2015/07/08 のログ
ご案内:「研究施設群」に狛江 蒼狗さんが現れました。
狛江 蒼狗 > 静かな夜だ。
梅雨前線が北上しつつあり天には怪しげな雲が搖蕩っていたが、織姫彦星は無事出会えたのだろうか。
俄雨は降ったらしい。研究区のタイルの路面は湿っていた。
「………………」
立ち並ぶ研究棟の、色気のない幾何学的な四角窓の面々は疎らに灯っている。
夏も近づき、学会のため根を詰めている研究員、生徒は多いのだろう。
一つとして灯りのない棟の前で、蒼狗はぽつりと佇んでいる。

狛江 蒼狗 > 「命日か」
命日とは葬儀を執り行った日のことであったか、それとも死んだその日のことだったか、いまいち憶えていない。
前者であれば明日か明後日あたりだろうし、後者であれば昨日のことだ。
どちらにしても、狛江蒼狗は大事な人達の命日には立ち会わなかった。
ただひたすらにそこに一人で立ち尽くし、死んだような東第三棟を見詰めている。
夜も更けて静寂も深まり、自分だけが世界から切り離されたように感じられた。
否、自分だけが、というよりも。自分とその東第三棟が、だろうか。

狛江 蒼狗 > 《ホワイトビースト》事件から丁度一年だ。
数多の謎の抱えたその事件のために、ほとんどそのためだけに、この一年間を過ごしてきた。
「………………」
だというのに、それが信じられないでいる。
“事件”が起こった事も、もう一年が過ぎてしまった事も、ここでこうして一人立つ自分の事も。
何もかもが気怠い夢のように感じられる。
目を瞑って開けば、何もかも幻になってあの頃へ戻れるのだと。
「………………ふぅ」
(そんな事は有り得ない)
頭の中の冷静な部分はそう思っていても。
どうしても心のどこかが、後ろ向きな逃げ道を作るのをやめてくれない。

狛江 蒼狗 > 街路灯に凭れ掛かる。頭上にはガス灯めいた装飾が成されたLED灯が燦々とした輝きを注いでいる。
「………………」
かさり、と鞄から一枚の紙を取り出した。四つ折りのそれを拡げて目を通す。
科目名が日時順に羅列されていて、右端には自分で打った赤ボールペンのチェックがある。
一番上から一番下まで。
現代魔術理論発展Ⅲ(前期)から、結界学Cまでだ。
テストは全て受け終わった。
殆ど準備をしていなかったにもかかわらず、連日の一夜漬けの成果もあってか出来は良い。
自己採点でも単位修得のラインを余裕を持って突破するだろうとの見立てが出た。

狛江 蒼狗 > 進級はきっと滞りない。
狛江蒼狗の時は、砂の湿った砂時計のように、ひっくり返しても進まなかった。
周囲の時の経過で砂は乾きはじめ、正常な時間をすり落とし始めている。
プリント用紙に皺が寄る。力の入り過ぎた手を諌めるように、深呼吸をした。
「………………」
空を見上げる。雲がかかっている。星は見えない。

狛江 蒼狗 > 「………………幸福か」
最近に、いつか、口をついて出た言葉が無意識に引っ掛かっていた。
“元々あった筈”の幸せに固執して“事件”について追い縋る。
状況が移り変わり、別の幸せが見えてきたのならば、どうだろうか。
それでも意見を変えずに、“終わった事件”を追い続けるのは正しい行いなのだろうか。
誰一人として、“E-3事件”になど気を配っている人間などおらず。
それの秘密を暴いても、既に抹消機密となったそれは公安委員会側が認めることもないだろう。
もしも“真相”が見つかっても自己満足でしかない、ほとんど。
「……………………」

狛江 蒼狗 > 狛江蒼狗は、《ホワイトビースト》が一体何であるか、そして誰であるかを知っている。
事故扱いとして処理されている《ホワイトビースト》事件が、事故ではないことも、“E-3事件”と繋がっていることもだ。
決定的証拠もなく、その情報も歯抜けで新たな情報は得難い。
そして一人で調査以上の何ができるわけでもない。
(兄様が生きているかもしれない)
断片的な情報と自らの記憶から、そう確からしい結論が出たとしても、足取りも追えない。

