2016/02/21 のログ
■クローデット > 「疑うのが仕事のような委員会ですけれど…
だからこそ、こうして素直に入れて頂けるのであれば、信頼して良いと思っておりますの」
上品な微笑を浮かべて、そう答えた。
(…まあ、その上で不穏な動きがあるようなら、それはそれですけれど)
内心、こんな風に思っていたりもするが。
「流石に、研究資料と個人情報を合わせておくわけにも参りませんものね。
現時点で個人情報まで提供をお願いする根拠もありませんし…こちらで取得した情報を委員会外に提供することはありませんから、ご安心下さい」
相手を安心させるように、品の良い笑みを浮かべる。
…実際のところ、ここで調査している主目的は獅南からの依頼なのだが、獅南とあの異能者(バケモノ)の関係次第では、ただで情報を提供してやるつもりもなかった。
この研究所との関係もさることながら…「万が一」があっては困るからだ。
「あら、こちらでは怪異や魔物に近いものの資料もございますの?
魔術を探究する者として、純粋に興味をそそられてしまいますわ」
メイトマの提案に、花も綻ぶような笑みを零して。
…話している内容は、大分物騒なのだが。
一年の空白は、恐らく先ほど話した事情によるものだろう。
(追加で見たくなった時に、話を振れば良いでしょう)
とりあえず、優先順位は低いようだ。
そして、資料室の奥。
「………まあ………」
ファイルに記された特徴に、口元を隠して感嘆の声を漏らした。
そして、その後に訪れるのは楽しげな笑み。
「主目的」からすれば、気になるのは「四足獣」だが…
「…神性の研究資料まで存在しているだなんて…」
知的好奇心には勝てなかったらしい。
(カモフラージュにもなるでしょうし、少しくらいは)
と自分に言い訳しながら、「神性」とラベリングされたファイルの1つを手に取った。
■ヨキ > クローデットの冷静な応答に、メイトマがほっとしたような顔を浮かべる。
かつて公安委員会に資料を提出せざるを得なかった施設の事務員として、
公安委員であるところのクローデットの来訪は相応の緊張があったのだろう。
表情を明るませるクローデットには、メイトマもまた誇らしげな顔をする。
『あ……はい。討伐された魔物が運ばれてきて、研究や対策に使われることもあるんです。
私には異能もないし、魔術も護身程度のものですけど……こうして役に立つのは光栄なことです』
クローデットが開いた『神性』のファイルには、異世界からの悪魔や、堕ちた半神といった
“害なすものたち”としての神的存在が記録されている。
システマティックな魔術の体系とは程遠い魔力の迸り、遭遇者が発症した原因不明の発狂、幻覚……
ある神獣などは、解剖した瞬間“大量の蝶”に変じて消失したことなどが書かれている。
施設の研究員たちが調べ上げた内容の他に、遭遇者とのヒアリング記録なども入っている。
文字に書き起こされた文章以外にも、音声や映像もこの部屋のどこかに保管されているようだ。
クローデットの隣で、メイトマが同じく厚みのあるファイルを捲っている。
“四足獣”と題されたそれ――さまざまな毛並みや鱗を持つ魔物の写真が、紙の隙間にぱらぱらと見えた。
■クローデット > 「公安委員としての立場を離れた」クローデット個人としても、この施設の「断罪」は優先順位が低かった。
どうせ常世学園が崩壊する時に運命を共にするだろう、程度に考えているのである。
「直接討伐の役割と、こうした研究。どちらの役割がより偉い、ということも無いと思いますけれど」
くすりと笑みながらそう言って、手に取ったファイルを開く。
『神性』と言いつつ悪魔なども含まれているが…要は、「生き物としての範を超えた力を持ち、人に害をなすもの」の総称なのだろう。
実際、奇怪な現象は勿論だが、遭遇者が精神に異常をきたす様まで記録されていた。
(…惰弱な者ども)
表には出さず、内心鼻で笑う。
実際、さほど強くない部類とはいえ、クローデットには故郷でその手のものに対処した経験があった。精神に及ぼす影響を、跳ね返してみせながら。
その意味で…逆説的に、「神性」の分野の研究については得られるものがさほど大きくなかった。
「………ありがとうございます」
礼を言うが、その声は最初の興奮とはうってかわった静けさがあるだろう。
…と、メイトマの方を見ると、彼もファイルをめくっている。
「………そちらは?」
