2015/09/16 のログ
ご案内:「第一演習場」に霜月 零さんが現れました。
霜月 零 > ふぁ、とあくびをしながら訓練場に顔を出す。
今日もいつも通りの三刀持ちであるが、空いたスペースで抜いたのは小太刀二刀だった。

「さて、と……」

狙いは、小太刀の感覚の調整。
小太刀は片方だけ新調したので、余計にバランスが怪しくなってしまっているのだ。

霜月 零 > 小太刀を抜き放ち、上段からの打ちを想定して上段に向けて二刀を交差させる。
そして、そのまま二刀を跳ね上げて想定した打ちを弾き、そして交差するように二刀で斬り付ける。

――心形刀流『鷹之羽』

……だが、形はしっかりと出来たものの、むむ、と首をかしげる。

「……これじゃあ微妙だな」

そして、ボヤきと溜め息。

霜月 零 > 霜月流は、正面突破の剣風を持つ一刀流系列などと違い、根幹は相手の打ちに立ち変わり打つ新陰流や、相手の剣を退かせて打ち込む天然理心流などに剣風が似ている。
汎用性を上げる段階で正面突破の剣風を取り入れはしたものの、二刀は元々の剣風が強く残っている。
活人剣。
敵を生かすという意味ではなく、活かす。つまり、敵の打ちを利用して隙を見出し打つのが霜月流二刀剣術なのだ。
それを踏まえて……

「一人でやってもなあ……」

相手を用意できない一人稽古が、かなり効果が薄いのである。

ご案内:「第一演習場」に白椿さんが現れました。
霜月 零 > そもそも間合いの短い小太刀は守りに優れる。
その二刀となると、守り、受けからのカウンターに特化するのは当然と言えよう。
そんな小太刀二刀術の稽古の上で、一人稽古の効果の薄さを今更ながらに実感したのである。

「クッソ、親父は偉大だったな……」

嘆息する。
実家にいる頃は、当然のように父親が稽古をつけてくれた。
時に零の実力に合わせ、時に突破すべき壁として力を入れ。
良き師であったことを今更ながらに思い知る。
それを思うにつけ、今の相手のいない稽古がむなしく思えてしまうのだ。

「不凋花の申し出はホントありがたかったよな……」

不凋花ひぐれ。一人稽古をしているときに、自分の稽古に付き合うと言ってくれた剣士。
彼女の申し出はありがたいものだったと、これまたしみじみと感じ入るのである。

白椿 > ふむ、学業などあまり関係のないと思っておったが……なかなかに面白いところであるの
(明らかに場違いな格好の狐。
先日、風紀委員にあった関係で、学校自体に興味が湧き、適当にほっつき歩いているのだ。
……明らかに目立っているのだがあまりに平然としているため、来客なり見学者なりと思われているのだろうか
不審者としては通報されていないようだ。

狐にとっては許可の有り無しはさほど関係なく何処にでも入り込めるため、興味が湧けば学校の何処にでも
見物に来ていた)

霜月 零 > 仕方なし、と型を演武する。
右足を後ろに引きながら左右同時に抜刀、そのまま左で上段への打ちを受けながら右で突く。今後は右を踏み込みながら右で上段への打ちを受けて左で突き、そして左を踏み込みながら左で上段への打ちを受けて右で突き。
その後右で一歩前に出ながら反転、左右からの袈裟懸けを両刀で受けながら右中段前蹴りを放ち、着地しながら今度は相手の額を挟み込むように両刀で打ち。
打ったら即座に両刀を中段平行構えに戻し、左に向き直りながら左刀で上段薙ぎ払い、引いて即上段突き。そのまま後ろに向き直り、右刀で上段薙ぎ払い、引いて即上段突き。
そこから左に向き直って左刀で中段を払い右刀で上段突き。右で踏み込み右刀で中段を払って左刀で上段突き。左で踏み込み左刀で中段を払って右刀で上段突き。
そのまま回転し真正面に右足を前に出しながら向き直り、まず右刀を刀に納め、右足を後ろに引いてから左刀を納める。
その後右足を戻す形で普通の立ち方に戻り、礼。
小太刀二刀の基本を学ぶための型『睦月』である。
で、その睦月を演武し終わった後……つい、と目を向けて声をかける。

「で、見てて面白いかい?」

流石に剣士、気配には敏感。
特に何かしてくるでもないので放置して型はしっかりとこなしたが、終わったので声をかけてみる事にしたのだ。

白椿 > うむ、善き哉。
鍛錬はいつ見ても良いものであるの
もっとも、ずっと見ておると飽きるものではあるがえ。

久方振りであるの。
何やら少し物足りなさ気ではあるの?

(そう言う手持ち無沙汰であるところは狐も同じなのだがそれはそれ。
先日以来なので会釈方々挨拶、ふふ~んという感じで見ていたようだ)

霜月 零 > 「まあ、こういうのは一人でやってもな……」

実戦的な稽古が出来てない、と言う物足りなさが態度に出ていたのだろうか。
まあ、隠すことでもないので素直に口にする。

「で、そういうお前はこんなところに用事があるタイプに見えなかったが?」

皮肉でもなんでもなく、純粋な感想としてそれを口にする。