2015/08/26 のログ
ご案内:「ミラノスカラ劇場跡」に『伴奏者』/奇神萱さんが現れました。
『伴奏者』/奇神萱 > 無性に腹が立っていた。

事の起こりは一通のメールだった。

タイトルは『無題』で本文も無し。写真一枚ついてるだけだ。
差出人は奇神萱。つまり自分自身だ。わけがわからない。
そのメールが奇神萱のメールアドレスから送られてきているのもまた事実。
見れば見るほど戸惑いを呼ぶシロモノだった。

タイムスタンプは15分前。しかも被写体が最悪だ。
見覚えのある場所に見覚えのある子リスが寝かされている。

亜麻色の髪の乙女。彼女の名は三枝あかり。
俺にとっては大事な後輩だ。互いの秘密を共有する間柄でもある。
おっかなびっくり生きてるみたいで、何かと苦労が多いやつだ。

今度も余計なことに巻き込んでしまった。今はただ無事を祈るばかりだ。
あいつの身にもしもの事があれば、それは間違いなく俺の責任だ。
自分のことなら身から出た錆と諦めもつくが、周りの迷惑もすこしは考えてほしい。
強面の兄貴にも顔向けできなくなる。それだけは避けたいところだ。

川添孝一にメールを転送して、位置情報の自動発信をセットしておく。
あの男なら何かを察して行動を起こすだろう。
すぐに応援は望めないかもしれないが、何もしないよりずっといい。

『伴奏者』/奇神萱 > つまりは、見込みが甘かったと認めるほか無い。
この学園都市を徘徊しているもう一人の俺、『伴奏者』の出方を探ろうとした矢先にこれだ。

名うての違反部活が軒を連ねる悪所をわき目も振らずに駆け抜けていく。
身を持ち崩したやつらのド真ん中を突っ切って、罵声を浴びながら憑かれたように走り続ける。
ケースだけは取り落とさずに、長い黒髪を振り乱して―――たどりつく。

「―――はぁ…っは……ぁ…!!」

そこはかつての不死鳥の巣。
高貴典雅の劇団が不夜城を築いた場所だった。

今は鳥たちの姿も無く、寒々しい廃墟が漠たる闇を湛えて広がるばかり。
『ミラノスカラ劇場』というのは、一体誰のネーミングだったか。
『脚本家』ならさしずめ『グローブ座』で決まりだろうな。だから団長だったかもしれない。

今では縁もゆかりもない場所だ。あの最終公演の夜で最後にすると決めていた。
その俺を、よりにもよってこの場所に呼びつけるとは。

ご案内:「ミラノスカラ劇場跡」に三枝あかりさんが現れました。
『伴奏者』/奇神萱 > 二人目の『伴奏者』は控えめにいって、神出鬼没の怪人だった。

ヴァイオリンの音色とともにどこへでも現れる。そして煙のよう消え失せる。
生存説が一人歩きをはじめて、幾多の目撃情報が不確かな噂の信憑性を補強する。

俺も前に一度だけ会ったきりだ。その時は散々な目に遭った。
以来、こちらから連絡を取ろうとしたことはないし、その手段も知らなかった。
ひとつだけわかっているのは、その男が俺ではないということだけだ。
あの存在は俺の過去にも未来にも繋がっていない。同じ姿をしているだけだ。

これはエンドロールの後の物語。
アンコールは演らない主義だが、今度ばかりは仕方ない。

がァがァ、としゃがれた声が聞こえる。
声のした方を見上げると、鳥たちの群れと見つめあう形になった。
そこかしこから感情の読めない視線が注がれる。

「はぁ……は、っは……お前ら、高みの見物かよ。いいご身分じゃないか」
「―――終わらせて来いって? あいよ。お代は見てのお帰りだ」

濡羽色の羽根が舞う。鳥たちが面白半分に囃し立てるように羽ばたく。
ケースを担ぎなおして踏み込んでいく。おのれの肖像(にすがた)の待つ、闇の奥へと。

『伴奏者』/奇神萱 > 『よォクソ女。お友達がお待ちかねだぜ』

赤毛の男と対峙する。で、開口一番これだ。
ご挨拶じゃないか。こんなドサンピンが俺であるはずがない。

「最近の『伴奏者』は客のもてなし方も知らないらしい。御託はいいさ。何か用か?」

梧桐律の名を騙るミスターXが我が物顔で『ミラノスカラ劇場』に居座っている。
死んだ後までこんな目に遭わされるとは。全くもって世も末だ。

問いかけながら子リスの姿を探す。―――いた。写真のとおりだ。
特等席に寝かされている。目立った外傷はない様だが。
近づき、見下ろす。焦りと恐れが責め苦に変わり、胸が締め付けられるように痛む。

