2015/08/07 のログ
ヨキ > (闇の中に浮かび上がるような女の肌に、鋭利な爪を持つ犬の前肢が、どすん、と叩き付けられる。
 およそ現世の生き物には見られない、黒々と輝く鉄の爪)

(杭に穿たれ、組み敷かれ、その巨躯に封じられた身体を、なおも捩る。
 残された最後の体力で、懸命に)

(女の横面を、犬の手が打ち据える。
 地面の上に、赤くて白い肉片が散る)

(その手はまるで人間のように、右へ左へ、自在に女の身体を砕いた)

(まだ息がある。
 破れかけた喉が、旧いパイプのように切れ切れの音を立てている)

(呼気の間に、肉の音がする)

(一片の慈悲もなく、女の身体を真っ二つに裂くような)

(乾いた粘膜の擦れる音)



(犬が嗤ったように見えた)


 

ヨキ > 「(我が子を思って泣く女)

 (子どもの行く末だけを思いながら)

 (それを)
 (それを、)

 (こいつらが)」



(犬の頭に、声が響く。
 幼い娘の声が)



(『せんせ、どうしたの』


   『……ごめんごめん。ちょっと、考え事してた。何でもないよ』


      『……せんせい、あちゅい』)



(風紀委員の本部を灼く焔が、
 自らを灼いて止まない呪いの焔が――

 そして、その娘の母親を灼いた、戯れと呼ぶには重すぎる焔が)

ヨキ > (地べたを這う、顔の判別も困難なほどに腫れ上がった顔を見下ろす。
 そうして背中。犬の手が、爪が、肌が、舌が、体液が這ったあとは、余さず皮膚が赤く爛れて、火傷の様相を呈していた)

(まだ生きている。
 だがもはやその身体から、人間の尊厳を示すだけの体力はとっくに喪われていた)

(女の首筋へ、前肢を宛がう。
 弱々しい脈拍――)



(ばきん、と音がして、
 巨大な手が女の首を圧し潰す。

 頭が木の実のようにごろりと転がって、

 それでも肉塊と化した身体はただ揺すぶられ、穿たれて、ぐらぐらと小さく、小刻みに揺れ続ける)

ヨキ > (――それから
 この暗闇の中にあっては、どれほどの時間が経ったか判然としないが)





(薙ぎ倒された大樹の下に、原型を失った肌色の塊が二つ。
 その周りに、肌色交じりの赤い海が丸く広がっている)

(犬の足が、一歩、二歩と、重たげに倒木を乗り越える)

(股座を滴り落ちる粘液は赤茶けて、錆の臭いがした)

ヨキ > (犬は金色の目を見開いたまま、地面を見るともなく見下ろしながら歩いた。
 吐き零す呼気は、荒々しく、熱を孕んでいる)

「――――……」

(瞳孔の内側に、炉のような焔を滾らせた瞳が揺れる)

(べた、べたりと、木々を辛うじて縫うように進む歩調は鈍く重く、不安定だ)

ヨキ > (脇腹から、肉と体毛の焦げる匂い。
 不完全燃焼を起こしたように、傷口が小さな焔を噴き上げる)



(そうしてそれは)



(生き物が姿を変じるような量感すらなく、

 さながら神仙が変化するように

 何の前触れもない、ごく小さな身震いのあとには)



(ひたりと前のめりに膝を突く、うねる黒髪に仕立てのよい長衣を纏った男――ヨキの姿があった)


 

ヨキ > (地面に手を突く。
 四つん這いに斜面は進めず、動きを止める)

(身体じゅうを赤黒く染めて、力なく垂らした指先には女の毛髪が絡みついている。
 犬歯に引っ掛かり、食べ零しのように垂れ下がる肉片を、指先で拭い落とす)

(地を這い、消化しきって吐くものもない胃を引き摺り出すように口を開き、伸ばした舌を震わせる。
 申し訳程度の唾液と共に零れたのは、齧り付いた女の血と、もろとも呑み込んだ自分の精液だった)

ヨキ > 「…………、ヨキは」

「正しい……」


「……正しい。」

「ただヨキのみが」


「ヨキは正しい」

「正しいのだ」


「ヨキの」


「………………、」


「ヨキは」

「何を……」


「なにを砦にしたらいい?」


「それは」

「……ヨキだ」


「ヨキの砦は、ただ

 ヨキのみぞ――在る」

ご案内:「森の奥」に蓋盛 椎月さんが現れました。
蓋盛 椎月 > そう遠くない、茂みの奥。
ちら、ちら、と瞬く光。
それはペンライトの齎す頼りない、最低限の光だった。

