2015/08/09 のログ
ご案内:「ミラノスカラ劇場跡」にヨキさんが現れました。
■『脚本家』 > (ごとりと靴底を響かせて、静寂に満ちた劇場───
今や夜色の天蓋の掛かった不死鳥の棺。
其の静寂を引き裂き、断ち切り、彼女は足を踏み入れた。
屹度此れが最後に見遣る劇場の風景なのだろう、と。薄ら笑みを張り付けて)
(ゆっくりと舞台下の階段を靴底を鳴らしながら上がっていく。
登り切り、誰も居ない観客席に深々と礼をひとつ。
『脚本家』は、舞台袖に姿を消す)
「……、そろそろか」
(ぽつり、呟いて)
(開演のブザーを、静寂を踏みにじるように、高らかに。
"聞き慣れた"ブザーがまた、獣の慟哭のように鳴いた)
■ヨキ > (そこへ足を向けたのは、ただの気まぐれに過ぎなかった。
いわば堕ちた不死鳥の『羽根拾い』。
勝手知ったる観客の足取りで、劇場の扉を潜る。
誰も居ない通り、誰も居ない劇場、誰も居ない舞台)
(その表情は、何も浮かべては居なかった。
座席の合間を、ゆっくりと、大仰なほど悠然と歩いてゆく。
“誰も居ない”。
滑るように顔を上げて、焼けた天井桟敷を見上げる――)
(ブザーの音)
「……――!」
(すわ幻聴か、とばかりに目を見開く。
靴音を鳴らして、振り向く。舞台の上へ)
■『脚本家』 > (其の気紛れは果たして運命か、其れとも誰かの脚本通りだったのか。
無人の筈の劇場に誰かが居るとは、それはもう何の因果か)
「やァ、ようこそ───ミラノスカラ劇場へ。
劇団フェニーチェは現在、厭、永劫の上演中止を行っておりまして」
(舞台を叩く重い音と共に姿を見せたのは淀んだ黒曜の瞳に漆黒のポニーテイル。
厚底のブーツに、其れから慣れた舞台挨拶。
一度でも劇場の公演を見、足を運んだことがあればカーテンコールで聞いた声。
凛とした、真っ直ぐなアルト)
「団員への言伝くらいは承りますが───」
(両の手を大きく広げ、オーバーな所作。顔には笑顔を湛えたまま、言葉を落とす)
■ヨキ > (引き攣り、戸惑いを貼り付けたような顔のまま、現れた少女の姿を見遣る。
知らぬ顔。
――だがその人物のことは、予めよく知っていた。
朗々とした発声。言葉の選び。何度聞いたとも知れない)
「………………」
(焼けた床板を踏み締めて、両手をだらりと下げた格好のまま――少女を見ていた。
少女を。人形のような顔を。あまりによく出来た口上を)
「……き、」
(声を漏らした口元が引き攣る)
「……――き……」
(笑っているのだ)
「――きみに」
(『誰あろう君に』。
劇団フェニーチェ――その、首魁たる)
(《脚本家》)
(足を一歩も踏み出せぬそのままに)
(背中を身震いが通り抜ける)
(瞳の奥に、焔が点る)
「君に、会いたかった」
■『脚本家』 > (笑顔を崩すことはなく、唯普段通りの笑顔を浮かべて。
其れこそわざわざ燦々たる劇場に足を踏み入れたもの好き──観客を迎え入れるように。
嘗ての劇団フェニーチェの挨拶そのままに、)
「────、」
(此の挨拶も何時振りだろうか、随分昔のような気もしていた。
言葉を細切れに落とす彼の声に耳を澄ませて、
反響残響の演出なぞとうにできなくなってしまった劇場で耳を傾けて)
「ほう、僕に」
(にたり、口元の紅が歪む)
「それはそれは好い趣味をお持ちのご様子だ。
───ご用件は承る、と云ったからにはきちんと愉しませてみせよう。
わざわざこんな場所にまで足を踏み入れて呉れたんだ」
(キイ、キイと舞台脇の階段が鳴いて)
「僕に何の御用かな、名も知らぬ君」
(『脚本家』は、舞台から降りた)
■ヨキ > (幽鬼めいた足取りが、ふらりと少女へ向き直る。
細い足が、その見た目よりも重たげに床を軋ませる)
「……君らの。
フェニーチェの公演を、よく観ていた」
(口を開く)
「公安の――手入れが入る前だ。
君らが一度鳴りを潜める、その前に」
「ずっと観ていた」
「同じ演目をも、」
「何度も……」
(淀みない言葉の、言葉尻が逸る)
「何度も。
そう――何度もだ」
「フェニーチェが解散したと聞いて――」
「探していた。君らの残党を」
「『あの頃』の何かが、拾えはしないかと……」
(口元を乱暴に拭う。大きく息をつく。
信じられないとでも言いたげに首を振る)