何でもない風で、尋ねてみる。
ぱらぱらと見える画像から、彼が「四足獣」のファイルを見ていることは察しがついたのだが。
■ヨキ > クローデットが捲るファイルには、通し番号が振られている。
所々ナンバーが抜けているのが、公安委員会へ提出した資料なのであろう。
内容が旧く、ときに大きく欠落している――そういう点で、この現在の常世医科学研究センターは、
獣人や神的存在など“人外”を知るにはあまりにも情報が限られ過ぎていた。
礼を告げるクローデットへ、メイトマが向き直る。
その声から熱が引いていることに気付いた顔だ。
自分が目にしていた四足獣に関するファイルに、メイトマが一旦その表紙を閉じる。
『こちらは獣……理性ある獣人ではなく、もっと動物や魔物に近いものたちの記録です。
前の施設では、こういった生き物がより対象とされていたらしくて』
メイトマがファイルを差し出す。
表紙を開くと、他の資料と記録用紙の形式が若干異なることに気付くだろう。
欄外には、『常世生命科学研究所』と印刷されている。
その名称こそが、クローデット・ルナンが過去の美術展の図録で目にした、
かつてヨキが保護されていた施設の名称だった。
――表紙を開いて、最初のページ。
ファイルの中で、最新の通し番号。
つまり、前施設の最後の被験体――
目を閉じて倒れ伏す巨大な黒犬が、写真に写っている。
クローデットが転移荒野で目にした獣と全く同じ姿。
名称こそ記されていないが、紛れもないヨキの写真と記録とが、そこにあった。
■クローデット > 熱が引いていることに気付かれたと、メイトマの表情で悟れば
「…申し訳ありません…あの手のものに、防御手段を持たぬものが向き合うのは難しいものだと、分かっているつもりだったのですが」
と、申し訳なさそうな表情とともに頭を下げる。
…が、相手が自分が見ていたファイルを差し出してくれれば
「ありがとうございます…
獣人と「獣」を、分けて研究なさっているのですね」
(前の施設ではこういったものがより主軸で、そして「一悶着」あったということは…そういうことなのでしょうね。
「ヒト」だと思わなければ、何でも出来た………と)
暗い勘繰りを奥に押し込めて(それでも、若干瞳に剣呑な光の気配くらいはしたかもしれない)、表向き礼儀を失わずにファイルを受け取り、閲覧を始める。
すると………「目標」は、いきなり現れた。
「………」
目が、わずかに見開かれる。
しかし、すぐに平静を取り戻し、何でもない風を装いながら、記録された内容…その「獣」の特性などを、しっかりと記憶に留める。
無論、続きを見ながら、同じような反応を繕ったり、丁寧に記録内容を記憶に留めるよう努めるのを忘れない。
■ヨキ > 相手からの謝罪に、いえ、とだけ短く応える。
クローデットに自分が見ていたファイルを差し出す瞬間、メイトマの表情が僅かに緊張したことが判る。
『この辺りの古いファイルは、もうあまり参考にされることもないんです。
今現在のセンターでは、亜人まで広く含めた人間を対象としておりますし……。
それに、研究の方針自体も違うんです。
私たちは医療分野へ広範に役立てるものとして、中立的な立場で研究を行っておりますが、
以前の施設は個々の生態や異能など、個体が持ちうる能力を“人間界に還元する”――
そういう立場で、身勝手な研究をしていたらしいんです』
メイトマの表情がわずかに曇る。
『いえ……失礼しました。……つい』
名前を伏せられた獣は、“N(これもまた情報管理上の伏字だろう)”と呼ばれる異界から《門》を潜ってきたことが記されている。
金属質の骨格。触れた金属と等質の物体を生成する異能。カンテラの如く体内に孕んだ焔――
体外の、体内の、可視と不可視とを問わないあらゆる計測値。“あり”と“なし”に二分化された生態。
ひとりの人間として読み解くにはあまりに冷淡な、動物としてのヨキだった。
クローデットの様子に気付くこともなく、それでは、とメイトマが口を開く。
『ルナンさんが閲覧されている間、私は向かいの事務室に居ります。
資料の複写は出来ませんが、どのファイルも閲覧して頂く分にはご自由にどうぞ』
ページに付されたポラロイド写真の数々。瞼を閉じた犬。
冷ややかなコンクリートの床に伏した姿は、まるで死骸のようだった。
写真を剥がされた痕跡。公安委員会へ提出した後だろう。
それとも“前施設”が処分したのだろうか?
