2016/06/08 のログ
ヨキ > 「下の名前?ああ、それならつばめ君、と」

つばめの指先に倣って、教室棟を見る。
窓際で人影が動いたのが見えたらしく、立ち上がって大きく手を振った。

「だが総出となれば、逆に他の生徒らが蔑ろになってしまうでなあ。
 ヨキはたまたま手が空いていただけだ。人の多い授業の担当ともなれば、仕事も多かろうからな」

軽い調子で、再び作業に戻る。
年寄りくさい語調のわりにチャラい柄のTシャツの袖と、捲ったツナギの裾から伸びる四肢は、
美術というより体育教師のようだった。

「安心するがよい。人のやらぬことに手を付けられるのは、むしろ大人の証拠であるぞ。

 ……それで、独りきりでよく着手する気になったな。
 誰か誘う友人とか、居なかったのかね?」

松渓つばめ > 一人でよくもまあと言われれば、にまっと笑う。気分が乗ってきたのかその手は軽い。
「大人?ヘヘ、センセーは優しいねえ」
シャーッと新雪に足跡をつける感覚で、ハート型に底を掻く。逆スプラなんとか。逆パブロ。

「友達もけっこいるけど、意外と出払ってたりインドア派だったりで、ね。まあ一人なら一人で面白いし。……にしてもセンセーって体育じゃないよね?だったらあたしが知らないなんてありえないもの」脳筋宣言であった。

ヨキ > 「ヨキほど生徒に優しい教師は居らんぞ。
 それに、君が卒業して一人前の女性になったら、もっと優しくなる」

汚れを掻き集めては捨て、掻き集めては捨て。
先は長いとはいえ、いざやり出せば成果は目に見える。

「そうか。それだけプールで泳ぎたかった、と。

 ……うん?ヨキかね。
 ああ、教えているのは美術だけだよ。専門は、金属の工芸だ。
 絵を描いたり、粘土を捏ねたり、机に座って芸術の話をすることもあるがな。

 何だかんだで、体力勝負の科目だよ」

つばめに背を向けたまま話すヨキのツナギには、絵具やら粘土の跡やらがこびりついている。

「そう言うつばめ君は、美術、あまり興味はないクチか。
 その綺麗な名前、見覚えがないものな」

松渓つばめ > 美術と聞けば、少し目が遠く……セリフに彼女があまり使わない三点リーダも混ざろうというもの。
「あぁー……美術かぁ。あたし全然そっちの単位取ってないの。
美意識が破滅的って言われちゃって。
聞いてよ常世に来る前なんか、二人ペアで相手の顔描いたら『インカの破壊神が良く描けています』なんて調子で!」

ある意味才能なのか。でも、
「んーん、興味が無いワケじゃないの。ゲームとかでキレーな絵描いてる人っていっぱいいるじゃない?
それに少しでも描ければお絵かき好きな人とも話できるし……と。
月が見えてきたわ。タイムリミットはその辺にしようと思ってたの。ムリしても疲れて続かないじゃない?

でさ、センセセンセ」
異能を使って汚水をまとめながら、問う。
「あたしでも絵とか――工芸?像つくってみたり?そういうのって出来るようになるかな?
すっごいへたっぴぃなんだけど」

ヨキ > 「ははは。破滅的か。美術教師が芽を摘んではいかんよなあ」

空を見上げる。二人の手で作業が軌道に乗ってきたところで、手を止める。
立ち上がり、つばめが発する粉に向けて汚水を掻き集めてゆく。

つばめの問いには、何てことのない調子で答えてみせた。

「もちろん。最初は誰だって、ヘタから始まるものさ。
 時間を掛けて作品の見栄えを良くしていくことの、遅いか早いかの違いだけだとも。

 やりたいな、と考えるところから、実際に始めるところの壁こそが、いちばん大きいものだ。
 最初は面倒だが、一度始めてしまえばどうってことない。
 このプール掃除みたいにな。

 巧さを伸ばすことなど、二の次さ。
 続けられれば、誰だって作品を作ることは出来る。手を掛けて、完成させてやることが大事なんだ」

異能の様子を眺めながら、笑う。

「それに、美術の入口はどこにだってあるぞ。ゲームでも、漫画でも、映画でも。
 ヨキが座って行う講義は、そういう話ばかりをしているよ。
 このヨキのように、『昔は美術になどまるきり興味のなかった者たち』に向けてね」

松渓つばめ > 最初はヘタから、かあ。と、sigh……。
「でも、あたし自身は意識してなかったけど。
今やってるコレも、やり始めたらラクだけど始めるのは大変な事だった~ってこと?そしたらそう、ね。
あたし今作りたいなって思ってるものがあるの。センセーに教えてもらえたらきっと上手くいく――よし。今日はこれでおしまい。
ほら、予定の3倍よ3倍!」
気づけば月どころか街灯も仄かに光り出し、作業は半分弱までも進んでいた。
本当にプール授業は雨天決行も現実的だ。
ふぅ、と水着に張り付いた運動着をぱたぱたとさせ、思ったよりも冷たかったのかクシャミを一発。いや、大小二連発。


「で、さ、センセーも昔は美術全然好きじゃなかったの?」
うっすら緑色になった運動着。月影。目洗い水でゴシゴシと応急洗濯しながら問うた。

ヨキ > 「大半の者は、プール掃除などやりたがらないだろうな。
 だが君は、プールに入りたいから迷わず始められた。

 ものを作ることも同じで、『作りたいものがある』。
 キッカケとしては十分すぎるな。あとはスタートを切るだけだ。
 君、プールも美術も、いいスタートラインに立っているぞ。
 入口で足を止めてしまう人間は、みな『何を作ったらいいのかが判らない』んだ」

