2018/01/11 のログ
ご案内:「スラム」に時坂運命さんが現れました。
時坂運命 > パラパラと、風に吹かれる度に壁の一部が剥がれ落ちるアパートの一室。
すでに住める状況にはないそこも、屋根があるならネズミが潜む。
一人で生きる力のない者達が寄り添い合う。
そんな、帰る場所を亡くした彼らは、静かに床や段ボールの上に腰掛けて一人を囲んでいた。
円の中心に座るその少女は、絵本を読み聞かせるように穏やかに笑みを浮かべた。

「――この世界は残酷です。
 力なき者は救われず、待っているだけでは誰も手を差し伸べてはくれません。
 仮に特別な力を持ったとしても、その先にあるのは幸福ではないでしょう」

まだ年端もいかぬ幼子は、すぐに言葉の意味を理解できず、不安げに首を傾げる。
少女と同じくらいの年齢らしい彼女は、諦観の滲む目で割れた窓硝子の向こうを見た。
それぞれの顔を見渡して、少女は彼らのリーダーである少年に言う。

「ああ、そんな顔をしないでください。
 私はただ、貴方達を……友を救わんと道を指し示すお手伝いをしたいのです」

鬱陶しいと少年の顔には書いてあるが、それを承知で少女は立ち上がり、少年のもとへと歩み寄る。

時坂運命 > そして、そっと両手で少年の手を包み込み、顔を覗き込んで。

「神の教えを説きましょう。
 神は、貴方達を、人間を愛してくださいます。
 今はまだ貴方達の声が届いていないだけなのです」

微笑む黒衣の少女のその一言に、シンと空気が冷たくなった。
外から聞こえる雨の音さえ消えてしまったかのような錯覚を覚える沈黙だった。

苛立ちを堪えていた少年は、とうとう少女の手を振り払い堰を切ったように声を荒げた。
自分達が今まで、どれだけ助けを懇願したか。
どれだけ希望に縋ったか。
その度に絶望し、足掻き苦しんだか。
少年の言葉はこの場にいる子供たちの思いを代弁したものだ。
怒声に怯えてか、それとも辛いことを思い出したか、一番小さな少女が啜り泣きを始める。
いつもなら慰めてくれる年上の彼女も、今は見て見ぬふりをしている。
黒衣の少女は、その様子に動揺一つ見せずに泣き出した子の頭を抱き寄せ、優しく撫でながら語る。

「ええ、みんなの気持ちはよくわかります。私も同じようなものですから」

時坂運命 >  
「だから、貴方達が救われるための手伝いをしたいのです」

黒衣の少女は、左手で泣くこの髪を梳き、もう片方の手を嘆く少年へと差し伸べる。
それは、妙に落ち着いた、子供とは思えない声で。
慈愛を感じさせる微笑みは、見る者によっては救いであり、あるいは造り物のように感じさせるだろう。
少年にはどちらに見えたのか……。

少年は黙りこんで立ち尽くしていた。
少年は迷っていた。
その手を信じて握る勇気を振り絞れずにいた。
なら――

「怯えないで、この手を取って。貴方達を楽園へと導いて差し上げましょう」

少女は囁く。
――なら、踏み出すためのきっかけを与えてやればいい。

「神を……私を、『信じて』」

たった一言。
その一言で少年は足を踏み出した。
無責任で何の確証もない、信じることなど到底できないはずの言葉なのに、心の隙間に入り込んでくるそれは甘い毒のようだった。
一度味わえば逃れることは難しい。
少年は花の蜜に誘われる蝶が如く、気付けば黒衣の少女の手を取ってしまった。