保護時に襲われ、研究員――それも本当の身分か怪しいが――が負傷した旨が書かれている。
曰く――
“獣はわれわれの言葉に反応した。人語を解した事実そのものに驚いた様子だった”
■クローデット > 「…なるほど、よほどのことが無い限り「魔物」は研究の対象外、ということですか。
医療という観点で見れば、魔物を調べている場合ではありませんものね。
…自らの仕事の「大義」を信じられないのは辛いことでしょう。お気持ち、お察し致しますわ」
たおやかな笑みを口元に浮かべながら、ファイルの中を見ている。
「獣」としてのあの異能者(バケモノ)。その詳細を、平静を装いながら目に、頭に焼き付ける。
それでも、「不死者」という分類を見て…己の予想の正しさに1つ裏付けが入った時には、わずかに瞳の輝きがあったかも知れない。
…と、メイトマが事務室に移動すると聞くと
「…分かりました。
お仕事、お疲れ様です」
そう穏やかな表情と声で声をかけた。
「アンデッド」の分類に相応しく、死骸のように見える有様で瞼を閉じた巨獣が映る、ポラロイド。
それらも、一応記憶として留める。しかし、クローデットにとって重要なのは「どのように討伐が可能か」のヒントになる情報だ。
その意味で、写真がないことはそこまで気にならなかった。
…そういった本題とずれる部分で少しだけ引っかかったのは、保護時の記録。
(………最初は、本当に「けだもの」と変わりなかったようですわね。
自分が「ヒト」のように言葉を解することに、戸惑っているあたり。
………それから考えれば、随分順応が早いように思えますが)
メイトマが去っても、このような資料を保管している場所が監視の対象になっていないと考えるほど、クローデットはお花畑ではない。
慎重な振る舞いを心がけて、そのファイルの続きを見て…更に他の資料を丹念に見て。
「とある獣」の閲覧の様子を、特に印象づけないように注意深く振る舞った。
無論、他の資料についても、重要と思われる部分はしっかり記憶するのを忘れない。
口実とした「委員会への情報提供」は勿論だが、個人的な魔術探究のためにも。
■ヨキ > 『魔物から人間に有用なデータが手に入る場合もありますが……あまりにハイリスク過ぎるんです。
すみません、お気遣いを。
……ただ、昔の“常世生命科学研究所”と、私たちセンターは違う。
それだけは、よく知って頂きたいと思っています』
そう言い残して、メイトマが深く頭を下げる。
資料室を後にすると、クローデット独りがその場に残る。
少なくとも、目に見える範囲でカメラやセンサーの類は検知できず、魔力の反応もない。
だからこそクローデットの油断のなさは賢明であったろう。
――その獣は、“常世生命科学研究所”にとってよほど重要な存在だったのだろう。
他の個体より、割かれているページが多い。
実験の一。耐性。
熱。水。電気。餓え。渇き。圧力。放射線。失血。窒息。薬物……
記録によれば、その獣は金属の骨格である以上に“電気に弱い”。
非常に帯電しやすく、また復調が困難である……云々。
“ヒアリング記録あり”と書かれているが、少なくともこのファイルの中に文書は見当たらない。
また度重なる実験によって、薬物への耐性をひどく弱めたという。
“市販の風邪薬で四十八時間眠った”。
実験その二、食性。“非常な雑食”。実験その三生殖、その四再生……
“再生実験”。
写真が挟まれており、まるで人形のパーツのように切断された獣の前肢の一本が映っている。
“30センチ”。“一メートル”。“二メートル”。“別室”……
距離と思しき数字が書かれているばかりで、実際に何が行われたかは書かれていない。
どうやら切断されたパーツを、本体から離した場合の反応を見ていたらしい。
――その瞬間、向かいの事務室へ入室するひとりの人物の姿がある。
ヨキだった。
クローデットの手元の資料からはおよそかけ離れた、五体満足のヨキが事務室へと入ってゆく、
その背中だけがガラス越しに過ぎった。
