2015/09/26 のログ
■日下部 理沙 > 「!?」
肩を叩かれた瞬間、びくりと、理沙は肩を震わせながら、少女を見た。
見開いた目に映った少女は見知らぬ少女であったが、それは理沙にとっては細かく確認している暇はない。
極限まで集中していた為か、はたまた人に話しかけられること自体、普段滅多にないせいか。
いずれにせよ、理沙からするとそっと肩を叩かれた上、至近距離から囁かれるなど、寝耳に水どころの騒ぎではない。
まるで背中に氷柱でも捻じ込まれたかのようなサプライズである。
「すすすす、すいません、すぐに引っ込めま……!」
そのうえ、頂いたお言葉は注意というか、苦言である。
自分が見知らぬ誰かの邪魔をしてしまったという引け目も相俟って完全にテンパる。
引っ込めるつもりが、逆に端まで広げた翼がさらに大きく広がって、そのまま強かに扉にぶち当たり、理沙に追撃を加える。
つい悲鳴をあげそうになるが、視界の端に映った「お静かに」という立て看板を見て何とかそれは飲み込む。
飲み込むが、蹲る。
背中に直接くっついてるそれはしっかり神経も通っているので、角をぶつけると、とても痛い。
足の小指の痛覚並に要らない機能だと理沙は常々思っている。
■茨森 譲莉 > 声をかけると、翼の少年は慌てたように目を見開いて謝る。
あ、そんな焦らなくても大丈夫だから、と声をかけようとした矢先、
引っ込めると言った翼が大きく開く、それが鈍い音と共に壁にぶち当たるのと同時に、
目の前の青い瞳の少年は痛そうに蹲った。なんていうか、箪笥の角に小指をぶつけた人みたいに。
ちゃんと痛覚あるんだな、翼って。
そういえば漫画とかだと毛づくろいされると大変宜しくない事になる事が多かった気がする。
いや、漫画が正しい事を描いてるとは一切合財思ってはいないが。
一瞬彼が見た方向には、先にアタシが見たお静かにという看板がある。
……あれが見えたから、ちゃんと声は出さずに我慢したんだな。
「あの、大丈夫……ですか?」
良心1割、罪悪感9割でそう声をかける。
いきなり声をかけたのは失敗だったよ。目つきが些か悪いからね。アタシは。
パンフレットによると、順路は間もなくゴールにたどり着く。
この扉の先にあるのはお土産屋にも、休憩所にもなっているエリアらしい。
そういう場所は観終わった人間が積極的に意見を交換したりする場所にもなっている。
ダメそうならそこで休ませればいいだろう。
翼をぶつけた痛みがどの程度の物なのかなんて、アタシには分からないし。
■日下部 理沙 > 「だ、大丈夫です……ありがとございます……」
何とかそう返事をしながら、立ち上がる。
翼はまだ痛むが……それ以上に、それとなくこっちを見ている他の客の視線が痛い。
悲鳴はなんとか抑え込んだとはいえ、ドタバタと音を立ててしまったことに違いは無いのだ。
進路妨害と併せて完全なマナー違反である。
罪悪感からつい翼も萎れて垂れ下がる。
当然、少女の方にも視線は突き刺さる。
世間は身勝手なモノで、こういう事があれば、一緒にいる奴も仲間であろうとみなして十把一絡げに扱う事も珍しくない。
今回も恐らくそういう事例であろう。
理沙には良く覚えのある光景であった。
そんなものだから、余計に罪悪感が募った。
他のお客さんに対してもそうだが、それ以上に目前の少女に対して。
「すいません、御迷惑おかけしてしまって……」
謝りながら、そそくさと順路を空ける。
といっても、この先はもう出口だった。
初めてそれに気づいた理沙は、これまた申し訳なさそうに翼と首を垂れさがらせた。
出入り口を今の今まで塞いでいたわけである。まさに迷惑千万だ、
■茨森 譲莉 > 「……いえ。」
短くそう返して、その翼の少年を制する。
周りから向けられる視線に静かに頭を下げると、
脇に避けるくらいならもういっそ外に出た方が早かろうと、出口から外に出る。
美術館ではお静かに、だ、こうして喋っている間にも、その視線の刺々しさは増していく。
先に大きな音を立てた上に延々としゃべっていては、出口で気が早くもはしゃいでいる学生二人に見えなくもない。
制服で来たせいで友人と思われているのかもしれないと考えて、制服のままふらふらと来たことを後悔したが、
冷静に考えればこの島に居る以上はほぼ全員が学生である。どちらにしても無駄な努力か。
まるで動物の尻尾か何かのように動く翼を後目にみつつ、少しばかり脇に避ける。
「―――別に気にしなくていいわよ。