くしゃみをするつばめに、おや、と目を丸くする。

「風邪を引くでないぞ。せっかく掃除を終えても、泳げなくなってしまうからな」

手を洗い、服についた汚れを流しながら、つばめへ目を向ける。

「ヨキかい?ああ、ちっともだ。
 何しろ『美術』どころか、『美しい』という感じ方があることさえ知らなかったよ」

指先で耳を抓む。
肌色の、福耳のように見えるがそうではない。ひらひらと垂れた、犬の耳だ。

「ほんの十年前まで、ヨキはただの犬だった。
 君が異能で粉を操るみたいに、突然ヨキは金属を操れるようになったんだ。

 それからだ。ヨキが『獣』ではなくなったのは。
 『ものを考える』ことを、見聞きした物事に『美しいか』『そうでないか』があることを、覚えてしまった」

松渓つばめ > 「へへ、そーっすね、これで風邪ったら大損。帰ったらアッツイシャワー浴びないと」
パン、と運動着を伸ばし、プールサイドに置いていたかばんに突っ込んだ。
その横には制服上着と、色気も何もない切り株。流石に男性の前で平気な顔して着替えるのは良識上マズイなと考えなおし。

しかし、続いた言葉には流石に。
犬。いぬ。わんわん。アォォーン。と、一瞬思考が途切れていた。
「いぬ……?センセーが?」さらりと話てはいるが「コレフツーに聞いて良いことなんですかネ」
となってしまうけれど。
――――いや、良いんだろう。
「そしたら、先生は。美しいものを大事にしたい、や、してるんですね」
それならなおのこと、この美の信奉者に教えを請いたい。そう思えた。
「センセー、講義って履修できます?」一瞬だけ自分がマジメなかおをしていたような気がして、気恥ずかしくなって、いつものにんまり顔に戻したのだった。

ヨキ > 「程よく疲れて、きっと食事は美味くなるしよく眠れる。いい放課後だ」

腕を掲げて伸びをする。
犬であった、と明かすことには、然して大した風にも思っていないらしい。
もはや話し慣れているのだろう。

「そう、犬。異邦人って言うだろ?異世界から来た。
 ヨキもその一人なんだ。一丁前に人間をやっているつもりで居るが、身体じゅう結構いろんなところが、今でも犬だよ」

言いながら、足を持ち上げる。
男には珍しい、ウェッジソールでヒールの高いサンダル。
だがよくよく見れば、四本指の足には踵がなかった。足の指から輪郭を辿ると、すぐにふくらはぎだ。

「うん。それはもう、人生が変わってしまったからな。
 すっかり惚れ込んでしまったよ。

 美しいものはもちろん、そうでないものだって、理由もわからず惹かれてしまうことってあるだろ?
 その『なぜ』を大事にしたいのさ、このヨキはね」

つばめが気さくな顔に戻る、その一瞬前。
揶揄うでもなく、目に焼き付けた。

「ああ。真面目に参加して、課題もこなしてくれるなら単位をやろう。
 そうでなくたって、覗きに来るだけでも歓迎だ。
 実技をやっている作業場にも、見学に来るといい」

微笑む。暗くなり始めた空気に、金色の瞳が蝋燭のように淡く光って見える。
一見すると、魔物の薄笑いのようでいて――その実、つばめが見せた意欲にひどく嬉しそうにしていることが判る。

松渓つばめ > 異邦人……ある意味怪異と関わったこともある彼女には、確かにそう極端に珍しい事例でもないのだろう。
しかし、大本の心が人でなかったものが、人となった、というのにはついぞ出会ったことはなかった。
「人生が変わる、って!」人生に変わるの間違いやんけーっと内心悪魔がツッコミを入れていたが、ちょっとそれは弱いぞ悪魔。

「あんまり凄いものを目にすると、なんというか――畏まっちゃうような。
そういうのって、あたしもあるかも」そうか。彼もその瞬間が心地よくて仕方ないんだ。
ああ、素敵なことだ。本当に。たとえその妖しいような温かいような清らかなような視線を受けても、おくびにも出しはしないけれども!
それは後々、彼女の創り上げるモノが示すものなのだ。
「あたしこれでも、講義はマジメですよー。留年怖いもの!」


「それじゃ、お手伝いありがとでしたセンセー。あたしは帰る前に着替えてくんで。今度はセンセーの講義室でっ」
大変は大変な作業だったが、楽しくて楽しみでたまらない、そんな風に髪を振り乱して背を向ける。
プールの鍵を指先でチャラチャラと回して。扉の奥へと。

ご案内:「梅雨入りからプール」から松渓つばめさんが去りました。
ヨキ > 一瞥する。人生、言うなれば犬生。そんな言い回しも、突っ込まれれば突っ込まれ慣れているのかも知れない。
つばめの言葉に目を伏せて、小さく肩を揺らす。人間の笑い方。

人差し指で、宙に文字を書く。“羊”。

「『美』という文字は――もともと『羊が大きい』と書く。羊とはすなわち、神への供物だ。
 捧げ物が大きいことが、『善』とされたんだな。

 君が言うように、畏まってしまうという感覚はとても正しい。
 美しいものに触れるとは、つまり『言いようもなく大きなもの』に触れるということなのだから」

開いた眼差しが、ゆったりとつばめを見る。期待と喜び。

「教え子が増えること、楽しみにしているよ。つばめ君」

そうして労いの言葉を掛けると、持参した掃除道具を手にプールサイドを後にする。
つばめと逆の方向へ歩き出しながら、大きく手を振った。

「また手伝いに来る!」

ご案内:「梅雨入りからプール」からヨキさんが去りました。