■クローデット > 「ええ、よく存じておりますわ。
…ですから、頭を下げずとも構いません」
メイトマが深く頭を下げる様子に、柔らかく笑んで応じる。
そして、優しげな視線でメイトマの背中を見送った。
…人に対応する必要がなくなったのもあって、クローデットの視線が急速に硬質となり、攻撃的なまでの知性の光を帯びる。
魔術の探究をしていると明かしているから、気を遣わずに見てしまったとでも言えば、まあ納得はしてもらえるだろうと、クローデットは、悪意の有無を問わない探究心を隠さなかった。
(…しかし、随分酷な実験をしていたんですのね。
「殺せるならば」いっそ殺してしまった方がこの世界にも、あのバケモノにも益となったでしょうに)
真剣に他の資料を見るそぶりをしながら、先ほど頭に焼き付けた、ヨキの資料を脳内で反芻している。
過剰な薬物投与、各種の「攻撃」に対する反応の調査。
おまけに、肢体の切断まで行っていたという。
(あそこまでされたのなら、あのバケモノもここに関わろうとしないでしょうが…)
そんなことを考えながら、手に取っていた別の資料を読み終え、元の場所に戻そうとしたその時…
ガラス越しに、背の高い…見覚えのある人影がクローデットの視界に飛び込んできた。
他ならぬ調査の「主目的」、ヨキである。
(………『以前の施設とは違う』のは本当のようですわね。
でなければ、「ああ」までされたあのバケモノが出入りするとは思えませんもの。
………そうなると、「あれ」を目に留めた理由も、荒野での邂逅を正直に明かしてしまった方がいっそ安全ですわね)
しかし、ヨキを凝視することはしないで。
資料をきちんと元に戻すと、今度は『人型』の資料を手に取った。
■ヨキ > ヨキの声はよく通る。
だが通路を隔てた隣室とあって、今はその後ろ姿が何を話しているかまでは分からない。
開かれたブラインド越しに、応接カウンターに立つメイトマの姿が見える。
身体はクローデットの居る資料室の側を向いているが、その視線は対面したヨキにのみ向けられている。
そうして、クローデットが次いで手に取った資料。
“人型”と称されてはいるが――その実、人間としては扱われていなかったらしい。
顔写真の類はない。克明で無機質な文章だけが、ヨキを記した文書であることを示している。
人型としての記録は、“異能実験”……ヨキの異能、つまり金属操作に多くが割かれていた。
金属の生成。その変形。成型。目にした物体のコピー。形態の修整。
血液と引き換えに生成されること。
生成された物質が、元の金属と全くの等質であること。
ゆえにその能力が、自然界のあらゆる法則を無視し、そのバランスを著しく崩すものであること……。
捲ったページには、異能者たる半獣が生み出したと見られる物品の名称が事細かに列記されている。
ゼムクリップ。ベルトのバックル。画鋲。モンキーレンチ。刀剣。貴金属。硬貨。金のインゴット。拳銃。
後に目を通すにつれ、それが徐々に“実験”の範疇を逸脱してゆくことが判る。
「殺すよりも有益な用途」がそこには書かれていた。
糊の弱まった写真が一枚、ひらりと裏返る。
それは人間でも、獣でもなく――
犬の半身から人間の顔が生えた、異形の男の顔だった。
ポラロイド写真のフレームに見切れた鼻が、撹拌したように潰れている。
毛皮に埋もれた人の目が、虚ろに気を失っていた。
犬と人との合いの子ともつかず、顔の全体像さえ判然としない畸形。
だがその目鼻の形は、あのヨキのものだ。
《見る人が見れば“このデータは○○さんのものだ”と判ってしまいますから》。
先ほどのメイトマは紛れもなく、今のクローデットの状況を物語っていた。
■クローデット > ヨキとメイトマが会話をしているようだが、ここからは聞き取れない。
探査魔術を再び「身につければ」拾えるかもしれないが…そこまでして得られる情報と、疑われる危険性を照らし合わせて…後者を重く見たクローデットは、とりあえずヨキの声の距離感だけを気にすることにして、資料を開く。
