2016/08/20 のログ
ご案内:「国立常世新美術館・展示室C」にアルスマグナさんが現れました。
ご案内:「国立常世新美術館・展示室C」からアルスマグナさんが去りました。
ご案内:「国立常世新美術館・展示室C」に奥野晴明 銀貨さんが現れました。
■奥野晴明 銀貨 > 夏休みも終わり際、かねてより行くと約束していたヨキの個展の会場へと訪れた。
まだ暑さは和らぎを見せそうにない日差しの中、汗一つかかずに銀貨は展示室へと迷いなく歩く。
美術館には何度か訪れたことがあるのだ。
こうして興味のある個展や知己の作品が展示された時、あるいはたちばな学級の教育の一環で作った作品がここに展示された時などに。
受付にて、芳名帳へと名前を記す。書き慣れた流麗な書体。
受付係の目を盗み、ここに訪れた人々の名前を拝見させてもらう。
見知った人もいればそうでない人もいたが、いくつも連なった名前の数々に
かの教師が多くの人に愛され、その作品によって多くの人を惹きつけたことを表わすものだった。
■奥野晴明 銀貨 > その事実に薄く微笑み、手に持っていた個展祝いのフラワーアレンジメントを受付係に渡す。
コチョウランをメインに華美過ぎない花々で飾った小さめのものだ。
それから、あとでヨキ先生に渡してくださいと、紙袋に入った化粧箱付の日本酒も預けておく。
食べ物のほうがかの教師にはいいかとも思ったが、まぁたまにはこういうものでもいいだろうと選んだものだった。
受付横に幾つか飾られた花の数の多さにもまた来場者数が窺い知れる。
特に、ひときわ目を惹いたのが白と緑でまとめられたシンプルなフラワーアレンジメントだ。
他の花々に比べ、印象は薄いがそこに施された魔術が的確に花の生命を長持ちさせる術式で組まれている。
これほど精巧で緻密な魔術を組み上げる人はそう多くはないだろう。
さきほど見た芳名帳の名前と照らしあわせて考えれば、なんとなくそれが誰かわかるような気がした。
■奥野晴明 銀貨 > 考え事もそこそこに作品リストを受け取って早速展示を見て回る。
まず目に飛び込んできたのが天井から下げられた花のオブジェだ。
鉄で造られた人工の花が9つ、徐々に朽ちて地に落ちてゆく様を描いていた。
その花が椿であることはなんとなく察したものの、詳しい品種はわからない。
ただ大きく造られた花々の細部は繊細で、作り手がよくよく観察して得られた表現であることがよくわかる。
鉄にしては硬さよりもその艶や加工された流れから花としての有機物のような何かを感じる。
特に最後の朽ちて最早地に還るのみとなった花の終わり際に目が向いた。
高みへと登ったものが地に向かって失墜してゆく様。
過日にヨキと話したことを思い出して、それを重ねてしまったが
同時に彼が言った失墜などしないと言い切ったその言葉も一応信じてはいる。
それが真となるかはわからない。かの人は嘘はつかねど、隠し事が多い。
■奥野晴明 銀貨 > 人の流れに乗って次の展示へと目を移す。
大型の鉄や銅で造られた様々な形のオブジェが一角に飾られている。
水牛を模した大きなものから、流木や活け花をそのままそっくりの形で
素材を鉄にしたようなものまで作品の形は多岐にわたる。
写実的に形作られたものも見事な精巧さがあったが、特に銀貨はディティールが誇張された作品のほうが面白かった。
誇張された部分の各部にヨキが眼差しを注ぎ込んでいたのが観覧側から追えるような気がしたからだ。
筋肉の流動や手足の先、花弁の一枚に至るまで実物に近い形で現されているそれに
何事も規則正しく、細かく正確な性分とそれを楽しんでいるさまが理解できた。
らしい、とおもう。抽象的な像でさえ手抜かりはない。
■奥野晴明 銀貨 > さらに壁際奥まで進むと文化祭の時に案内されたものと似た立像にあたった。
「対比」とシリーズ化されているそれが主要な作品であるのが数や展示の規模からもわかるだろう。
文化祭で見たものは植物めいた鉄製のランプが一組展示されていたのだが
