2016/06/24 のログ
ご案内:「スラム」にパドマさんが現れました。
パドマ >  掃き溜めにこそ医者が必要なのだ。特に虫歯もろくに治せない掃き溜めのような淀みには。
 ぽつりぽつりと水音が響いていた。
 胸に溜まった空気を吐き出すようにして呼吸を整えると、スラムの一角に出来た公園のような場所にて一息付く。鞄から取り出した水筒の蓋をキュッと音を立てて開けると中身を啜った。安物のジャスミンティーが舌の上を転がっていく。
 知人に頼まれて巡回と称してスラムで医術を振るった後のこと。最も怪我の治療やらであるが。異能や魔術。科学の粋を集めたものどもが集う常世とて、治療のちの字さえ行き届かない場所は存在した。
 水音が滴っていた。
 水筒を戻すと手帳を開き眉に皺を寄せる。
 白い髪に黒い装束と亡霊か何かに見間違えるような容姿が人気のまるで無い一角で休息中であった。

 「次は……さんのところに行きましょうか。
  あっでも、確かこの人は昼間は家にいないでしたっけ。
  うーん……」

 女性は唸り声を上げて天を仰いだ。

パドマ >  水音が滴っている。ぽつりぽつりと。音はやがて止まった。
 女性は一通り手帳に目を通し終わると、あたりに視線を配った。何せここはスラム。赤十字を纏った人間に銃口を向ける外道共が平然と胡坐を掻いているような場所である。警戒するに越したことは無いのだ。
 幸いなことに銃口やら杖やら妙な力を向けてくるようなものはいなかった。いるとすれば暢気そうに地面の新芽を啄ばむ鳩や、日のあたる壁際で大あくびをかみ殺す野良猫くらいなものだ。
 一応済ますべき仕事は終わった。衛生班として出動するような事件も無い。平和そのものだった。
 女性は水音の発生源の傍でしばしぼんやりとしていた。

 鼻を潰され、腕をへし折られ、地面に這い蹲る大男の傍で。
 半ばから断ち切られた銃やら服の破片の四散するすぐそばで。

パドマ >  それを見下す青い目は氷のように冷たい鋭利なものであり、およそ体温の存在を挟んでいなかった。
 関節を逆向きにへし折られ苦しむ男に治療の手を差し伸べることは無い。“自衛”の末の結果なのだからと。
 興味深そうに猫が足元に這いよってきた。猫からすればよくある出来事なのだろう。男が這い蹲っているところか言葉にするも憚られる状況の蔓延するこの地区ならば。所詮は一風景に過ぎないのだ。廃屋の壁に染みが付着していることに疑問を投げかけるものがあろうか?
 女性はようやく腰を上げた。うめき声を上げる男に歩み寄っていく。恐怖に顔を引き攣らせる男は、女の頬から伝う赤い液体を見た。それは大気に触れ白く変色していた。

 「私の血の代償は高くつきますよ」

 頭部にめり込むブーツ。悲鳴を上げて地面を転がっていく男。
 女性は何事も無かったかのように歩みを進める。前方に男の仲間と思しき連中が集結しつつあるのを見て行き先が止まった。

 「………」

 無言で相対する二者。間に割って入ったのは野良猫であったが、両者とも無視した。

パドマ > 男達は女性を図りかねているようであった。
屈強な男一人をねじ伏せたのが非武装の女性であることが信じられないのか。異能やら魔術やらが平然と跋扈する島において既存の常識を疑うことがいかに愚かしいことか。ようやく男のリーダー格が歩み始めた。

 「道を譲ってくださいませんか?」

 女性の問いかけに返事は無く。
 男達が一斉に取り出した銃が鉛弾を女性の全身に叩きつけ――弾道が捻じ曲がる。悉くが狙いをそれて主人の肩口を抉り取っていた。
 女性の耳と腕の一部が開閉し奇妙な力場を発生させていた。
 女性が歩む。障害物達は地面に倒れ伏している。もはや止まってやる道理など無い。

 「命を奪われないだけよいと思ってください」

 女性は男達を乗り越えて先へ進まんとする。その背後に男の一人が拳銃の暗い銃口をなんとか持ち上げていることには気が付いていない。
 少なくとも対応する素振りはなかった。