『人型』の資料の方でまず飛び込んできたのは、「金属操作」の異能を持つ、獣人のことだった。
元の金属を完全に複製出来るという自然界の法則を無視した力のために、随分と無茶をさせられたようである。
血液が引き換えでは、ただではすまないはずだ。
(醜いですこと…そんな、下らない方法で私腹を肥やそうなど)
異能者(バケモノ)はもちろんのこと…安易に縋った、当時の研究員(クローデットからすれば、そう呼ぶことすら憚られた)達にも嫌悪の情を禁じ得ず、眉間に皺を寄せるクローデット。
人形めいた美貌が、負の方向とはいえ人間味を帯びる瞬間と言えるかもしれない。
そうしてめくっていると…ひらりと、糊の弱まった写真が裏返る。
そこに写っていたのは…
(………なんとまあ、醜いこと)
犬と人との合いの子ともつかぬ、異形の男の顔だった。
それでも、目鼻の形や、色素が物語る。
………これは、ヨキの記録だ。
どうやら、以前の施設では、同じ存在でも、「獣」と「獣人」の研究を分けていたようである。
しかし、そもそもヨキに良い感情の持ち合わせなど無いクローデットにとっては、動揺する場面ではない。
丁寧に写真を挟み直し、異能についての知識を記憶したところで、淡々と次のページへ写った。
「ヨキ」に注視していると思われるのは、不都合この上ないのだから。
(…まあ、写真の糊が弱くなっていることは後で教えて差し上げましょう)
■ヨキ > ファイルを繰るごと、その『金属を産み出す獣』が以前の研究所にどれほど重く見られていたかが判るだろう。
ヨキの非常に子細に調べられた内容に反して、ヨキと近い時期に捕らわれていた獣の研究はひどく精彩を欠いた。
どのような事情にせよ、ヨキを最後に公安委員会の世話になったということらしい。
資料室の最奥にしまわれていたファイルは、掃除はされても開かれることは殆んどなかったようだ。
旧い紙の、埃っぽい臭い。メイトマはどうやら、クローデットにファイルを手渡す前に汚れを払っていたらしい。
律儀で人の好い、気の弱そうな事務員メイトマに別れを告げたヨキが、事務室を後にする。
「……………………、」
灯りが煌々と点いた資料室。
ふとした拍子に扉の小窓へ向けた視線が――クローデットを見る。
人が相手を見知った顔と知覚する、ごく寸前の一瞬。
かの記録写真よりも理性的な、整った造りの顔。
冷徹な獣の金色の眼差しが、彼女を見た。
■クローデット > (他の研究まで手を抜くとは………本当に、「醜い」ですこと。
その「醜さ」故に公安委員会の世話になったのであれば…先人は、なかなか悪くない仕事をしたのではないかしら?)
排他思想からくる歪みさえ除けば、クローデットの倫理観は意外と破綻していない。
…だからこそ、ここまで潜伏が続けられているのだが。
少々失望した様子で、ファイルを元に戻そうとして…舞い上がった埃に、口元を軽く手でかくし、咳払いをする。
(…さて、次は…)
と、資料室を見回そうとする視線の中で。
冷徹な獣の眼差しと、クローデットの理性の視線が交差した。
(こんにちは)
声を出さずに、口だけを動かしてそう言って…瞳の光を和らげ、笑みを作る。
ここで敵意を露にしても良いことなど無い。
ヨキが気付かないなら、それに越したことは無いのだが。
■ヨキ > クローデットの唇の動きに、ヨキがようやく“人間らしい”顔で笑った。
後方の事務室へ振り返る。資料室へ立ち入ってもよいか、メイトマに尋ねているのだ。
メイトマが一瞬困惑したような顔を見せたあと、小さく頷くのが見える。
間もなくして蝶番が小さく鳴り、資料室の扉が開かれた。
「――やあ、ルナン君。『先日はどうも』」
“先日”。転移荒野で獣の姿でまみえたときのことを言っているのだろう。
向かいの部屋では、『知り合いだったのか』とでも言いたげにメイトマの顔に安堵が浮かぶ。判りやすい青年だ。
「斯様なところで、何か調べものかね?殊勝なことだ」
学生を前にした教師然として、穏やかに笑う。