「そこに誰かいるの」

緊張に押し殺された声。正しい方向に向けられていない。
濃い異臭に、感覚を狂わされているらしかった。

ヨキ > (血の匂い。裂かれ開かれた臓物の匂い。焦げた肉と毛髪の匂い。女の体液と、錆びて死んだ精液の匂い。
 ライトの光が視界を掠めて、反射的に顔を強張らせる。

 低い声が、いやに遠くから聴こえるようだった。
 立ち上がろうとして、躓く。
 よろけながら、大樹に手を突いて立ち上がる。

 その鼻の嗅ぎ取る、どの匂いが新たに現れた人物のものか、判りはしなかった。
 ただ気付かれたならば――殺すほかにない)

「………………、」

(ヒトの両足が、猟犬の隠密で以って草の中を進む。
 揺れるライトの、その光源。

 木立の陰から、鉤爪の形に力を込めた左手を振り被り、

 闖入者の喉元目掛けて――)



「……――――!!」




(――その手が、振り下ろされることはなかった。
 丸く見開かれた金色の瞳が――女の顔を見る)

(学園の日々からは想像もつかないほどの、ありとある汚穢にまみれたヨキの姿。
 その手に紛れもない害意と殺意を持て余し、驚愕と戸惑いに満ちた顔が、蓋盛を見ていた)

「……ふ……た、……もり、」

蓋盛 椎月 > 「――――!」
驚愕したのは蓋盛とて同じ。

左手には頼りないペンライト。
そして右手に握られていたのは装弾されたリボルバー。
それが反射的に突き出され――しかし引き金が引かれることはなく。
ただし銃口が逸らされることもない。

ヨキの姿を見つけて追ったわけではない。
深夜、大して情の通わぬ男の家にでもしけ込もうと思い、外を歩き。
――森の外まで響いた、雷のような音。
おそらくそれを耳にしていたのは自分だけだったろう。
たとえば落第街であったなら――聞かなかったことにしていたに違いない。
とはいえ自分らしくない行動ではあった。

しばらくの沈黙が流れる。

「…………手当は必要ですか?」

ひたいに汗を浮かべた無表情のまま、ヨキにそう訊いた。

ヨキ > (突き付けられた銃口と、それを向ける女の顔を見る。
 ――見ながら、ゆっくりと左手を下ろした。

 両手をだらりと垂らす。
 蓋盛の問いに、朦朧とした目を伏せ、弱々しく首を振って否定する)

「……要らん。
 ヨキが傷付いて流した血は……何もない。……」

(顔を逸らす。
 平素ならば異様なほど相手の目を見るその視線が、蓋盛の肩越しに広がる暗がりへ、茫洋として泳がされている)

「ヨキがやった。
 “今日は”……二人。

 ――公安や、風紀なりとも、報せるがいい」

(小さく頬を震わせて、観念したように笑った)

蓋盛 椎月 > 「そう」
銃を下ろす。

臭気と音の発生源に近づく前に、通報を入れるか、というのは迷った。
しかしそれはしなかった。
例の事件。昨日の今日、である。それが携帯端末に伸びる指を鈍らせた。

「言われなくてもそうしますけど……
 その前に訊かせてほしいことが少し」

奇妙に落ち着き払った様子で、血の痕に、肉の塊に、ライトを向ける。

「彼らはいったいどういう人物だったんですか?」

ヨキ > (人形のように立ち竦んだまま、深く深く、呼吸を繰り返す。
 結んだ唇の下で、歯が震えている様子がわかる)

「…………、」

(死者たちの人となりを訊かれ、間。
 ゆっくりと口を開く)

「……二級学生の手引きで……不法に入島した者たちだった。
 名もない奴らの集まりで、……暴行に、詐欺に、窃盗に。
 狡いことを、何でもやってた」

(低い声に、いつもの覇気はない。
 ぽつぽつと言葉を零すように、話し続ける)

「そいつらが……女を襲って、殺した。
 この間、海で……君とすれ違った、……あの娘の、母親だった。

 ……ずっと、探してた」

(ずるりと上体が傾ぐ。
 頑丈な木の幹に凭れて、自分の身体を抱く)

「だから、同じことをした。
 ……同じ目に遭わせて、潰した。

 そこに居るのが、最期の二人だった」

蓋盛 椎月 > 最後まで話を聞き終える。

「なーんだ」

無感動に。

「なら、いいじゃないですかぁ」

忘れていました、とでも言わんばかりに、常のような人懐っこい笑みを浮かべる。

“なら”が、“いい”が、ヨキの言葉の何にかかっていたかは、判然としない。
少なくとも、蓋盛の中で、通報しなければいけない理由というのは、消え失せてしまったことは確かだ。