「いや、済まない。夢でも見ているようだ。
特に君が、形ある実体を持っていたなんてのは」
■『脚本家』 > (クツクツ、可笑しそうに喉を鳴らす。
わざとらしく、実にわざとらしく劇場の骸を──夢の跡を、踏み歩く)
「其れは」
(深々と一礼を挟み、男の言葉に耳を傾け続ける。
心地よさそうに瞑目し、またゆっくりと男を見据える。 ・・・・
果たして彼は演劇を観に来ていたのか、其れともちょっとしたスパイスに魅せられていたのか。
何方でも大した差異はないだろう、とまた薄く嗤う)
「残念ながら『あの頃』のようなフェニーチェはもう存在していないさ。
もう既に別の"何か"になっていたり、其れとも此の世には存在していないか」
(ぼう、と一瞬目を細めて)
「夢の跡さ、こんなものは」
「僕も夢に縋り、求めていたものでね」
(ご覧の有様さ、と困ったように眉を下げる)
「───故に此処には貴方が望む劇団フェニーチェは存在しない。
悪いね、生憎僕の手腕も悪かったようで──嗚呼、運も悪かったか」
■ヨキ > (生半可な憧憬を、冷徹なまでに醒めさせるかのような声。
荒れ果てた劇場に響く音は、今やすっかり湿気ている。
それを気にした風もなく、対峙した少女を見下ろす)
「…………、」
(もはや『自分が望む劇団フェニーチェは存在しない』)
(――誰あろう《脚本家》が告げるその声こそが。
男の金の眼差しを、確かに醒まさせた)
「………………。そうか」
(ぱちり、と何かのスイッチのように、瞬きをひとつ。
どろりと粘る金の焔が――生気を宿す)
「……変質したものや、喪われたものは、今はどうでもいい。
所詮は斯様な落第街だ。栄えたものは、いつか頽れる」
「君たちのやり方が齟齬を起こし、何らかの皹が入った経緯も――
聞いたところで、このヨキには真には理解など出来んはずだ」
(薄く笑う)
「『君』の中に……確固として根差すものの話を、聞いてみたかった。
君らの作り上げる舞台の中に――ヨキがそれまでに知った、そして今後知りゆくであろう、市井の姿を見た」
(息継ぎ、)
「――ヨキだ。他に名はない。
常世学園で、美術の教師をしている」
■『脚本家』 > (男の胸中など知り得ない少女は、さも当たり前のように。
なんでもないことを淡々と詠み聴かせるように。
脚本をなぞるように。一度瓦解したものを必死に繫ぎ合わせるようにして。
───『脚本家』は語る)
「ああ、生憎だが」
(訪れた静寂を掻き消した男の声をしっかりと耳にしながら、苦笑混じりに笑う。
自然に笑いが零れるようになったのも、随分と何処ぞの少年が様々な場所に連れ回した結果か。
真相は知り得ないが、屹度本人は自分が笑っているのに気付いていない)
「光栄だ、其処迄云って貰えるのなら団長も喜んだろう」
(瞑目)
「………、教師か。とんだ不良教師じゃあないか。
改めて──『脚本家』だ、其れ以上でも其れ以下でもない。
劇団フェニーチェで長く筆を執っていた」
(溜息と共に、ゆっくりと目を開いて)
「確固として根差すもの、か。
括弧の中と外……──、台詞と現実。其の区別が、僕には、なかっ──」
(暫しの逡巡。雑に髪を掻き上げた)
「其の区別が僕らにはない。台詞も、現実も。
此の僕の台詞だって誰かが書いた脚本をなぞったものだろう、と。
他の奴らが如何考えていたかは知らないが──」
「僕は、此の世界の全てが舞台の上だと思っている。
そして、紛れもない主演は自分自身だと、そう思っているよ」
■ヨキ > (目を伏せる)
「ヨキは教師である以上に、この島の住人だ。
無菌の温室を、人間が生き永らえはせん。
……随分と好いていたよ。フェニーチェを。
ヨキほど君らの解散を嘆いた教師は他にないだろう」
(目を開く。
教師にしてこのミラノスカラ劇場に立つことに、何の逡巡も感じさせない)
(『脚本家』の言葉を聞く。
その人形めいた顔を、少女の仕草を、じっと見つめる)
「ほう……『舞台の上』。
グラン・ギニョールを模し、その再現を目指しながらに――
根底には、さらに“旧い”地盤があるのだな。
……『脚本家』とは、『君を戯曲に仕立てた誰か』から与えられた役名に過ぎない、ということか。
では君が手ずから書き、上演を実現した脚本さえ、本当は誰かの手回しでしかない、と?