■クローデット > ヨキが入って来る様が少し意外だったのか、大きく、ゆっくりな瞬きを数回。
それから、
「こんにちは、ヨキ先生。
…いえ、あたくしこそ、ご迷惑をおかけ致しました」
と言って、緩やかに頭を下げた。
"先日"の意味を、何となく察しているのだろう。
「ええ…この島の出来事の中には、従来の「人間」とは違った種族が関わるものもあります。
あたくし、そういった方面には聡くありませんので…今後、委員会により貢献するために、許可を得て調べ物をさせて頂いておりましたの」
そう言って…今度は、『不定形』の資料を手に取る。
ヨキとクローデットが知り合いであることに安堵の顔が浮かぶメイトマの顔がちらりと見えたが…その暢気さは、胸の奥で、鼻で笑うに留めた。
■ヨキ > メイトマの顔が、事務室のカウンターの向こうへ見えなくなる。
自分の仕事へ戻りでもしたのだろう。
「ほう……、異種族について調べ物か」
クローデットの手元のファイルの、背に書かれた『不定形』というラベルを覗き込む。
彼女がそれまで『四足獣』の――よもや自分の記録を見られていたなどとは、思いもしない顔だ。
今この場で調査を行う相手ともにこやかに話す様子からして、ここに自分の記録が置かれていることを知らない可能性もある。
「それでか。いや……彼、メイトマ君が、『今日は来客がある』っていやに緊張していたんだ。
まさか君だったとはね」
ヨキが後ろを向くが、事務室内にはメイトマ以外の人物が行き交う様子しか見えない。
クローデットへ向き直り、気さくに笑った。
「君らのことだから“よほど魔術の話で盛り上がった”のではないかね?
彼……ああ見えて、結構な使い手だろう?」
“魔術の”――“結構な使い手”。
クローデットとメイトマの会話を知らぬヨキは、自分が何を口走ったのか、気付く由もなかった。
■クローデット > 「ええ…あたくし、こちらに来て長いとはあまり言えませんし、ましてや、専門外のことはなかなか」
調べ物の内容を肯定しながら、『不定形』の資料のファイルを開く。
…と、メイトマが緊張していたと聞けば、
「『公安委員会のために』と協力を願いましたから…緊張されるのも仕方ありません。
無論、秘密は遵守致しますけれど」
と、くすくすと笑った。
………が、”魔術の””結構な使い手”という言葉には、目を丸くし。
…それから。
「あら…あの方、「護身程度」と仰っておりましたのよ。
秘密になさるなんて…見た目に似合わず意地悪ですこと」
くすくすと、「楽しそうに」笑ってみせた。
探査魔術を切ったクローデットの感知能力は、低くはないがこの世界の人間の域を出ない。巧妙に隠されれば、分からない可能性は十二分にあった。
(一応、表向きは繕い続けたつもりではありますが…あの男、何を見ることになるやら)
追求の隙を与えないよう、公安委員会への情報提出(無論、整理した上でだが)は急いだ方が良いか…などと、楽しげな笑いの裏で計算をする。
■ヨキ > 腕を組み、並ぶラックへ視線を巡らせる。
興味が薄い上、色を判ぜぬ目は『四足獣』のファイルを何気なく通り過ぎた。
微笑んだクローデットのメイトマ評に、小さく頭を掻く。
「……もしかして彼、隠していたんだろうかな?
いや、攻撃魔法が『護身程度』なのは本当なんだ。
彼の仕事は、研究資料の管理係だよ。
この施設全体にどんな資料があるか、それがどのように扱われているかを記録するのが彼の仕事。
声は聞こえないが――(『不定形』のファイルを持つクローデットの手元を示して)、
どんなページを見たか、くらいは判るのではないかな。
守秘義務があると言うから、詳しくはヨキも知らないが」
メイトマ君も人が悪いな、などと、笑って肩を竦める。
「君こそ、人に言えない調べ物でもしていたのではなかろうな?」
■クローデット > ヨキが平然と資料室を見回す様子を、内心驚きに思った。
(経歴からすれば、気にしないとも思えませんけれど…自分を示唆するものがあると思わなかったのかしら?)
