えれば『右手の主』の思う壺だ。
考えることは、悩む事。
彼らはそれを好む。その悩みと欲望を貪るものこそが、『悪魔』であるのだから。
■『室長補佐代理』 > 「ふざけやがって」
押収したばかりの『元商品』の封を食い千切り、粉末状のそれを舐めとる。
元からここは目をつけていた。魔術的な鎮静剤を扱っている露店だ。
それは魔力を補充し、魔を手繰るための瞑想力や精神力を補う。
だが高純度のそれが肉体に与える負荷は度外視されている。
なら、それは結局、旧来の人間の、魔術師でもなんでもない人間の常識から照らし合わせれば、『一時の安寧と引き換えに体を蝕む何か』でしかない。
それなしで何とかなる連中の都合でしかない。
血肉を啜らなくても何とかなる連中の1人である自分がこれと思えば滑稽である。
本来必要ないものを必要とし、それが害となりえる可能性があると思えば『同類相哀れむ』といった有様でしかない。
どこまでも、結局自分は……箱庭の住民でしかないのだろう。
この結論もまた、即効性の鎮静剤の効果によって結論づけられたものなのだろうか。
悩むだけ無駄なのかもしれない。
■『室長補佐代理』 > 落ち着けば、ひどくバカらしいことで悩んでいた気がする。
考えたところでどうなる。懊悩したところでどうなる。
考えが変わったところで自分のやることは何も変わらないし、出来ることも変わらない。
いくら駆けずり回ったところでこの島の範から逃れることは叶わない。
出来ることは目の前の事を一つずつ片付けることだけだ。
この捨て鉢気味の結論もやはり鎮静剤により齎されたものなのだとすれば、ジャンキー共の気持ちも若干わかろうというものだ。
最早、男は悩む事もなく、迷う事もなく、露店にあった『元商品』をまとめて鞄に突っこんで押収し、その場を後にする。
その日の男の報告書には、ただ『平常業務』とだけ記され、特筆事項の欄は空欄となった。
ご案内:「落第街大通り」から『室長補佐代理』さんが去りました。
ご案内:「落第街大通り」に”望月満月”さんが現れました。
■”望月満月” > 夜道。それも落第街となれば大通りだろうが危険度が高い場所である事は余程のおのぼりさんでもなければ解っているだろう。
そんな夜道を歩く少女が一人。
研究区での失敗から二日。
授業に出てみても自分に手配がすぐには掛からなかった十六夜棗は――
念の為に勇気を振り絞って、”望月満月”は落第街にいる。その目撃情報を作る為に、落第街を、他の用事があるわけでもなく歩いていた。
■”望月満月” > 懸念は幾つもある。
薮蛇、チンピラや危険な相手に遭遇する危険、それらを超えても、”望月満月”の情報が公安に伝わらない可能性。
それに、名を名乗る機会があるかどうかも怪しい。
「…はぁ……。」
それに、何か嫌な、ぐちゃ、ぐちゃ、って音が聞こえる気がするし、
周囲の人と目を合わせる事も、この場所だといつも以上に怖い。
■”望月満月” > 暫く歩くと前方に、屋台を見つける。
ドネルケバブと書いてあるが、本当にそれを売っているのかは疑わしい。
それでも、他に目的も無く歩くよりはまだまし。
屋台へ近づいて、焼かれている肉の塊を見る。
割と香りはいい。香辛料の焦げる匂いは食欲をそそる。
だが屋台に近づいて見えた、肉と、肉を焼いている店主が怪しい。
スキンヘッド、サングラス、アロハシャツ、フリルスカート。
どこから突っ込めばいいのだろうか。
■”望月満月” > 店主がこちらの視線に気付いたようだ。
『ヘイ、オジョーサン、イッポンヤテカナイ?』
カタコトの日本語で怪しさが増す。
いかつい顔でウィンクされても困る。
これは本当に現実なのだろうか。
私じゃなくても恐怖を覚えるのではないだろうか。
店主が愛嬌のあるつもりなのかも知れなくても。
声が喉に引っかかって出てこない。
■”望月満月” > 店主が更に客引きを続ける。
耳に余り言葉として入ってこない。
恐怖を覚えて、背筋に冷たいものが走って。
動こうとして。
見えた顔が怖くて。
「…き、い、やぁぁっ!」
声と一緒に手が出た。
腰の入った拳を、背が届かなくて、顔を見れなくて、打ち下ろす。
急所だった。
■”望月満月” > 店主から逃げ出して、走って走って。
それからの事は、余り覚えていない。
大通りを逃げて、誰かが駆けつける前に、その場から消えうせる。
店主がどうなったのかも、この騒ぎがこの場だけで収まるかも、知らないまま。
ご案内:「落第街大通り」から”望月満月”さんが去りました。