2017/05/20 のログ
■ヨキ > 背後からの声に、鉛筆を止めて顔を上げる。
見開いた目をぱちぱちと瞬かせて、どうも勢いと声のちぐはぐな挨拶に振り返った。
「――む」
それが知った顔と判れば、にっこりと笑う。
「やあ、和元君か。いらっしゃい」
画板をいったん机に置き、椅子から立ち上がる。
月香の顔とスケッチブックとを見比べて、笑みを深めた。
「待ってたよ。さっそく見せてもらおうかな」
基本的に、制作のコンセプトや方針は個々の学生らに委ねている。
ヨキはあくまで、よりよい完成度を目指すためのアドバイスや、方法を示す役割に留まることにしていた。
■和元月香 > 「...こんちは...!えっと、邪魔してすみません」
失礼しまーす、と室内に足を踏み入れる。
初めての場所のせいか子供のようにキョロキョロしながらヨキの傍まで辿り着いた。
「えーっと、どーぞ!」
両手で差し出したスケッチブック。
毎度の事らしいが、自由課題なため結構好きに描かせてもらった。
最初のページに書かれた、海。
一応下書きの範疇だが、提出はするのだしと色鉛筆で柔らかい色を付けてある。
これで提出すれば、あとは完成まで出さないのだろうか。
自由に描けるのは、月香にとって案外有難い。
(...ヨキ先生絵やっぱり上手いんだなー)
ヨキがスケッチブックを見ている最中、月香は傍の絵を何となしに眺めて感嘆の息を吐いていた。
■ヨキ > 「あは、有難う。楽しみにしてたんだ」
機嫌よくスケッチブックを受け取って、君もどうぞ、と対面で置かれた一対のソファへ招く。
使い込まれているが清潔に保たれた応接セットからして、外部からの客人も少なくなさそうだ。
ソファへ腰掛けて、スケッチブックを開く。
机上の画用紙や、周囲に置かれたボードには、ヨキのものらしい絵がちらほらと見受けられる。
画材も、描き方も、安定はしているが一定でない。ヨキ自身、さまざまな描き方を試行錯誤しているのだろう。
「――ほう」
表紙を開いた一枚目の風景に、柔らかく目を細める。
「このままスケッチブックに閉じ込めておくのが勿体ないな。
もっと大きな画面で、めいっぱい完成したところを見てみたくなる。
これは……島のどこかから眺めた風景かな。
それとも、君の中にある思い出の海?」
見知らぬ旅行先の写真を眺めるような視線を落としたまま、穏やかに月香へ尋ねる。
■和元月香 > 「あ。ありがとうございまーす…」
ソファに案内され、ちょっとばかり狼狽えるも遠慮は一瞬、腰を下ろして軽く会釈する。
それにしても、と月香は思う。
(私、なんで海なんか描いたんだろ)
どこまでも続く海。
月香が描いたのは、酷く静かな夜の海。
月香は海があまり、好きではないのだが。
(...まー嫌いでもないんだけどね!)
そもそも月香は嫌いなんて感情は無いに等しい。
妙な違和感を1度は放り投げたが、ヨキの質問にそれがぶり返してきた。
「え?あ、えーっと、思い出、です。多分」
(この島じゃないのは確かなんだけど...。どこで見たんだっけか)
んー?と首を捻りつつも、月香はしきりなく教室内を見ていた。
あまり、違和感については気に止めていないようだ。
■ヨキ > どこか釈然としない月香の様子に、きょとんとしてその顔を見る。
「たぶん?
――ああ。もしかして、現実の風景ではなくて、君のいわゆる『心象風景』というやつかな。
君の中にある何かの感情や思い浮かんだものを、この海に託したような?」
二人の間に置かれたローテーブルの中心に、開いたままのスケッチブックをそっと横たえる。
「コーヒーか紅茶……あとは麦茶もあるが、何か飲むかね。
のんびり話しているうち、作りたいものも少しずつ明確になってくるだろう」
ソファから立って、自分のコーヒーを淹れ直す。
飲み物の支度をしながら、言葉を続ける。
「ふふ。どこの風景だったか思い出せなくなるくらいには、君はあちこちへ出かけたり、旅行することが好きなのかい?」
■和元月香 > 「しんじょーふうけい…。
あー!そうかもしれない、です」
開いたままのスケッチブックをちらりと見る。
夜の海。ひたすら続く、静かな...。
(...いや、私こんな...暗い感じか?)
