2016/05/05 のログ
梧桐律 > 「俺だ。奇神萱は使えなかった」

短く応える。この姿は一体どんな風に見えてるやら。

「さっき見ただろ。もう遅い。風邪ひいてるやつが化粧の心配してどうするんだ」
「こっちは事情もわからなかった。それどころじゃ…」

回り込んで、三枝あかりの手中に収まったボトルの蓋を開けにいく。
弱ってるときは力も出ない。開けてもらえると嬉しかった、はずだ。
他には、たしか。

「飲んだら寝る。飯はどうしてた? 熱は出たままか? 頭は痛むのか?」

くしゃくしゃになった寝具を直し、しわを伸ばして枕を正しい位置に戻す。
散らかった衣服は一箇所に集め、ごみ箱から溢れかけたちり紙を別の袋に移して。

「替えはあるのか? 汗かいたままは良くないぞ」

三枝あかり > 「先輩……携帯何度か鳴ってたんですけど、ちょっと出れなくて…」

そうだ、自分は風邪だった。
思い出すと具合が悪くなる。

「は、はい……」

水分を摂取すると、ベッドに横になった。

「ご飯は、ステーシーに買ってきてもらったり、食べなかったり…」
「熱は結構高いです、頭痛はそれほどでもないですけど咳が」

ふぅ、と熱い息を吐く。
やっぱり梧桐先輩の隣は安心する。
「替えはあります、けど」
視線で部屋の隅を見る。ステーシーが洗って干して取り込んでくれた替えのパジャマ。
よりによってデスティニーマウスのやつ。
うう。子供っぽい。

梧桐律 > 「なるほど、猫に頼めばよかったのか………俺は一体何を……」

猫、というのはステーシー・バントラインのことだ。
男所帯の生活委員会ゆえ、すぐに思いつかなかったのが悔やまれる。
事情をたずねていればあっさり真相にたどり着いていたのだ。

栗色の髪をふり、頭をかかえつつ。
来てしまったものは仕方ない。するべきことをするだけだ。
おでこに手を伸ばして、自分の―――竹林某の―――熱と比べてみる。

「わかった、あれに着替える。お前は寝たままでいい」

ネズミのマスコットのついたパジャマを取りにいく。

「昔、一度だけ行ったことがある、そうだ。両親に連れられて。そう聞かされてる」
「小さい頃のことはよく覚えてない。かけがえのない記憶のはずなのにな」

おなじみのモチーフを目にしても、特別な感慨が湧いてくれない。
残念なことだが、本当に忘れてしまったのだろう。

「好きなんだな。一人で脱げるか? 駄目なら手を貸す。抵抗は無意味だ」

三枝あかり > 「……ステーシー、自分の携帯が鳴るたびに尻尾と耳がピンと立つタイプの子ですから…」

『着替える』。梧桐先輩はそう確かに言った。
ミハエルでも津軽でも気軽でもなかったはずだ。

「へ?」

耳を疑った。寝たままでいいって。え? 脱ぐの?

「……私も、お父さんがまともだった頃にデスティニーランドに家族で行ったことがあって」
「私もお兄ちゃんも、忘れられないんです……あの頃の思い出を」

うー、と唸って上半身を起こした。

「…先輩のえっち」

観念してパジャマの前ボタンを外した。

「……背中、拭いてくれませんか」

そのまま下着姿の背中を向けて。

梧桐律 > 「忘れたくても忘れられない。覚えていたくても、いつか忘れる」
「忘却は神意のごとく。あるいは救いにも似て、思いどおりにはなってくれない」
「そのことを嘆くべきかどうかもわからない」
「アストル・ピアソラはその繊細な機微を穏やかで切ない旋律に変えた。『オブリビオン』だ」

こつんとおでこを小突く。

「熱が出てるときはおかしなことを口走るものだからな」
「うわごとだと思って聞き流しておく」

タオルを水にさらして絞り、蒸れた背中を拭きはじめる。
音楽の天使の匂いのようなものが普段よりいっそう濃く嗅覚をくすぐる。

熱に浮かされた白い肩に触れ、手を添えて溜まった汗をふき取っていく。

「食欲は? まだ下がりきらないなら食えないか」

三枝あかり > 「オブリビオン………忘却の機微…ですか」

額を小突かれると、視線を下げた。

「すいません……先輩…」

背中を拭かれると、心地よさと恥ずかしさが頭の中で膨らんだ。
今の自分は少し大胆だ。きっと熱のせい。

「はい、食欲はあんまりないので……死なない程度には食べているので気にしないでください」
「あの……そろそろ着替えさせてもらっていいですか? 今日はせっかくなので甘えてしまいます」