今回ここに展示されているのは女性の立像が多かった。
どれも瓜二つのものが互いに鏡写しのように手を取り合ったり、踊ったり、背を向け合って立っているだけのもある。
どれも躍動感に溢れ、女性の美しさを切り取っている。
そして、どの一組も双子のようにそっくりでシンメトリー、蝶の羽根の対を想起させた。
向かって右が手製、左側が異能製で作られたと解説には書かれている。
だが生み出された過程が異なっていても、どちらが優れていてなどはない。
どちらも同じだけの心血が注がれて、片方が無ければなんとなく作品として成立しない二つで一つのもののような印象を受ける。
そこに込められた想いや追求した何かを以前銀貨なりにヨキへ話したことがある。
それは今も変わらないし、この常世島でヨキという人が作ったことに深い意味があると思っている。
■奥野晴明 銀貨 > 小品の数々が展示されている区画までくれば、装飾品のいくつかに見覚えがあるような気がした。
ガラスケースに入ったそれらは直接同じものでなくても
ヨキが普段身に着けているアクセサリーのどれかに似たフォルムが見て取れた。
細かく彫金された指輪やネックレス、あるいは銀製の食器やナイトランプに類する小さめのもの。
特に花器や食器、ランプなどにはそれを作ったものの文化が出やすいと銀貨は思っているのだが
ここに展示されている作品には今まで見てきたどの文化の影響もないような、
それでいて実用と美の両立がなされているような印象を受ける。
ヨキの文化の源泉は恐らく異世界なのだろう、彼のいた世界の話はほとんど聞いたことがないが
そこから受けた影響か、あるいはこの世界にて新しく生まれ落ちた形式なのかもしれない。
特に好きになれそうな作品は複雑な模様が形作られた根付だった。
金属を糸のように細く繊細に編んだようなそれは留め具としてはいささか繊細にすぎる気もしたが
その繊細さが実用の中に入るから洒落たものになるのだろう。
■奥野晴明 銀貨 > 最後は壁にかけられたスケッチの数々。いわゆるドローイングである。
クロッキーのようなものから修練のためのデッサンまで15点ほどが飾られている。
そこに表されているのは銀貨もどこかでみた常世島の景色であったり、誰かの面影を思わせるたくさんの学生の後ろ姿だったりと馴染み深いものである。
迷いのない線と懸命にアイディアを紙の上に取り置こうとする試行錯誤が感じられるし、
同時にまだ作りたいものがたくさんあるのだということも感じられた。
高みに上るほうが好きと、かの教師は言った。
確かにここに表されているものはそこに至ろうとするものの軌跡そのものだ。
■奥野晴明 銀貨 > まだまばらに人が残って鑑賞している場内をそっと静かに抜けだした。
出口からもう一度受付前に戻り、最初に飛び込んでくるあの「落花図」を遠目から見つめる。
一通り見て回った後のそれは最初に見た時よりは少し違った印象を受ける。
例え花がその身を落としても、そこに何も残せなくとも突き進んだ過程にこそ美しく彼が見せたいものだったのかもしれない、などと。
その正誤は本人が前にいないから尋ねることはできないし、別に聞くものでもないだろう。
己の信ずる美の元に、ヨキという芸術家が邁進していることが理解できた。
それは最近の彼の様子をどことなく案じていた自分への安心させるような出来事かもしれない。
心配などなにもないと犬の愛嬌に似た笑顔で笑う相手が想像できた。
近くで配布されていたフライヤーを一枚手に取る。
そこに載せられた一輪挿しの清楚な写真を見つめて、しばらく物思いにふけった後
仕舞って持ち帰ることにした。
どうせなら蓋盛先生を誘えばよかったかもしれない。
彼女がこれを楽しめるかどうかは別としてだが、それなりに面白がってくれるかもしれないと思えた。
そのまま静かに展示室を離れる。入れ替わりにまた数人の学生らしき相手がすれ違って入っていった。
ご案内:「国立常世新美術館・展示室C」から奥野晴明 銀貨さんが去りました。