でも近いような、そんな感じだ。
見覚えがあるのが何故だかはわからないが。
「あ、えっと...麦茶貰えますか?」
あざーす、と嬉しそうに笑って頭を下げる。
ヨキの背中を眺めながら、質問には少しだけトーンを落として答える。
「まぁ、そうっすね。いっぱい色んなとこ行きましたよ」
振り返っても、きっと笑顔のままだろう。
■ヨキ > 「初めはこれといって明確な目標がなくとも、まずは手を動かしてみることが大事なんだ。
慣れないうちは、いざ鉛筆を取っても竦んでしまう者がほとんどでな。
どこか遠い昔に見た風景だとしても、君の心の中から生まれてきた光景だとしても、大事に仕上げてやるといい」
希望に応え、透明なグラスに氷を入れて麦茶を注ぐ。
食器のみならず、自前の小さな冷蔵庫も持ち込んでいるらしく、多少の寝泊りなら困らなさそうだ。
「さ、どうぞ」
月香の元へ戻り、木のコースターに麦茶の入ったグラスを置く。
落ち着いた受け答えに耳を傾けながら、元のソファへ座り直した。
「この常世島では、見た目の年齢がほぼ何の役にも立たんでな。
君は見たままの歳の頃かと思っていたが、もう少し長く過ごしてきたりしたかね?
歳相応と、そうでない者の『いっぱい色んなとこ』では、そもそもの桁が違うでな」
月香の絵に似て、紺碧の夜空のような陶製のマグカップを傾けながら問う。
■和元月香 > 「なるほどー」
ヨキの話は、実に納得できた。
確かにこの海はよく分からないが、でも確かに心に焼き付いた風景だ。
月香は感慨深けに、そのページをゆっくり撫でた。
(…この絵を完成させる事だけ考えようそうしよう)
うん、と頷いて頭の中のもやもやした何かは遥か遠くに投げ捨てた。
麦茶をくぃっと飲み、ぷはぁと息をつく。
外は意外に温度が高く、体は汗ばんでいた。
「あはは、まぁそんな感じ?ですかねー」
(“一応”、17なんだけどねー。私ってややこしいな)
からからと朗らかに笑う。
バレてもそんなに問題ではない。少なくとも月香は。
「...それを言うならせんせーもですけどね!」
人の事は言えないぞ、とニヤリと笑ってみせる。
見た目青年にしては達観しすぎている、よって年齢詐欺。
■ヨキ > 「漫然と描いているだけでは、せっかくの作品もぼやけてしまうからな。
じっくりと向かい合って、洗練させていくといい。
もしも描いていて、それ以上深入りすると疲れてしまうと気付いたなら、いったんは離れてみるのも手だ。
知らず知らずに心の奥深くまで分け入ってしまうと、怪異にも付け込まれてしまいかねないからな」
月香の軽い応答に、こちらもまた明るく笑う。
「やはりそうだったか。
それは、あまり詳しく聞いては差し支えがある話かな。
……いや。ヨキはどうにも、他人がどうやって生きてきたかが気になりすぎる」
自分の年齢に対する追及に、不敵に笑い返す。
「ヨキかね?ヨキの方は長生きなど、とんでもない。
人間の姿に産まれてから、まだ十五年と経っているかも怪しいぞ」
君よりお子さまだ、と、言うに事欠いてにやりと笑む。
「それより以前は、トシを数える、という頭がなかったのでな。
それはそれは永いこと、ヨキは犬そのものだった」
■和元月香 > 「心って、怖いですよねぇ」
うんうん、と頷きながら。
深層心理、というやつは特に曲者だ。
実際自分が本当に何を考えているのか、誰も分かりはしない。
「いや、別に話しても大丈夫ですよ。
でも、話してたら日が暮れますねん」
真顔。冗談抜きで。
日が暮れるどころか、朝まで来そうだ。
何せ、何兆年の記憶の話。
詳しく話していれば、まさにキリがないのだ。
「15歳!中3ですか!...ふーんほーう」
と、妙に身を乗り出したが続いた言葉には目を少し見開いた。
「先生わんこだったんっすか。
...比喩、ではないですよね!」