梧桐律 > 「ピアソラはいいぞ。『カフェ1930』も気に入ってる。『天使のミロンガ』も好きだ」
「出来はともかく、ヴァイオリン向けの譜面に直したやつがある。元気になったら聞かせてやるさ。約束だ」
「……とにかく、おかしなことになってなくてよかった。俺が言えるのはそれだけだ」

熱の立ちのぼる白い肩に唇を当てて、マスコットつきのパジャマをかける。
片方ずつ袖を通させて、それから。
もうひとつのピース、パジャマの残る半分を手に病人の姿と見比べる。

「熱さましの市販薬ならここにある。先に熱が出た方がいいって説も聞くが」
「風邪の治し方はいろいろだ。凍りついた湖に落とすやつもあるし、徹底的に着込むやつもある」
「結局、よくわからないな…薬がいるなら言ってくれ。飲んでおくだけでも安心はする」

三枝あかり > 「……約束ですよ。絶対に絶対です」
「約束を守ってもらったことがあんまりないので…」
「こういうの、気にする女ですよ、私」
冗談めかして笑いながら、思いを馳せる。
きっと彼はまた私に向けてわかりやすい説明をしながらヴァイオリンを弾いてくれるのだから。

「下……」

観念して脱ぐことにした。熱で思考回路が上手く働いていないのもある。

「最近、ちょっと太ったので……あんまり太股を見られたくなかった…!」

乙女の悩みはいつだってシリアス。

「ええと、熱さましがあるなら助かります、今切らしているので」
「……水で飲んだほうがいいんでしたっけ…」

梧桐律 > 「前回は演ってる最中に公安に踏み込まれてな。楽器を弾くしか能のない男にあれは堪えた…」
「結局最後まで演りとおしたわけだが、それも挑発と取られてなおさら物騒な事態になった」

遠い目をする。過去に属することがらとはいえ。

「今度はそうはならないはずだ。安心してくれていい」

不死鳥は灰に還った。その灰すらも時の流れが吹き散らしていくことだろう。

「そんなことないよ、とでも言えという振りか。なるほど…?」

生活臭がありすぎる部屋のド真ん中でふとももを眺める。……よくわからなかった。

「心がけは立派だが、そこまでの審美眼を期待されても困る。言うほど悪くはないんじゃないか」

冷水にさらし直して、すこし困り顔のまま脚を拭きにかかる。解熱剤と水は別に用意した。

三枝あかり > 「おおう………」
公安の人はお仕事なのです。
だから仕方ないと言うには悲しすぎる出来事。

「ええ、信じます。私は、先輩のことを、信じます」

太股について言及されるとさすがに精神が磨り減った。
シリアスプロブレムだったのに……

「そうですか……はい…」

足を拭いてもらった後にすごすごとパジャマの下を着た。
梧桐先輩は嘘のつけない人だ。

「……先輩」

解熱剤を水で飲み下した後に、彼(今は彼女かな?)を呼んだ。

「すっごく心細かったので。ナイスタイミングです。ありがとうございました」

再び横たわりながら、微笑んだ。

梧桐律 > 「デコを出せ。最後にこれを貼っていく」

貼った場所がひんやり冷えるやつだ。仕組みは不明。
だが熱が出た時にはひどく気持ちがいいアレだ。

「どういたしまして」

栗色の髪かきあげて、デコに口付けをして。

その上からぺたりと貼って、一件落着。
掃除洗濯に炊事だの何だのは猫の役目だ。
そこまでお節介を焼く必要はない。

「竹村…サヨコだったか、この身体も借りっぱなしには出来ないからな」
「置いてきた身体も気がかりだ。少しだが、食い物と飲み物はここに」

窓に施錠しなおし、片付けて部屋を出ていく。

「また来る……っくしゅん!!……いや、平気だ。何ともない。お大事に!」

三枝あかり > 「ん………」

額を出す。あのひんやり冷えるあれはとてもありがたい。

そして額に口付けされると、口を尖らせた。
「不意打ち。ずるいですよ、先輩」
でも嬉しい。とっても、とっても。嬉しかった。

心配して見に来てくれたのも。
看病をしてくれたのも。
汗を拭いてくれたのも。
額にキスをしてくれたのも。
全部。全部。大好きな人がしてくれたのだから。

「竹林サトコさんです……」
「ありがとうございまし……風邪、移りました?」

ああ、竹林先輩。すいません。本当、すいません。

それから二日後、私は完全に復調した。
苦しかったけど、苦くはない思い出。

それと、大切な約束。

ご案内:「女子寮・三枝あかりの部屋」から梧桐律さんが去りました。
ご案内:「女子寮・三枝あかりの部屋」から三枝あかりさんが去りました。