パドマ > 弾丸が女性に掠ることは無く、あらぬ方角へと逸れていった。
足早に去っていく背中を追いかけられるのは野良猫くらいなもの。
重傷を負った男達を尻目に蓮の花の髪飾りは場所を後にした。

ご案内:「スラム」からパドマさんが去りました。
ご案内:「スラム」に奥野晴明 銀貨さんが現れました。
奥野晴明 銀貨 > 薄暗い、埃と泥土の匂いがくすぶる今にも崩れそうな廃屋の中、奥野晴明 銀貨は目を覚ました。

硬く冷たいコンクリートの床に自分が何故か横になっている。
とりあえず起き上がろうとしてみると、何故か手足が固い荒縄で縛られていた。

「……あれ?」

どうして自分がこんなことになっているのか、覚えがなくて
間の抜けた声を上げてみる。

確かそう、研究区にある財団管轄の研究所で定期検診を行ったはずだった。
この間恋人と愛し合った形跡が自分の胎内に残っていることに職員らは苦い顔をしたがそこら辺は個人の権利なのでほっといて欲しい。

それにこれがきっかけで自分が女性としての機能を保っていたとわかればまた違った価値が出てくるだろう。
それは後々彼らにとっても悪い話ではないはずだ。

一通りの検査を済ませた帰り道、普段なら送迎の車が用意されるはずなのだが
今日は別の用事のために用意できなかったと言われたので徒歩と列車を使って帰ろうとしていたところだった。

検査は薬や別の異能やら多少の痛みを伴う機器の使用もあるのでわりと大変なのだ。
そのせいで歩いている時もいつもよりぼんやりしていたような気がする。
自分の後ろから黒いバンが近づいてきても気づかなくて、たしかその後あっさり攫われたような……


そこまで思い出してああ、と納得した。
とすると犯人もこの近くにいるはずだろう。
とりあえずイモムシのように身をよじっていると
隣部屋から男性の話し声が聞こえてきた。

奥野晴明 銀貨 > 「……だから、早く船を……、一人だ……そう、研究所から出てきたのは間違いない。
 ――ああ、今はスラムの廃屋にいる。今日中に手配して……」

話の内容からどうやら島から出る心づもりらしいことと誰かと電話している様子が伺えた。
研究所から出てきた、という点でたぶんそういった研究対象を狙っての犯行であることもわかる。

とすると、研究成果のかすめ取りか異能者の違法売買か。
いまだぼんやりする頭でそんな考えを巡らせる。

面倒なことに巻き込まれたなぁと思って
いっそこのままもう一度一眠りしていたら風紀か何かが助けにこないだろうかという
甘い考えも湧いてきたがたぶんスラムにいる、という言葉から助けはこない気もする。

こと落第街は学園の力が及ばない場所だ。
だからこそ後ろ暗いことをするにはうってつけなのだが。

奥野晴明 銀貨 > やがて連絡が終わったらしい男が大仰なため息を吐いた。
ちらちらと壁に映る影からもう一人、相手がいるらしい。

「……くそが、こんな島まで来て人さらいまでやったんだ。
 報酬がケチられたらなんの意味もない……」

先ほどの電話の男がそう愚痴る。
もう一人が宥めるように声を上げた。

「なぁに、あとちょっとの辛抱だろ。
 それで船はいつ来るんだ?場所は?」
「ここから南の海岸付近に、あと3時間ほどで来るらしい」

3時間、思ったよりも時間が短いなと銀貨は思う。
しかし計画的な犯行の割には3時間待たされるというのも随分だなとも。
何か向こう側にトラブルがあったのか、あるいは船を常に待機させられない事情があるのだろう。
誘拐したのならあまり一箇所に留まるのは危険だろうし、彼らがさっさとここから去りたいのももっともだ。

奥野晴明 銀貨 > さて、銀貨が勝手に一人で脱出するのは簡単だ。
たぶん男二人に気づかれることもなく逃げ出せるだろう。

だが、そうすれば多分、この男たちは別の誰かを攫う可能性が高い。
男の口ぶりから何かのっぴきならない事情があり、そしてこの犯行を指示する別の誰かがいることから
何かしらこの島から持ち出しがなければ納得出来ないしされないような気がする。