「ただ、まあ――散らかしすぎですよね。始末、面倒でしょ、これ」

たしなめるような響き。
ヨキが闇の中、凄惨な私刑を行っていたことに、驚きはないし、咎める由もない。
きっと誰しも“そういうもの”だろうな、とは漠然と思っていた。

ペンライトを地面に落とす。
空いた左手をかざす。そこに淡く白色に光る、超自然の弾丸が浮かんだ。

「それで」

「本当にいらないんですか、“手当”」

ヨキ > (不謹慎なほど軽い声に、眉を下げて、目を伏せる。
 泣き笑いのような顔を浮かべて、目元を手で覆う)

「…………、ありがとう。済まない。
 あまりにも、……あまりにも、憎かった。
 島の怪異のひとつに紛れて、ただ晴らせれば――それで良いと」

(ようやく、視線が蓋盛の顔へ戻ってくる。
 彼女の手に浮かぶ《イクイリブリウム》の光に、薄らと笑う)

「……うん。いい。
 いいんだ、今はまだ。……」

(上半身を包む布地に手をやる。
 持ち上げ、晒した生白い肌――脇腹に、大きく斜めに穿ったような傷。
 人間の血液とはまた異なる、やけに赤黒い血にまみれている。
 傷口の隙間に、骨のような、鉄のパイプのような――黒い骨組みが垣間見える)

「…………。ヨキが負っている傷は、これだけだ。

 これは、ヨキをヨキたらしめる傷、だ。
 今は……まだ、……《ヨキ》で居たいんだ」

(大きく息を付くと、塞がる気配のない傷が柔く蠢く)

「……君には、汚れたこの姿を見られたくないと、思っていた。
 でも……今は、君でよかったと……思う」

蓋盛 椎月 > 「…………」

確かに――この惨状と、ヨキという人物を結びつけるのは難しいかもしれない。
被害者の身元が身元であるなら、真剣に捜査されることもないだろう。

ぱちり。
指を鳴らすと、弾丸は霧散する。

反射的に、顔を覆うヨキから目をそらす。
笑みを浮かべたまま、押し黙った。
蓋盛には、何故自分が今謝罪――はともかくとして、感謝されているのか、わからない。

狼狽している者を前にすると、どれだけ異常な状況でも
冷静になってしまうのは、もはや習性に等しいものだった。

ヨキの罪を看過するのは、彼の正義や憎しみに共感を覚えたからではない。
ただただ面倒だったからだ。
不当滞在者ごときの殺害で、同僚が引っ立てられる? 冗談は大概にしてほしい。

「重石を自ら背負うのは結構ですけどね。
 それ、そのうち破綻しますよ」

薄笑いの口元から紡がれる声はあくまで冷たい。

ヨキ > (持ち上げていた服を、ずるりと下ろして直す)

「………………。ふ、」

(ふふ、と短く笑って、息をつく。
 緊張を解きほぐすように、ゆっくりと、何度も)

「知――って、る。
 ……元々だって、破綻したからこんな傷を負ったのだし、斯様な島へ辿り着くこともなかった」

(小さく笑う)

「あちこちに繋がれて、重石だらけだ。
 ヨキはよほど家畜に向いているらしい。

 ヨキが再び破綻して、潰れてしまわぬように。
 ……だからヨキには、君や、生徒らが必要なんだ」

(言いながら、小さく呻いて、大木の根元にしゃがみ込む)

「………………。
 今日は少し、派手に暴れたので、な。ほとぼりが、…………」

(みなまでは言わなかった。
 素数でも数えているような顔で、目を逸らす)

蓋盛 椎月 > 呆れたようにかぶりを振る。

「自分を自分たらしめているものなんて、投げ捨ててみれば――
 本当に、つまらないものだというのに。
 ――あたしには、わからない。なぜそんなものを大事に抱えるのか」

旅の荷物は、少ないほうがいい。
だから自分は物覚えが悪いのだ。

ヨキの言葉の意味。それを一秒の半分、遅れて理解する。
それに次ぐ思いつき。
そもそも、深夜に出歩いたその目的。

「――くく」

こんな血だまりの中で、吐き気催すような血臭の中で?

――しかし、
――面白い、と思った。

夜の海に、夜の森に、ひとり臨むとき。
暗がりを覗き込んで、そのまま吸い込まれてしまいたいと思うように。
魂がタナトスへと誘われた。

ブラウスのボタンを一つ外す。
目を逸らす彼のもとへ、近づき、屈み込み、身を寄せる。

ヨキ > 「……それは。
 ヨキが未だ、それこそが人間の在りようである、と、信じているからだ。
 無駄で、大袈裟で、無為で、大層な――ただの、お荷物が。……」

(二三、小さく頷いて)

「……棄てられる、のだ。本当は。いつだって。
 この傷が失われれば、ヨキは今ひとたび獣に戻ることが出来るだろう。
 それでも、背負い続ける。何故なら、ヨキには――人間の愚かが、愛しい」