■ヨキ > 「そうさ。自分すら判らぬくせ、時として人からぴたりと言い当てられたりする。
自分の中にあるようでいて、途方もなく掴みどころがない」
あっさりと答える月香に、マグカップをテーブルに置き、興味深げな様子で十指を膝の上で組んだ。
「それは――大したものだな。
日が暮れるほどの記憶を、君はすべて忘れずに持っている?」
常日頃明るくくるくると輝く月香の瞳の、その奥を見定めるように視線を合わせる。
中三、と呼ばれたことに、どこかくすぐったそうにはにかむ。
「うむ。人間の姿はもともとこのような大人であったから、ろくすっぽ学校に通ったこともないのだが……。
本当のところは、とかく判然とせん。
過ごした時間どおりに子どもなのか、見た目のとおりの大人なのか。
それとも、犬と人間の時間を丸ごとひっくるめての年寄りなのか」
言いつつも、思い悩む気配はない。さながら、ヨキはヨキだ、と言外に示しているかのようだ。
「ああ、比喩ではないぞ。
ただし、街のそこいらに居るような普通の犬ではないがな。
強くて大きくて、格好良かったのだぞ。
…………多分?」
首を傾げて最後の一言を付け加え、冗談めかして笑う。
だが、まるきり嘘を吐いている様子はない。
ご案内:「ヨキの美術準備室」に和元月香さんが現れました。
■和元月香 > 「ちょっと、なんというか、時々マジわかんないんですよね」
ポツリと呟いたのは、紛れもない本音だった。
月香の悩みは、大抵心に直結する。
痛みを感じない。感情がわからない。破綻したのかすら気づけない。
それら、全てが。
「...まー、流石に抜けてるとこもちょいちょありますがねぇ。
全部、覚えてますよぅ」
何故か渾身のポーズとドヤ顔。
我ながら物凄い記憶力だぜ!などとはしゃぐ。
「私はババァですけど1周回ってどんな年齢にも“適応”できるようになたよ!」
言うほどない胸を張ってから、次の瞬間には目を輝かせた。
「ガチ、だったんすか!」
きっと脳内には、様々な妄想が繰り広げられているだろう。
■ヨキ > 「そこまで行き着いたのなら、もはや自分だけで解決できる領分ではなかろう?
そういうときこそ、自分を繋ぎ止めてくれる第三者が必要になるのさ。
人間は、自分ひとりのみでは生き永らえるものではないから」
月香のドヤ顔に、困ったように眉を下げて笑う。
「やれやれ、『大したもの』で済まされるものではないな。
君がどんな風に生きてきたのだか、これから少しずつ聞かせてもらうとしようか。
和元君のみならず、ヨキにとってもよい勉強になるやも知れん」
偉そうな半眼で、大きな口をにんまりと歪める。
「ああ、ガチだとも。
その頃の姿を見せてやれぬのは残念だが。
いっぱしの人間になるまでは、それこそ紆余曲折があったというものさ」
くすくすと笑って、コーヒーを飲む。
そうして時刻は、日が沈む頃合い。
会話を重ねるうち、間もなくして別れることになるんだろう。
月香にとって初めての「作品」が描き上がるまで、ヨキからの評価らしい評価はお預けだ。
ご案内:「ヨキの美術準備室」からヨキさんが去りました。
■和元月香 > 「そーですね。
...でもそれって、かなり難しいんでっせ。先生」
苦笑を浮かべて、首を傾けて見せる。
こんな意味不明な境遇を理解してくれる人は本当に少ない。
ふわふわと、こっちは風船のように浮くしかないというのに。
「いーですよ。少しずつ、ね。
ただし発狂しないよーに」
にやん、と緩い笑を浮かべて冗談めかす。
おどけたような口調では、真偽はわからないかもしれない。
「私にも教えてくださいね、ヨキ先生のこと!」
そう笑って、また麦茶を飲んで会話に興じた。
くだらないことを話しながら、月香は最後まで笑顔だった。
海の絵は、大事に仕舞われた。
ご案内:「ヨキの美術準備室」から和元月香さんが去りました。