どっちにしても外に出れなかったし、誰かが声をかけないとダメだったでしょ。
アタシのほうこそ、びっくりさせて悪かったわね。」
外に出ると、その静寂の魔法も解ける。
詰まった息を吐き出すようにハァと息をつくと、改めて少年に声をかけた。
クソうるさい繁華街とまではいかないにせよ、大騒ぎしなければ普通に会話する程度なら問題ないだろう。……多分
「なんでこんな場所に来たの?……美術関係の人?」
向こうが下手に来てるのに変に畏まっているとむしろ委縮させる。これはアタシの経験則だ。
雑な口調よりも丁寧語で怒られるほうが怖い。あくまで、個人的に。
■日下部 理沙 > 視線に追い立てられるように、少女の後を追うように理沙も外に出る。
流石に土産物を置いている休憩スペースともなれば、静寂に対する制約も同調圧力も働かない。
並んで会話ができる程度のゆとりを感覚的にも間隔的にも取り戻して、ようやく理沙は目前の少女をよく見ることができた。
赤毛が特徴的な、鋭い視線を持った少女。
背丈は理沙より少しばかり小さいが、女子としてみれば少し背が高いほうか。
口調は乱暴ではあるが、気安く声をかけてくれる少女の声色に、怒気は感じられない。
それは理沙にとってもありがたいことではあったが、いずれにせよ、理沙の答えは決まっていた。
「それでも……すいません、その、『誰か』にしてしまって……」
それだけは、紛れもない事実である。
自分の不手際で貧乏籤を引かせてしまったのだと思うと、なおの事申し訳なかった。
その申し訳なさからか、質問に対する返答は迅速かつ、素直であった。
「いえ、ただ、下宿にきてたチラシに割引券があったから、なんとなく。
……美術の授業課題もありましたので、参考になればいいかな、くらいで。
そしたら、思った以上に素晴らしい作品が一杯あって、驚きました。
特に最初のフロアにあった彫刻。
あんな形なのに触っても大丈夫な展示品で、しかも壊れるどころか倒れもしないというのは本当に……」
そう、思ったままの事をつい口にしてしまう。
理沙は夢中になると割と喋るほうであった。
「……あ、すいません、ちょっと、質問と関係なかったですね。
とりあえず、美術関係ではないです。ごめんなさい」
■茨森 譲莉 > なるほど、自分と似たようなものか、と納得する。
どうやらあのチラシはそれなりに幅広く配られているらしい。
学生ばかりの街には美術館なんてニッチな産業だろうに、ご苦労な事だ。
とはいえ、この美術館ではその立地に即しているのか学生も楽しめるような工夫も凝らされていた。
目の前の少年の話していた彫刻もその一つだ。
触れてもいいどころか、ある程度力を入れてぐいぐいと押してもいい。
当然、その区画は完全な静寂、というわけでもなく、ある程度会話も許される空気が流れていた。
当然、静かに見て欲しい作品の傍には「静かに」という看板が立てられている。
そのあたりは学生がよく訪れる美術館らしい工夫だと言えると思う。体験エリアというやつだ。
「ああ、確かに、あの彫刻はすごかったわね。
大丈夫って言われても、ちょっと躊躇しちゃったわ。
さわらなくても倒れそうなのに、さわったら絶対倒れるでしょって。
でも、力を入れてもびくともしなくて、ちょっと意地になって押しちゃったわね。
あれ、この常世学園っていう場所をモチーフに作ったものらしいわ。
………どんなに危ういバランスで立っていても、押しても引いてもビクともしない。
そんなこの場所をイメージした彫刻、なんだそうよ。
侵入して壊そうとした思想犯も居たんだけど、結局いつまでも壊れず、倒れずに立ってるらしいわ。
ま、パンフレットの受け売りだけど。なかなか洒落がきいて………って、美術関係の人じゃなかったのね。」
夢中で喋ってるからそういうの好きなのかと思って思わず熱弁してしまった。
顔が少し熱くなるのを感じるが、別にいいかとため息をつく。
「……異邦人の先輩が作った作品を見て、参考にでもするのかと思ったわ。」
少年の翼に視線を送りながら、ポケットに手を突っ込んで歩く。
そこには手に馴染んだあの感覚はない。美術館に入るときに武器類は没収されてしまった。
やや暗めの照明であるが、目当てのモノはすぐに見つかった。
硬貨を入れると、ボタンを操作する。ガコンと音を立てて、パック入りの飲料が転がり出てくる。
空調の整った中をゆっくりと作品を見てようやく出てきたのだ、多少喉が渇くのは当たり前の事で、
こう喋るとなるとその喉の渇きが気になって仕方がない。