時坂運命 > 本当に信じて良いのか、自分は、自分達は救われるのか。
不安げに問いかけるその声に何度も頷いて、黒衣の少女は甘い言葉の蜜を与える。

「大丈夫。貴方が神の敬虔なる信徒であるならば、必ず救われます。
 この子も……そして、そちらの彼女も」

窓の外を眺めていた彼女へと皆の視線が向く。
彼女は少しだけ戸惑い目をそらしたが、黒衣の少女に手招きをされるとおずおずと近寄ってきた。
野良猫のような仕草を見せる彼女は愛らしく、クスクスと黒衣の少女は楽しそうに笑う。

「私は神の代行者。救いを求める貴方達が楽園へ向かうための手伝いをしましょう。
 ただ……、願うだけでは救われません。」

「私には天啓……神様の声が聞こえるんです。
 だから、神様の望まれた事をなさねばなりません。
 どうか……みんなが敬虔なる信徒となり、その手伝いをしてくれるなら、
 神様は貴方達を愛し、祝福してくださいます」

少女は握った手を離し、指を絡め組んで、祈るように子供たちに願った。
一番に頷いたのは少年で、つられて一番幼い泣き虫の子が、最後に猫のような彼女が頷く。
黒衣の少女は、全員が頷いてくれたことに心から感動したように瞳を滲ませて言った。

「ありがとう……っ!」

時坂運命 > 一度冷え切った空気が、一気に暖まったのを感じる。
手を握り合って約束を誓い合う少年少女達。
フィルムに収めるならタイトルは「友情」で決まりだろう。
まぁ、残念ながらカメラマンはいないのだけれど。

まだ迷いのある者もいるが、この様子なら一晩で簡単に懐柔できる自信はある。
子供は心身の脆さがあるので、数を増やしてもそれほどの戦力にはならないが…
こうしてただ手駒に加えるだけなら楽な対象だ。
特に、彼らのように何か渇望するものを持った者は落としやすくて良い。

……ああ、何も嘘は言っていない。
だからこれは善行なんだ。
僕はただ、彼らに一番楽な救いの道を一つ教えてあげるだけだ。

彼らも直に考えることをやめて、神の使途へと変わるだろう。
怯えることも、迷うことも、疑うこともしなくて済むようになるだろう。
そして、そのまま――

時坂運命 > 「それで、何をしたら良い?」

少年の声で飛んでいた思考を呼び戻す。
一拍の間をおいて、黒衣の少女は言う。

「簡単です。今度、大通りへ行く時にでも、これを持って行ってください。
 そうですね……場所や日時は貴方達に任せます。
 それを持って行ったらこの番号に連絡をする……それだけです」

そう言って差し出されたのは、鍵の掛った小さな小箱。
中はずっしりとした重みがあるが、運べないほどでもない。

「それだけ?」

「ええ、それだけですよ? ね、簡単なお手伝いです」

少し拍子抜けしたように眼を瞬かせる少年にそれを手渡す。

「とても大切な物ですから、絶対に落としてはいけませんよ?」

「わかった」

いぶかしげに首を傾げつつも丁寧に箱を持ち直し、そーっと床に置いて、他の二人には触らないようにと注意をする。
そんな三人の様子を眺め、一瞬だけ目を伏せた。
それに気付く者はいない中、夜は更けて行く。

「さぁ、お話しをしましょう。
 今までの貴方達のことを、もっともっと教えてください。
 私に聞かせてください、大切な皆のことを――」

時坂運命 > 後日起きる悲劇を知るのは自分ただ一人。
子供を使った爆破テロ。
規模は大したものではないが、死傷者は多数出ることになる。
目的も首謀者も不明。
テロに加担した子供達が語ることはない……。
唯一わかるのは、彼らが神を信じ、死の向こう側、楽園へ至る『救済』を得たことだけだろう。


楽しげな彼らの声と重なるように、
遠い時間の先でカチリと歯車が噛み合った音を聞いた。
これで天啓は叶う。
彼らの犠牲の上に。

「……どうか、君達に主の救いがあらんことを」

寂しげに呟いた声は、誰にも届くことはなかった。

ご案内:「スラム」から時坂運命さんが去りました。