「おい起きろ、起きろよ―――あかり!!」

眠る子リスの肩を抱き起こす。
呼吸の有無をたしかめて、揺さぶって名前を呼んだ。

『ほっとけよ。じきに目を覚ます。それよりお前だ、お前』

赤毛をぐしゃぐしゃと掻いてため息をつく『伴奏者』。
忌まわしいモノでも見ているような目をして、冷ややかに俺を見つめる。

三枝あかり > 自分を呼ぶ声が聞こえる。
奇神先輩……私をあかりって呼んでくれてる…いつもは、子リスなのに…

「う………」

途切れそうになる意識を繋ぎとめて。
何とか目覚めようと心を奮い立たせる。

「私……梧桐先輩の演奏を聴いてから………?」

それからの記憶は不思議と曖昧で。
一体、どうなっているのだろう。

『伴奏者』/奇神萱 > 「その名前で呼んでいいのは一人だけだ。そいつはもう死んだ」

靄のかかったような弱弱しい声。三枝あかりは夢から醒めたような顔をしていた。
ささやかな安堵を味わいつつ両頬を引っぱる。

『……いいか。お前は俺じゃない。クソ女が血迷ってでっちあげた妄想だ』

『言ってみりゃ幻みたいなもんだ。罪の意識が歪んだ形で現れただけの幻だ』
『俺の名を騙るような真似をしてきたこともよく知ってる』
『それもこれも、グラついた手前を守るための方便だ』

『俺はお前を許さない。それだけのことをやらかしたんだ』
『なァ、現実見ようぜクソ女。お前には消えてもらう。今ここでな』

こちらの存在を全否定する言葉が叩きつけられる。俺だって黙って聞いてた訳じゃない。
ただ、少しだけ絶句しただけだ。世の中にはそういう見方もあるのかと、どこか感心もしていた。

三枝あかり > 「死………」

一体なんの話ですかと聞こうとして、頬を引っ張られた。

「あいひゃひゃひゃ………!」

一気に目が覚める。こんなことで、と思わなくもないけれど。
大事なことだ。この瞬間を見逃さないことは―――――!

「き、気をつけてください奇神先輩……その人の演奏には、力が………」
「私の意識を奪ったのも、彼の演奏で………っ」

何とか立ち上がろうとして、失敗する。
どうしようもない、まだ体に力が入らない。
そもそも私、三枝あかりの能力と武器で何とかできる場面ではない。

『伴奏者』/奇神萱 > 「………ん。わかった。そういう手品には心当たりがある」
「寝てろよ。じきに兄貴が来るから」

異界存在の召喚。音楽を媒介として異形のパトロンの寵愛を受ける。
同じことが出来る人間が世の中に二人といるはずがない。謎は深くなるばかりだ。
子リスを適当に転がして、ご高説を垂れる『伴奏者』のほうへと向き直る。

「俺は俺だ。今はたまたま奇神萱を名乗ってる。それだけだ」
「お前が言うほどのこだわりもない。名前ってのは後からついてくるものだからな」
「罪の意識とやらは知らん。さっぱりだ。それより楽器を返してくれ。大事なものなんだ」

そうだ。それから、これだけは言っておきたい。

「ニセモノはお前の方だろ。阿呆らしい。はた迷惑なコピーキャットめ」
「―――だが、さっさと決着を付けようってのは気に入った」

無銘の楽器を肩にあて、弓で軽くひと撫でして調弦をする。
澱んだ大気を震わせて音色が響く。このヴァイオリンもなかなかだ。愛着も湧いていた。

三枝あかり > 「手品………わ、わかりました…」

何とか上体を起こして、近くの壁に背中をつけて楽な姿勢を取る。
私の生まれた理由、それは今もわからないままだ。
ただ今の運命ならわかる。
兄は恐らく間に合わない。
ならば、この二人の行く末を見守るという、それだけの……残酷な運命が。

はた迷惑なコピーキャット。
クソ女がでっちあげた妄想。
どちらが正しくて、どちらが勝つのか。

それは今からわかる。

『伴奏者』/奇神萱 > 「まがりなりにも『伴奏者』を気取るやつが、俺より下手ってことはあり得ないよな」
「お前にそいつは似合わない。だが今だけは貸しといてやる」
「俺らしいとこを見せてくれよ。やってのけたら認めてやるさ。俺のことも好きにしていい」

『―――は。ははっ。お笑い種だ。そんな粗末な道具で何ができる?』

嫌悪と侮蔑と嘲笑がない混ぜになった表情を浮かべる『伴奏者』。
奥歯をぎり、と噛みしめて剣呑な雰囲気を発散し始める。

『後悔するなよクソ女。言われなくても――――叩き潰す!!』

聴衆はたった一人。亜麻色の髪の乙女に恭しく一礼する。

「さて、これからお目にかけるのはジュゼッペ・タルティーニの代名詞」
「イタリア最高のヴィルトゥオーソが遺した最高傑作だ」

「ヴァイオリンソナタト短調―――人呼んで『悪魔のトリル』」
「音楽の悪魔が稀代の音楽家に授けた、正真正銘の異界音楽だ」

誇らかに胸を張って、水を打ったような静けさのさなかに弓を落とす―――。

三枝あかり > 喋ることはもうできない。
二人の舞台は始まっている。
どちらかが降りるまで、どちらかが負けるまで。

一礼を受ける私は一体何者なのだろう。
自分の異能すらあやふやで、自分のことを許せてもいない。
ただ、それでも。
それでも。
今は見るんだ。聴くんだ。二人の音楽を。