ならば――『主演女優』たる、君に訊く。
君にとって、今のところ……与えられた『脚本』はいかがかね?
素晴らしい傑作か?
あるいは凡作……はたまた、唾棄すべき糞か?」
(腕を組む。
目を細め、ゆったりと笑う)
■『脚本家』 > (ごとり、とまた靴底が鳴る。
一歩、また一歩と男の傍へ歩み寄り、また)
(ゆったりと歩みを進めれば、ぼろぼろの椅子に腰を下ろす)
「一節では高名な脚本家は皆して此の病に陥ったらしい。
───世界の全ては劇場の上で。ヨキ教諭の言葉通りに。
すべてが『脚本通り』なんだろう、とね」
「あァ、其の通りだ。
此の狭くて広い"箱庭"の主か、また其れに類する誰か。
僕の脚本も屹度誰かが描いた『脚本通り』だと思っている」
(ゆったりと脚を組んで、自嘲するように嗤う)
「何とも、さ。
役者は与えられた演目をこなすのみ、脚本が面白くないと突っぱねるのは客の役目だ。
素晴らしい傑作でも、凡作だろうが。唾棄すべき作品だろうが役者はただ演じるだけ」
「───評価するのは何時だって観客さ。
其れは此の島で学園都市を築いた奴らか、はたまた其の外の人間か。
若しかすれば機械仕掛けから現れる神様なのかもしれない」
(道化のようにおどけてみせて)
「『主演女優』からはこんなところか。
うちの演者も僕の脚本に文句を云うことはなかったよ、どんな役も演じるのが彼らの素晴らしいところだった。
あんな演者に僕の脚本を演って貰えたのは一人の『脚本家』として永く誇りにしたいと思う」
(そう自慢げに、ひとつ)
■ヨキ > 「世界こそは劇場か、はたまた水槽に浮かべられた脳髄か……、
古今東西、劇作家のみならず人間のうちに遍く根付く病魔だ。
ヨキから言わせれば――くだらん、の一言だがね」
(少女が腰を下ろしたその隣、自分もまた椅子へ腰掛ける。
上演するもののない舞台から目を逸らし、今は隣の『主演女優』へ)
「ふうん、演目をこなすのみ――か。……」
(背凭れに身体を預け、ぽりぽりと頭を掻く)
「…………。先人の音楽にすら見られ、現代の哲学を以ってしても答えられぬならば、
『この世は劇場か否か』という問題について、永劫答えはないだろう。
ヨキは実際のところ、どちらでも構わんと思っている。
――だが今このひとたび、ヨキの思想は『世界は劇場だ』と断言する君に倣う。
ヨキもまた『俳優』として、君と同じ『表現者』のひとりとして、答えさせてもらうこととする」
(肘掛けに腕を載せる。
まったくマナーの成っていない客のように、隣の少女へ身を乗り出す)
「――どうやら君は、『脚本家』としては優秀だが、『女優』としては全くの大根らしいな。
これは『君』という演劇を観ている、観客としてのヨキからの評価」
(ぺらぺらと、立て板に水を流すように。
朗々として――それこそ正に、口上のごとくに)
「『与えられた演目をこなすのみ』……『脚本を突っぱねるのは客の役目』?
