2017/08/05 のログ
ご案内:「廃屋の一室」にヴィルヘルムさんが現れました。
ヴィルヘルム > 狼の姿をした青年も,太陽が昇れば人の姿へと戻ることができる。
他者に恐怖される牙や爪,そしてその巨大で恐ろしい姿を恨んでいたはずが,
いつの間にかそれを受け入れていたのは…クローデットのお陰だろう。
もしくは,クローデットの所為,と言うべきかもしれない。
彼女がその恐ろしい怪物の姿を受け入れてくれたことが…全てを変えた。

「………………。」

いつしかその姿に依存しつつある自分に気付いた。
狼の姿をしてさえいれば,クローデットと共に過ごすことが出来る,と。
青年はその考えの危険性に気付かなかった。

そんな青年を変えたのもやはり,クローデットの一言だった。

ヴィルヘルム > 紅茶とクッキーをテーブルの上に置いて,青年はクローデットの残した“参考文献”を読んでいた。
クローデットのことだから,それはきっと,えらく難しい魔術書や,歴史書のようなものだと思っていた。
だが,クローデットが置いていったのは,青年にとって意外な内容の書籍であった。

それは所謂「ジェンダー」についての本。
どうしてこんな本を置いていったのか,意味不明だった。
クローデットの言っていた“悪意”とそれがどう結びつくのか,まったく分からなかった。

クローデットの言う悪意とは“性”に関するものではなく,“バケモノ・ヨソモノ”に関するものだとばかり思っていたからだ。

ヴィルヘルム > ペットボトルの紅茶を飲み,クッキーを頬張る。
青年は,クローデットがこの本を置いていった理由を,ずっと考えていた。
直接説明せず,こうして本を残したということは,自分で気づけ,ということなのだろう。
けれどその“気付き”に必要な要素は,その本の中にちりばめられていた。

「……僕は………。」

“門”の出現によってこの世界に飛ばされる以前のこと,この世界に来たばかりのことが思い出される。
かつて自分は“マリア”と名乗り,男ではなく女として振る舞っていた。
それが正しい自分の在り方なのだと,そう信じていた。

ヴィルヘルム > けれどそれは,自分で選択した“性”ではない。
両親に“男”として生きることを奪われ,“女”として生きることを強要されていた。
そうしていれば,両親が自分を必要としてくれるから,それが自分の在り方なのだと,そう自分に思い込ませていただけだ。

“マリア”としての自分は,可愛い服や靴を欲しがっていた。
今となってはそれが,心の底から欲しかったのか,それとも誰かから押し付けられた価値観なのかも分からない。
でも,今,敢えて“マリア”の恰好をしたいとは思わないのだから,それが答えなのだろう。

ヴィルヘルム > クローデットは,そんな自分を“マリア”として扱った。
女性的な服を着せ,化粧を施し,そして魔法で身体すらも変えてくれた。
“女”としては未熟なマリアに“女”としての在り方を教えてくれた。

それは…決して,つらい時間ではなかったと思う。
居場所の無いこの島の中で,自分の居場所を得られたような気がした。

けれど,クローデットは…知っていたのかもしれない。
自分が“女”として生きることを,心の底から望んでいるわけではないのだと。

『──あたくしには、悪意がございましたので』

根拠は無いが,クローデットはそう明言していた。

けれど,何故?
女らしさを教えることが,どうして悪意に繋がるのだろう。

ヴィルヘルム > クローデットの家での出来事が,鮮明に思い出されていた。
自分の為に準備をしてくれることも,時間を使ってくれることも,全てが嬉しかった。

けれど,あの日……青年はクローデットの“おまじない”を拒絶した。

自分自身をも騙し,ずっと,こうしていられるようにする,おまじない。
きっとそれは心の中から“マリア”となれる魔法だったのだろう。

…そしてそれを拒絶した時,クローデットは…………。

ヴィルヘルム > クローデットは,あの時確かに,拒絶されたことに驚いていた。
青年が“男”として生きると決めたことを,クローデットと過ごす時間を失うことさえも是としたことを。

全てを知ったうえで,クローデットは“マリア”を育てようとしたのか。
当時は名前も教えていなかった“ヴィルヘルム”を,閉じ込めようとしたのか。

「……そういうこと,なのかな…。」

あの時,本当に“おまじない”を受けていたら,どうなっていたのだろう。
“マリア”はずっと笑っていられたかもしれないが,“ヴィルヘルム”としての自分は……。

ヴィルヘルム > …けれど,クローデット言う悪意は,きっと,最初から失敗することが決まっていたのだ。
おまじないを拒絶したのは,あの瞬間の,衝動的なものではない。

「………………。」

“マリア”として初めて出会った時から,その中には“ヴィルヘルム”が居た。
そして“ヴィルヘルム”はクローデットに憧れを抱いていた。
それはあまりにも原初的で,本能的な感情だったかもしれない。
……貴女の美しさに,貴女の声に,貴女の言葉に…貴女のもつ“女性”としての魅力に,打ちのめされていた。

“マリア”はクローデットのための仮面ではなかった。
“マリア”はクローデットと共に在りたい“ヴィルヘルム”自身のための仮面だった。

ヴィルヘルム > 本を閉じて,テーブルの上へ置く。紅茶を飲み干して,小さく息を吐く。

思えば,故郷でも“マリア”の仮面を被り続けたのは両親の関心を買うため。
この島でも,クローデットと一緒の時間を過ごすため。
そんな中でも,“マリア”の影に隠れた自分はずっと“男”だった。
自分は,なんて卑怯なんだろう。

けれど今,こうして,全ての仮面を取り去って,自分はここに居る。

…僕は“男”だ。
髪を切りたいと思ったのも“男らしく”なりたいと思ったからだし,
狼の姿が嫌でなくなったのも,あの姿でなら少しは“男らしい”ことが出来るからだ。

「…………………ッ……。」

青年は,その先にあるものを,意識してしまった。
クローデットに自分を“好きになってほしい”と願った。
それは性別を超えた,承認欲求にも近いものだっただろう。

……けれど,自分が望んでいるのはそれだけではない。
ずっと望んでいたけれど,そこに形を与えられなかったもの,もしくは与えることを躊躇っていたもの。
クローデットのもってきた書籍が,この青年の性自認を強化したのは間違いなかった。



今だって,クローデットという“女性”に憧れている気持ちは変わらないのだ。

その瞳を,声を,感触を,香りを,重さを,もっと感じたい。
この感情を何と言っていいのか,青年にはまだ分からなかったが,
それは,あの新月の夜,クローデットの身体を受け止め,唇と自分の唇が触れた瞬間に,爆発しそうになった感情と同じものだ。

……被害者と加害者,自分とクローデットの間に,その関係が成立するとして,
確かにかつての自分は,クローデットによって“男”を喪失しかけたのかもしれない。

けれど,悪意があったとしたら…それは,自分にも同様にそれがあったと,そう思う。
“女”であることを演ずることによって,貴女の興味を引いたのだ。

ヴィルヘルム > しばらく,青年はソファに座ったまま,考え込んでいた。
けれど青年が考えていたのは,もはや,被害者と加害者の関係ではなかった。

「…………髪,切ろう。」

やがて青年は小さく呟いて,立ち上がった。日が沈むまでにはまだ十分に時間がある。

ご案内:「廃屋の一室」からヴィルヘルムさんが去りました。