ジュゼッペ・タルティーニが、夢の中に現れた悪魔の演奏に見出した伝説の音楽。
息を呑んで見守る。命が天秤に載った、あまりにも美しい音楽会の始まり。

『伴奏者』/奇神萱 > あれは今から何年前だろうか。1951年。昭和26年の9月のことだ。

その頃、本土は湧きに湧いていた。
世界的ヴァイオリニスト、ユーディ・メニューインの初来日。
幾多の大都市が焼け野原になって、わずか数年後の一大ニュースだった。

その時はじめて演ったのがタルティーニの『悪魔のトリル』だ。
ピアノの伴奏はアドルフ・バラー。
会場のコンディションが悪すぎて評判は今ひとつだったらしいが。

『悪魔のトリル』は元々、ピアノやチェンバロの通奏低音をともなって奏でられる作品だ。
だが作曲家の書簡によると、この作品は無伴奏で演るのが本当らしい。
今回はフリッツ・クライスラーの編曲版だ。

二挺のヴァイオリンが響きあう。
いつか見た自分自身の写し身とシチリアーノ風の哀歌を競い奏でる。

第1楽章はいかにもな後期イタリア・バロックだ。技巧派の華やかさはまだ現れない。
だが、以降の仕上がりはここで大きく左右される。悪魔の奏でるこの音楽にどこまで入り込めるか。

第2楽章は華やかなアレグロだ。間断なく、過ぎ去った旋律を一顧だにせず突き進んでいく―――。

三枝あかり > 哀愁を帯びた楽章がメロディアスに奏でられていく。
ヴァイオリンは二つ、メロディラインは一つ。
お互いが持つ楽器の差はあるものの、今のところ演奏に差はない。

私はどちらを信じているのだろう。

梧桐先輩の言葉か、奇神先輩の行動か。

どちらを信じればいいのだろう。
……今はただ、心に従えばいい。

第2楽章が始まる。二人の技巧は凄まじい。
クラシックを最近聞き始めたばかりの私にもわかる。
だけど、私の想いは。

祈りを捧げた。奇神先輩に捧げる、至純の祈りを。
悪魔の紡いだ異界音楽の中で、ただ祈った。

『伴奏者』/奇神萱 > そして1713年のある夜のこと。作曲家は夢の中で悪魔に出会った。
タルティーニはそいつに魂を売り渡すことにした。
悪魔に求めた願いはひとつ。
彼は言った。美しい調べを奏でるようにと。

悪魔の奏でた異界の音楽。作曲家は巧みに心奪う調べを聴いた。

目覚めた途端、タルティーニはヴァイオリンを手にしてその旋律を捜し求めた。
だが、完璧じゃなかった。夢の中で聞いたあの音色には遠く遙かに及ばない。
絶望に打ちひしがれながら、作曲家は一篇の作品を世に投げかけた。
それがこの旋律だ。

事の真相はともかく、タルティーニはそれまでの世界に無かった音楽を生み出した。
18世紀で最高の技巧を追求していることは間違いない。

転調からの再転調。
構成そのものは第1楽章と共通するところもあるが、雰囲気はだいぶ異なる。
華やかなトリルが散りばめられた曲調は奏者の腕の見せ所だ。
『伴奏者』の音も揺るがない。そうこなくっちゃな。


―――第3楽章。

音もなく、締め切られた廃屋に風が吹き込む。

底抜けの闇の奥へと大気の流れが生じていく。
『無窮の門』の彼方より、時空の底にあって混沌に沈みながら噴出す《泡》が現世へとあふれ出す。
《泡》に溶かされた場所が空間ごと欠け落ちていく。劇場が急速に風化をはじめる。
赤茶けた紙くずが舞い狂い、空間の裂け目へと飲まれて消える。
そして彼方より、音楽が鳴り響く―――。

三枝あかり > 息を呑む。
この音楽の素晴らしさたるや、この世のものではないように思えた。

まるで自分が華美なドレスで着飾っているような。
そんな場違いな気分にすらなる。
音楽を嗜む人間が何かをなげうってでも聴きたがるもの。
それが今、ここにあった。

―――この世のものではない?
どうやら、それは正しいようだ。

劇場が風化し始める。滅びの風が吹く。
音は折り重なり、歩くような速さで少女の世界は崩れ去っていく。
それでも、目を逸らしてはならない。

真実から。