君は、観客を舐めていないか。我々が観に来ているのは『君らの演劇』であって、人形劇じゃあない」
(その顔から、笑みはいつの間にか消えている。
愉快さは微塵もなく、しかして怒るでもなく、淡々と)
「ヨキが真実真正、誰かの書いた戯曲の登場人物だとしよう。
筋書きを書いたのは、ヨキ以外の『誰か』だ。
だが主演という立場を与えられた以上、『その脚本を輝かすのはヨキ自身』に他ならない。
――『主体』は、このヨキにある」
(近くなった視線をかち合わせる)
「君が君の役柄を誇るほど、フェニーチェの団員たちが『脚本』を輝かせたのは――
ひとりひとりに、君と同じ『誇り』を抱いていたからだ。
『主役』であれ『端役』であれ、自らの『主体』を生きることに対する誇りが」
(息をつく。感情を殺すように)
「――ヨキは、君らを愛してた。
生きた人間の、市井の縮図を見せてくれたと――そう思っていたからだ。
…………。だから、君と同じ『表現者』として、君に訊く」
(さながら人形の、ガラスの眼玉の奥を覗き込むようにして、)
「君がそうして、『ただ演じるだけ』と――『客体』に甘んじるのは、何故だ」
■『脚本家』 > (くだらん、と聞けばじわりと口元は三日月を描く。
横に座った彼を物珍しげに見遣りながら、嗤う)
「未来永劫、永遠に答えが出なくたって僕は構わないと思っているよ、先生。
僕は此れを肯定されたい訳でも否定されたい訳でもない。
ただ、───」
(一瞬の逡巡を挟んで)
「其れを否定する材料を与えてほしかった、だけなのかもしれないな」
(ぼそりと落とした其の独白は、夜の劇場に溶けて。夜色の天蓋に吸い込まれるように)
(身を乗り出した彼を咎めようと口を開くも、"ミラノスカラの客"だと
云うことを思い出してまた困ったように笑った)
「勿論、僕は『脚本家』だ。演劇のいろはのいも解らない。
『七色』や『癲狂聖者』に問うたこともあったが「向いていない」と一蹴された程だ。
───中々随分と学園は好い審美眼を持った美術教師を雇ったものだ」
(皮肉気に嘗ての団員から投げられた言葉を想起しながら、目の前の男に視線を戻す。
ゆらり、黒曜が揺らいだ)
「あァ、僕は観客を舐めていたよ。
学園地区にもきちんとした劇場があるにも関わらずこんな落第街にわざわざ足を運んで──
激情に任せた演劇を観て、果たしてきちんと一字一句を観ていた観客がいるかも定かじゃあない。
違法薬物でハイになったところにあの劇だ、まともとは到底思えない」
「果たして本当に『僕らの演劇』を観に来ていたのかい。人形劇でも、変わらないんじゃあないのかい」
(「先生がそうであれ、他の観客が如何だったかなんて知りえない」、と吐き捨てて)
「ひとつ言わせてもらうと、だ。
あくまで僕は『脚本家』だ。大まかな筋書きを創り、描き。
ひとつの世界を創り出すのが僕の仕事だった。箱庭の中の箱庭でも構わない。
其れに誇りは抱いていたさ」
(ゆっくりと立ち上がり、舞台の方へとまた一歩、二歩)
「其の質問には答えよう。お望みの『お客様受けのする回答』を応えられる自信はないが───」
(ごとり)
「『自分』の確立が未だに出来ていないからだよ、先生。
ひたすらに演じて、与えられた『脚本家』と云う役柄を演じて──」
「自分を見失った」
「厭、それともまた少し違うか──……
識らないからだ、僕が其れ以外の生き方を。遣り方を。
誰かに観られ、評価され、罵られ、其れでやっと価値が出るのが『創作物』だ」
「僕もまた、誰かの創作物にすぎないのだから」
(くるりと半回転。男に背を向け、今度は軽く靴底を鳴らす。
ゆるゆらりと宙を仰ぐ。まるでプラネタリウムのような劇場に嘲笑をひとつ)
■ヨキ > (ごく一瞬言い淀んだのちの独白に、目を細める。
教え子を諭す教師のような――あるいは、肩を並べた友人のような気安さで、ふっと笑い掛ける)
「君は『紛れもない主演』なんだろ。
……判らないから、向いていないから、と言い訳をするな」
(真っ直ぐに少女を見る。緩くかぶりを振って)
「ヨキが『世界が劇場である』ことに同調出来るのと同じく――
このヨキは、『世界は劇場などではない』と、それを否定する材料を……いくらでも与えてやれる。
ヨキは美術教師だ。美術教師にしてひとりの芸術家だ。……芸術家はまた、思想家の端くれだ。
……人間の生に、『ト書き』などない。与えられているのは、ただ遠大な『行間』と『遊び』ばかりだ」
(笑いながら、目を伏せる)
「もっと、早くに君を知っていればよかった。
ヨキにとっては、君らの確固たる美学の上に演劇が成り立ち、君らにとっては、ヨキという観客のあることを――
互いに、知らしめていられればよかった。
……薬だって、君らの誰かが与えていたものだろう?