しかし、今の話題は案内役だったメイトマである。
特にそこに踏み込むこともせず、表向きはたおやかな態度を崩さないまま、ヨキとの会話に応じた。
「確かに、「悪意ある者が」「素性を隠して現れるならば」…その手の探索魔術の札は見せないのが正解でしょうね。
突然の連絡でしたから、メイトマ様も驚かれたのかもしれません。
………それでも、あたくしは彼とこの研究所を信頼したのですから…少しくらいは、と思いますけれど」
そう言って、少しだけ寂しさを匂わせる感じに目を伏し目がちにする。
勿論、芝居である。魔術の知識・実力はもちろんのこと「疑われ慣れ」という意味でも、クローデットは明らかに歳不相応だ。
「内容でしたら、人にはあまり申し上げられませんけれど…
既存の生物学では類推しづらい生態を持つ種族の情報を優先的に、気になったものから調べていただけですわ。
あたくし、齧った程度ですけれど動物行動学や進化心理学の知識もありますので…既存の生物に近い特性のものは、優先順位が低いのです」
そう言って、『不定形』のファイルの中身を紐解いていく。
存在としての「格」が高いと思われる内容を見つけた際には、楽しげな笑みが口元に浮かんでいた。
実際、ページに触れた記録は勿論、もし映像が残っていたとしても、クローデットが主張する内容に反する可能性は、よほど注意深く確認して「疑惑」止まりだろう。
…頭の中を、覗けでもしない限りは。
■ヨキ > かつて自分を凌辱した『常世生命科学研究所』。
現在のメイトマらが所属する『常世医科学研究センター』。
ここに対するヨキの顔が、あまりにも平然としているのは――それらの施設が全くの“別物とされている”からだ。
吹き荒れた手入れの嵐。優しい人びと。今は紐解かれることすらなくなった資料群。ヨキはこの施設を根っから信頼していた。
以前の研究所のやり口が気に喰わないと吐き捨てたメイトマが勤める、この場所を。
そういう点で、ヨキはどこまでも愚直な犬だった。
クローデットの内心を知る由もなく、言葉を続ける。
「彼も仕事だからな。
きっと閲覧者には平等にしなくちゃいけないのさ。人情的には寂しかろうが、誠実な仕事の表れだよ」
ファイルの内容よりも、目の前の相手の顔をまっすぐに見る。
「確かに、学問的には解明されていない生き物も数多く居るだろうからな。
このヨキも含めて?」
悪戯っぽく笑う。
「メイトマ君が不思議がっていたよ、『何でウチなんだろう』とね。
数ある研究所の中から君がここを選んだのが、信じられなかったみたいだ」
■クローデット > 「ええ、そうでしょうね。
…ここで調べさせて頂けるだけでもあり難いことですのに、これ以上委員会の権利を振り回しては横暴になってしまいますわね」
「反省しなくては」と、優しい苦笑いを漏らす。
「仕事」という観点は、今のクローデットの立場からも、理解出来ることだった。
「そうですわね…ヨキ先生も、既存の生物学からは随分離れていらっしゃるように思えますわ。
…本当に、先日はどうなるかと」
そう言って、こちらもくすくすと笑う。
この施設を信じ、「獅南に言わない」という約束も信じ。
どこまでもお人好しなこの「犬」を心の奥底で嘲りながらも、一方でクローデットは確信していた。
…獅南に情報を伝えた場合、そのことは絶対漏らしてはならないと。
強い信頼に裏切りを返せば、それは強い憎悪を返してくる。それが、世のならいだったから。
「…特に、深い理由はありませんの。古い資料を眺めていて、名前を見かけて。
それで、覚えていただけなんです。
あたくし、こちらの方面は本当に詳しくないものですから…」
理由を聞かれれば、困ったような微笑を浮かべながらそう説明して。
クローデットが亜人を研究する部門に伝手を持たないこと自体は事実だった。
■ヨキ > 「それに、もし『閲覧状況を管理している』などと伝えて、君が気を使ってしまうのは彼も本意ではないんだろう。
ルナン君の場合、そのような心配は要らない気もするが」
“常世島のルールを破った”という理由で昨日まで笑い合った学生を殺害するこの犬は、好悪の基準が文字通りの紙一重にあった。
今はまだクローデットの真意も、獅南との関係も知らずに居る。いついかなる瞬間に爆発するとも知れない爆弾。
「古い資料……それでか。
何だ、メイトマ君もあれほど心配することはなかったろうに」
“古い”という語の時期を、ヨキはどれほどの期間に据えているのだろうか。