(……面倒だなぁ)

ひび割れた壁や屋根の隙間から覗く外の様子は暗い。時間は夜らしい。

奥野晴明 銀貨 > らちがあかない気もして結局銀貨は手足の戒めを解くこともなく
横倒しのまま隣部屋の二人に声をかけた。

「あのう――」

透き通るような少年のか細い声が二人の耳に届いたらしい。
一瞬警戒を強めた様子でこちらにゆっくりと歩いてくる。
部屋の入口に立ちふさがる男たちはならず者とは特に思えない一般的な男性だった。
ただ顔が青白く、強いストレスをうけているのか目の下のクマとシワが深かった。

「なんだ、目が覚めたのか」
「なんで猿ぐつわぐらいしとかないんだ。馬鹿かお前」
「言うなよ、どんな異能者だってぐっすりだっていうから……」

入り口でやいのやいの言い合う二人にもう一度割りこむように言葉をかける。

「あのう、……僕をさらってもたぶん意味が無いと思いますよ。
 だからやめませんか、こういうの」

男たちの目が釣り上がる。どうも舐められているのではないかという憤りのほうが来ているらしい。
じりじりと倒れた銀貨に歩み寄り、油断なく腰に挟んでいた拳銃を右手で掲げてみせる。威嚇のポーズ。

「おい、僕ちゃんよ。それはどういう意味だ」

「言葉通りの意味です……。たぶん僕を誘拐しても義父は交渉に応じませんし
 あなた方の要求が金銭ならたったの一銭も払わないと思います」

冷静でよどみのない口調で男に話しかける。
が、男は鼻で笑うと屈み込み、銀貨の髪をわしづかんで顔を引き上げる。

奥野晴明 銀貨 > 髪が引っ張られる痛みに多少顔をしかめるがそれでも特に恐れたりはしない。
対する男は子供に言い聞かせるようにひどく血走った目で話しかけた。

「悪いが俺たちはお前の父親に直接要求なんぞしないぜ。
 この島にいる異能者の内いくらかは世界中から欲しがられているって知っているか?
 コレクション目的の好事家とか、俺達には全く理解ができない研究とか
 軍事利用に、資源確保なんかもできるんだと。
 お前が求められた品かどうかは分からないがとりあえず異能者の臓器だってだけでありがたがられたりするからな」

後ろで事の成り行きを見守っていたもう一人の男がしかしどこか哀れっぽい表情で言う。

「しかしお前の親父さんてのはそんなに非情なのかね。異能者の家っていうのは親も冷たいのがザラだとか……?」

銀貨はそれに答えなかった。やがて髪を掴んでいた男が乱暴に手を離すと再びコンクリートの床に頭が落ちる。

「とにかく、俺達は後戻りできないんだ。
 適当に煙に巻こうとはしないほうが身のためだぜ」

そう吐き捨てると男は相棒に顎をしゃくって指示を出す。

「もう一度眠らせとけよ。騒がれたら面倒だ」

相棒が隣の部屋へ小走りで戻っていった。おそらく眠らせる道具を取りに行ったのだろう。

奥野晴明 銀貨 > 「では」

一度息を吸い込みながら、男を見上げて銀貨は言う。

「僕からあなたがたにいくらかの金銭を払うということなら交渉の余地はありますか?」

かといって男は取り合わずに尻ポケットからクシャクシャになった煙草を取り出して火をつける。

「どうせはした金だろう。なんだ、僕ちゃんはどっかの御曹司か何かか」
「ええまぁ、義父が資産家の奥野晴明ですが」
「はは、適当言いやがって。んな嘘に騙されるかよ」

はなから信じまいとバカにした様子で見下ろす。
わざとらしく指に挟んだ煙草の灰を銀貨の上に振り落とした。
やがて相棒が持ってきた筆箱ほどの大きさの銀色のケースを受け取ると
その中身、注射器とアンプルを取り出して不慣れな手つきで薬を吸い出す。

「なぁに眠っていればあとはすぐに別の場所だ。暴れるなよ」

鋭く輝く注射針を見せつけながら銀貨の腕を取ろうとする。
もう一人の男がその体を押さえつけた。万が一にも危害が加えられないようにというのと、男の手元が狂わないようにだろう。