備え付けのストローを突き刺すと、アタシはその中身を一気に吸い出した。
■日下部 理沙 > 「なるほど、この学園をモチーフに……それは確かに、面白いですね」
首肯しながら唸る。
パンフレットは理沙も見ていたのだが、最初の方の作品は実物を見るのが忙しくて細かい所まで読んでいなかった。
なので、少女に言われた解説は新鮮かつ、面白い内容だった。
歪で、華奢で、不安定にみえても、それは結局のところ「普通の人間」の感性なのだろう。
そういうものになれている人間からすれば……それこそ、あの彫刻を彫った異能者の感性からすれば、それは「ただの必然」なのかもしれない。
水の上を歩ける人なら、誰かがガリラヤの湖上を歩いて渡ったところできっと何も思わないだろう。
水の上を歩けない人からすればそれは紛れもない奇跡であり、驚くべきことではあるのかもしれないが、それが普通にできるなら、そんなものは取るに足らないことなのだ。
もしかしたら、そういった認識の隔絶すら風刺しているのではなかろうか。
などと、熱心に語る少女につられて、理沙が心中で慣れない美術考証などをしていたところ、不意に少女に声を掛けられて。
理沙は、困ったように、少しだけ、眦をさげた。
自販機からジュースのパックが吐き出される音にあわせて、理沙は首を振り。
「参考にしようと思いましたけど……できそうにないです。
私は、『異邦人』ではないので」
少女がジュースを飲んで一息ついたところで、また頭を下げる。
「やっぱり、『異邦人』に見えますよね。なんか、紛らわしくてすいません」
■茨森 譲莉 > 「異邦人じゃない……?」
思わず、ストローから口を放す。
空気を吸い込んだジュースがプア、と小さく抗議の声を漏らした。
どうやら半分くらいはアタシの胃に納まったらしく、微妙にたぷたぷとする。
少しばかり、顎に手を当てて考える。
異邦人と異邦人の子供。あるいは、異邦人と現地人のハーフというのは、
この世界ではなんと言うのだろう。外から来たら異邦人、ならば、この世界で最初から生まれたら。
―――異邦人ではない、という事になるんだろうか。
「それじゃあ、その翼は?もしかして、親が異邦人だったりするの?」
いや、別に謝る必要は無いのだが、まったくもってよく謝る少年である。
アタシより背が高いし、翼の存在感もあって体躯で見れば相当に大きいはずなのに、
その気質のせいか、随分と小さく見える。………何だか、こう、少しやりにくい。
何となく虐めているような罪悪感を感じて、髪に手をやった。そのまま毛先をくるくると弄る。
もさっとした髪は、くるっと指先に巻かれる。素直じゃない癖に、長いものには巻かれるアタシの長い友人だ。
「答えたくないなら、答えなくてもいいけど。」
ハァとため息をついて、改めてジュースに口をつけて彼の反応を待った。
■日下部 理沙 > 少女が一息ついたのを見計らって、理沙は首を振った。
答えたくないわけではない。
最初から隠しているわけでもない。
隠したところで何の意味もないどころか、他の人に失礼だし迷惑だ。
異邦人にも迷惑だし普通の人にも迷惑だろう。
だから、理沙は素直に口にした。
「これは、異能で五年前に生えた翼で……異邦人の方々の持っているような、生来のものではないんです。
だから、私は異邦人じゃないんです……彼らの真似は、出来ません」
そう、申し訳なさそうにいった。
まるでそうする事が生来滲み付いているかのように。
自分に関わる咎とみれば、それは己の咎であると、どこか嘯くように。
■茨森 譲莉 > 「ふぅん、なら、異能者なのね。」
そんな異能もあるのか、と納得する。
異能なんていうのは千差万別で、どんなものでもあるというのは、
この美術館の作品も見た後ならばするっと納得できることだ。翼くらい生える事もあるだろう。
もっとも、異邦人という事を断固として隠したいが為に、この少年が嘘をついている可能性もある。
とは言っても、今日知り合ったばかりのこの少年が嘘をついていようがいまいが、アタシには関係の無い話だ。
飲み終えたジュースのパックを並び立っていたゴミ箱に放り込む。
手から離れた髪の毛は、癖に従ってくるりんとうねった。
翼が生える異能、という事は、その翼を使って何かをする異能なんだろうか。
真っ先に思い当たるのは、つい先日みたような、空を飛ぶ異能だ。
だとすれば随分と羨ましい話だ、空を飛ぶのは、人類の夢だと思う。
「―――なんか申し訳なさそうにしてるけど、別にそんな必要はないんじゃない?