実際のところ、メイトマの懸念はその古さにあった。
新旧の施設が混同される可能性が、彼の最も恐れるところであったのだ。
「それで、今回は何か有意義な情報は得られたかね?」
■クローデット > 「仮にも魔術を探究する者ですから、こういった研究資料を作法に則って扱うことの重要さは心得ておりますわ」
そう言って、花のほころぶような笑みを浮かべる。
ヨキが心配しているのは厳密にはそこではないのだろうが…獅南ほど極端ではないにしても、クローデットも「知性によって魔術を扱う者」なのである。
「お話を伺ったところ、「以前のこと」を随分気にしていらしたようですから…
それで、でしょうか。
メイトマ様の立ち居振る舞いを考えれば、杞憂かとは思いますけれど」
メイトマの懸念…新旧の施設の混同の可能性を、遠回しに示唆する。
メイトマとヨキの振る舞いから、クローデット自身は「資料が残っているだけで別物」と見ているのだが。
…有意義な情報を得られたかと聞かれれば、にっこりと満面の笑みを浮かべて。
「既存の人間とは別の種族について、生物学的な観点から掘り下げたことはほとんどありませんでしたので…とても、貴重な経験でしたわ。
新しい情報がたくさんあって…一日では調べきれないのが、本当に惜しいくらい…」
そう嬉しそうに語るクローデットの表情に、嘘は見当たらない。
実際、「主目的」こそ大方果たしたものの、ここの資料全体がクローデットにとって興味深いものであるのも嘘ではなかった。
■ヨキ > クローデットの言葉で、はじめてヨキが眉を顰めた。
「『以前のこと』?」
多くは言わずとも、それがかつての研究所をヨキに想起させたことは明らかだった。
振り払うように、視線を逸らし、また戻す。普段は固定されたレンズのように相手を見据えるヨキの、明らかな動揺。
調査の結果に満足げな笑みを浮かべるクローデットの様子に、ふっと笑んだ。
「良かった。ここは信頼できるところだよ。
ヨキも、前のセンター長の頃から世話になっていてな。
人がただ出向いて訪れる分には何の楽しみもないが、研究のためなら誠実に応えてくれるはずさ」
■クローデット > 「ええ…随分、酷いこともあったようですから。
…メイトマ様のお話を聞けば、同じような過ちは繰り返されないだろうと、思えるのですけれど」
ヨキの表情に見える動揺を、どう包んで誤魔化してやろうかと考えた末。
そう言って、少々悲しげな瞳を伏せる。
演技であるのは、言うまでもない。
「ええ…そうですわね。
知ることが出来て、結果として自分が何を知らないのかを、少し掴むことが出来ましたので。
お許しが頂けるようであれば…また、近いうちに」
そう言って、自分に笑みかけてきたヨキに柔らかい微笑を返す。
…が、次の瞬間には少し寂しげに瞳を陰らせ。
「…ただ、本日はここまでですわね…あまり遅いと、ハウスキーパーも心配させてしまいますから」
そう言って、閲覧していた『不定形』の資料を、元あった場所に戻す。
一応、大方目は通せた。
「それでは、ヨキ先生…「また」」
そう言って、品の良い所作でお辞儀をすると、資料室を出て行く。
出がけに、メイトマに「ありがとうございました」と声をかけることも…研究所を出た後、右手の小指に指輪をはめることも忘れず。
そして…その姿は、「いつの間にか」見えなくなっていた。
ご案内:「常世医科学研究センター」からクローデットさんが去りました。
■ヨキ > 何か言いたげな顔をしたヨキは、しかし何も言わずに置いた。
わずかな一瞬ではあったが、『酷いこと』について言及されたヨキは明らかに冷静を欠いていた。
気を取り直す。
「君が公安委員として、より務めに励むことを応援しているよ。
……ではな、ルナン君。気を付けて」
クローデットに別れを告げ、自分もまた事務室に挨拶を済ませてからセンターを後にする。
――やがて、二人の来館者が去ったのち。
『……はぁ』
常世医科学研究センターの事務員、もとい資料管理システム責任者・メイトマは、事務室で独り落ち込んでいた。
『……不定形とか、“生科研”絡みのページめっちゃ見てたなぁ……。
もしグロ趣味だったらやだなぁ……あんな美人なのに……ほんとに仕事のためだったらいいなぁ……』
缶コーヒーを握り締めた彼の呟きは、しかし永劫誰にも漏らされることはない。
それは“閲覧者の秘密を守ること”を至上の命題とするメイトマの、全く堅固な美徳であった。
ご案内:「常世医科学研究センター」からヨキさんが去りました。