奥野晴明 銀貨 > やめたほうがいいのに、と言いかけて銀貨は口をつぐんだ。
掴まれた腕にひどく下手な注射をうたれ、痛みに顔をそむける。
やがてすっかり薬が流れ込んだのを確認すれば男たちは手を離して床に銀貨を放り捨てた。

頬を床で汚しながらとろりとした紫の目がそれでも男たちを見上げる。
その口が夢見るように動いた。

「一つだけ。

 この島では見た目が女性や子供などの弱者ほど警戒した方がいいんですよ。
 大体が手ひどい効果のある異能や魔術を持つものばかりですから」

訝しげに二人の男が眉を寄せたその瞬間、銀貨の体がばらりと解け、一斉に何かが中空に舞った。
男たちがとっさに拳銃を構えるが、その舞ったものをよく見れば青い羽根を持つチョウチョであった。
チョウチョの群れが狭い廃屋の中に一斉に沸き立ち、鱗粉をこぼしながら男たちのそばをすり抜けていく。

「もう一度だけ、交渉しますけれど」

少年の声が部屋中に響く。やがて蝶たちが廊下に一斉に羽ばたきするすると床の一箇所へ留まる。
折り重なりあった蝶が密集しやがてすっかり銀貨の元の体を構成しなおした。

「今あなた方の依頼者を裏切って、僕の側についたのならば
 あなた方の要求通りの金銭を用意しますしその後の衣食住の保証と
 犯行未遂の罪をもみ消せますよ」

茫洋とした紫の瞳が男二人を射抜く。

ご案内:「スラム」にヨキさんが現れました。
ヨキ > 廃屋の天井の上から、ごと、ごと、ごと、と音がした。
何か重い音が転げるような――いや、違う。それは二足の足音だ。
会話する者たちの声に向かって、真っ直ぐに向かってくる。

部屋中に満ちた蝶の、ひときわ大きく響いた声をしるべに近付いてくる。

屋根を叩いて立ち止まる、鋭い靴音。
天井越しに“闖入者”が吐いた溜め息は、廃屋の中までは届かない。

「止しておけ」

低い声が響くと同時、鈍い音が響き渡って廃屋の天井に穴が開く。
外部との隔たりを貫いたのは、黒いピンヒールだった。

男のうちのひとりの頭に、崩れた壁の破片が直撃する。

駆け引きの一切もなく、まったくの力技で天井をぶち破って現れたのは、黒ずくめの大男――美術教師ヨキだった。

男らと銀貨の間に着地したヨキが、背後の銀貨へ鋭い視線を投げる。

「奥野君。安物買いをするでない」

じろりと二人の男を睨みつける。
怒気を孕んだ金の相貌が、棚引く残像を残して強く輝いた。

奥野晴明 銀貨 > 少年が蝶に姿を変えて消え去ったその派手なパフォーマンスに気を取られ、
どうやら男二人は天井から聞こえる物音まで気が回らなかったようだ。
ヨキが壊した壁の破片が男の頭に降り注げばその衝撃で男は痛みに呻いて地面に這いつくばった。

唐突に現れた大男、ヨキに対してもう一人の男は怒りと警戒を露わに銃を構え
一方銀貨はすこしばかり目を見開いて驚いたように声をかけた。

「ヨキ先生」

見知った教師がまさかこんな場所に現れるとは思ってもいなかった様子で視線を交わすが
男たちへの交渉に一言言われれば肩をすくめる。

「すみません、他に穏便に済ませる方法が思いつかなくて……。
 彼らを生かしておいたまま、この後に島への害なく、犯罪にも走らせないってなると
 どうしてもこういうやり方しかできなかったんです」