だって、ここ、異能学園なんでしょ?こんな美術館まで出来てるくらいだし。
それなら、むしろ申し訳なさそうにしないといけないのは、アタシみたいな何も出来ない無能力者じゃない?
ここは異能者が居る場所で、アナタは異能者。なら、ここはアナタみたいな人の居場所でしょ。」
申し訳なさそうな態度がどうしようもなくイラつく。
そんなアタシの口からは思わずつんけんとした言葉が漏れるし、鼻をフンと鳴らしてしまった。
美術品の数々をみたアタシの心で渦巻いていた、何とも言えない感情。
それはきっと、異能者への憧れと嫉妬なんだろう。
だからこそ、こうして異能者が目の前で申し訳なさそうに
「実は異能者なんです。」なんて言っていれば当然腹が立つ。それだけのことだ。
アナタが異能者で何の問題があるの。ここは異能学園でしょう、と。
■日下部 理沙 > 俄かに苛立ち始めた少女の物言いに、理沙はたじろぐ。
青い瞳を揺らして、それでも、表情は変わらない。
ただ、翼だけが力なく垂れ下がる。
「そうですね……ここは、異能者がいる場所で、異能者の為の場所ですよね。
何かが出来る、異能者や……異邦人と……それを許してくれる普通の人達の居場所、ですよね。
この美術館も……そうですもんね」
彼女のいうことは、尤もだと思う。
ここは、異能者の学園で。ここは、異能者の為の場所だ。
そして、それを受け入れる普通の人達……一般という名の圧倒的多数に許されて、存在できている。
だから、今回のような催し物も盛況している。
畏れられず、受け入れられている。
受け入れられる土壌にあるからこそ、外の異能者の多くがこの島に訪れた。
かくいう理沙もそのうちの一人だ。
だから、彼女の指摘は間違っていない。
何も間違ってない。何一つ反駁のしようもない。
故に、その言葉は何よりも深く突き刺さり。
何よりも、深く『経験』してきた……道理だった。
「だけど、ここが『私の居場所』なのかどうかとなると……」
だからこそ、『居場所』の問いで……理沙に準備できる言葉は、いつだって。
「ごめんなさい……『どれでもない』私には、わかりません」
それしか、なかった。
■茨森 譲莉 > ここは異能者の学園で、異能者や異邦人の居る場所だ。
そして、それを当たり前に受け入れる常識が存在する場所でもある。
だからこそ、アタシには目の前の青い瞳の、翼の生えた異能者の少年の反応が理解できなかった。
この少年は異能者で、アタシは無能力者だ。それ以上でも、それ以下でもない。
―――それなら、この少年の「どちらでもない」という言葉は、一体どういう事なんだろうか。
異能で翼が生えたらしい間違いなく異能者であるのに、なぜ、そんな事を言うんだろうか。
………そんな事は、アタシにはわからない。
「あなたの言ってる事、全然、これっぽっちもわかんないわ。」
ギリッとアタシの歯が音を立てる。
ここは美術館だ、いくらギャラリーの外で、ある程度許されている環境だからといって大声を出すわけにはいかない。
静かに、という看板が瞼の裏に大量に浮かび上がって、やがて消えた。
大きく吸い込んだ息が、風船から空気がぬけていくように口から漏れて行った。
小さく息を吸い直して、改めて口を開く。
「……全然、わかんないわ。
異能者なのに、どれでもない、なんて。」
壊れたレコードのように繰り返し、せき込むようにそう呟く。
初対面の相手に深く事情をききこむわけにも行かない。
当然、怒鳴るわけにもいかない。アタシのこの振り上げた拳はどこに振り下ろせばいい。
乱暴にポケットに手を突っ込む。眉間に皺が寄って、きっと今のアタシはさぞ怖い顔をしてるんだろうな。と思う。
「アナタ、名前は?」
アタシが出した結論は、まずは名前を聞く事だった。
知らないコトは、知ればいい。これから、ゆっくりと時間をかけて。
■日下部 理沙 > 彼女の表情は、苛立ちに満ちていた。
「わかんない」と拒絶の言葉を語り、歯軋りを鳴らす彼女。
理沙はそれを見て、目を細めてから……どこか、落ち着いた口調で、口を開いた。
「日下部、理沙……です。一年で、九月からの新入生の」
目前に居る少女のその苛立ちに、最早理沙は震えなかった。
ただ、その叱責を受けて……理解から遠ざかる言葉を受けて……理沙はただそうした。
