2016/10/09 のログ
ご案内:「ヨキのアトリエ」にヨキさんが現れました。
ヨキ > 休日の午後。
一日休めば、風邪はすっかり和らいだ。
体調を崩すのが早ければ、治るのも早い。

ホーローのポットに沸かした湯を、コーヒーのサーバーに柔らかく注いでゆく。

立ち上る豆の香を吸い込む。
何しろ生まれて初めて鼻詰まりを体感したものだから、嗅覚がどこまで戻っているのか判りづらい。

とは言え、犬の鼻であった頃にどれほど匂いを嗅ぎ分けていたか、ヨキの鼻は早くも実感を薄らがせていた。
慣れとはそんなものなんだろう。

ヨキ > 異邦人街で一目惚れして買った、深い青緑の釉が美しいマグカップにコーヒーを充たす。
立ったまま一口啜って、ウン、と小さく零す。

スリッパ代わりのサンダルを鳴らして、隣の工房へ戻る。
そこには秋の色とりどりの花を束ねた花瓶と、着彩前のスケッチを凭せ掛けたイーゼルが立っている。

五本の指で金属に触れることは元より、色で遊ぶことが楽しかった。

壁際に置いていたモデル用のスツールに腰掛け、鉛筆画を遠目に眺めながらひと息つく。

ヨキ > 遅れてやってきた思春期はどうにも居心地が悪い。
だが半獣の姿となり、地球に辿り着いた瞬間から起算するなら、タイミングは丁度といったところだ。

溢れる熱情を持て余し、惑い、疲れては立ち止まり、またひた走るの繰り返し。
自分がどれだけ実感なくしてそんな子どもたちと接してきたか、恥ずかしいほどによく判る。

「(…………、そりゃあ荒れもするよな……)」

床に重ねた足を投げ出した姿勢。
大人のコーヒーを片手に、子どもの顔で額を掻く。

ヨキ > 考える。
この行き場のない厖大なエネルギーを、正しく真っ直ぐに昇華する方法。
そもそも自分のこの鬱屈とした行き詰まりは、何故沸き起こったものだったか?

「(……………………、)」

それは道が多すぎるためだ。

そして初めから“教師”であったところのヨキは――自らの導たる師を持っていなかったためだ。

「……学生になればいいんだな」

答えは至ってシンプルだった。
教師をやりながら、他の講義を聴講させてもらえばいい。

ヨキ > 異能。魔術。これまでとこれからを学ぶ社会学。今まで正しく視ることのできなかった芸術との付き合い方。
自分以外に、そして自分よりもずっと先進的な教師は枚挙に暇がない。

友人と“共に理想的な世界を築く”と誓った以上、ヨキはその決意を違えたくなかった。
例えその信念が、“失望されたくない”という、子どもじみてプライベートな欲求の裏返しであったとしても。

実際のところ、ヨキは“これから”を邁進しようとしている一人の子どもに等しかった。
外見と内面との齟齬は、教師という身分によって抑制されていたに過ぎない。

コーヒーを煽る。
カフェインが含まれていないはずの豆で、なお脳裏がぎらぎらと澄み渡ってゆく。

「(……決めた。ヨキは学生をやる。
  『今からでも学生になればいい』と言ったのは、彼奴だ)」

示すべきものはただ一つ。
今こそ自分が“理想を語るだけの馬鹿犬ではない”ことを証明したかった。

ヨキ > カップを空にしたのち、イーゼルの前に置かれた椅子にどっかりと腰を下ろす。
作りたいものが、表現したいことが、ヨキにはいくらだってあった。

水に溶かした水彩絵の具の淡彩が、画用紙の上に空気を描き込んでゆく。
その日も、アトリエの照明は深夜まで点いたまま。

この人間ひとりの命そのものが、友の研鑽によって芽生え成り立っているのだ、というよろこびが、芯から強く根差していた。

ご案内:「ヨキのアトリエ」からヨキさんが去りました。