そんな二人のやり取りの間に、我を取り戻したのか男が勇敢にもヨキの異形の相貌を睨みつけちっぽけな拳銃をヨキへと振りかざして向けた。

「くたばれぇ!!」

鬼のような形相と決死の覚悟で叫ぶと躊躇なく引き金を引いた。
弾丸がヨキへとまっすぐに撃たれる。

ヨキ > 正面の男らを見据えたまま、後方の銀貨へ声を投げる。
これまで交わした言葉のいずれよりも、ずっと強い怒りが含まれているのが分かる。

「役員の子から、ヨキのところに相談があってな。
 いつまで経っても君と連絡がつかないと」

目立つことを嫌う銀貨とは言えど、連絡のついた形跡さえないと――
それでヨキが動いたのだ。

「……穏便に済ます必要などない。
 ヨキの子に手出しをする者に、微塵の慈悲をもくれてはやらん」

男の上げた叫び声は、けだものにとっては単なる合図だった。

銃声と同時、土埃を舞い上げてヨキが前方へ跳躍する。
ぎん、と金属を弾くような音が響いたかと思うと、軌道の逸れた弾丸が銀貨の傍らの壁に突き刺さった。

発砲した男に迫るのは、頬を弾丸のかすり傷で窪ませたヨキの顔だ。
一筋の傷に廃油のようにどす黒い血を散らして露になった頬骨は、くろがねの色をしていた。

生き物の血液とは異なる鉄錆の臭い、そして風を切る音。

男の小脇をすり抜けて滑り込むヨキの右手から、艶やかな黒刃が現出する。
さながら死神の大鎌めいて反った切っ先が、拳銃を持つ男の首を刈り取らんと閃く。

奥野晴明 銀貨 > 常ならぬ怒気を発するヨキになおも涼しい顔を向ける。
が、男の叫びと銃声、ヨキの音も置いていくような速さの跳躍、
自分の真横を弾丸がよぎっていった瞬間が一挙に襲ってくる。

錆のような匂いに僅かに険しい表情を見せるが、傷を追ったヨキのその後の行動を目で追えば

「いけない」

そう発した声も掻き消えるばかりに再び羽虫の姿形に別れて舞い飛び
男とヨキの間へと立ちふさがった。
男は当然、ヨキの獣じみた速さに立ち向かうことはできない。
必死の形相で目ばかりがその影を捉えるが無防備に銃を構えたまま
驚愕したままの表情で固まっている。

そして黒刃が斬りつけようとしたその瞬間に銀貨の姿が現れた。
両手を広げ、男をかばうような立ち位置。そのまま刃を振るえば男よりも先にその首が飛ぶだろう。

ヨキ > 凝り固まった男の動きが、まるで止まって見えた。
人の肉を泥ほどに柔く切り落とす刃が、銀貨とヨキとの視線がかち合った瞬間にぐんと止まる。
銀貨の首筋にひやりとした空気の感触だけを残して、振るった右手は退けられた。

「……ちッ!」

それは苛立ちと憤怒の声だった。

動作の衝撃で蝶番の緩んだ扉を、咄嗟に足でがつんと打ち付けて閉じる。
殺しはせずとも逃がすまい――あるいは、命を奪うまでの時間に少しの猶予が加わっただけ、とも言う。

声は発さなかった。
ただヨキの冷淡な眼差しだけが、銀貨を睨む。

衣擦れと共に、金属の鋲の擦れる音がする。
いつでも瞬間的に、次の攻撃に移る準備が出来ていた。

奥野晴明 銀貨 > ヨキの振るう刃の風圧が銀貨の首筋と男にのしかかる。
だがそれを受けてもなお銀貨は彫像のような無表情さと涼し気な眼差しでヨキを迎え撃ち
対する男は寸止めされたとはいえ、本当に斬られたと錯覚したのかその場にへたり込んで後退る。
遅れて喉の奥から呻くような悲鳴が漏れ出てきた。

苛立つヨキと塞がれた扉のけたたましい音に多少首をすくめ
少しばかりホッとした様子で再び話しかける。

「ヨキ先生。
 多分、この人は島の外の人です。さらに言えば無能力者でしょう。
 たとえここがいかな無法地帯であり、彼らが暗部のもので犯罪者であっても
 島の外にいるものに手を出されるのは違うでしょう。
 彼らが裁かれる場は島の外での、司法の場です。
 
 このまま、風紀に連絡をして本土に送り返しましょう」

詭弁ではあると己でも自覚はあるが、それでも言葉を絶やしてはならない。
それに、と若干の哀れみと寂しさを含んだ表情で言う。

「ヨキ先生は、人間でありたいのでしょう?
 人は無闇矢鱈と殺しをしません。それは獣のすることです。


 ……先生が殺人を犯すところを、僕は見たくないな」