全く、客を舐めていたな。そんなの、はじめから諦めていたようなものじゃないか」
(立ち上がる少女を見る。その背骨の通った背を)
「君は……、まだ若い。
ヨキとて『言葉でものを考える』ようになってから、十年と少ししか経っていない。
知らないことは、知ることが出来る――赤ん坊も、老人も」
(続けて、席を立つ。
演劇のような彼女の所作に、まるで水を差すかのように。
自分たちの在る場所が、劇場の中とて舞台の上ではないという、その証のように)
「誰かに観られ、評価され、罵られて価値が出るのなら――ヨキが見ている。
君を。君が確立せんとしてゆくことを。
世界は劇場でなく、また人間に脚本はない。
否定する材料が欲しければ、君もまたヨキを見るがいい。
このヨキは、ヨキだけの生を生きる――
ヨキこそ主体なり、客体風情が黙ってろ、とな。
――不死鳥の、風切り羽根たる君ならば。
それくらいの火種を抱えていたとしても、罰は当たらないと思うがね」
■『脚本家』 > 「嗚呼───……」
(深く、深く。深海の其れよりもずっと深い溜息)
「貴方の云う通りだ、僕が劇団フェニーチェに所属する前───……
厭、其れなら僕はこうして思想の坩堝に溺れて人間らしく話すこともなかったか。
……、もっと早く、出逢えていれば好い教え子と教師だったものを」
(自分を咎めた存在に、薄く微笑みを向けて)
「まァ、其れのお陰で広く不死鳥の名を響かせたんだ。
其のくらいのスパイスくらい許して呉れてもいいんじゃあないのかい」
(くるくると表情は変わる。
笑みを湛えていた表情から一転物憂げに)
「有難う、『先生』。
もっと早く出逢いたかったものだな、本当に。心から思う」
(男の最後の文言を聞けば、黙って其れを否定するかのように首を横に振る)
「───遅かった、時間は無限じゃあないんだ。
だから此の出逢いを、僕の物語の1ページにしっかりと刻んで、しっかりと抱く」
(揺らいでいた黒曜も、今はしっかりと琥珀を見据えて)
「されど僕が語るのは───騙るのは物語。
あくまで『僕』ではなく『脚本家』を騙る者騙り」
(ふわり、結っていたポニーテイルを解いてご機嫌な言葉遊びを)
「語って呉れ、『ヨキ先生』」
「僕が居たと云うことを。劇団フェニーチェを彩る『脚本家』は随分と駄目な奴だった、と」
「そして───頭の固い頑固者だった、とも。
物語には何れ終わりが来るものだ。僕に至っては犯罪者だ、何時頭を打ち抜かれて死んでも可笑しくない」
「ただ、遅かった」
(ゆらり、幽鬼のように彼女は彼に背を向ける。
出逢う場が違えば、とは何度溢した言葉だったか。
スケッチブックを抱いたスカートの少年にも。また自分の敵になると宣言した彼も)
(其の言葉は、ぽつり零れて落ちた)
(ごとり、ごとりと靴底を鳴らす。
重いミラノスカラの扉を、男の思いを、自分の想いを抱いて、開き、夜の落第街に溶けていく)
(其の扉の前、彼女は)
「──……一条響谷だ。
もし筋書きが違っていたら──、一度でも先生の授業は受けてみたかった」
(ひとつ)
(者を騙らなかった)
ご案内:「ミラノスカラ劇場跡」から『脚本家』さんが去りました。
■ヨキ > 「…………。それもまた、我々の生が脚本ではないからさ。
間の悪いタイミングに出会い――そうして尚、擦れ違い続けることなく『出会えた』。
『もっと早く、こう出来ていればよかった』というのは……
それでも、機会を掴むことが出来たという、僥倖に他ならない」
(その独白を聞きながらも、彼女を追うことはしなかった。
真っ直ぐにその姿を見ながら――)
「……一条君」
(射抜かんとするように、声を投げる)
「一条、響谷君。ヨキは覚えた。君の名を。
ヨキは辿る生のうちに、何度でも君の名を呼んでみせる。
来い。
君が、この世界が劇場であることを否定したいのならば。
ヨキは何度でも、君に手を伸ばす。
材料ならば、ここに置いておいてやる。
来い、そして拾え。
――このたった一つ、ヨキという手掛かりを!」
(消える姿に向かって――半ば叫ぶ。
果たして届いたか、どれほど響かせたか判らずとも。
じっと佇む。
顔を伏せる。
荒れ果て、のちに静謐ばかりに満ちた場内で、椅子の背凭れに手を伸ばす。
親しい友人の肩口のよう、するりと撫でた)
「…………、揺らがんよ。
一度抱いた、このヨキの愛はな」
ご案内:「ミラノスカラ劇場跡」からヨキさんが去りました。