表情豊かに眉間に皺をよせ、怒声を抑えて唸るように語る少女。
その目を覗き込む、理沙の蒼瞳。
その瞳には、ただ、少女の貌だけが映っている。
理沙は真っ直ぐ少女を見て、ただそう名乗り。
小さく、頭を下げた。
ただまた、謝る様に。
■茨森 譲莉 > 「アタシは譲莉、シノモリユズリ。交換留学で、9月からこの学校に来てるわ。
………新入生同士仲良くしましょう。日下部理沙くん。」
名前を交換したとしても、この翼の生えた青い瞳の少年。
日下部理沙との距離は一切近づいた気がしなかった。
アタシの顔をじっと見て、頭を下げる様子を見て、思わずチッと舌を鳴らす。
この態度、この眼、この雰囲気。外の人間と、元居た学校の奴らと同じだ。
常世学園の人間とは違う、常識という枠に囚われた、外側の人間。
全てが受け入れられる事が無い事を知っている、アタシの同類。
「とりあえずそうやって頭下げるの、やめてくれるかしら。」
悪い事も何もしていない人間から頭を下げられるのは、正直いい気分じゃない。
アタシは、思わずハァとため息をついた。
「………別に、怒ってはないから。」
何度元の学校で言ったかわからない言葉を吐く。
そう、ただ、イラついてるだけだ。日下部理沙のこの態度に、意味の分からない発言に。
小さく鼻を鳴らして、床に置いてあった鞄を蹴りあげるようにして手に取る。
ゆっくりと見て回った事もあって、間もなく閉館の時間らしい。
館内には閉館を告げる曲、蛍の光が流れ始めていた。
アタシは、この曲が嫌いだ。
帰る場所が無くても、ここはお前の居場所ではないと言う様に否応が無しに追い出そうとしてくる。
………そんなひたすらに残酷なこの曲が。
■日下部 理沙 > 「すいません、性分なもので……」
何度いったかわからない言葉を呟きながら、理沙は頭をあげる。
ただ、そういって、頭をあげながら。
理沙はただ……『安堵』した。
茨森のその舌打ちと、言葉に……ただ、諦めにも似た、落ち着きを感じていた。
その態度、その眼、その雰囲気。
それは理沙にとっては、どうしようもない『日常』で、どうしようもない『今まで』だった。
これは、常世島の外での『理沙の日常』でしかない。
理沙は異世界人ではない。
理沙は人間でもない。
でも、理沙は異能者なのだろう。
なら、なぜ異能者たらんとしない。
なぜ、異能者であると胸を張らない。
それは理沙にとっては『言われ慣れた叱責』であり。
理沙からすれば、その期待に応えられない自分の咎でしかなかった。
胸の奥を焦がしながらも……『郷愁』すら感じる、日常であった。
「それでも……今日は、嫌な思いをさせて、すいませんでした」
館内に流れ始めた、その曲を耳にして……理沙は茨森から背を向ける。
向かう先は、出口。その大きな翼を窮屈そうに畳みながら、外に出ていく。
『居場所に帰れ』と急かすそのメロディから、逃れるように。
「さようなら……茨森さん」
振り向いたりは、しなかった。
いや……できなかった。
ご案内:「国立常世新美術館」から日下部 理沙さんが去りました。
■茨森 譲莉 > その場から立ち去る青い瞳の翼を生やした異能者の少年。
その背を、その翼を手を振る事も無く見送って、逃げるように去って行くその姿が美術館の外に消えた頃。
まるで先に見た彫像のように地面にへばり付いていたアタシの足は、ようやく動き出した。
アタシはもう殆どの人が買い物を終えて去って行くお土産屋を産卵するサケのように遡り、
大急ぎでポストカードのセットを買って、鞄に放り込もうと鞄を開くと、
ハンバーガーの匂いを消すために執拗に振りかけた消臭剤の匂いが漂った。
美術館で出会った日下部理沙は、きっとそんな存在になるのだろう。
今日見たあらゆる作品を思い出し、その余韻に浸る度に、
その美術館で出会ったその少年、日下部理沙を思い出さずにはいられない。
………思わずため息が漏れる。
非日常の中に現れた、アタシの日常。
アタシは、結局鞄には要れなかったポストカードの束から梱包を引きはがすと、
その作品の数々が描かれたポストカードをぼんやりと眺めながら、ただ、電車に揺られた。
ご案内:「国立常世新美術館」から茨森 譲莉さんが去りました。