(呪文のように唱えてみせる。
 しゃがみ込んだのちには、お経のように)

(わざとらしく、悪臭に満ちた空気を大きく吸い込む。
 目の前に在る生きた女の匂いから、気を逸らすようにして。

 今や完全に座り込み、横へ足を投げ出していた)

(――眼前に、蓋盛の顔が現れる。
 意外そうに唇を小さく開き、半ばぽかんとして相手を見遣る)

「…………。驚いた。
 君は……女としか寝ないと、思っていた」

(徐に手袋を外し、晒した左手を伸ばす。
 布地に染みていたらしい血で、薄らと汚れた指先。
 爪を鋭く尖らせた、いびつな獣の手が、蓋盛の輪郭を、その唇の感触を確かめるように撫ぜる)

蓋盛 椎月 > 「すると――あたしはもう人間ではないのかもしれない」

小さく呟いた。



くっく、と再び小さく笑い声が漏れる。

「それは勘違いもいいところですね。
 あたしが寝るのは――……」

伸ばされた手を取る。じっと目が合わされたまま、口が開き――
唇に触れた、薄汚れた指先を、咥え、血を拭い取らんとするように、舐る。

欲情に揺らぐ瞳は、ヨキを見据えながら、どこにも向けられずにいた。
何も見ていない。何の臭いも感じてはいない。

ふはあ、と温かい息とともに、濡れたそれが解放される。

「……――弱い人と、ですよ」

ヨキ > 「結構な話だ。
 ヨキとて、君のことは……ある種の魔人のようだと、そう思っている」

(半眼が、何も言わずに蓋盛を見る。
 口中に含まれた人差し指が舌を、口元に宛がったままの中指が唇を、柔らかく弄ぶ)

「…………。
 弱い人と、か。恐れ入った」

(空いた右手が、服の首元に手をやる。
 衣の衿元を寛げると、薄く硬い胸元の上に、異能の触媒――鋼の首輪が露になる。

 濡らされた指先が、蓋盛の顔から首を滑る。
 素肌に手のひらを添えて、蓋盛の身体をゆっくりと地面に横たえんとする)

「ヨキは……君がおそろしい。
 女の深い淵を、覗くような気がして」

(顔を寄せ、ほとんど口付けるような距離で低く囁く。
 暗く陰の落ちた眼差しに、どろりと粘つく焔が点る)

蓋盛 椎月 > 「魔人だの、深い淵だの――過ぎた評価ですよ。
 今のあたしはなにも持ってない――ただの、無辜の市民だ」

されるがまま、冷えた土の上に横臥する。
血染めの森で、死体にまぎれて横たわると、まるで自分までもが屍になったようだ。

「……やれやれ、あたしを評する言葉はいくつも聞きましたけど、
 なにひとつ、腑に落ちたものはありませんよ……」

冷笑する。

優しいも、恐ろしいも、不真面目も、誠実も、淫売も、すべてが違うのだ。

ヨキ > 「ふ。……如何様にも評され、そのいずれともつかない女。
 ……どんな人間をも引き寄せる訳だ。その虚ろが」

(跪いて、蓋盛の小さな身体を跨ぐ。
 さらにブラウスの釦を緩め、手のひらが服のうちへ忍び込む。
 ひやりと生温い、死者に近い体温が素肌を探る)

「――ならば、今は余計な言葉など要らんな」

(人を煽るために使われてきたその口を、閉じる。
 蓋盛の首筋に顔を埋め、小さく音を立てて口付ける――その肌の匂いを、吸い込む)

蓋盛 椎月 > 一つのある物語の幕が下りた時、
蓋盛椎月の人間性は、自身や彼が言うように、すっかり失われ――
それを認めない影法師が今も、人と人との間で、半ば自動的に動いているのかもしれない。
そこに善も悪も、きっと存在しない。

「――――ッあ」

短い嬌声。小さく身体が跳ねる。
求めるように、盲のまま、虚空を漕ぐように、腕が伸ばされる。
その晩、これ以後、蓋盛が人の操るような言葉を発することは、ない――。

ご案内:「森の奥」から蓋盛 椎月さんが去りました。
ヨキ > (蕩けるような声が、耳を擽る。
 背中を震わせて、空いた手が自らの拘束をも解いてゆく。
 熱を孕み、持て余したきりの長身が蓋盛の肌を暗く遮る。
 そうして自らもまた、蓋盛の腕の中へ身を委ねる。

 やがて森の奥には、人語の代わり、低く、切れ切れに漏らす吐息が響くばかり。
 重なり合った影は、ひどく緩慢に交じり合うことだろう。
 女の体温をその身に移しきるまで、ゆっくりと。

 ――語る言葉をも忘れて、忘我に目を閉じた)

ご案内:「森の奥」からヨキさんが去りました。