空気は霧が出たかのように湿っている。
それが重たく纏わりついているような錯覚をおぼえた。
凭れ掛かっていた街灯から離れて、呼吸をする。
鞄にくしゃくしゃのプリントを為舞って、缶コーヒーを取り出した。
自販機で適当に買ったものだ。ホットなので、まだぬくもりが残っている。

狛江 蒼狗 > スチール缶の温度は人肌よりも高い。
かしゅ、とただプルタブを起こすだけの音が大きく周囲へ響いた気がした。
口をつけて、無糖のそれを味わう。
フィルターに粉を入れて湯を注いだものよりも口当たりがまろやかなのは企業努力だろうか。
それとも、自分が下手なのだろうか。
「………………ふぅ」
(決断をしよう)
願いの叶う日を過ぎたいまに。
全て擲って、“特雑”で無駄な作業に時間を費やすのもやめて、過去の事は苦い思い出として心の底へ沈めて。
『何もかも自分が納得できるように』という考えを捨てて、前を向いて歩くか。
缶を傾ける。
缶の内側の液体は、飲んで嵩が減るたびに温度を低くしていく。
残り一口となったときには、舌に冷たさが広がった。

狛江 蒼狗 > 「………………」
東第三棟と向き合う。
一年前に閉鎖されたまま時を保存されたそこは、そう遠くない未来取り壊され新しく生まれ変わるだろう。
その時こそ、全てが闇の中に沈んだ時だ。
“E-3事件”は抹消機密として公安内部で処理され、《ホワイトビースト》事件のみを明るみに出して情報を捜査した。
しかし、その断片は未だこの常世島の内部で燻っている。
しかし、その断片は二度と明るみに出ることはない。
執念をもって噛み付き続ける者が居なければ。
「………………たとえば、いま、諦めたとして」
満面の笑みでこれから先を過ごせるか。最近に知り合った者達へ曇りのない顔を向けられるか。
背を向けることはできない。
自分が大好きだった者達を死に追いやった原因を突き止められるのが自分だけなら。
「…………」
猶予は少ない。
卒業をすれば、将来に狛江神社の宮司となるための修行が待っている。
その将来像を否定するつもりもなければ、拒否するつもりもない。
ただ、乗ってしまえばレールの上だ。
好き勝手をできるのは、いま、あと卒業するまでの一年半かそこら程度。

狛江 蒼狗 > 「もう少し」
地盤は整っている。
公安内でのマークも随分薄くなった。
“特雑”としての狛江蒼狗が板についてきたとも言える。
いまならもう少し踏み込むことができるかもしれない。
たとえ“抹消”された過去の機密を漁ることは不可能だろう。
けれども不可解なことは、《ホワイトビースト》事件の少し前から起こっていた筈だ。
事件そのものの詳細を調べることは不可能でも、その前や後に起こったことならば。
ずっと、“飼い殺し”のまま公安に噛り付いていた成果が。

「…………久しぶりにやってみるか」
空になったスチール缶を掌の上に乗せ、軽く握る。
握ったまま伸びをして、首、肩、腰、膝、肘、足、手首の関節から無駄な力を抜く。
両手を上に、それから下に。抜筋骨。前屈と後屈を併せた運動。
調息し、瞑目する。膝を抜き、地へ体重を預けた。

狛江 蒼狗 > 左掌の上にスチール缶を乗せる。右掌でスチール缶の上部を押さえる。
挟んだまま、胸元で合掌するようにそれを持ってくる。
「……………………」
かしゅん、と、乾いた音が大きく研究区へ響き渡った。
蒼狗の胸元で両掌は合掌されている。
「……………………ふぅ」
手を開くと、扁平に畳まれたスチール缶がそこにある。人間万力の芸であった。
「1年……」
それを摘んで歩み始める。道中の、自販機備え付けのゴミ箱へそれを入れた。
「成果は十分に出ている。あとは、結果だけ……」
呟いて、自販機で新たにコーヒーを購入した。ホットで、無糖。
がこんと落ちたそれは、掌に確かな熱さを伝えてくる。
そのまま飲みながら、常世寮への帰路を歩くのだった。

ご案内:「研究施設群」から狛江 蒼狗さんが去りました。