2016/01/27 のログ
ご案内:「裏通りの奥」にヨキさんが現れました。
ヨキ > 闇。

遠い街灯の光が仄暗く滲むばかりの暗がりで、ヨキが独り蹲っていた。
打ち棄てられた資材置き場の、もはや触れるものもなく閉ざされた大きなコンテナの上。

「…………、」

刺すように冷たい空気の中、まるで柔らかな畳の上にでも座っているかのような胡坐。
ブーツを脱ぐ。足に巻き付けたバンデージを解くと、ぱり、と濡れて渇いた布が皮膚から剥がれる音がした。
四本指の、踵のない足の裏。肉の凹凸が腫れ、血が滲んでいたのだった。

元はと言えば、この鉄塊の如き長身を爪先立ちで支えているようなものだ。
異邦人街で仕立てた高いヒールの靴が義肢代わりとは言え、歩き続けるには無理がある。

両足を伸ばして寛げ、コンテナの上で横になる。

通りからヨキの姿を窺い知ることはできない。
重たい身体を支えるコンテナの上面が、わずかにぎしりと軋むのみ。

ヨキ > 人と会ってきた帰りだった。

落第街に暮らす子どもたちの顔を見に行き、土産の菓子を置いて、
時どきとんでもない稀覯本がとんでもない値段で手に入る古書店を覗き、
物好きな卒業生がやっている飯屋で食事を済ませ、

そうして女と会った。

その女は手癖が悪く、息をするように盗みを働いた。
憂さ晴らしに子どもを殴ると言っていた。
不特定多数の男と寝た末に病気を伝染されたと。
病気を隠して男と交わり、病気を伝染して回っているのだと。

女は無尽蔵の金を持っていた。
羽振りがよく、常に洒落た身なりをしていた。

その実、舌先三寸で人を丸め込み、懐に収めては名前を変えて逃げていた。

「……………………」

女は、落第街の住人ではなかった。

正規学生として常世学園に入り、可もなく不可もない成績で卒業していた。
学生街の小奇麗なマンションで暮らしている、『ごく普通の』女だった。

“あすこの人たち、最初はなかなか心を開いてくんないけど”

“間合いに入ればこっちのものよ”

“あたしを信じてお金を出すの”

“そんなに救われたいのね”

ヨキ > 落第街の住人は、金を渡したきり表通りの光を恐れて街へは出てこない。
下手に騙されたと聞かれれば、カモと知られて次の悪党がやって来ないとも限らない。

女はそういう、『泣き寝入りをしそうな人物』を見る目があった。

そうしてまた、ヨキの欺瞞を見抜く目も。

そろそろ潮時だと思った。

嘘しか吐かない女と、本当のことしか言わないヨキ。
分が悪かった。

“もう長くないのよ”

殺さなければ死なれる。

死なれる前に、罰をくれてやる必要があった。
罪を罪と、罰を罰と自覚出来ないのならば。

心臓が止まる瞬間に目にするのは、圧倒的な恐怖でなくてはならない。

ヨキ > 横たえられた人形のように重く弛緩した身体が、鉄のコンテナとひとつになったかのように冷えてゆく。
指先から、ぱき、と音がして、コンテナと等質の棘がその表面を引っ掻いた。

逃げるのならば。

捕まらないのならば。

嘲笑うならば。

更生の余地がないならば――

(殺すほかに、どうしろと?)

今は、この場に答える者はない。

心は決まっていた。
自分は数日のうちにそれをやり遂げ、女が生きてきた痕跡を消せる自負があった。

だが、どことなく刃の切れ味が落ちているような。
そんな気がしていた。

錆びた刃はいたずらに傷を広げ、血を散らし、必要以上の暴力へ足を踏み入れる。

手際の悪い殺しは獣と人でなしのすることだと、ヨキはそう考えていた。

ヨキ > 起き上がる。首を振って、息を吐く。

まったく美しくなかった。
迷いほど醜く、居心地の悪いものはない。

最少の手際と、最短の時間で。

文字のない思考が、脳裏に殺しの手筈を組み立ててゆく。

次第に頭の芯が冷えてゆくのが判る。

しんとした暗闇の中にあって、それがひどく心地よかった。

ヨキ > ブーツを履いて立ち上がる。
錆び付いた床が鳴く。

正面には、静まり返った夜の街。

背後には、ひたすらに黒い森の影。

気付けば街の境までやって来ていた。

「………………」

風が吹く。

コンテナの淵を蹴って、跳ぶ。

着地する音はなく――

ヨキ > 巨大な獣の影が、ひととき吹き抜ける。

木立のざわめきに紛れて、強風に似た唸り声。

怨、と鳴いて、あとには静寂。

ご案内:「裏通りの奥」からヨキさんが去りました。